魔境国アリアンロッド・リリス編 その5 奴隷商人バルドの切り札
崩れ落ちたゴーレムの残骸を見下ろし、奴隷商人バルドは荒く息を吐いていた。
人々の目は一斉にリリスへ向かう。誰もが驚愕と希望の混ざった視線を投げる。
「……ちっ、あれはただの見世物だ。たかが偶然、力が噛み合っただけよ!」
バルドはわめき散らすと、懐から漆黒の札を数枚抜き取り、地面に突き立てた。
――ゴゴゴゴッ。
石畳が裂け、黒い光がうねり上がる。
地の底から現れたのは、二体の異形の魔獣。
一体は鎧兜をまとった巨躯のミノタウロス、もう一体は蛇の下半身を持つラミアだった。
その身には呪符がべったりと貼られ、瞳は血のように赤く濁っている。
「こいつらは……!」
僧侶の兄が声を詰まらせる。
「呪縛獣だ。魂を封じ、無理やり戦わせる禁呪……」
バルドが口の端を吊り上げる。
「こやつらはただの魔物ではない。勇士の死骸を利用し、魂をねじ曲げて作り上げた兵器だ。小娘の技など通じるか!」
リリスは目を細める。
――これはただの敵ではない。
かつて誰かの仲間であり、誰かの英雄だった存在。
心がざわめく。だが背後の人々が震えているのを見て、彼女は一歩前へ踏み出した。
「……あなたたちを苦しめるのは終わりにする。太極は和をもって戦いを鎮める拳。必ず解き放ってみせる」
その静かな言葉に、群衆のざわめきが落ち着きを取り戻す。
ミノタウロスが咆哮し、大斧を振り下ろす。
リリスは正面から突っ込むのではなく、流れるように半歩ずれ――
「“化”」
力を受け流すように身を翻し、斧の軌道を逸らす。
石畳を砕く衝撃。だがリリスの前には一条の隙が生まれていた。
白狐がその隙を狙って飛び込み、ラミアの尾を牽制。
僧侶兄弟が唱える浄化の光が、呪符の一部を焼き払う。
リリスの掌が前へ伸びた。
「“推手”――!」
押し出す気流が、ミノタウロスの胸に刻まれた札を叩き裂く。
一瞬だけ瞳に正気の光が宿り、獣は苦悶の咆哮を上げた。
バルドが絶叫する。
「やめろっ、やめろぉぉ!!」
だが、止まらない。
リリスの呼吸は整い、太極の流れは澄んでいく。
ラミアの尾が突き出されるのを、僧侶弟が盾で受け止める。
その一瞬の隙に、リリスは核の呪符を掌でつかみ――
「……眠りなさい」
“化勁”が流れ込み、呪符が砕け散る。
ラミアもまた、その身を崩し、黒い霧となって消え去った。
残ったのは、静かな余韻と、呆然と立ち尽くすバルド。
人々の歓声が広場に響き渡る。
「……なんという……」「本当に……勝ったのか」
リリスは深く息を吐き、仲間たちへ小さくうなずいた。
だが、バルドの目は狂気に染まっていた。
「……まだだ、まだ終わってはおらん! この町ごと――灰にしてくれる!」
懐から取り出した最後の札。
それは、かすかに炎を帯び、周囲の空気を焦がす。
――新たな危機の兆し。




