魔境国アリアンロッド・リリス編 その4 太極の一手
石畳を震わせる巨体のゴーレムが、ゆっくりと拳を振り上げた。
それはまるで岩そのものが動き出したかのような迫力。奴隷商人バルドが誇る切り札に、広場は一瞬、恐怖に凍りついた。
前衛に立つ僧侶の兄弟と白狐は、必死に支えようとする。
「――っぐぅ!」「重い……!」
神聖魔法の障壁が火花を散らし、白狐が飛び跳ねて牽制するも、ゴーレムは怯むことなく進む。
リリスは一歩、前に出た。
深く息を吸い、吐き――静かに両手を掲げる。
「太極拳……“掤”」
振り下ろされた岩の拳を、彼女は柔らかな弧を描いて受け流した。
重さは確かにのしかかる。だが流れを作れば、その力は別の方向へと逸れていく。
拳は地面を叩き割り、土煙が上がった。
群衆からどよめきが走る。
「いける……」
僧侶の弟がつぶやくと同時に、リリスの掌が前へ押し出される。
「“按”――」
ゴーレムの胸から発せられた呪力の衝撃波が、透明な波のように押し返されていった。
黒い波動が弾け飛び、バルドがぎょっとした顔で前に乗り出す。
「なにっ……!」
さらにリリスは、ゴーレムの腕を掴み、すっと引いた。
「“採”」
巨体のバランスが崩れる。
その瞬間、彼女の腰がきゅっと切り返された。
「“挒”!」
捻じりの力が一点に収束し、ゴーレムの胸の奥から、不気味に光る核石がきしんだ。
亀裂が走る。
白狐がそこへ飛びかかり、牙でさらに衝撃を与える。
核石が露わになった。
リリスは最後に一歩踏み込み、肩で突き上げる。
「“靠”――!」
轟音とともに、ゴーレムが崩れ落ちた。
粉々になった岩の中に、砕けた核が転がる。
沈黙ののち、歓声が湧き起こった。
奴隷として扱われていた人々でさえ、その鮮やかな一連の流れに息を呑み、目を見張っていた。
「……う、嘘だろ……」「小娘ひとりで、あのゴーレムが……」
バルドの顔が真っ赤になり、歯ぎしりの音が響いた。
「ふざけおって……! 貴様らごときに、私の“秘術”が敗れるかぁぁぁっ!」
彼は懐から新たな札を取り出し、別の召喚の構えを取る。
リリスは静かに息を整え、仲間たちに短く言葉を投げた。
「まだ終わっていないわ。次が来る――構えて!」
その姿は、かつての細身の少女ではなく、仲間を導く武人の影を帯びていた。




