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女騎士の独り旅!  作者: 和泉發仙


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魔境国アリアンロッド・秘匿扉探索編 その16 侵入者との初遭遇


 森が、耳を澄ませていた。

 月光の白が、葉裏の黒にかじりつく。風は上空を駆け、地表は不自然なほど静まり返る。アリアンロッド外周の影の道を、灰狼と小翼竜と影鼠――ルーンのティムたちが疾走していた。


『接触、間近』

 灰狼の目が細く光る。

『二十余、足並み整う。先導一、後衛に二、中央に“囁き手”』

 影鼠が、音にならない音で告げる。

『合図送る。主に、街に』


 彼らは、見えない針金のように森に張られた“嗅覚の線”を伝い、敵の匂いを国へと織り込んでいった。


     ◇


 山の折れを抜けた一団は、灯火を最低限に絞り、声を潜めていた。

 先頭のフードの人物が立ち止まり、耳を澄ませる。


「……ここだ。道は示されている」


 フードの下で、薄笑いがこぼれる。

 列の中ほど、痩身の男――ゼノ=クラヴィスは、誰にも聞こえないほどの声量で囁いた。


「(進みましょう。“あなたが選んだ”道です、勇者様)」


 その一語に、前列の男が鼻を鳴らす。天城剛。

「おい、内海、斎藤。あの先、見てこい。何か金目の物があったら剥がしてこい。オレ様のだ」

「了解っす!」「りょ、了解!」


 最後尾では、ガルマ=ヴァルドが鎖の束を握りしめ、首輪の男――感応奴隷のディルハを無言で小突いた。

「嗅げ。導け。――違えれば罰だ」


 ディルハは痙攣する肩を押さえ、震えた指で前を差す。

「……まっすぐ……森が、嫌がっている」


 勇者の一人、ヘリオンは短く眼鏡を持ち上げ、夜空を横目に見る。

「(嫌がっている、か。なら“そこに何かが在る”)」


 隊列が再び動き始めた、その瞬間――森が、鳴いた。


 低い、鋭い、警告の咆哮。

 灰狼が飛び出し、小翼竜の影が頭上をかすめ、影鼠が足元を抜ける。

 不意を突かれ、先頭の二人が転ぶ。

 ざわめく列。そのざわめきを上書きするように、狼がただ一度、短く吠えた。


「散れ!」


 命令は一言。敵にではない。森に向けてだ。

 合図に応じ、別の影――ルーンの“二番手”のティムたちが、左右から静かに幅を広げる。取り囲むのではない。退路を刻むのだ。最短で街へ向かえないように、道そのものを“滑る床”に変える。


「なんだこいつら、魔物か!?」「ち、近づくな!」


 内海が慌てて剣を振るうが、刃は空を切るだけ。

 斎藤は腰が抜け、尻もちをついた。

 天城が舌打ちし、前へ出る。「どけ。オレ様が――」


「そこまでだ」


 森の奥から声が落ちてきた。

 風の衣をまとい、影を切り裂き、アリアが前に出る。

 その背にフェルナ、シル、ルーン、トット、バディ。左右にはティアとセレスティア。半歩後ろに以蔵、さらに少し離れてエリオット。ガレンと東堂は最後尾に連なり、周囲の気配を読む。


 光を受けたアリアの眼差しが、一団を射抜く。

「ここはアリアンロッド。――用件を述べよ。道理なき侵入は、許さぬ」


 息をのみ、列がたじろぐ。

 最初に笑ったのは天城だった。

「へっ。おい、アンタがこの辺のボスか? だったら話は早い。俺様が“欲しい物”を持ってこい。鋼の鎧だ。新兵器だ。オレ様が乗る」


 アリアの眉がわずかに動く。

 それだけで、空気が一段冷えた。

 以蔵が横目をやる。東堂は小さく息を吸った。ガレンの指は斧の柄で遊び、フェルナの瞳は風の流れを読む。


 ゼノは一歩、前に出るでも後ろに下がるでもなく、ただ「場」を滑らかに保つ声色で口を開いた。

「誤解なきよう。わたしたちはただ――学びに来たのです。この世界の、新たな可能性を」

 その言葉は柔らかく、刃を見せない。

 だが、アリアは一刀で見抜く。「“学び”のために、首輪を使うのか」


 ゼノの微笑は揺れない。

「世界は時に厳しく、学びは時に痛みを伴う。けれど――」

「よせ、ゼノ」ヘリオンが小さく遮った。「交渉の体を取り繕っても無駄だ。これは“接触試験”だ」

 彼はアリアをまっすぐに見据える。「あなた方の防衛反応と、対応速度、優先順位。それがわかればいい」


 アリアの足が半歩、前へ。

「ならば――示そう。ここが“国”であることを」


 風が鳴る。

 最初に動いたのは、シルだった。

 影から影へ二度跳び、内海の手首へ短剣の柄で“打ち”。悲鳴とともに剣が落ちる。

「武器を拾うな。指を折るよ」

 シルの声は軽いが、刃の位置は正確だった。


 天城が踏み込む。「この野郎――!」

 正面から出た拳を、東堂が半身で受け、肘の角度を変えて流す。

「肩が上がってる。――そこ!」

 わずかな崩れを、以蔵の足さばきが絡め取る。刀は抜かない。足の甲で天城の踝を払う。

 天城は土を噛み、「てめえら、やりやがったな!」と吠えるが、以蔵は瞬きすらしない。


 その間に、バディが後衛の男の腰布を引き、トットが影から首輪の鎖を断つ。

「痛いの、やだよな。――立て」

 トットの声に、ディルハが目を見張る。彼は自分の首元に手を当て、信じられないというように息を吸った。


「やめろ!」ガルマ会長が怒号を飛ばす。「商品に勝手な真似を――」

 言い終わる前に、フェルナの矢が会長の足元、土を“釘”のように打った。

「次は靴の踵。次は裾。……その次はわかるわよね?」

 微笑は柔らかいが、矢羽は揺れない。


 空気が、二度、入れ替わった。

 一度は恐怖で、二度目は“理解”で。

 この一団は、ここを“荒らせない”。荒らせば、壊される。


 ヘリオンが手を挙げた。「撤収だ」

「何ぃ!?」天城が振り向く。「おい、逃げんのか――」

「撤収と言った。試験は終了だ。――もう十分だろう」

 ヘリオンの瞳が、十歩先のアリアを冷静に測る。「この“国”は、軽い敵ではない。次に来るなら、話し合いだ。あるいは、本当の戦だ」


 ゼノが静かに肩を竦め、笑った。「ええ。“あなたが選ぶなら”どちらでも」

 レイナが奥で顔をしかめ、タツミは歯を食いしばっていた。

「くそ……マジで“イベントボス”じゃねぇか……!」


 その時、空がひと鳴りした。

 エリオットが掌を上げる。骨の従僕が地面から生え、森と街の間に“見えない線”を描いた。

「越えれば敵対と見なす。――今は、それだけだ」


 アリアが最後に口を開く。

「二度と、首輪を使うな。人であれ、魔であれ――ここでは“モノ”ではない」

 ゼノの笑みが一瞬だけ薄くなる。

「肝に銘じておきます」


 侵入者の列は、音もなく身を返した。

 森が、ほっと息を吐く。

 ティムたちは影に溶け、進路を監視するために配置に戻る。


     ◇


 静けさが戻った森で、ディルハがその場に膝をついた。

 トットがしゃがみこみ、首輪の残骸を指で弾く。「なぁ。行く先があるか。ここで、やり直すか」

 ディルハはしばらく何も言わず、やがて、俯いたまま首を縦に振った。

 ルーンがバディの頭を撫で、「ようこそ」とだけ言う。

 セレスティアが遠くの背――去っていく一団を見つめ、赤い瞳の奥で何かを量った。


「追わんのか?」ガレンが問う。

「追うちゃぁ、向こうの欲望にかたち与えちまうぜよ」以蔵が答えた。「あい、境ができたきに。ならぁ、守るだけじゃき」

 アリアは小さく頷く。「国へ戻る。――今夜は、守りを厚く」


 フェルナが風を走らせ、街へ先行の合図を送る。

 オリビエとヨハネスが城壁でそれを受け、合図塔の灯りが一段明るくなる。

 国民隊の若者たちが安堵と緊張の混ざった息を吐き、マキシが「まだ終わってないぞ」と短く締める。

 リマは治癒士の列を整え、ヨーデルは地図に今日の“接触”を記す。


     ◇


 月が高くなった頃、アリアは城壁の上から森を見た。

 静かだ。だが、静けさは“終わり”ではなく、“始まり”の予感を孕んでいる。


「……来たな、第一歩目が」

 アリアの言葉に、以蔵が口角だけで笑う。「あい。境ができた。ならば、守るだけだ」


 セレスティアが隣に並び、白い指で欄干をなぞる。

「彼らは諦めない。別の道を探すか、より大きな手を連れてくる。次は、話しか、戦か」

「どちらが来ても、私たちは私たちのやり方で応じる」アリアが言う。「“国”として」


 ティアが肩にもたれ、いたずらっぽく笑った。

「うん。なら次は――こっちから“準備万端”で迎え撃とうか」


 ルーンがうなずき、遠吠えのような小さな口笛を吹く。

 森の奥で、ティムたちがそれに応えた。


     ◇


 そのさらに遠く。

 退いた一団の最後尾で、ゼノが誰にも見えない笑みを落とした。

「(境界線、確認。門は硬い。――だからこそ、値打ちがある)」


 ヘリオンは星の位置を記録し、タツミは悔しげに拳を握り、レイナは小さく吐息を落とす。

 天城は苛立ちを舌打ちで吐き、ガルマ会長は黙って計算を続けた。


 ゼノは振り返らずに言う。

「選ぶのは、あなたがたです。私はただ、あなたがたの“選択”を磨く鏡でありたい」

 夜気がその言葉を運び、森の闇に沈んでいく。


     ◇


 ルーンブルグに夜明けが来る。

 壁上でアリアは、東の白を見た。

 国は生きている。息づき、選び、積み重ねる。


「――さぁ、次に備えよう。秘匿扉も、国の盾も」


 彼女の声に、皆がうなずいた。

 新しい一日が、始まる。


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