アリアンロッド秘匿扉探索編・その6(後半) 四機、夜空へ
——あの晩の報せは、短い言葉で十分だった。
「新しく五つの国が加わって、連合はさらに大きくなったの。……対抗同盟の中に、アリアちゃんの故郷——サンマリノ王国の名があるのよ」
それだけで、アリアの喉は乾いた。父と母、そしてビアの顔が一瞬にして脳裏を満たす。
走り出したい衝動を、彼女は掌を握らずに受け止めた。旗は上げない。名乗らない。影として動く。
——決めた瞬間、ルーンブルグの外れで眠っていた岩盤の心臓が目を覚ます。
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第1格納庫。
古代ヴィルムハーゲンの遺構を骨に、地球の鋼鉄フレームとジェネスゼルシスのエネルギー理論を継ぎ接いだ、魔境国の新しい心臓部だ。
天井の連結クレーンが、鈍い光を撒く。床面には二条の直線レール——リニア・カタパルト。その脇で琥珀色の魔力励起パネルが淡く点滅し、起動前の呼吸音のような振動を床に伝えている。
「圧力、グリーン。レール温度、安定じゃ」
バロスのひげが揺れる。
『魔力流束、目標値到達——誤差許容範囲内』
合成音を発しながら、オートマタ三体が端末へ次々に記録を積む。
そこへ、白衣にゴーグルを頭に引っかけたイザベラが転がり出てきて、両手を広げた。
「ウヒョー! 見なさいよ、この光! 今日が初よ!」
彼女は胸を張って親指を立てる。「この格納庫のフルシステムを回すのは、今回がまるっと初運用! 四機同時の射出データ、ぜんぶ取らせてもらうからね!」
「縁起でもない言い方はやめろ」東堂が苦笑で返す。
「大丈夫だよ」ルーンが笑う。「帰ってきたら、イザベラさんの“初運用記念シチュー”にするから」
「それは燃えないやつにしてくれ」エリオットが真顔で付け足し、場が緩む。
格納ベイの奥、四つの巨影が静かに立っていた。
蒼い輪郭が月光を飲む E-75F。
紅の稲妻を肩装甲に刻む E-77R。
銀の線条が織り込まれた E-79S。
漆黒に紫の艶を帯びる E-80N。
いずれも四〜五メートル級、人が“纏い、同調して拡張する”外骨格機だ。
「——いくか」
佐々木健太はドックの中央へ歩み出る。背後から蒼の胸部シェルが展開し、彼の身体を抱くように閉じた。背骨沿いに薄いリンクラインが走り、皮膚感覚の奥で二重の脈が重なる。
視界がぱっと切り替わり、HUDが網膜上に立ち上がる。
『E-75F——神経リンク確立。キャリブレーション開始』
「右腕、前へ」
健太が素早く突き出す。蒼い巨腕が遅延なく追随する。
『一致率 91% → 93%……補正完了』
「左脚、踏み込み」
床がぎゅ、と低く鳴る。
『慣性補正 同期完了』
隣のドックでは、加藤雅彦が淡々と動作確認を進めていた。
握る、開く、肘を絞る、踵を返す——教本の図のように無駄がない。
『E-77R——同調率 94% → 96%。視覚補正遅延 0.08秒 → 0.05秒』
「良好」雅彦は短く言い、最後に頷いた。(いつも通り——やるだけだ)
上階のガラス張りの管制室。
中央コンソールの椅子に、愛菜がぐてっと沈んでいる。片手で頬杖、もう片方の指で回すマグから漂うのは、やけに甘い香りの飲み物だ。
「……は〜い、オペレーションルーム。ヴァルフレア、インフェリオン、プリフライトはじめるよ〜」
眠たそう。やる気三割。だが、サブモニターは誰より先に見ている。視線が走るたび、指先が勝手に必要な画面を呼び出していく。
『外部干渉——無し』『熱源ノイズ——微少』『魔術揺らぎ——安定』
「E-75F 主電源昇圧、正常。E-77R 慣性制御 76→安定。魔力励起パネル同期よし。リニア負荷テスト開始。……静か、好き」
背後でオートマタが「同調ログ保存」を淡々と続ける。
第2格納区画——第1から岩盤の裏へ連結したサブベイ。
銀と黒紫の機体の前で、カイルとリィナが装着架台に立つ。
E-79Sの胸部シェルが閉じ、内側のタッチパネル型コントロールが起動する。
「リンク良好。パネル、触感フィードバックオン。マニュアル補正域を拡張」
リィナは横目で彼を見る。「アイトラッキングを切るの?」
「俺は指で決める方が落ち着く」カイルは迷いなく指を滑らせる。「視線入力は速いが、信用しすぎると事故る」
E-80Nのタッチラインが紫に点り、リィナが無駄のない手つきで項目を叩く。
「暗視優先、ノイズフィルタ設定。感度調整 3→2。……これでいい」
渡り廊下。
アリアは防爆ガラス越しに床面を見下ろし、手すりを握らない。開いた指先で心拍を受け止める。
(名乗らない。旗を上げない。影として)
隣でセレスティアが肩を寄せ、真紅の瞳を細くして笑む。「あなたは線よ。夜の道に一本だけ引かれる光の線。だから——折れないで」
「折れない」アリアの返事に、東堂がふっと息を笑いへ変える。「なら良し」
エリオットは静かに眼鏡を押し上げ、林はコンソールに沈む愛菜の背中を見て小さく笑った。(やるときは、やる人だ)
「——はいはい。じゃ、お仕事モード」
愛菜の声の色が、一段落ちる。眠気の膜が剥がれ、音程が業務用の周波数に変わった。
「こちらオペレーションルーム。全ゲート閉鎖解除。第1カタパルト射出プログラム起動。
E-75F、E-77R、姿勢制御オン。ジャイロ基準同期——完了。
キャリブレーション最終段——健太、視線入力チェック。右上ターゲットを見て」
「視界、右上。ロック反応OK、遅延——無し」
「雅彦、追従確認。左下から右へ流す」
「カーソル追随良好。補正遅延 0.05秒、許容」
「よろしい」
愛菜は素早く画面を切り替える。
「第2カタパルト、E-79S、E-80N、北東射出ルートセット。偏差補正送る。——カイル、文句は後で聞くから今は受領」
「受領」
「受領」
『偏差反映 完了』『風向 3.2m/s 東、露点低。滑走影響なし』
オートマタが彼女の指示に呼応して短く光る。
イザベラが身を乗り出した。「初の四機同時射出、いい? ねぇ、いい? ウヒョー、手が震える!」
「その手で何かのボタンは押すなよ」東堂。
「押さない押さない。見るだけ。ぜったい見るだけ」
(それが一番危ないのだが)と、エリオットは心の中でだけ突っ込んだ。
前方の防壁が縦に割れ、群青の夜気が流れ込む。稜線はまだ白む前、街の灯りが小さな星座になっている。
「射出まで、30秒」愛菜の声が落ちていく。
ドワーフたちが耳を塞ぎながら口を開け、衝撃に備える。
アリアは掌を胸に当て、目を閉じた。祈りではない。約束だ。
セレスティアが横で、同じように胸に指先を添える。
「20」
健太は息を一回、ゆっくり吐く。(ただいま)
雅彦は瞼の裏に、ピピが“びゅーん!”と手を広げて走る姿を浮かべ、ふっと笑みに変えた。(帰って、真似されよう)
「10」
カイルは指を二度、パネルに叩く。「マニュアル優先、OK」
リィナは短く返す。「いつも通り」
「——5。E-75F、E-77R、発進許可。3、2、1——」
「ヴァルフレア、出る!」
蒼の巨体が、リニアの咆哮とともに一気に加速した。魔力パネルの光が走り、圧縮空気が鳴き、衝撃が床の奥へ潜る。
蒼の光跡が防壁の裂け目を貫き、夜空に解き放たれる。
「インフェリオン、行く!」
紅の機体が一拍遅れて蒼に重なる。重心移動は完璧。無駄がない。
二本の直線が夜の皮膜を裂き、遠ざかっていく。愛菜のモニターで二つのアイコンが風のように滑り出した。
「第2カタパルト——E-79S、E-80N、射出」
『了解。3、2、1』
「シルバレイン、出る」
「ナイトシェイド、離陸」
銀と黒紫の閃光が、別の裂け目から夜へ舞い上がる。
タッチラインが淡く明滅し、指の動きが軌跡の形に変わっていく。指で決めるカイルの呼吸と、精密に整えるリィナの手つきが、それぞれの色を夜に刻む。
「各機、上昇角安定。僅かに乱気流——補正値送る」
愛菜の指先が走る。四機の姿勢データ、速度、魔力残量、兵装反応がモニターに整列した。
「健太、最短ルートは送った。でも最短が最良とは限らない。——“いつも通り”で選んで」
「了解」
「雅彦、フォローは任せる。あなたの合わせ方、私好き」
「了解」
「カイル、手元優先でいい。結果だけ速ければそれで」
「当然だ」
「リィナ、暗視チャンネルの共有を」
「送る」
渡り廊下。
東堂が腕を組み、肩で息を吐く。「よし」
エリオットが薄く微笑む。「まずは、最初の線を引いた」
林はコンソールの愛菜に、見えなくても親指を立てる。
アリアは空を見た。
真紅の瞳を細めたセレスティアが囁く。「——綺麗ね」
フェルナが頷く。「帰ってくる軌跡も、重ねてみせるわ」
床ではバディが一声吠え、ピピが「びゅーん!」と走る。ルーンが笑って抱き上げる。「うん、ただいまって言わせようね」
愛菜は最後に、四つのアイコンが空域の向こうへ滲んでいくのを見届け、マイクを外した。
「——行ってらっしゃい。帰ってくるまでが任務だからね」
ガラスの向こう。
蒼、紅、銀、黒紫。
四つの光がヴィルムハーゲンの夜を裂き、それぞれの戦場へ分かれていく。
名乗らない戦士たち。旗を持たない機体。
それでも確かに、ここから始まる。
戦の幕は上がった。
四機、夜空へ。
(つづく——次話、敵視点)




