魔境アリアンロッド・建国前夜編 第3話:資材を運ぶ腕と声――混成班、最初の一歩
1.顔合わせ、そして出発
朝霧が薄く割れると同時に、広場の掲示板の前へと人が集まった。白い粉で書かれた大きな丸――輪の印の周りには、四つの小さな丸。そこに今日の混成班の名簿が貼り出されている。
•谷の浅瀬班:グレイ(狼獣人)/ハーグ(コボルト)/グルー(ゴブリン里長)/フェルナ(ハイエルフ)/トット(通訳兼副長)
•丘の切れ目班:ミャラ(猫耳)/ダロッゾ(ミノタウロス)/若者代表ハルト/リマ(治療)
•旧街道の三叉班:リカルゾ(リカント)/ドッグ(警備隊長)/ヨーデル(書記)/カテリーナ(薬学)
•狩り場の端班:グバ(ゴブリン長老)/ツノガ(北尾根代表)/バロス(鍛冶)/ボリス(技術)/ティア(夜班代表)
シャルルが白板を肩に、簡潔に告げる。
「本日の目標は資材運搬。石は一箇所一基、まずは“置く”ところまで。立てるのは明日以降だ。――喧嘩は“言い直し”で解決する。力任せにぶつけるな。昼の合図は黄旗。黄は“注意・減速”。忘れるな」
アリアは門のところでみんなへ視線を巡らせた。「無理をしないで。戻って来られる一日にしよう」
セレスティアは夜図の巻物をドッグへ渡し、「日没前に一度、全班の位置を確認して。夜はわたしたちが受ける」と囁く。
ピピは指を折って数えながら、跳ねるように叫んだ。「いーち、にー、さん! がんばれー!」
笑いと手のひらの音。四つの小隊は、それぞれに荷車と木の滑り台、てこ棒、ロープ、楔を受け取って、門から散っていった。
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2.谷の浅瀬――力と工夫の衝突
最初の石は、谷にかかる浅瀬の前に置かれていた。拳ほどの石ではない。人二人の背丈、幅は牛車一台ぶん。表面には昨夜バロスが彫りつけた輪の浅い刻みが走っている。
「押せば早い」
グレイが両手を組み、腰を落とす。狼獣人の背筋が綱のように盛り上がった。
「転がすが早い」
ハーグは鼻を鳴らす。コボルトらしい低い重心で、丸太とテコ棒を指す。「てこと坂を作る。力は短く入れて、長く稼ぐ」
グルーが杖をとん、と鳴らした。「わしは休みの合図が要ると思うがな」
フェルナは前に出て、川の流れと河床の砂利を一瞥する。「水勢は今は弱いけれど、昼過ぎに雪解け水が来る。ここで手間取ると危ないわ」
言葉が交差し、空気がすこし尖った。
そこでトットが片手を挙げる。「言い直しタイム。まずグレイ。ハーグの言葉を自分の言葉で言い直してみてくれ」
グレイは鼻を鳴らし、腕を組んだ。「……“てこ”で少ない力を集めて、大きく進める。無駄に息を吐かない、ということだな」
「よし。次、ハーグ。グレイの言葉は?」
ハーグは耳をぴくりと動かす。「“短けぇ時間で一気に押すほうが、心も折れねぇ”。――違うか?」
グレイがふっと笑った。「……合ってる」
尖りは引いた。フェルナが軽く息を吐く。「じゃあ、両方やる。ハーグのてこで石を浮かせて、グレイの一押しで距離を稼ぐ」
トットが手を鳴らす。「一押し合図はタン・タン。二拍目で押す。グルー、休みの合図は?」
「**タン……**じゃ」
「了解。長い一拍が来たら手を離す。――いくぞ、輪の段取りで!」
丸太を並べ、木の滑り台(バロス仕込み)の角度を調整する。ハーグがてこ棒を石の下に差し入れ、グレイが肩をあてがう。フェルナが水の流れを見て、岸の形で緩やかな溝を作り、石が横へ滑らないように整える。
トットが足で合図を刻む。タン・タン――押す。
石がぐいと前へ出る。
タン……――休む。
丸太を一本、前へ運び、てこ棒の位置を入れ替える。
タン・タン――押す。
ぐい。砂利がみしと鳴る。
ピピの声が遠くから聞こえた気がした。「いーち、にー、さん!」
谷に笑いが揺れて、石は浅瀬の手前まで出た。
「ここからが嫌なところ」
フェルナの声に、全員の視線が水面へ落ちる。川底は丸石が多く、滑れば横転だ。
トットは短剣の柄で砂利をとんと叩く。「ここに杭。ロープを二重。俺が落ちるとこに落ちるから、グレイ、逆へ引け」
「任せろ」
ハーグがてこを挿し直す。
タン・タン――押す。
水の縁でずる。石が斜に傾く。
「引け!」
グレイの腕が唸り、ロープが張る。フェルナの掌が水を撫で、足もとの流れを一瞬だけ緩ませる。
石は水平に戻り、ぐいと前へ。浅瀬を渡った。
岸の草地に石が乗ったとき、全員が同時にふぅと息を吐いた。
グレイがハーグの肩をぽんと叩く。「お前の“てこ”はいい。次も頼む」
ハーグは鼻を鳴らして笑った。「お前の一押しもな。次も頼む」
グルーが杖を持ち上げ、「休みの合図、案外効いたじゃろ」と得意げに笑い、フェルナは水面に映る輪を見て小さく頷いた。
「一基目、搬入完了。記録、トット」
「承知。――“押す前に浮かせ、浮かせてから押す。休みは長く。次回も二重ロープ”」
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3.丘の切れ目――声が合えば、石は軽い
丘の切れ目班は、道の斜面に苦戦していた。切り通しの土が柔らかく、荷車の車輪が沈む。
「下りで押すのは危ねぇ」
ダロッゾが角で斜面の角度を測り、太い脚で土を踏み固める。
ミャラは耳をぴんと立て、「引いて落とすの。声で合わせて」と指示を飛ばした。
ハルトがロープの結び目を確認し、リマは救急袋を開いて「もし転べば、この布で膝を守るの」と簡単な処置を示しておく。
「声はタン・タン・タン!」
ミャラの合図に合わせ、全員が三歩で引く。
石はずずと短く動き、車輪が土から抜けた。
ダロッゾが受け止めて流す掛け声を短く挟む。「受けて――流す!」
引く側の体が斜めに倒れず、荷の重心が道の真ん中に落ちていく。
ハルトは汗を拭い、笑った。「声が合えば軽い、って本当なんですね」
ミャラが親指を立てる。「そう。合図は魔法より効くわよ」
昼前には丘の上へ石が上がった。ハルトがシャルルの板に「二基目搬入・声合図三拍・受けて流す併用」と記録する。リマは水と干し肉を配り、短い休憩に入った。
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4.旧街道の三叉――“はじめての喧嘩”
三つ目の石は、旧街道の三叉路。リカルゾとドッグが力を合わせ、ヨーデルが荷車の角度を指示し、カテリーナが小石で即席の車止めを作っている。
「そこ、右に二指」
「二指ってどのくらいだよ!」
ヨーデルとドッグの声が同時に上がり、空気がきしっと鳴った。
ドッグが耳を伏せる。「俺の“二指”はこのくらいだ!」
ヨーデルが眉をひそめる。「ぼくの“二指”はこれ!」
――同じ言葉が、違う長さを指していた。
そこで、リカルゾが胸板をこつと叩いた。
「言い直し。オレの二指はこの板の刻み二つだ」
板の上にはバロスが彫っておいた刻み目が一定間隔で並んでいる。
ドッグが肩をすくめ、「了解。俺の二指は刻み二つだ」
ヨーデルも息を吐き、「ぼくの二指も刻み二つに合わせる」
笑いが起き、きしみは消えた。
リカルゾが短く号令。「受けて――流す!」
ダロッゾがいない代わりに、ドッグが背中に手を添え、力を下へ逃がす。
ヨーデルは記録板に「単位合わせ重要」と書き込み、カテリーナは「刻み板の配布を提案」と追記した。
午後、三つ目も搬入完了。ドッグが黄旗を振り、「引継ぎ完了!」と門へ向けて合図を送る。広場の鐘が軽く鳴り、茶屋の鍋に火が入った。
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5.狩り場の端――技術の見せ場、そして数え歌
最後の班は狩り場の端。ここは地面がやわらかい。石の重みで沈めば、やり直しだ。
「音でずれが分かる仕掛け、見せ時だの」
ボリスがにやりと笑い、金具を手に取る。
バロスが石の側面を軽く叩く。こん。澄んだ音。
「位置が正。これがずれると――こん↓。濁る」
ティアが面白そうに耳を傾ける。「ふふ、音の違いは誰でもわかる。子どもでも」
実演のあとは本番だ。ツノガが角を軽く鳴らし、「北のやり方は鹿橇。ロープを広げ、面で引く」
ボリスは頷く。「面で圧を散らせ。点で押すな。――じゃ、合わせるぞ」
バロスがてこの角度を五つだけ変え、「合図はピピに任す!」と背中で叫ぶ。
ピピが胸いっぱいに息を吸い、「いーち、にー、さん、やすむ!」
全員が笑い、同時に手を離す。
「いーち、にー、さん、やすむ!」
石は沈まない。沈みそうなときに必ず休む。数え歌が、無理の芽を摘んでいく。
最後にティアが甘い香草を焚き、息の上がった者たちの肩に手を置いて「大丈夫」と囁く。心臓の鼓動がゆっくりと落ち着き、筋肉の強張りがほどける。
「四基目搬入完了!」
ツノガが両手を上げ、ピピが飛び跳ねる。「いーち、にー、さん、よん!」
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6.夕暮れの焚火――“続けられるやり方”へ
日が傾くころ、四つの地点それぞれで焚火が上がった。
谷の浅瀬では、グレイが干し肉を炙り、ハーグが火の端に小石を並べて温度を測る。フェルナは水面に手を入れ、明日の流れの変化を読む。グルーは杖で土に輪を描き、トットが今日の手順を短く復唱する。
「浮かせて押す。押す前に休む。横へは二重ロープ――これでいこう」
丘の切れ目では、ミャラが耳をぱたぱたさせ、ダロッゾが角を軽く磨く。ハルトはロープの結び目を早結びに改良し、リマが手のひらの擦り傷を冷やし薬で撫でる。
「声の三拍、よかったですね」
「受けて流すも忘れないこと」
旧街道の三叉では、ドッグが刻み板の配布を決め、ヨーデルが各隊の単位を書き合わせる。カテリーナは虫除けと湿布を配り、リカルゾは胸板を叩いて明日の立て方を想像している。
「板の刻み二つ=二指。これ、合言葉」
狩り場の端では、ボリスとバロスが石の音をもう一度聞かせ合い、ツノガが鹿橇の面引きを子どもたちに教える。ティアは火の番。ピピは歌の番。
「いーち、にー、さん、やすむ――つづけられるやりかた!」
どの焚火にも、同じ空気が生まれていた。無理をしない。続けられる。明日も来られる。
アリアは夜の見回りの道すがら、四つの焚火を順に訪れ、短い言葉を置いていった。
「よくやってる。順番が整ってる」
「声が合ってる。倒れない」
「単位を合わせたの、賢いよ」
「歌がいい。子どもが覚えられるのが一番だ」
セレスティアは最後尾から静かについてきて、空を仰ぐ。「夜は任せて。火の見張りは私が見る」
アリアは頷き、焚火に背を向けて歩き出した。
彼女の胸には、昼間の石の重みと、夕暮れの笑い声が、同じ温度で残っていた。
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7.最初のつまずき、最初の解き方
広場へ戻る途中、アリアは門前で小さな口論に出くわした。
市場へ入る荷の順番をめぐって、猫耳の若者とコボルトの老人が言い争いをしている。
「先だ!」「いや、こっちが先だ!」
アリアは剣に手をやらない。代わりに、輪の板を足で描いた。
「言い直し。まず、猫耳くん。おじいさんの言葉をあなたの言葉で言ってみて」
猫耳の青年は戸惑いながらも、相手の荷を見る。「……“重たい荷は早く下ろさないと腐るかもしれない”。――そう言ってる」
コボルトの老人は肩を落とし、頷いた。「そうだ。お前の荷は軽いから、待てるだろう?」
青年は息を吐いて笑った。「わかった。じゃあ、次はぼく。――刻み板で“待ち時間”を数えよう。二刻超えたら、軽い荷が先」
アリアはにっこり笑う。「いい解き方。――続けられるね」
二人は互いに頭を下げ、猫耳の青年は黄旗の柱に二刻の印を刻んだ。
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8.夜風の中で――国は石でできない、けれど
夜。広場に戻ると、シャルルが白板の前でペンを止めた。
「四基、搬入完了。喧嘩:一件、言い直しで解決。単位合わせの提案、数え歌の効用、休み合図の効果――どれも**“続けられる仕組み”**に育ちそうだ」
アリアは門標の**「ルーン」を見上げる。夜風に板がかすかに揺れ、星の光を受けて穏やかに光った。
「国は石でできない。やり方でできる――続けられるやり方で」
セレスティアが横で微笑み、「あなたがそう言うから、皆が試せる」と囁く。
ルーンは器に軽く触れ、「明日は立てる**日。倒れない手順を、輪に刻もう」と目を細めた。
遠く、四つの焚火がそれぞれの場所で小さく瞬き、輪の形に点を結んでいるように見えた。
アリアは小さく息を吸い、胸の奥で呟く。
――走り出した風に、やり方を。
――帰る場所に、続けられる約束を。
そして、夜は静かに街を包み、朝へ向かう余白を整えた。
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つづく予告
第4話:石を立てる知恵――音と影、三拍の手順
搬入を終えた四基の石。
いよいよ“立てる”段へ。
ボリス&バロスの仕掛け、ティアの落ち着き、フェルナの水読み、
リカルゾ&ダロッゾの「受け止めて流す」、ピピの数え歌――
倒れない三拍で、石は立つ。
だが最後の一基で、土が崩れる。
“はじめての危機”に、輪はどう向き合う?




