干草祭(ほしぐさまつり)の落とし物
秋の匂いが、町じゅうに漂っていた。
麦の刈り取りを終え、牛馬のための干草を積む祭り――干草祭。広場には藁束が山のように積まれ、子どもたちは飛び込んでは転げ回っている。大人たちはその横で新麦のパンを切り分け、樽酒を酌み交わす。
町の中央には、背丈の二倍もある干草の塔が築かれ、てっぺんには色鮮やかな布旗が翻っていた。
アリアは外套を肩に掛け、剣を布で覆い、広場の隅に腰を下ろした。笑い声の渦の中に、独りの旅人が混じるのは難しい。けれど干草の匂いは、どこか懐かしく、目を閉じると一瞬眠気が訪れる。
「おねーちゃん、落とし物探し、手伝って!」
いきなり子どもに袖を引かれた。
麦色の髪の少女が、涙目で見上げている。
「干草の山の中に、大事なもの落としちゃったの。探しても探しても出てこなくて……」
「何を落とした?」
「銀の鈴。父さんがくれたお守り」
広場の真ん中では、子どもたちが次々と干草に飛び込んでいる。あの山のどこかに、鈴が紛れたのだろう。
アリアは剣帯を解き、草地に横たえてから立ち上がった。
「探してみよう」
*
干草の山に足を踏み入れると、甘い匂いと乾いた感触が全身を包んだ。
指先でかき分ける。がさり、がさり。
草の一本一本が絡み合い、鈴のような小さなものは容易に見つからない。
子どもたちは笑いながら跳ね回り、アリアの周囲に干草が雨のように降った。
「お姉ちゃん、まるで巨人に見える!」
笑い声に混ざり、少女は必死に探している。小さな手で草を掻き分け、膝に赤い擦り傷を作っていた。
アリアはしゃがみ、少女の手を止めた。
「傷になる。――指先より、耳を使おう」
「耳?」
「鈴は、鳴るものだ」
二人で干草に耳を寄せる。周囲のざわめきが遠くなり、草の擦れる音だけが近くなる。
……ちりん。
確かに微かな音がした。
アリアは拍を数え、音の方向に手を伸ばす。草の中に指が触れたのは、冷たい金属の輪。引き寄せると、小さな銀の鈴が光を返した。
「見つかった!」
少女が声を上げると、広場の人々が振り返った。子どもたちが歓声を上げ、大人たちも拍手する。
少女は鈴を胸に抱き、涙をこぼした。
「ありがとう……!」
アリアは微笑んだ。
「落とし物は、鈴だけ?」
少女は首を振る。
「もう一つ。……母さんの声。病で寝たきりで、祭りを見に来られない。だから鈴に声を込めてくれたの。『どんなに離れても鳴らせば帰っておいで』って」
アリアは鈴を受け取り、掌で転がした。
鈴は少し歪んでいる。干草の重みで押されたのだろう。鳴らしてみると、音は弱く、掠れている。
「少し、直そう」
腰袋から細い針金を出し、鈴の中の玉を支え直す。歪んだ隙間を小石で叩き、丸みに戻す。
少女が息を呑んで見守る中、鈴は再び澄んだ音を取り戻した。
ちりん――。
その音は、広場の喧騒の中でも確かに届き、人々の動きを一瞬和らげた。
*
夕刻。干草の塔に火が灯される。
燃やすのではない。灯籠を仕込んで光を透かし、草の影を町じゅうに揺らす。
少女は母の寝る家へ走り、鈴を鳴らした。
窓が少し開き、中から掠れた声がした。
「おかえり」
少女は泣きながら笑い、母の手を握った。
アリアは遠くからその光景を見て、干草の匂いを胸いっぱいに吸った。
役人が近づき、包みを差し出した。
「旅の方へ。祭りのお礼です」
包みの中身は、小さな干草人形。麦の穂を抱え、鈴を腰につけている。
「落とし物は、戻すだけでなく“記す”ことも大事だ。だから人形にした。――この町の記憶に残るように」
アリアは人形を受け取り、頷いた。
「受け取った。……またどこかで落としてしまうかもしれない」
「そのときは、また誰かが拾ってくれますよ」
祭りの夜は静かに更けていった。
干草の影が町を包み、人々は鈴の音を合図に踊り、笑い、眠りに落ちた。
アリアは鞄の底に人形をしまい、剣帯を締め直した。
旅人の歩みは止まらない。
けれど、鈴の澄んだ音は、次の町まで響き続けるだろう。
(了)




