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女騎士の独り旅!  作者: 和泉發仙


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山見市(やまみいち)のほら貝



山見市は、峠と峠のあいだにひらけた町だった。

石を積んだ大きな階段を上がると、いちの広場。牛の鳴き声、木槌の音、山菜の香り。奥には高台があり、そこに古い“合図台”がそびえている。

その台の上で吹かれるのが、町の宝――ほら貝だ。


「山祭りの朝は、貝の音で始まるんだよ」


荷を運ぶ少年が誇らしげに言った。

「朝一番に“どぉーん”と鳴らすと、峠の上まで響いて、山の神さまに市が開くのを知らせるんだ」


アリアは階段を見上げる。台のてっぺんには木枠があり、その横に黒々と大きなほら貝が吊られている。陽に照らされ、螺旋の模様が光っていた。

だが――。


「おや?」


貝の下に立っていた町役人が、額を押さえていた。

「なくなった……」


「なくなった?」


「朝、台に掛けてあったはずのほら貝が、影も形もないんです!」


広場がざわつく。

牛も鳴く。山菜売りの婆さんも口に手を当てる。

「貝がなければ祭りが始まらんぞ」「神さまが怒る」「市が立たぬ」――。


アリアはため息を一つ。旅先で宝物がなくなる話は、どうしてこうもよく起きるのか。

「落ち着いて。広場から人を動かさないで」


役人がしがみついてきた。

「探してくだされ! 女騎士さま!」



まず台を調べた。木枠に縄の切れ端が残っている。ざらりとした断面。

「刃物ではなく、歯だな」


「歯?」

役人が目を白黒させる。


「縄を噛み切った跡。人の歯じゃない。獣だ」


その時、裏手から子どもの叫び。

「おーい! 豚小屋が空っぽだー!」


広場がまたざわつく。

駆けていくと、豚小屋の柵が壊され、中は空っぽ。残っていたのは、貝殻の粉のような白い欠片。

「豚が……ほら貝を?」


「ありえん……が、噛み跡は確かに似ている」


アリアは膝をつき、粉を舐めてみた。しょっぱい。海の塩気。

「豚は塩を欲しがる。貝を舐め、齧ったんだろう。けど丸ごと持ち去るのは無理だ」


ちょうどその時、牛が“もー”と鳴いた。

振り返ると、牛の角に――。


「……ほら貝が刺さっている」


広場が大爆笑に包まれた。

角にすっぽり貝がはまり、牛は誇らしげに歩き回っている。人々が追いかけるが、牛は軽快に逃げる。

祭りの音は、まだ鳴っていないのに、市はすでに大騒ぎだった。



「捕まえる!」


若い衆が縄を持ち出したが、牛は角を振り回し、追う者を軽々とかわす。

アリアは外套を外し、広げて立った。牛の前に。

「こっちだ」


牛は突っ込んでくる。

アリアは外套をふわりと動かし、牛の目を覆うようにした。

布を抜けた瞬間、牛はきゅっと足を止め、角を振った。その拍に合わせて、アリアは貝の縁をつかみ――“ぽん”と外した。

角は無事。貝もひびひとつない。


広場がどっと湧いた。

役人は涙を流さんばかりに喜ぶ。

「助かった! これで祭りが……!」


だが問題はもう一つ。

「吹ける者がいない」


貝吹きの老人は、朝から腹をこわして寝込んでいるという。

「代わりを……!」


人々が顔を見合わせる。

「わしは肺が弱い」「あたしゃ歯がない」――。


誰も手を上げない。

視線が、自然とアリアに集まった。


「……わたしに?」


「女騎士さまなら、肺も強かろう!」


「剣を振る腕力なら、貝も鳴らせるはず!」


祭りは待たない。空はすでに白んでいる。神に市を告げる時刻だ。

アリアは貝を構え、唇を当てた。

(……やったことはない)


肺に力を込め、一気に吹く。

――「ぷすっ」


広場が静まり返った。

子どもが肩を震わせ、大人も口を押さえる。

笑いをこらえている。アリアは赤面した。

二度目。力任せではなく、息を“支え木”にする。

息を細く、長く。肺の奥から支える。

――「ぼぉぉおおおおん!」


今度は響いた。

山に跳ね返り、谷を渡り、空に吸い込まれる。

牛も豚も驚いて鳴き、鶏が一斉に羽ばたいた。

市の人々は拍手を抑えきれず、どっと笑った。


「立派だ!」「祭りが始まった!」


アリアは貝を下ろし、耳がじんじんするのを感じながら、笑いの渦に立っていた。



祭りは賑やかに始まった。

豚は戻され、牛は干し草をもらい、子どもたちはほら貝の形の焼き菓子をかじる。

役人が深々と頭を下げた。

「女騎士さま、どうか記念にこれを」


渡されたのは、小さな木彫りの笛。ほら貝を模してある。

「これなら、吹きやすいでしょう」


アリアは笛を鳴らした。

――「ぴゅるる」

広場がまた笑いに包まれた。


彼女は肩をすくめ、鞄に笛をしまった。

祭りの喧騒を背に、峠の坂を登りながら、もう一度吹いてみる。

「ぴゅる」

音は小さいが、確かに山に届いた気がした。


旅は静かなときもある。

けれど、笑い声の山鳴りも、悪くない。


(了)


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