冬編 第二話 病 ― 前編
1.冬の訪れ
空気はさらに冷たく、広場の水皿には毎朝薄氷が張るようになった。
子どもたちは吐く息を見て笑い合い、しかしその背後で大人たちは眉を寄せていた。
「冬は病の季節だ」
オリビエが低く告げる。
「油断すれば火より速く広がる。守りの剣だけでは防げん」
アリアは頷き、広場を見渡した。
倉庫にはまだ十分な穀物があり、氷室も点検を終えたばかりだ。
だが守らねばならないのは食料だけではない。命そのもの。
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2.最初の咳
その日、訓練場で声が上がった。
「……げほっ、げほっ」
咳き込んだのは獣人の若者のひとり。隣で木剣を振っていたハルトが慌てて支える。
「大丈夫か?」
「寒気が……でも、すぐ治る」
しかし額にはうっすら汗が滲んでいた。
リマがすぐ駆け寄り、手をかざして体温を確かめる。
「熱いわ。すぐに休ませて」
彼女の声に、若者は渋々頷いた。
同じ頃、子どもたちの中にも鼻をすすり、咳を漏らす姿が見え始める。
ピピは帳面を握りしめ、顔をしかめた。
「うわぁ……配分どころじゃなくなるかも」
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3.看病と支え
カテリーナは薬草の束を広げ、リマに指示を出す。
「熱にはこの葉を煎じて。咳にはこっち。苦いけど効くから、蜂蜜を少し混ぜて」
「わかったわ」
ルーンは手伝いながら、子どもたちに語りかける。
「怖くないよ。病は敵じゃない。ただ、油断すると力を奪うだけ。だからみんなで支えるんだ」
バディは横に座り込み、咳き込む子の足元で体を丸める。あたたかな毛並みが小さな布団のように、子の震えを和らげた。
「……ありがとう」
子どものかすれ声に、ルーンは優しく頷いた。
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4.広場の会議
夜。焚き火を囲んで緊急の会議が開かれた。
アリアは真剣な顔で皆に告げる。
「病は始まったばかり。今のうちに備えなければ」
シャルルが帳面を開き、冷静にまとめる。
「現状、発症は五名。うち二名は子ども。接触を減らし、看病は交代制にしましょう。
倉庫と氷室は二重に点検。病の者と食料を近づけないこと」
「合図はどうする?」マキシが尋ねる。
「病に関しては鐘を使わない。騒ぎになる。……旗で知らせよう」シャルルが即答する。
フェルナが頷いた。
「風に乗せればすぐ伝わるわ。赤は発症、青は回復。白は異常なし」
「なるほど」
アリアは拳を握り、皆を見渡す。
「誰も見捨てない。病に倒れても、街の輪から外さない。それが魔境の中にあるアリアンロッドの街です」
人々は静かに頷き合った。
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5.小さな不安
会議の後。子どもたちの寝床で、ヨーデルが声を潜めた。
「ねえ、病って……死ぬの?」
ルーンは少し間を置いて答えた。
「死ぬこともある。でも、ここには薬も火も仲間もある。だから大丈夫」
ヨーデルはうつむき、しかしバディが鼻先を押し付けると少し笑った。
「うん……」
シルが天井の梁から降りてきて、子どもの頭を撫でる。
「眠れ。眠れば治りやすい」
その声は不思議なほど優しかった。
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6.冬の風の囁き
夜半。広場に出たアリアは冷たい風を感じた。
どこからか声がしたような気がする。
「病は影。火は両刃。——見定めよ」
アリアは胸に手を当て、深く息を吸った。
(これは……精霊の前触れかもしれない)
空には薄雲が広がり、雪の気配が迫っていた。
「冬は始まったばかり。……必ず守る」
彼女の言葉は、冷たい風に乗って街を包んだ。
(つづく)




