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女騎士の独り旅!  作者: 和泉發仙


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アリアンロット村編(全3話)第1話 「知らない天井と、焚き火の言葉」


 夜は、森を獣に変える。

 葉の裏に潜む露が音もなくこぼれ、梢の先で風が指を鳴らす。その合間を、ひとつの影が駆けた。


 アリアは息を切らしながら、濃い闇に紛れて走る。肩口をかすめた矢が、幹に刺さって震えた。矢羽根の揺れに合わせ、背で括った荷の金具がかしゃりと鳴る。


「逃がすな! 女だ、腕輪も剣も高く売れる!」

 背後、松明の炎が蜘蛛のように広がる。山賊さんぞくだ。昼間、峠道で焚き火の煙を隠しきれず、痕跡を嗅ぎつけられた。

 舌打ちして視線を上げる。黒い森の隙間に、月が細くのぞいている。


(崖筋……道は悪いけど、追手をまとめて捨てられるかもしれない)

 彼女は斜面に足をかけ、低木を手で払いながら駆け上がる。上方には岩棚、その先は切り立った断崖だ。

 足元がふいに抜け、乾いた土が崩れた。


 視界がひっくり返る。

 夜空、樹冠、炎、男たちの影。

 落ちる――。


 岩に肩を打ち、肺の空気が押し出された。二度、三度、転げ、最後に木の根が胴を引っかけて、からん、と剣のつばが鳴った。

 世界の音が遠のき、彼女は眠るように瞼を閉じた。



 湿った土の匂い、乾いた草のざわめき。

 「……ん……」アリアは指を動かし、瞼をこじ開けた。

 そこにあったのは、割れ目だらけの天井――束ねた枝と泥で繕った屋根。はりからは干した薬草が吊られ、煙が薄く漂っている。


(知らない天井……どこ……?)


 上体を起こそうとして、脇腹に鈍い痛みが走る。呻き声をこらえ、周囲を見る。粗末な寝床、土器の鉢、壁に立てかけられた短い槍。

 そして――入口の影に、ふたつの目があった。


 黄色く、丸い。闇の中で猫のように光る。

 影はおそるおそる近づき、手にした木椀を差し出した。小さく、背中が丸い。

 ゴブリンだ、と理解が追いつくまでに、一拍かかった。


(……ゴブリン? 村……? でも、山賊の匂いはしない)


 ゴブリンは、喉の奥でころころと鳴る声で何かを言った。

 言葉はわからない。けれど、敵意はどこにもなかった。

 彼(彼女?)は木椀を両手で持ち直し、湯気の立つかゆをこちらへ押しやる。

 アリアは慎重に受け取り、匂いを嗅いだ。きのこと山菜、少しの塩。やさしい匂い。


「ありがとう」

 そう言って一口すすり、喉を温かさが流れた。

 ゴブリンの目が、ぱっと丸くなる。笑っているのだと気づくのに、少し時間がかかった。


 入口の布がめくれ、年老いたゴブリンが現れた。背は低く、杖をつく。乾いた苔色の目は澄み、額の皺に泥が少しついている。

 老人はアリアと粥の鉢を見比べ、柔らかく頷いた。それから胸に手を当て、深くお辞儀する。


「……えっと……あなたが、ここに?」

 老人はまた頷き、どこかうれしそうに目を細めた。


 そこへ、外から大股の足音。骨の飾りががしゃがしゃ鳴る。戸口をがばりと開け、筋肉質のゴブリンが槍を担いで入ってくる。

 目が鋭い。頬に古い傷。

 アリアを一瞥し、槍の石突いしづきを土間に突いて、老人に向かってまくしたてた。


「……ドッグ?」老人が名を呼ぶ。槍のゴブリンは鼻を鳴らし、アリアに向き直る。

 その目は疑いに満ちていた。

 彼は腰の短剣を軽く叩き、顎でアリアの剣を指す。刀身は布に巻かれて戸の近くに立て掛けられていた。

 “それをどこかへやれ”という仕草。


 アリアはゆっくり両手を上げ、うなずいた。

「わかった。……今は、要らない」

 彼女自身、今この場で刃を抜く理由はどこにもない。

 短く呼吸を吐く。

 狼少年と羊飼いの村のことが、脳裏をかすめた――決めつける前に、目の前の相手を見る。それが正しかったと、何度も確かめたばかりだ。


 老人――村のおさだろう――はアリアの様子を見届け、ドッグに短く言葉をかける。

 ドッグは舌打ちしつつも、槍を引くときびすを返して出て行った。

 入れ替わりに、小さな影が音もなく滑り込んでくる。


 先ほどのゴブリンの子どもだ。

 両手いっぱいに、どんぐりを抱えている。

 彼(彼女)はアリアの前まで来ると、どんぐりの一つを慎重に置き、胸を張った。

「……ピ、ピピ」


「ピピ?」

 こくりとうなずき、またどんぐりをひとつ置く。

 アリアは笑って、胸の前で掌を合わせた。「アリア」

 ピピはぱっと顔を明るくし、もうひとつどんぐりを置いた。ご褒美のつもりらしい。


 知らない天井の下で、最初の名前が交換された。



 昼は、村の輪郭をあらわにした。

 粗末な柵は、曲がった枝と石を縄で留めただけ。雨をしのぐ小屋は斜めにかしいで、焚き火の煙は屋根の隙間から細く逃げる。

 それでも、そこには生活があった。

 乾いた肉を薄く切って干し、子どもたちが小川で洗い物をし、女たちは樹皮の紐を編んでいる。

 男たちは森の縁に出て、獲物の足跡を確かめる。

 昼下がりの陽が差すと、みんな目を細めて背を伸ばした。


 アリアは肩に布をかけて外へ出た。体のきしみは残っているが、歩ける。

 彼女の姿を見て、いくつもの視線がまとわりつく。好奇、警戒、興味、少しの恐れ。

 長グルーが杖を鳴らし、短く言った。

 ゴブリンたちの肩から力が抜ける。グルーの言葉は、ここでの“約束”らしい。


 アリアは小川にしゃがみ、汚れた布をすすいだ。

 ふと、視線に気づく。振り向くと、ドッグが斜面に腰を下ろしてこちらを見ていた。

 目が合うと、彼は口の端をわずかに吊り上げ、槍で地面に線を引く。

 まっすぐの線、そしてもう一本、線の途中から合わさる曲線。

 ドッグは槍を立て、からの右手で自分の胸、次にアリアの胸を指し――引いた線を指す。


(……一緒、ってこと? 同じ線に立つ?)


 彼女は小さく頷いた。

 ドッグは鼻を鳴らし、立ち上がる。槍をくるりと回し、足を開いて構えた。

 挑む、というより、確かめる仕草。

 アリアは布を畳み、腰を低くした。素手だ。刀は室内に預けたまま。

 足裏で土の感触を探る。相手の重心、槍の間合い、風の向き。

 ドッグが一歩、滑るように踏み込む。先端は胸元ではなく、肩口へ――牽制。

 アリアは半歩だけ退き、槍の柄に指先を添える。力をかけず、流す。

 槍先がふっと外へ逸れ、ドッグの肩がわずかに前へ落ちたところを、空いた手の甲で軽く弾いた。

 ぱし、と乾いた音。

 ドッグの目がわずかに見開かれる。


 次の瞬間、彼は短く笑った。低く、喉の奥で。

 槍の石突を土に打ち込み、軽く頭を下げる。

 それから、背後の森を親指で示した。

 “お前、やるな。森を歩ける女だ”

 言葉がなくても、伝わる。


 そこへ、ピピが両手いっぱいに木の実を抱えて駆けてきた。アリアとドッグの間にすべりこみ、得意げに胸を張る。

 アリアは笑ってその頭に手を置いた。

 グルーが遠くからそれを見て、やわらかく目を細めた。



 夜が来ると、焚き火が増える。

 丸太の輪の内側、アリアは薬草の煎じ汁をすすった。ささやかな塩味、山の香り。

 彼女の隣で、グルーが低く話す。

 意味はわからない。けれど、声の温度は伝わる。

 村の子は少なく、若い男はまだら、女たちはよく働く。冬の備えは薄く、森の獣は気まぐれだ――そんな暮らしの輪郭が、声の揺れでわかる。


 アリアは焚き火に手をかざし、言葉を返す。

 自分のこと、故郷のこと、羊飼いの村で見たこと。

 彼女の言葉もまた、村人には届かない。

 でも、たき火の炎が笑い皺を照らし、肩の力が同じリズムで抜けていく感じが、心地よい。


(言葉が通じなくても、火と手の温度があれば、わかることがある)


 ピピが舟を漕ぎ始めた。アリアはその頭に毛布をそっとかける。

 グルーが杖で地面をとんとんと叩き、空を指す。

 雲の裂け目に、小さな星がふたつ、並んでいた。



 三日目の朝。

 霧が薄くなり、鳥の声が戻るころ、村の外から足音が駆けてきた。

 警戒の声。槍と棍棒こんぼうが一斉に持ち上がる。

 斜面を滑り降りてきたのは、見張りの若いゴブリンだ。顔色がない。息が上がり、喉が擦れている。


 彼は柵の内へ転がり込むなり、両手を広げて地面に何かを描いた。

 丸――それに縛り紐のような線。

 横に棒切れを立て、上に何本も刻み目を入れる。

 多い。たくさん。

 彼は首を振り、目尻に涙をため、森の向こうを指した。


(人質――?)


 ドッグが低く唸った。槍を握る手に血が集まる。

 グルーは目を閉じ、ひとつ息を吐いた。その息は震えず、しかし、深かった。

 彼は杖を地に押し当て、アリアを見た。


 アリアは立ち上がり、巻いてもらっていた包帯に手をやる。

 脇腹の痛みは、まだ鈍く残る。だが、足は立つ。

 視線を外へ投げる。木々の間に、煙が一本の細い線となって立っていた。

 風の向き。道の位置。柵の高さ。村の中の動線。

 脳裏で、線が繋がっていく。


「グルー」

 アリアは短く呼んだ。言葉は通じない。だからこそ、はっきりと。

 胸に手を当て、彼女はゆっくりと言う。

「私が、戦う。……守る」


 グルーは目を開け、じっとアリアを見る。

 長い、長い一秒。

 杖がとん、と土を打った。

 それが合図だった。


 女たちは子どもを奥へ隠し、男たちは柵の内側へ石を積む。

 アリアはドッグに手を伸ばし、槍を借りた。両手の幅、木のしなり、先端の重さを確かめる。

 刀は、あえて取らない。刃を向ける対象を、自分の意志で選びたい。

 槍先で柵の上の枝を払って視界を開け、足場を踏み固める。


 森の向こうから、低い笑い声がした。

 やがて、黒い影が揺れ、松明がいくつも滲んだ。


「開けろやァ、獣どもォ!」


 怒声が森を裂いた。

 焚き火の赤い影の前に押し出されたのは、縄でぐるぐるに縛られた三匹のコボルトの子どもたちだった。

 喉には布。泣き声すら漏れない。


 後ろに立つ山賊は、みすぼらしい鎧の下で汗と血の臭いを発していた。

 先頭――肩に戦斧を担いだ巨漢。片目に古い刀傷。


 バーク。


 その横で、痩せた男が舌で短剣の柄を舐め、子の背を靴で小突く。


 ズリック。


 そして、その背後の闇からもう一つの影が歩み出た。

 黒革鎧。刃こぼれ一つない長柄斧を無造作に肩に乗せ、ゆっくりと笑った。


 ズール――山賊たちの実質的な武闘隊長。

 バークより静かで、ズリックより冷酷。

 “仕事”に必要な殺しだけを行う、最も危険な男。


「開けねぇなら…こいつらの喉、順番に“開けて”いくが?」


 ズリックが布ごと首筋に短剣を当てる。


「やめろッ!!」


 アリアの声は震えていなかった。

 柵の上に足をかけ、槍を横に寝かせながらグルーを振り返らずに言う。


「……私に行かせて」


 バークが片目を細くした。


「なんだ、あの女……槍持ちか? はっ、ガキのくせに命知らずめ」


 ズールの視線がアリアを貫く。

 笑わない。

 本気で殺しに来る目だった。



◆斬り合い開始


 アリアは柵の上から地面へ跳び降りた。

 足首へ衝撃が走るが、踏みしめる。


 その瞬間――ズリックの短剣が子の首を横薙ぎに動いた。


(間に合え!)


 アリアは槍を全力で突き出す。


 刃の先端でズリックの手首を打ち弾いた。

 短剣が草に落ちる。

 ズリックの手が痺れ、指が開いた。


「ふざけんなッ!」


 バークの戦斧が唸り、横から襲いかかる。


 風圧だけで頬が切れた。

 斧の重さは、槍を受けた瞬間に骨を砕くほどだ。


 アリアは槍の中段で受け、横へ滑らせる。

 木と鉄がぶつかる嫌な音が走る。


 手の皮が破れた。


(痛い……でも離したら死ぬ!)


 アリアは踏み込み、一気に間合いへ入る。

 バークの脇腹へ槍を――


 深く刺さる感触。

 肉の重さ。

 骨に当たる鈍い手応え。


「ぐっ……がああああッ!!」


 バークが咆哮した。


 引き抜く間もなく、長柄斧が迫る。



◆ズールの強襲


「バーク。下がれ。殺るのは俺だ」


 ズールが地を蹴った。


 重い長柄斧が、アリアの頭上から落ちる。

 空気が破裂する音。

 受けたら、首が粉砕される。


 アリアは転がった。

 地面の石で肘が割れるほど痛い。

 だが、それでも転がる。


 ズールの斧が地面をえぐり、土と石片が跳ねた。


「悪くねぇ動きだ。だが“殺し”は初めてだな?」


 ズールはアリアを真正面から見据える。


 目が笑っていない。

 本気で殺す気だ。


(この男……バークとは違う。重さが違う……!)


 



◆ズリックの急所狙い


 後方で倒れたはずのズリックが、もう立っていた。


 短剣を拾い、アリアの背中へ無音で滑る。


 アリアが振り返るより早く、ズリックの刃が喉元へ――


(死ぬ!)


 アリアは槍を逆手に持ち替え、手首を切る覚悟で振り上げた。


 硬い音。


 刃が槍の柄に弾かれたが、木が裂ける。

 あと一寸ずれていたら、喉を裂かれていた。


「くそガキ……殺す!!」


 ズリックが狂ったように刃を振り回す。


 アリアはその全てを受けきれない。

 腕に切り傷が増える。

 血が流れるたび、握力が落ちる。


(長くやれば、勝てない……!)



◆バークの斧が戻る


 脇腹を刺されたはずのバークが、怒声とともに再び立ち上がる。


「てめぇえええッ!!」


 戦斧が振り下ろされる。


 三方向から――

 バーク

 ズリック

 ズール。


 完全な挟み撃ち。


(死ぬ……! どれか一人でも対応を間違えたら……!)



◆アリア、初めて「殺意」を乗せる


 アリアは迷わなかった。


 優先すべきは殺意の濃い順。

 ズール → ズリック → バーク。


(まず……ズールだけは絶対に生かせない!)


 アリアは槍を強く握り直す。


「おおおおおっ!!」


 一気に踏み込む。

 仲間たちの声、子どもの泣き声、全てを振り払い――


 槍が、ズールの鎧の隙間に突き刺さった。


 鉄と肉の間から、鈍い手応え。


 だがズールは死なない。


 喉から濁った息を漏らし、斧を振り下ろし返してくる。


 アリアは引き抜く間もなく、槍を捨てた。


 そして、腰の短剣を抜く。


 自分でも驚くほど自然だった。

 槍より軽い刃。

 振れば命が奪われる刃。


(守るためなら……刺す!)


 アリアは短剣を突き出し、ズールの脇腹へ二度、三度突き込んだ。


 手が血で濡れ、柄が滑る。


 ズールの巨体が、ようやく崩れた。



◆怒涛の畳み掛け


「ズール!? てめぇ……ッ!」


 バークが衝動的に突っ込んでくる。


 隙だらけ。


 アリアは拾い上げた槍で腹を薙いだ。

 肉が裂け、血が噴く。

 バークは腹を押さえて膝をつく。


「ぎ……がああ……!」


 ズリックが逃げようと背を向けた。


 アリアは迷わない。

 走り、背後から槍を突いた。


 刃が背中を貫き、胸から突き出る。


 ズリックは声も出せず崩れた。


(これが……“殺す”ってこと……)


 吐き気と涙がこみ上げたが、足は震えていない。



◆勝利と余韻


 山賊たちが慌てて散り始め、森に消える。

 柵の内側から子どもたちが泣き叫び、女たちが駆け寄る。


 アリアは槍を下ろし、息を荒げたまま立ちつくす。

 脇腹・腕・手のひら――痛まない場所のほうが少ない。


 そこへグルーが駆け寄り、アリアの手を両手で包んだ。


「……よく、生きて戻った……!」


 アリアは答えず、ただうなずいた。


 血の匂いが鼻から離れず、涙が一筋こぼれた。


(……守れた。

 でも……次はもっと――)


 手の中の短剣がまだ温かく、

 その感触だけが「生き残った証」だった。



◆夜の焚き火


 その夜、村の焚き火は高く燃えた。

 子どもたちは泣き疲れて眠り、男たちは柵の修理に走り回る。


 アリアは脇腹に薬草を貼り、火のそばで膝を抱えた。


 血の臭いがまだ腕に残っている。


 ドッグが隣に腰を下ろし、串焼きを差し出した。


「食え。倒れられたら困る」


「……ありがとう」


 肉の味が、ようやく“生きている”実感をくれた。


 ピピが眠い目をこすり、アリアの膝に頭を置く。


「アリア……こわかった?」


「……少しだけ。でもね、守れたよ」


 空を見ると、昨日より星が多かった。


(守るって言った。

 なら、今度は――)


 アリアは静かに、グルーの前へ歩いた。


 膝をつき、胸に手を当てる。


「……反撃に動きたい。

 捕まった子たちを。奴らの根を、絶つために」


 グルーは長く息を吐き、そして頷いた。


「……行こう。明日の夜明けに」


 風が柵を揺らし、焚き火がはぜた。


 戦いは、まだ始まったばかりだった。



(つづく → 第2話「襲撃と反撃」)

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