幕間 魔法の習練会と灯火(ともしび)の心得
朝の〈魔鏡〉の空は二重に重なり、少し肌寒い風が草地を渡っていた。
アリアンロッドの北側にある広い草地では、白い石を円形に並べて稽古場が作られている。中央には小さな灯り用の器「鏡灯」が置かれ、まだ火は入っていない。
「みんな、集まってくれてありがとう」
エルフの弓手フェルナが、仲間やゴブリンたちを見渡した。
「今日は魔法の基本練習をします。水、風、火、土。そして補助の光と影。これは戦いのためじゃなく、毎日の暮らしのために使える練習です」
狼耳のシルが小さくうなずく。
「強く見せるためじゃない。日々を守るため」
ピピは小さな荷袋を背負って手を挙げた。
「材料の管理はわたしがやる! 水は泉から、火はバロスのおじさんの炉の残り、土は畑の土を薄く、風はフェルナお姉ちゃんが準備するんだよね?」
「そうだ」
低い声でドッグが補足する。
「周りの警戒は俺たちがやる。外と内の見張りは二重にしてある。バディは匂いを確認する役だ」
「ワン」
犬のバディが鼻をひくつかせ、輪の外をぐるりと回る。
「火と土なら俺に任せろ!」
ドワーフの鍛冶師バロスが、革の前掛けを叩いて胸を張る。
「今日は爆発させない。安心して見てろ!」
「本当に頼みますよ」
フェルナが苦笑しつつ、輪の周りに風を巡らせた。
長グルーや長老グバも見守りにやって来た。ハルトは槍を肩に担ぎ、わくわくした表情で立っている。
「今日は槍じゃなくて、道具や支柱の練習になるんだな」
「そう。押すんじゃなくて支える道具の使い方だ」
バロスがうなずき、若者たちは耳を傾けた。
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魔法の実演
最初は水の魔法。
フェルナが手をかざして短い詠句を唱える。
「水よ、薄く広がり、冷たさを保て」
桶の蜜水の表面が静かに落ち着き、冷たさが均一に広がった。
ピピが指で触れて目を輝かせる。
「冷たいけど、やさしい!」
次は風の魔法。
「風よ、細く流れて、胸に届け」
焚き場の香がやわらかく広がり、目にしみずに胸の奥に涼しさが届く。
「風は押し出すより通すものだ」
フェルナが説明する。
シルは短剣の柄に触れながら頷いた。
「空気の流れを切らず、通す」
火の番はバロスだ。炉から持ってきた残り火を手のひらで転がしながら、短い言葉を投げかける。
「火よ、麦を焦がさず、温めろ」
置いた麦餅がふっくらと膨らみ、蜂蜜の香りが立つ。
「焦げ目が欲しいやつは後でな!」
バロスの冗談に、子どもたちが笑った。
最後は土の魔法。
フェルナが土に手を置く。
「土よ、力を貸し、道具を支えろ」
杭が土に受け止められ、軽く押しても揺れるだけで倒れない。
「強すぎないのがちょうどいい」
ドッグが頷いた。
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小さな失敗
次は若者や子どもたちの番になった。三人一組で、水・風・火を合わせて実演する。
最初の組は成功し、歓声が上がった。
だが四組目で、小さなゴブリンの子が急ぎすぎて、風の魔法を強く唱えてしまった。
「風よ、強く速く——!」
巻き上がった風が香を乱し、蜜水がこぼれ、火が一瞬揺らいだ。
「目がしみる!」と子どもが泣きそうになる。
「大丈夫」
すぐにシルが踏み出し、短剣を抜かずに空気の流れを軽く叩く。
「ここを緩める」
すると風はふっと弱まり、流れが元に戻った。
フェルナも素早く水の魔法で整える。
「露よ、目を洗って、痛みを軽く」
子どもの目に涙が集まり、痛みが和らぐ。
「ごめんなさい……強く見せたかった」
子はうなだれる。
フェルナは優しく答えた。
「強さを見せる魔法は、暮らしを壊す。静かで小さな魔法が、一番役に立つんだよ」
子どもは何度もうなずき、周りの仲間も声をそろえた。
「覚え直そう!」
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応用と工夫
午後は応用の時間になった。
ハルトが棒を使って支柱を立て、ピピは水の魔法で飴を割りやすくする。
バロスは火を三段階に分ける技を教えた。
「火よ、ここで止まれ。ここで息せよ。ここで休め」
炉の火が三つの温度に分かれ、鉄の棒がちょうどいい熱を保った。
「数字より呼吸で覚えるんだ」バロスが胸を張る。
フェルナは切り傷を寄せる小さな回復術を披露した。
「葉よ、皮膚を寄せ、痛みを薄く」
傷は完全には塞がらないが、痛みは和らぎ、作業が続けられる。
シルは魔法の代わりに短剣の技を見せる。
水桶の縁に小さな傷を入れると、そこからだけ水が静かに流れ出す。
「これで溢れない道ができる」
子どもたちが「便利だ!」と歓声をあげ、ピピは帳面に「水の出口」と書き込んだ。
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灯火の儀式
夕方、仕上げにみんなで小さな儀式をすることになった。
中央の「鏡灯」に、まだ火は入っていない。
フェルナが短い言葉で火を呼ぶ。
「火よ、ここだけを温め、灯れ」
茸の傘の内側がほのかに光り、弱い火が周囲を柔らかく照らした。外は暗くても、輪の内側は十分明るい。
その時、泉から精霊が現れた。
「よく練習したな。魔法は人に見せるためのものではなく、日々を守るためにある。——今日、君たちはそれを思い出した」
ピピが胸を張る。
「次も覚え直すよ!」
精霊は微笑み、短い言葉を残した。
「怒りの魔法は後ろに。喜びの魔法を先に」
みんなは声を合わせた。
「はい!」
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おわりに
片づけが終わると、ピピは今日の学びを帳面に書き込んだ。
「風は強くしない」「水は流れ口を作る」「火は段を分ける」
ハルトは棒を倉庫に戻し、バロスは炉の火に礼を言った。
ドッグは外周を見回り、バディは鼻をひくつかせて安心の合図を送る。
シルとフェルナは並んで歩き、焼いた麦餅を半分こにして味わった。
「甘いけど、優しい味」
「うん。“ちょうどいい”が一番だね」
空の二重は夕焼けに変わり、街の上に静かに広がっていった。
誰も声を荒げない。けれど胸の奥には、小さな火が灯っていた。
(幕)




