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女騎士の独り旅!  作者: 和泉發仙


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異世界転移編「夜の社にて、分かたれる光」


 夜風が畑の土をひやりと撫で、虫の声が庭の隅で重なっていた。

 晩ごはんの片づけを終えるころ、縁側に腰かけた面々のあいだで言葉が途切れ、ただ、同じ気配を聴いていた。胸の奥を、かすかな鈴の音みたいなものが叩いている——そんな合図だった。


「……来る」アリアが小さく言う。

「行こか、みんな」おばあちゃんが、涼しい顔で立ち上がった。まるで夜の散歩にでも出るみたいに。


 懐中電灯は要らなかった。町はずれの小さな鎮守へ続く道は、月と星、それにどこからともなく灯った行灯の列が照らしてくれていた。石段を上がるたび、鈴の音は近くなり、境内に入った瞬間、それは形を持った。


 ——狐の若武者と、蛙の老臣。


 朱の拝殿を背に、二柱はいつもの姿で現れる。狐は白い狩衣に薄金の面頬をあげ、蛙は水色の直衣に瓢箪の杖をついた、見慣れた“顔”だ。


「よく参った、アリアたち」狐が微笑む。

「急ぎの用件じゃ、すまなんだのう」蛙が低く、しかしやわらかく頷く。


 健太と藤堂は、揃って目を丸くした。

「……本物、なんだ」健太の声はひそひそでも裏返る。

「うん。本物」雅彦が半笑いで肩をすくめる。「びっくりするの、最初だけだから」

 藤堂は思わず正座した。「失礼のないように……」と小声で呟き、ボリスが隣で「肩の力ぬけぬけ」と笑う。


 そのとき——拝殿の注連縄しめなわ越しに、空気がわずかに歪んだ。水面を指で叩いたみたいに、透明な波紋が広がり、薄い光の格子がふわりと宙に編まれていく。格子の中心から、籠った、機械めいた声が落ちた。


『——聞こえるか、人の子らよ。こちらは“格子のグリッド・ゲート”の守り手だ。時間がない。説明は簡潔にする』


 音は神社の木組みに吸われて丸く響き、しかし言葉ははっきり届いた。

 狐が一歩、前に出て続ける。


「われら八百万より願いがある。向こうの世界が助けを求めておる。そなたらの“目”と“足”と“心”が要るのだ」

「向こうの神とも、縁はつながっておる」蛙が顎を撫でる。「あちらのことわりは鉄と光。されど、肝心のところは人のてのひらで決まる。——頼みたいのじゃ」


 林は息をのんだ。あの港で、彼は空から降りた光を見た。今、逆さにそれが自分たちを見上げている。「……行くの?」小さく、ルナを見る。

 ルナは、すこしだけ微笑んで頷いた。「行くよ。今度は、助ける側で」


 おばあちゃんが、みんなを見渡す。

「ようさん食べて、ようさん寝たね。なら、よう働ける。——行っといで」

 その言い方に、不思議と涙腺が緩む。愛菜が「うん」と返事をして、おばあちゃんの手を握った。


 狐が手を打つと、拝殿の前に六つの光柱が立った。

「一度に渡すとかえって乱れる。一人ずつだ。向こうで待つ案内人に、順に引き渡す。——アリア以外はそちらの門へ。アリアは……別口じゃ」


 アリアが眉を上げる。「別口?」

 蛙の老臣が目を伏せ、そして真っ直ぐ見る。「急報が入った。エドヴェズスが燃えておる。祈りが、そなたを名指しにしておる。——古き友の名でな」

 アリアの喉が小さく鳴った。「……オリビエ?」

 同じ瞬間、格子の声が重なる。『こちらの門は“代表団”を受け入れる準備ができている。アリアは別ルートで移送する。同期は取る——離れても、道は再び交わる』


 短い沈黙が、全員の顔を一巡する。

 最初に一歩出たのはレンだった。「最初、おれいく!」

「ちょっと!順番ってものが……」ミリアが慌てて袖を掴む。

「大丈夫だ、ミリア」エリオットが微笑む。「順番は、運命の糸のほうがうまく絡める」


 狐が指先をすっと上げる。「では——行く者、名乗れ」


 最初に光へ入ったのは、ガレン。

「行ってくる。すぐ、向こうの土の匂い、嗅いでくる」

 光が肩から胸を包む。揺らぎの中で、彼は拳を軽く突き出し、藤堂と拳を合わせた。

「現場で会おう」藤堂が短く言う。

 瞬き一つぶんの時間で、ガレンは光の芯へ吸い込まれ、消えた。


 次はリリス。

「向こうの風を、読んできます」

 彼女はおばあちゃんに軽く会釈し、愛菜の肩にそっと手を置いた。「あなたの“運”に、また助けられる気がする」

「ま、まかせて」愛菜は笑う。

 リリスはきれいに踵を返し、光に溶けた。髪が風鈴みたいに鳴って、消える。


 ボリスは瓢箪を掲げた。「神さま、一本だけ持ち込み許可!」

「節度を守るなら」蛙が苦笑する。

「聖職者は節度が命!」と親指を立てて、光へ。去り際におばあちゃんへ「帰ったら鍋!」と叫び、消えた。


 エリオットは立ち止まり、空のどこかを見るように目を細めた。「以蔵——行くぞ」

 誰も見えない影が、彼の肩で笑った気がした。

 エリオットは一度アリアを見、何も言わず、静かに頷いて光へ消える。


 愛菜が深呼吸。

「行きます。——えへへ、なんか、良いこと起きる気がする」

「お前はそれを頼りにするな」雅彦が苦笑する。

「頼りにしないと、なんも起きないよ?」

 軽口を交わして、愛菜も光の中へ。


 レンとミリアは並んで立った。

「お姉ちゃん、先」レンが譲る。

「じゃあ……行ってくる。絶対、帰るから」ミリアはおばあちゃんに抱きつき、手を振って光へ。

 すぐ後ろでレンが「牛肉麺、向こうにもあるかな」などと呟きながら、笑って消える。


 林 俊傑は、ルナを見て、小さく手を上げた。「ぼ、僕も——行く。ちゃんと撮るかは、まだわかんないけど……“一緒にいたい”から」

 ルナは目を瞬かせ、それから真顔で「ありがとう」とだけ言った。

 林は頬を掻いて、光へ。


 藤堂隼人は最後に一礼し、狐と蛙へ向き直る。「ご無礼のないよう務めます。向こうで合気も剣も、人を守るために使います」

「うむ、頼もしいの」蛙が満足げに頷く。

 藤堂はガレンの消えた場所を一度見て、光の中へ踏み出した。


 雅彦が一歩遅れて、振り返る。「アリア——」

「大丈夫。すぐ行く。別の道で」

 目配せ一つで足りた。雅彦は拳を胸に当て、「行ってくる」とだけ言って光に呑まれた。


 境内に、アリアと、おばあちゃんと、二柱の神だけが残った。

 空気が少し変わる。格子の光がひときわ強く脈打ち、別の色——深い群青の筋が、拝殿の奥から立ちのぼる。


「アリア」狐が声の色を変える。「ここから先は、そなた一人の道だ」

 蛙が続ける。「泣き言は聞かん。だが、戻る道は必ず繋ぐ。——だから、前だけ見よ」

 アリアは笑った。「泣き言、言ったことあったっけ?」

「ないのう」蛙が目尻を下げる。「ないから心配なんじゃ」


 そのとき、別の声が境内に降りた。

 水音。海の底から湧く、澄んだ声。

『——アリア。聞こえますか』

「……イケ様」

『エドヴェズスの“祈り”はあなたを呼んでいます。古い誓いの名で。あなたの足は、そこへ向かう』

 重なるように、木漏れ日のような声が囁く。

『森のおうより。道は敷かれました。あなたの刃は、守るためにだけ抜かれますよう』メルニーナの息。


 アリアは一つ息を整え、おばあちゃんの方を向いた。

「——行ってくる」

「行っておいで。あんたの“ただいま”は、いつでも聞こえるようにしておくからね」

 短い抱擁。畑と味噌の匂い。世界で一番落ち着く香りを胸にしまって、アリアは群青の柱の前に立った。


 狐が扇を返す。「名を」

「アリアです」

「目的」

「救出。……それから、再会」

「よし」蛙が杖で地を一度、叩いた。「門、開け」


 世界が、縦に割れた。

 群青の光がアリアの足首から膝、腰、胸へと静かに満ちていき、視界の端でやしろの影が紙片みたいにひらひら遠のく。

 最後に、狐と蛙、おばあちゃんが見える。狐は微笑んで、蛙は大きく頷いて、そして——おばあちゃんが両手で丸を作った。まる。きっと、帰ってくるの意。


「ただいまって、すぐ言うよ」


 アリアがそう言い切るより早く、光は彼女を包み、夜の社から彼女の影をさらっていった。



 静けさが戻る。境内の灯りが少しだけ明るさを落とし、欅の葉が夜気に揺れた。

 狐が肩を回し、蛙がひとつ伸びをする。


「さて、せわしの、はじまりじゃ」

「まったく」狐が苦笑する。「だが、楽しい忙しさだ」

 おばあちゃんは小さく笑い、「帰ってきたら、また鍋やね」と呟いて拝殿に手を合わせた。


 空の高みに、見えない道が二筋、きれいに分かれて伸びていく。

 一つは鉄と光の世界へ。

 一つは炎と祈りの国、エドヴェズスへ。


 そして、どちらの道も、いつか同じ卓に戻る。湯気の向こうで再会の盃を鳴らすために。

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