王城最上階の決戦 闇を裂く光
アリアは、石床に叩きつけられた衝撃で、一瞬、呼吸の仕方を忘れた。
「がっ……は……!」
肺の中の空気が抜け、喉が焼けるように痛む。
「アリアさん!!」
「アリア!」
ヨーデルとマキシが駆け寄ろうとする――が、その前に王が片手を上げた。
「邪魔だ」
闇の魔力が奔流となって放たれた。
「闇波」
黒い衝撃波が、前方全域を薙ぎ払う。
ヨーデルたちは、とっさに身を伏せるしかなかった。
石床が砕け、破片が宙を舞う。
豪奢だった広間は、見る影もなく崩れ始めていた。
「くっ……このままじゃ、みんなが……!」
アリアは、痛む腹を押さえながら、よろよろと立ち上がる。
「まだ立つか。さすがは、あいつの娘だな」
王の声には、かすかな愉悦が混じっていた。
「だが、今の貴様では――私には届かん」
王の周囲に、紫電が走る。
「雷嵐魔法」
高らかな詠唱とともに、闇と雷が空へ昇った。
広間の天井近くに黒雲が渦を巻き、その中で稲妻が暴れ回る。
次の瞬間、その雷が一斉に地上へ降り注いだ。
「全員、伏せて!!」
アリアの叫びより早く、雷があちこちに突き刺さる。
柱が砕け、壁が崩れ、床石が爆ぜる。
「アクアシールド!!!」
ヨーデルが必死に防御魔法を張る。
水のドームが、直撃だけはどうにか防いだ。
だが、衝撃は防ぎ切れない。
マキシが盾ごと吹き飛び、リマが転がる。
「ぐっ……!」
「うあっ!」
「……楽しいな」
王が一歩、踏み出した。
「闇の底で、光がもがく。
それをねじ伏せ、折り砕く――この瞬間こそが、私の喜びだ」
闇の魔力が、王の両腕へ凝縮されていく。
「闇槍」
鋭く尖った闇の槍が、アリア目掛けて放たれた。
「くっ!」
アリアは剣を横に構え、その槍をどうにか弾く。しかし、威力は凄まじく、衝撃だけで腕が痺れた。
隙をついて、別方向からさらに二本、三本と槍が飛ぶ。
「アリアさん、危ない!!」
ヨーデルが飛び込んだ。
「ウォーターシュート!」
水の砲弾が闇槍にぶつかり、衝撃の一部を相殺する。
それでも、衝撃波で二人とも後方に吹き飛ばされた。
「うわっ!」
「きゃっ!」
王は、楽しげに笑った。
「いいぞ。もっと足掻け。
闇の中で光があがき、そして折れる。それを見届けるために――私は神の力を選んだのだ」
「……そんなもののために……」
アリアはふらつく足で、それでも一歩前へ出た。
「お父さんと一緒に、この国を救おうとしてたんでしょう……?
どうして……どうして、そんな道を……!」
「簡単なことだ」
王の瞳に、一瞬だけ、遠い昔の光がよぎった。
「力が足りなかった。
弱かった。救えなかった。
だから私は、二度と負けない力を選んだ。それだけだ」
「その結果が……この国を闇に染め、民を苦しめること……?」
「民は、力を崇めるものだ。
闇であれ光であれ、強い方へひざまずく。
ならば、強さこそが正義だ」
その言葉に、アリアは奥歯を噛みしめる。
(この人は……もう……)
かつて父と肩を並べた人間の面影は、ほとんど残っていなかった。
残っているのは、力への渇望と、敗北への憎悪だけ。
「アリア……落ち着いて」
胸の奥で、シャルルの声がする。
「怒りだけで振るう剣は、すぐ折れる。
お前の剣は、ずっと――誰かを守るためにあっただろう?」
「……うん」
アリアは、息を整えた。
視線を巡らせる。
ヨーデル。
リマ。
マキシ。
そしてここにはいないけれど――
リマの村で出会った人たち。
王都で自分を信じてくれた人たち。
遠く離れた故郷で、自分の帰りを待つ妹。
「……お姉ちゃん……頑張って……。待ってるから……」
妹の声が、心に響いた気がした。
(そうだ……わたしは、一人じゃない)
アリアは、剣を握り直した。
「私は――負けない。
私は、この国の人たちを……待っていてくれる妹を……みんなを守る!!」
宣言するように叫ぶと、王は鼻で笑った。
「ふん。くだらぬ。
そんな甘い考えなど、私の闇の力の前では――」
王の右手に、再び紫電が集まる。
「無力だ」
エレキパラライズの魔法陣が、空中に展開された。
「電撃麻痺魔法」
今度は先ほどの比ではない。
天井から床まで、立体的な雷の檻が生まれ、アリアたちを包み込んでいく。
「くっ――!」
足に、腕に、ぴりぴりとした痺れが走る。
動こうとした瞬間、稲妻が走り、筋肉が言うことを聞かなくなる。
「アリアさん!」
「近づくな、ヨーデル!」
マキシが叫ぶ。
「こいつは、動こうとするものほど強く痺れる罠だ!」
王の笑い声が、雷鳴の中に響いた。
「そうだ。力なき者ほど、もがけばもがくほど傷つく。
ならば――何もせず、闇に沈めばいい」
「……ふざけないで!!」
アリアは、歯を食いしばった。
(こんなところで……倒れて……たまるもんですか……!)
痺れる体の中で、アリアは自分の心の声だけを頼りに、剣を握る。
そのときだった。
手の中の剣が、かすかに光った。
「……え?」
眩い、ではない。
ほんの、針の先ほどの小さな光。
だが、その光は――
雷の檻よりも、闇の波よりも、ずっと温かかった。
「アリア……」
海の底で聞いた、懐かしい声。
「……イケ様……?」
海の女神イケの声が、心の奥から聞こえた。
「……アリア。あなたは、また迷っているのですね」
「私……?」
「力でねじ伏せる者を見て、自分の弱さを責めている。
けれど、あなたは忘れてはいけません。
あなたの剣は、最初から――誰かを守るためにあったはずだと」
雷鳴が遠ざかっていくように感じた。
アリアは、ゆっくりと目を閉じる。
この国で出会った人たち。
笑顔。涙。怒り。悔しさ。
そのすべてが、胸の奥でひとつの光になっていく。
「……そうだ。私は、守りたい」
アリアは、自分に言い聞かせるように呟いた。
「この国で出会った人たちを。
ここにいる仲間たちを。
遠くで待っていてくれる妹を。
全部、全部……守りたい!!」
その想いに呼応するように、勇者の剣が強く光り出した。
雷の檻に、ひびが走る。
「なに……?」
王が初めて、明確な驚愕を見せた。
「この程度の光で……私の魔法が――」
光は、もう「この程度」ではなかった。
勇者の剣から溢れ出した光が、天井へ、床へ、四方八方へ広がっていく。
エレキパラライズの雷網に触れるたび、その雷を吸い込み、浄化し、消していく。
「ありえん……!」
「アリアさん!」
「アリア!」
ヨーデルたちの痺れも、徐々にほどけていった。
「これが……アリアの……」
「光か……!」
アリアは、剣を高く掲げた。
「行こう、みんな! ここで終わらせる!!」
「はい!!」
「おう!」
「っ、うん!」
雷の檻が完全に砕け散った。
王は舌打ちし、両腕を広げる。
「ならば――まとめて沈めてやる。
雷嵐魔法――完全解放」
再び、天井に黒雲が渦を巻く。
今度のそれは、先ほどとは比べものにならない質量と圧力を持っていた。
雷鳴。
闇。
暴風。
全てが混ざり合い、広間そのものを破壊し尽くさん勢いで吹き荒れる。
「アリアさん、どうします……!」
「受けて立つしかない!」
アリアは、勇者の剣を正面に構える。
「ヨーデル、風と水で雷を逸らして! マキシ、リマを守って! 私は――前に出る!!」
「わかりました!」
「任されろ!」
「アリアさん……!」
ヨーデルは、水と風の魔法陣を同時に展開した。
アクアシールドと風防壁が重なり、落ちてくる雷の軌道をわずかに捻じ曲げる。
その狭間を――アリアが駆けた。
「闇よ――飲み込め!!」
王が闇の波を重ね打ちする。
「させない!!」
アリアは勇者の剣を振り下ろした。
光と闇と雷と風と水が、一点でぶつかり合う。
凄まじい爆音と、白いフラッシュ。
その中で――アリアの声だけが、はっきりと響いた。
「これが……私の――剣だ!!」
光が闇を斬り裂き、王の胸元へと突き刺さる。
「ぐ……あああああああああああッ!!」
王の身体を包んでいた闇のオーラが、次々と剥がれ落ちていく。
「私は……神の力を……選んだはずだ……!
二度と負けぬために……! 二度と、あの絶望を味わわぬために……!」
「だったら……!」
アリアは、涙を浮かべながら叫んだ。
「どうして……人を傷つけるほうを、選んだんですか!!
どうして、お父さんが守ろうとしたものを――踏みにじったんですか!!」
王は何も言えなかった。
言葉の代わりに、喉から漏れたのは、苦悶と後悔が混じり合ったような叫び声だけだった。
「うあああああああああああああッ!!」
光が広間中に溢れ、闇を押し流す。
やがて――王の姿は、崩れ落ちるように光の中へ消えていった。
静寂。
砕けた石床と、崩れた柱。
焦げた絨毯の真ん中に、アリアは剣を支えにして立っていた。
「……やった……?」
ヨーデルが、かすれた声で呟く。
アリアはゆっくりと頷こうとして――足元から崩れ落ちた。
「アリアさん!!」
ヨーデルが駆け寄り、アリアの身体を支える。
「大丈夫ですか……!」
「……うん。ちょっと……疲れただけ……」
アリアは苦笑しようとして、そのまま目を閉じた。
勇者の剣が、彼女の手からふわりと浮かび上がる。
「あ……」
剣身が、淡い光を放ちながら宙に浮き、ゆっくりと広間の中央へ進み出る。
「剣が……」
「消える……?」
光が一度、強く輝いた。
そして――まるで、どこか遠い場所へ帰っていくかのように、勇者の剣は光の粒となって消えていった。
「……役目を、終えたのですね」
ヨーデルが、静かに呟く。
そのとき――。
「……アリア。よく……やってくれました」
アリアの心の中に、柔らかな声が響いた。
「イケ様……?」
「あなたは、この国の闇を晴らした。
それは、決して大きな世界の歴史書には載らないかもしれない。
けれど――この国の人々の心には、確かに刻まれるでしょう」
イケの声に、アリアの頬を、一筋の涙が伝う。
「私……ちゃんと……できましたか……?」
「ええ。あなたは、自分の弱さも恐怖も抱えたまま、それでも前に進んだ。
それは、誰かに与えられた“勇者”ではなく――あなた自身の“勇気”です」
胸が、熱くなった。
「ありがとう……ございます……」
アリアは、空になった広間の天井を見上げる。
そこにはもう、黒雲も、雷もなかった。
ぼろぼろに崩れた天井の隙間から、薄い光が差し込んでいる。
「……見て」
ヨーデルが窓の方を指差した。
アリアたちはふらつく足で最上階のバルコニーまで歩き出る。
そこから見下ろした街は――
闇が晴れ、朝の光に包まれていた。
人々が広場に集まり、誰かが空を指さしている。
涙を拭う者。
抱き合っている者。
そのすべての顔に、確かに「希望の色」が宿っていた。
「……よかった……」
アリアは、胸の奥から、心の底から、そう呟いた。
「これで、妹の病気を治すための……一歩を踏み出せる」
ヨーデルが隣で微笑む。
「ええ。アリアさんの旅は、まだ続きます。
でも、その前に――少しくらい、休んでいいと思いますよ」
「そうだね……」
アリアは空を見上げた。
遠く離れた故郷の空と、今見上げているこの空は、つながっているのだろうか。
(待っててね、〇〇――)
心の中で妹の名を呼び、アリアはそっと目を閉じた。
東の国での物語は、こうして一つの区切りを迎えた。
だが、彼女の旅はまだ終わらない。
これからも、彼女は剣を携え、仲間たちと共に歩いていく。
闇の奥底で輝く、小さな光を信じて。
――アリアの物語は、未来へと語り継がれていくだろう。
⸻
後書き
闇に堕ちた王と、折れなかった剣
王城最上階での決戦、お付き合いありがとうございました。
かつてアリアの父と肩を並べ、この国を救おうとした王。
敗北と絶望の中で「二度と負けない力」を求めた結果、彼は闇の神の力に身を委ねてしまいました。
エレキパラライズによる麻痺、フリーズアローとファイアボールの弾幕、そして雷嵐魔法ライジングストーム。
圧倒的な火力と範囲で押してくる「闇の王」の前に、アリアたちは本気で追い詰められます。
それでも彼女が折れなかったのは、決して「勇者の血」ではなく、
妹を想う気持ち、仲間を信じる心、この国で出会った人々を守りたいという願いがあったからでした。
勇者の剣は、その心に呼応して光を取り戻し、最後には王の闇を打ち払います。
剣は役目を終え、どこかへ還っていきましたが、その光はアリアの中に残っています。
東の国での闘いは、アリアの旅路のひとつの節目。
ここから先、妹の病を癒すための新たな冒険が始まります。
これからも、アリアの旅に少しだけお付き合いいただけたら、とても嬉しいです。




