岐阜編 第1話 飛騨の町並み
山あいの風は、京都や滋賀で感じたものよりも冷たかった。
高山駅に降り立った瞬間、空気が一層澄んでいることを、アリアたちはすぐに悟った。
「ここが飛騨か……。山々が壁みたいに囲っている」
アリアは剣の柄に手を置きながら、辺りを見渡す。
「雪解けの水が川を育て、谷を削る。自然の力がそのまま形になった土地だな」
ボリスが顎髭を撫で、感慨深げに言った。
ヨシダは一行の後ろに立ち、にこりと笑った。
「さて、ここからはワシの出番はちょっと控えめにするわ。飛騨は飛騨の顔があるさかいな」
そう言うと、駅前に立っていた一人の男性を手招きした。
年の頃は三十代半ば、分厚い前掛けを締め、肩には布袋を下げている。
日に焼けた笑顔が印象的だった。
「紹介するわ。この人は**宮田**さん。高山の生まれ育ちで、町も食も人も、ぜんぶ案内してくれる」
「ようこそ、高山へ!」
宮田は大きな声でそう言って、深く頭を下げた。
「言葉は通じんかもしれんけど……まぁ、食べりゃ分かる。腹減っとらん?」
レンの目が輝いた。
「は、腹減ってます!!」
ミリアが呆れたように袖を引くが、宮田は豪快に笑った。
「ほんならまず朝市や。うちの町は、朝が一番面白い」
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■ 高山の朝市
川沿いの広場に、色とりどりの布屋根が並んでいた。
木工細工や野菜、漬物、民芸品。香ばしい味噌の匂いが、風に乗って漂ってくる。
「……にぎやかだね!」
ミリアは両手を胸の前で合わせ、瞳を輝かせた。
「こっちは飛騨りんご、そっちは赤かぶの漬物」
宮田が指さしながら案内する。
リリスは木彫りの小鳥に興味を示し、ルナは漬物の樽の上で発酵する匂いに顔を近づけた。
「……生きてる。酸と塩が呼吸してる」
「そらそうや。漬物はな、冬のあいだ命を繋ぐ宝やで」
宮田の説明は、アリアたちには伝わらないはずだった。
だが、手振りと表情、そして差し出される小皿一つで、意味は十分に通じる。
レンが赤かぶの漬物を一口。
「すっぱ! でも、ごはん欲しくなる!」
ミリアも恐る恐る口にし、「……雪の下の味」と小さく笑った。
露店の老婦人がアリアたちに袋を差し出した。
中には干し柿がいくつも入っている。
アリアは胸に手を当て、深く頭を下げる。
言葉がなくても、感謝は届いたようで、老婦人はにっこりと笑い返した。
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■ 朴葉味噌の昼食
昼時になると、宮田は一行を小さな食堂へ案内した。
囲炉裏を囲む席に腰を下ろすと、大きな朴の葉の上に味噌が乗せられ、火にかけられる。
「……これは?」
アリアが首を傾げる。
「飛騨の味や。味噌にねぎや椎茸を混ぜて、じっくり焼くんや」
ジュウ、と音を立てて味噌が泡立ち、香ばしい匂いが広がる。
レンは我慢できずに箸を伸ばした。
「うわ、甘い! でもしょっぱい! ごはんと一緒に……最高!」
ガレンは豪快に白飯をかきこみ、「これは戦士の糧だ!」と叫ぶ。
ボリスは日本酒を一口含み、「味噌と米と酒……すべて発酵の妙だ」と唸った。
ルナは味噌の焦げる匂いを吸い込み、「……境界を越える匂い」と目を細めた。
リリスは椎茸の柔らかさに頬をゆるめ、「森の味が火で育つ」と呟いた。
アリアは箸を静かに置き、胸に手を当てた。
「剣ではなく火が、人を支える……。そういうことなんだな」
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■ 飛騨牛との出会い
午後、町の精肉店の前を通ると、宮田が立ち止まった。
「せっかくやし、一口いっとく?」
店先では、飛騨牛の串焼きがじゅうじゅうと音を立てていた。
脂が炭に落ち、香りが風を揺らす。
レンは思わず財布を探す仕草をし、ミリアが慌てて袖を引く。
宮田が笑って三本買い、アリアたちに差し出した。
ガレンが最初にかぶりつく。
「……っ、これは……! 肉が溶ける……!」
ボリスも目を閉じ、「静かな雷が舌に落ちた」と呟く。
レンは頬を押さえ、「ラーメンと合わせたら……いや、このまま聖域にしよう」と真剣に悩んでいた。
ミリアは小さな一口で、「……柔らかいのに力強い」と微笑んだ。
アリアは串を両手で持ち、静かに口へ運んだ。
肉の甘みと塩の鋭さが混じり合い、胸に広がる。
「……戦場を知らない力だ。守るための味だ」
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■ 宿にて――次への縁
夕暮れ、宮田は宿まで案内してくれた。
木の梁が見える古い宿屋。畳の香りが心地よい。
「今日はここで休んで、明日は白川郷へ行くとええ。雪と合掌造りの村や」
アリアたちは胸に手を当て、深く礼をした。
言葉は通じない。
だが、宮田の表情がすべてを受け止めてくれた。
「……あんたら、不思議な旅人やなぁ。けど、町の人は楽しそうやったわ」
宮田はそう言って笑い、外へと去っていった。
その後ろ姿に、アリアたちはもう一度、音のない「ありがとう」を贈った。
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■ 夜の一幕
宿の広間に、地酒の瓶と郷土料理が並ぶ。
朴葉味噌の残り、漬物ステーキ、飛騨そば。
ガレンとボリスは酒を酌み交わし、レンとミリアは机に突っ伏して「もう食べられない」と笑っている。
ルナは静かに杯を口に運び、リリスは座敷の欄間に彫られた木細工を愛でていた。
アリアは仲間を見渡し、心の底から思った。
「……この旅は、剣を振るうためではなく、人の縁を学ぶ修行なのだ」
外では川の音が絶えず響き、山の夜は深く、澄んでいった。




