夏祭りの夜
夕方。
山の端がゆっくりと茜に染まり、家の周りの田んぼには風が道をつくる。
愛菜が縁側で手を叩いた。
「今日はお祭り! 神社、行こ行こ!」
意味は伝わらない。けれど、その弾む声で十分だった。
アリアたちは顔を見合わせ、頷く。おばあちゃんは微笑みながら、細長い包みを差し出した。
「これ、浴衣やちゃ。着てみられ」
布を開くと、藍と白の涼しげな柄。
愛菜が器用に帯を結び、レンとミリアとルナは照れくさそうに身を揺らした。
「……きれい」
ルナが小さくくるりと回ると、裾が水面の波みたいに揺れる。
「足が動きにくい……でも可愛い!」
レンがはしゃぎ、ミリアは胸元を整えて、そっと頷いた。
ガレンは腕を組んでうなり、リリスは涼しい顔で「儀礼装束ね」と呟き、ボリスは胸を張って帯を締めすぎ、苦しそうに息を吐く。
「うおっ……腰が……だが、祭りの鎧だと思えば……!」
おばあちゃんが吹き出し、帯を緩めてやった。
「ほれ、動けんと困るがいね」
◇
神社へ続く坂は、提灯の灯りで玉砂利が淡く照らされている。
屋台の匂いが風に乗り、魚を焼く香ばしさ、甘い蜜の匂い、鉄板の熱が、夜の体温を少しだけ上げた。
「わぁ……星が近い」
ミリアが空を仰ぐと、提灯の赤が頬にやさしく映った。
鳥居をくぐると、屋台がぎっしり。
氷見牛の串焼き、白えびのかき揚げ、ます寿司の一口試食、富山ブラック風の焼きそば、射的、金魚すくい……。
知らない言葉ばかり。でも“おいしそう”“たのしそう”は、どこの世界でも同じ形をしている。
「これは……戦いの前の饗宴か?」
ガレンは氷見牛串に目を剥き、においに引き寄せられる。
「白い小さな海の精……?」
リリスがかき揚げの白えびを覗き込み、店の人に微笑まれて紙舟を渡された。
「食べてみられ」
言葉は分からない。けれど、差し出された笑顔の温度で分かる。
アリアがそっと礼をして、一口。衣が軽く割れ、海の甘さが舌に広がった。
「……あたたかい潮風みたい」
レンはきらきらした瞳で、ます寿司の小さな切り身を頬張る。
「んー! おいしい! 山と海がいっしょの味!」
ボリスは屋台の人に勧められて、冷えた猪口を手にした。
立山の一合。透明な揺らぎが提灯を映す。
ぐい、と。
「……っっ! うおぉぉぉ……沁みる……! 神の水だ……!」
アリアは苦笑しつつ、ほんの少しだけ香りを嗅いでから、冷えたラムネのビー玉を指で押し込む。
ぱこん、と澄んだ音。
未成年のレンとミリアとルナには、かき氷とラムネ。頭がきんっとする冷たさに三人は同時に目を見開いた。
「舌がしびれる……!」
「でも甘くて、空の色みたい」
「……夏の魔法……」
◇
境内の一角で、笛と太鼓の音が響いた。
獅子舞だ。緑の胴、金の牙、揺れるたてがみ。
子どもたちが歓声を上げる。
「噛んでもらうと無病息災やちゃ!」
誰かがそう叫んで、列ができる。
「か、噛む……?」
レンが一歩下がる。
しかし、獅子はゆっくり近づいて、ぱくりとレンの頭に優しく噛みついた。
布越しに、ことことと太鼓。
レンの肩から、緊張がすっと抜けていく。
「……へへ、大丈夫だった」
頭を撫でられた子犬のように、レンが笑った。
獅子は次にミリアへ、そしてルナへ。
ミリアはくすぐったそうに肩をすくめ、ルナは神妙に目を閉じる。
「……魔除けの儀式……守られた気がする」
ガレンも「戦士の試練だ!」と胸を張って並び、獅子に噛まれたあと妙に得意顔になった。
ボリスは噛まれた瞬間に「うおっ」と酒の勢いでふらつき、周囲の笑いをさらった。
◇
やがて、別の舞台から静かな三味線の音が流れてくる。
おわら風の盆――と、誰かが囁いた。
細い調べが夜気にほどけ、踊り手たちの笠がゆるやかに揺れる。
アリアは息を飲む。
踊りは鋭くも柔らかい。
刃の届かないところをなでる風のように、ふっとかわし、ふっと受けとめる。
「……鍵穴じゃなく、蝶番へ」
思わず彼女の戦いの作法が、胸の内で言葉になった。
意志の角を立てずに、回して通す。
踊り手が一斉に袖を返した瞬間、アリアの背筋を静かな鳥肌が走る。
リリスは目を細め、「時を鎮める舞ね」と呟き、ルナは笠の陰の微笑みに同じ微笑みを返した。
愛菜は意味は分からぬまま、隣で手拍子を合わせる。
◇
金魚すくいの水盤が提灯を映して、小さな赤い星を揺らしている。
レンが紙のポイを受け取り、そっと水面に差し入れる。
「……逃げないで……」
紙が水を含んで重くなる。
縁を使って、滑らせるように。
アリアが無言で指先の角度を示すと、レンはきゅっと唇を結び――すとん、と金魚が小さな器へ。
「やった!」
高い声に、屋台の人が満面の笑みで拍手を送った。
ミリアは最初こそ破ってしまいしょんぼりしたが、二度目で成功。
ルナは指先に風を集めるように、そっとすくい上げた。
小さな命が灯る水鉢を、三人は胸に抱えて見つめる。
「持って帰れる?」と目で尋ねるようにアリアが屋台の人を見ると、相手はゆっくり首を振り、指で境内の池を示した。
レンが瞬きをして、やがて微笑む。
金魚たちは、優しい手の内から、水の揺りかごへ戻っていく。
◇
射的、輪投げ、飴細工。
いくつもの初めてをくぐり抜け、屋台の端で一息つく。
おばあちゃんが持たせてくれた小さなおにぎりを頬張り、愛菜が隣でラムネを振ってはビー玉に舌打ちをする。
「出てこん……ちょっと力貸して!」
ガレンが大真面目に短剣(木の枝)を構えようとして、アリアに止められた。
笑い声が零れ、夜はやわらかくほどけていく。
ボリスは二合目をすすめられたが、アリアが指を一本立てて首を振る。
ボリスは名残惜しそうに、しかし素直に水に切り替えた。
「戦には節度がいる。覚えたぞ、日本の流儀」
◇
そのとき、空に一筋の火がのぼった。
しん――と境内の音が細る。
闇の高みに、花が咲く。
ひとつ、またひとつ。
色が、音が、胸の骨をそっと叩く。
「……」
言葉は、いらなかった。
アリアは胸に手を置き、目を細める。
レンは口を開けたまま、ミリアは頬に光を受けて瞬き、ルナは両手を合わせ、リリスはうっすらと笑う。
ガレンは「なんだ、空の砲術か!?」と小声で驚き、ボリスは「火の花だ」と呟いた。
愛菜は横顔を見わたし、ふふっと笑う。
おばあちゃんは少しだけ目を潤ませて、ぽつり。
「きれいやねぇ……」
アリアたちは、その言葉の意味は知らない。
けれど、声の揺れで分かった。
“同じものが、同じふうに、きれいだ” と。
◇
花火が終わると、神社の奥で氏子さんたちが並び、御神酒と湯茶が振る舞われた。
アリアたちは湯のみを両手で受け取り、深く頭を下げる。
ありがとう、という音を知らない。
それでも、胸の奥からこぼれる想いは、仕草の形をよく知っている。
相手は微笑んで、ゆっくり頷いた。
「分かっとるよ。気持ちは、ちゃんと届いとる」
愛菜が間に入って何かを伝えようとする。
アリアはそっと彼女の肩に触れて、首を横に振った。
言葉にしなくていい。
今はただ、この夜の温度で。
境内を吹き抜ける風が、笠の紐と浴衣の裾を軽く揺らした。
山の闇は深く、提灯は丸い月みたいに灯っている。
◇
帰り道、玉砂利を踏む音が寄り添い合う。
田んぼの上、点滅する蛍が二つ、三つ。
家の前に着くと、おばあちゃんが戸口で振り返った。
「よい晩やったね。無事に帰れたことに、感謝やちゃ」
アリアたちは胸に手を当て、深く礼をする。
レンは浴衣の裾を大事そうに持ち上げ、ミリアは金魚の水面みたいに笑い、ルナは小さく「うん」と頷いた。
ガレンとボリスは「また来年も戦……じゃない、祭りだ!」と拳を打ち合わせ、リリスは「季節が巡る儀式」と記憶に刻む。
戸を閉める前、愛菜が「また行こうね」と口の形で言った。
言葉は分からない。
でも、約束の形は分かる。
アリアは指で小さな輪を描き、静かに笑って頷いた。
こうして、富山の夏は、彼女たちの胸にも一輪、確かな花を咲かせたのだった。
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ちょこっとメモ
•未成年(レン/ミリア/ルナ)はかき氷&ラムネ。
•大人組(アリア/ガレン/リリス/ボリス)は節度を持って(ボリスは途中でお水へ)。
•富山要素:獅子舞/おわら風の盆、白えび・氷見牛・ます寿司、地酒「立山」。
•テーマ「言葉より、夜の温度で伝わる」。




