スタンピード!
「アリア、見てくれよ! この街の鍛冶屋の看板、骨でできてるんだぜ! 最高じゃないか!」
エリオットが目を輝かせて指さした先、通りの軒先にぶら下がっていたのは、ドクロを模した意匠の看板だった。白く磨かれた骨の稜線が夕陽を反射する。
「……はぁ。お前はほんと、骨と聞けば全部“最高”で済むのな」
アリアはため息をひとつ。だが、エリオットは悪びれもせず、にへらと笑うだけだった。
二人はそのまま冒険者ギルドへ向かった。石畳の広場は人であふれ、入り口には荷車が何台も連なっている。扉を開けると、熱気と酒と革油の匂いが押し寄せた。
ざわめきの中心に、大きな掲示板。慌てた職員が新しい紙を張り付けた瞬間、周囲の冒険者たちからどよめきが上がる。
「……ゴブリンの、スタンピード?」
アリアは眉根を寄せた。紙には太い文字で――
【緊急依頼:近郊リンデルの森にてゴブリン集群行動発生。討伐隊募集】。
「すみません。状況を教えてもらえますか」
声をかけると、職員は飛び上がりそうになりながら早口で応じた。
「ああ! 君たち冒険者だね!? 森でゴブリンどもが異常繁殖してね! しかも統率が取れてる。斥候の話じゃ、ゴブリンキングとゴブリンクィーンがいるらしい! このままだと街に雪崩れ込む、お願いだ、腕の立つ者は皆、討伐隊に!」
アリアは短く息を吸い、隣のエリオットを見る。彼はもう頷いていた。
「受けるよ。放っておけない」
「助かった! 君たちのような若いのが来てくれて心強い!」
ギルド裏庭――討伐隊の集合場所には、すでに数十名が集っていた。革鎧の戦士、弓手、魔術師。ざわざわとした緊張を、低い笑い声がひとつ割って入る。
「やあ、君らも参加かね。ワシはボリス。ドワーフの僧侶じゃ」
丸太のような腕、分厚い掌。握手は温かくて、まるで炉の側みたいだ。
「私はアリア。こっちはエリオット。よろしく、ボリス」
「よろしくだ!」
さらにもう一組、目を引く二人がいた。白いローブの女性と、赤いマントを翻す青年。互いに背を合わせ、気配だけで立ち位置を調えるような、息の合い方だった。
「ギルド推薦枠、白と赤の双魔だ。白はライナ、赤はカイル。回復と攻撃で前衛の穴を塞ぐ」
近くにいた雑務係が耳打ちしてくれる。噂の名は本物らしい。
「よう、新顔。火を見ると血が騒ぐ方の男、カイルだ。よろしくな」
赤マントがにやりと笑い、指先でルーンを弾くみたいに空を撫でた。
「私はライナ。無茶するのは男の人の専売特許じゃないのよ? ……あなたたち、怪我したら私のところに来て」
白ローブの瞳は澄んでいる。声はやわらかいが、芯が強い。
「おーい、全員集合だ!」
怒鳴り声が響く。大柄の男が、人垣を割った。鎖帷子に黒外套、鼻っ柱の強そうな横顔。討伐隊のリーダー、アルチュールだという。
「新顔か。女ひとりと、ひょろい坊主。足手まといにならないでくれよ?」
エリオットの眉がぴくりと跳ねる。アリアは手の甲で制し、短く頭を下げた。
「全力でやります。足は引っ張りません」
ふん、と鼻を鳴らしたアルチュールが、隊形と役割を手短に告げる。前衛・中衛・後衛に分かれて森へ。前衛の穴は赤と白が埋め、負傷者は白とドワーフの僧侶へ。撤退経路は南側の切り通し。
「行くぞ!」
討伐隊は林道へ雪崩れ込んだ。森は湿って重い。折れた小枝、荒らされた獣道、杭のように刺さった骨。鼻腔を刺す、獣臭と金属の匂い。
囁き声。
――いる。
――樹上。
次の瞬間、木々の影がざっと揺れ、矢が雨になった。
「範囲守護魔法!」
ライナの声と同時に、淡い光の膜が展開した。矢が弾け飛ぶ。膜が波紋を描く間に、カイルが杖を突き出す。
「道を開ける! 炎弾魔法!」
火球が前方の茂みを裂き、樹皮が爆ぜた。黒煙を背に、歯を剥いたゴブリンの群れが飛び出す。前列は粗末な槍、後列に弓、ちらりと見えたローブ姿――ゴブリンマジシャンまでいる。
「来るぞ! 前衛、受け!」
アルチュールが斧を構え、先陣のソードゴブリンを叩き伏せる。アリアは右へ跳び、剣の腹で刃を逸らし、足払いで二体を転がした。致命は避ける。倒すなら、関節。無力化を優先。
「エリオット、下がれ! 後衛を守れ!」
「了解!」
エリオットは詠唱の下準備に入った。地に符を描き、骨粉を指で払う。ライナの**治癒魔法**が負傷兵の血を止め、ボリスが低く祈りを紡ぐ。
「おぉ、君は手が早い……! ではワシは出血管理と、毒よけだ。聖光祈祷!」
淡金の光が滲み、矢傷の黒ずみが退いていく。
その時、樹上の影が唸る。ゴブリンアーチャーが位置を変え、狙いを変え、ライナを撃ち抜こうとした。
「させない!」
アリアが踏み込み、樹の幹を蹴って上段へ。刀身が閃いて矢を叩き落す。その背を、カイルの気配が追い越した。
「もう一丁だ、炎槍魔法!」
炎の槍が空を貫き、アーチャーの巣を穿つ。木片と悲鳴がまとめて落ちた。
――だが、数が減らない。
茂みの奥から、さらに濁流のように群れが押し出される。中列の布陣が軋み、誰かの悲鳴が上がった。
「くそ、きりがねぇ!」
アルチュールが歯噛みする。アリアは斬り払いながら振り返り、エリオットへ叫んだ。
「エリオット、どれくらいだ!」
「もう少し! アリア、頼む、前を持たせて!」
「任された!」
アリアは半歩ずれ、刃の角度を変えた。打突、柄打ち、肘。倒すが、殺しはしない。それが、アリアの剣だった。
エリオットの足元に、白い幾何が完成する。円と三角、骨の印。冷たい風が、地の底から吹き上がった。
「――来い。骨兵召喚!」
地が鳴り、森のあちこちで、古い獣骨がかち合う音がした。白い指節が土を掻き、肋骨が起き上がり、野の王者だった角がふたたび掲げられる。人の墓は荒らさない。媒介は森の中に眠っていた魔獣の古骨だけだ。
「う、うそだろ……!」
後衛の誰かが呟く。だが、骨兵は味方の背を守り、盾の列を作った。
「盾壁を固めろ! 骨は俺が動かす! ――前へ!」
エリオットの指示に合わせ、骸骨たちがぎし、と前進する。ソードゴブリンの刃を受け止め、ゴブリンアーチャーの矢を折り、ゴブリンマジシャンの詠唱を肋骨の雨で遮る。
「やるじゃない!」
カイルが笑う。その横で、ライナが淡々と告げる。
「前列、圧し返す。――範囲守護魔法、再展開」
光膜が二層になり、矢の雨が鈍る。アルチュールは一瞬だけアリアを見た。認めた、というより、計算に入れた視線だった。
「全員、押し上げろ!」
森の空気が、薄く震える。遠い場所で、何か大きなものが吠えた。胸骨の裏側まで響く、低い、重い咆哮。
ボリスが顔を上げる。
「……今のは、ただの群れの声じゃない」
カイルが歯を見せた笑みを消す。ライナは掌に光を集め、周囲の体温と脈を一瞥で読む。
「嫌な圧、来る。統率波よ」
アリアは剣先を僅かに下げ、吐息を整えた。
「波は、まだ引いていない。来るのは――本隊だ」
木々の向こう、暗がりに、巨大な影が動いた。角冠のような骨の冠。手にした斧は、切り株を二つ並べたほどの厚み。
ゴブリンキング――。
その背後、薄いヴェールの奥から、青黒い瞳がこちらを見ている。唇だけが微笑に歪み、指がふっと動いた。
ゴブリンクィーン――。
アリアは視線を切らないまま、短く言う。
「エリオット、骨列は左右展開。カイル、前の茂みを焼き払って視界を確保。ライナ、前衛の心拍を一定に保って。ボリス、結界の重ね、お願いできる?」
「任された!」
「火は出す! 炎弾魔法!」
「治癒魔法、小刻みに回す。過呼吸の人、私を見て、吸って――吐いて」
「守護祈祷、上から重ねるぞい!」
アルチュールは舌打ちし、しかし怒鳴った。
「全員、陣形を崩すな! ――来るぞ!」
森の奥の空気が、赤く、青く、交互にまたたいた。
その光は、戦の始まりの鐘代わりになった。
――つづく。
後書き
お読みいただき、ありがとうございます。
第1話では、ギルド発の緊急依頼から“骨の軍勢”の初陣までを描きました。
赤の火力×白の守り(ライナ)×骨の行軍×剣の間合い(アリア)×祈り(ボリス)――
五つ巴の噛み合いが、森の濁流を押し返す土台になります。
次回は**「王冠は森に吠える」**。
ゴブリンキングの圧と、後衛で微笑むクィーンの“統率波”。
崩れる隊列、足りない一手。アリアが掲げるのは、斬るための剣か、それとも守るための剣か。
どうぞお楽しみに。




