森羅の雫(しんらのしずく) ―エルフの少女編③―
夜が明ける。
霧に包まれた森の向こうで、鉄の軍列がゆっくりと進んでいた。
赤い月章の旗が揺れ、金属のきしむ音が空気を震わせる。
レムリア帝国軍――将軍ガレス・ヴェイン率いる討伐部隊である。
アリアは里の門の上に立ち、朝日を見つめた。
「ついに来たな……」
隣で弓を構えるリリスの手が震えていた。
「こんなに大勢……どうすれば……」
エリオットが静かに答える。
「恐れちゃだめだ。僕たちには森がついてる。死んだ者たちも、みんな見守ってるよ」
リリスは目を閉じ、深呼吸をした。
「……うん。負けない」
アリアは二人の背中を見て、口元にわずかな笑みを浮かべた。
「そうだ。ここを守る。それだけ考えろ」
森の奥から、エルフたちの弓兵と治癒術師が現れる。
リリスの母エラリアも立っていた。まだ体は弱っていたが、その目は凛としていた。
「森の精霊が見ている。恐れずに行きなさい」
◆
帝国軍の先頭に立つのは、将軍ガレス。
その背後には、副官ヴァルク、魔導士セラ、獣兵隊長ラガンの姿があった。
ヴァルクが低く問う。
「本当に攻めるのですか? この森に民を巻き込めば……」
「命令だ」ガレスは短く答えた。
「この地を制しなければ、帝国の国境が危うい」
セラが笑う。
「なら派手にいきましょう。炎の嵐で森ごと焼けばいい」
ラガンが鼻を鳴らす。
「獣の巣を焼くようなもんだ。楽な仕事だぜ」
ヴァルクは黙って空を見た。雲ひとつない青空が、やけにまぶしかった。
◆
「――始まるぞ!」
アリアの号令と同時に、森がざわめいた。
弓兵たちが一斉に矢を放ち、帝国の前衛が盾を構える。
矢が金属を叩き、火花が散る。
「エリオット、後方支援!」
「了解!」
エリオットが地面に魔法陣を描く。
「骸骨兵召喚!」
地中から無数の骨兵が立ち上がり、帝国の兵を囲んだ。
兵たちは驚愕の声を上げるが、すぐに反撃に転じる。
炎が爆ぜ、骨が砕ける。
「くそっ、炎が強い……! あいつが魔導士か!」
セラが笑いながら杖を振り上げる。
「さあ踊れ――炎槍魔法!」
炎の槍が次々と生まれ、空を覆う。
アリアは叫んだ。
「リリス! 結界を!」
「はい! 範囲守護魔法!」
リリスの詠唱とともに、透明な光の壁が広がり、炎を弾いた。
爆風が吹き抜け、森の葉が舞う。
「……助かったな」
「えへへ、ちょっと怖かったけど!」
アリアは笑い、再び剣を抜いた。
「よし、次はこっちから行く!」
彼女は跳び、槍へと武器を変化させる。
「――貫け! 突槍術!」
光を帯びた槍が一直線に走り、前衛の兵をまとめて薙ぎ倒した。
リリスの矢がその隙を狙い、魔導士たちの杖を撃ち落とす。
森の精霊が風を巻き起こし、炎が散った。
◆
戦いの只中、ガレスが馬を駆り、アリアの前に立ちはだかった。
「お前が指揮官か。見事な戦いぶりだ」
アリアは剣を構える。
「あなたが将軍ガレス。――なぜ、こんな無益な戦を?」
「国のためだ。それ以外に理由はない」
ガレスの目は澄んでいた。迷いはない。
「俺は剣で国を守る。それが軍人の務めだ」
アリアは一瞬、彼を見つめ、低く言った。
「なら、私も剣で人を守る。守りたいもののために!」
二人の剣がぶつかる。火花が飛ぶ。
重い音が森に響き、地面が震える。
ガレスの剣は重く、力強い。だがアリアは速く、正確だった。
「……強いな。女だからと侮った俺が愚かだった」
「なら退け。まだ間に合う!」
「できぬ!」
ガレスが剣を振り下ろす。
アリアは受け止め、体を回転させて一撃を返す。
刃がガレスの肩を裂いた。
副官ヴァルクが叫ぶ。
「将軍!」
「下がるな!」
ガレスは血を流しながらも立ち上がる。
「この森を制さねば、帝国は――!」
その時、エラリアの声が森に響いた。
「もうやめて! この森は誰のものでもない!」
森全体が光に包まれた。
大地から無数の光の粒が舞い上がり、アリアたちの体を包む。
リリスが叫ぶ。
「森羅の精霊が……応えてる!」
エリオットが驚きの声を上げた。
「これが――森羅の雫!」
空中で光が一つに集まり、手のひらほどの結晶が生まれた。
それは透き通る緑の光を放ち、森全体に癒しを広げていく。
ガレスはその光を見つめ、剣を下ろした。
「……これが、森の力か」
ヴァルクが低く言った。
「将軍、これ以上は……」
ガレスは息を吐き、頷いた。
「撤退する。これ以上、無益な血は流さぬ」
セラが不満げに唇を尖らせる。
「面白くないわね……でも、まあいいか」
ラガンが肩をすくめる。
「これ以上やれば、俺たちが燃えるな」
帝国軍は静かに退いた。
戦いは、終わったのだ。
◆
戦後。
森は穏やかな光に包まれていた。
エラリアは「森羅の雫」をアリアに差し出した。
「これは森の精霊より授かった宝。あなたたちに託します」
アリアは深く頭を下げた。
「ありがとうございます。この力、必ず正しく使います」
リリスが笑顔で言う。
「アリアさん、エリオットさん……ありがとう。本当に、ありがとう!」
エリオットが照れくさそうに笑った。
「僕はたいしたことしてないよ。骨を動かしただけさ」
アリアは二人を見て、柔らかく微笑んだ。
「それでも助かった。君の力は人を救える」
リリスの母エラリアが頷く。
「あなたたちはこの森の恩人。森はあなたたちを祝福するでしょう」
◆
数日後。
旅立ちの朝、アリアとエリオットは門の前に立っていた。
リリスが駆け寄り、笑顔で手を振る。
「また会える?」
「必ず。また会おう。その時は――一緒に戦おう」
「うん!」
リリスは涙をこらえながら笑った。
「ありがとう、アリアさん。……あなたみたいな人になりたい!」
アリアはその頭をそっと撫でる。
「なれるさ。森が君を見てる」
エリオットがリュックを背負い、空を見上げた。
「次はどこへ行く?」
「まだ決めていない。でも、行くべき場所がある気がする」
アリアは微笑む。
森の風が二人を包み、木々が静かに揺れた。
新しい旅の始まりを、森そのものが祝福しているようだった。
――アリアとエリオットの旅は続く。
これにて「エルフの少女編」完結です。
今回はアリアの“守るための剣”が形になり、リリスが“忌み子”から“英雄”へと生まれ変わる回でした。
森羅の雫は、今後のアリアたちの旅における重要な「癒しと再生」の象徴となります。




