9話 天狼星の下で
時計塔という街のシンボルが完全に崩壊し、瓦礫の山となったと同時くらいに、街を焼いていた青い炎が徐々に粒子と化して消えていった。
蒼炎の主であるヴァルナが気を失った故だろう。
邪悪な青の光に包まれた街へ、急に夜の帳が下りた。
遠くからは建物の崩れるような震動、呪縛の咆哮から意識を取り戻した者達の声、様々な音が聞こえてきたが、ヴァルナを倒したこの場においては自分達以外に人っ子一人いないのか、概ね静かだった。
「……さて」
ロランドがヴァルナを担ぐ。羽根と尻尾が有る分、重くて持てないのではないかと不安だったが、意外と軽くて苦労しない。
「シクロ」
「はーいっ!」
元気よくロランドの声に反応するシクロ。
その顔はとても上機嫌で、尻尾でも生えているなら高速でぶんぶんと振っていそうなほどだった。
凄く良い働きをしたのだから、この普段不愛想で飴と鞭の比率が極めて鞭に寄ってる師匠も流石に褒めてくれるに違いない、無言で頭をよしよししてくれるに違いない!
それでいて耳まで触ってきて……あぁ! ボクそこはちょっと弱いかも!
――弱いのはシクロの頭だった。
「こいつ連れて街の外まで出てるから、俺の宿まで戻って荷物持って来い。南の門の外にいるからすぐに来いよ」
「……嘘だぁー…………」
やはり、飴が無い。
そのまま振り返りもせずに南へと歩き始める。
とは言え、そんな気はしていたシクロだったが、どうしても納得がいかないらしく信じられないといった顔をしながら恨めしくロランドを見ていると、一回だけ足の動きを止めた。
「……あぁ、そうだ。もし挨拶したい奴がいるってなら、とっとと済ませておけ」
ぶっきらぼうにそう言ってまた歩き出すロランドの背中を、無邪気な笑顔を向けて答えた。
「……うん!」
* * *
勇者のお姉ちゃんが飛び出して行って、しばらく経った。
街を燃やしていた青い炎が消えて、外が暗くなって静かになった。
「……もう外に出てもいいのかな?」
ガラス越しに外を覗いてみるが、何も判らない。
おそるおそる建物の外に出てみると、心臓を掴まれる様な闇と静寂が無限に広がった。
「ひっ……」
近くから、遠くから、何かが崩れる音や人の声が聞こえる。
その恐怖は、とても幼い少女に耐え切れる物ではなかった。
シクロの言葉を思い出す。
『泣かないでいいんだよ』
「できないよ……っ……うぅ……うぇ〜〜〜ん」
ぽろぽろと涙が目から零れた。その悲しみを、恐怖を受け止める者は誰もいない。
闇に泣き声が響く。
すると、遠くからトーン、トーンと何かの音が聞こえてきた。
「ッ!?」
その音は着実にこちらに近付いてきている。
身体をがたがたと震わせてうずくまり、音の方向を見ないようにした。
音が自分の前で止まった。
恐怖で息ができなくなる。
「たすけて……パパ……ママ……」
誰にも聞こえない程に小さな声で呟いた。
「勇者のお姉ちゃん……」
「いいよ!」
「!?!?」
がばっと上を向くと、そこにシクロが立っていた。
夜闇を仄かに照らす、妖精のように小さな灯りを浮かせて。
さっき見た時よりも身なりが埃っぽく、髪も服もよれよれになっていた。
「あ、また泣いちゃったの? ……こんな暗いとこに一人でいたらそりゃそうか……ごめんね……? まだまだボクも気が回らないな~……でもあのでっかいのに追いかけられてた最中だったから仕方なかったんだよ~……」
柔らかい笑顔で頬を搔く仕草に、女の子はひどく安心した。
安心すると、何故かまた涙がこぼれ始めた。
「ふえ……わぁ~~~ん!」
「あれぇ!? また泣いちゃった! う、う~~~んどうしよどうしよ……そ、そうだ! 良いもの見せてあげる!」
「きゃっ!」
少女の身体をまた抱き上げて、シクロは身を少し屈めた。
そして、階段を何段も跳んで抜かすような走りで空へ向かって昇り始める。
「えっ? えっ? えっ??」
空を走るなんて、とても現実的な事ではなく何が起きているのか全然理解ができない。
困惑している内にシクロはぐんぐんと際限なく、空高く昇っていく。
そしてある程度の高さまで走ると、急にパッと脚の動きを止めた。
「きゃ……きゃああああああああああ!!」
急に落下が始まり、驚いて叫び声が出てしまう。
聞いた事の無い程に大きな風の音がする。
だがシクロは、それに負けない程に大きな声を少女に向けて叫んだ。
「ちょっとびっくりしちゃったと思うけど、我慢して!見てみて!凄いから!」
シクロの服をぎゅっと握りしめて恐る恐る目を開けてみる。
視界に入ったのは、満点の星空。街から見るより距離が近く、無数の星がいつもより輝いて見えた。
その中でも特に大きく、青白く光る星がとても美しく、強く印象に残った。
下を見ると、これもまた見た事の無い景色が広がる。街を囲む外壁の端から端までが見える。
ヴァルナが破壊を尽くした直後故、普段よりは暗く見栄えが悪くなっているとは思われるが、月の光に柔く照らされながら、ぽつぽつと灯る光の粒は、空の星々に劣らない程だった。
「綺麗……」
少女の口から、ついそんな言葉が漏れた。
* * *
地上が見える。
屋根の色や周りの地形の特徴を聞き、少女の家を確認した。
着地まで数十メートルくらいの距離から空踏みを発動させ、軽やかに空中で跳ねて落下速度が減速してゆき、無事に地上へ、砂の上を滑るように着地した。
辺りはまだ暗いままだったが、人の声や物音が少しずつ戻ってきており、空から降って来たシクロと少女に驚く声もあった。
「はい! 到着! どう? 凄かったでしょ!」
「すごくびっくりした……」
「えっ……ごめん……」
急にあんな高いとこまで連れてかれたら、そりゃそうか……としょんぼりしながら、腕に抱えていた少女を下ろしてあげる。
少女は一拍置いて、にっこりと笑った。
「でも、凄く楽しかった!」
「! ふふ、ならよかった!」
シクロもつられるように、屈託なく笑みを返した。
少しすると、少女の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
「サレナ!」
「あっ……パパ! ママ!」
少女――サレナは、こちらに向かってきた夫婦に駆け寄った。
母親をぶつかるように抱きしめ、ぎゅっと掴んで離さない。
「うわーん…………」
両親の無事に安堵し、再開できた事に気が抜けて、またサレナの頬を涙がぽろぽろと伝った。
「サレナ! 無事か!? 何も無かったか!?」
「ああ……よかった……! 神さまありがとう……!」
両親に抱きしめられ、サレナは安心と嬉しさでまた声を上げて泣いた。
しがみつく腕に、両親は何度も何度も「大丈夫だ」と繰り返した。
「ねぇ! パパ、ママ! 聞いて! このお姉ちゃんがね――」
そう言って、サレナは後ろを振り返った。
でも、そこにはもう誰の影も無く――。
「……あれ?」
あたりを見渡しても、どこにもシクロの姿がない。
星明かりの下、ただ静かに砂埃が漂っているだけだった。
「……」
サレナはきゅっと胸の前で手を握る。
さっき、空で見た星の光と、少女を見つけに来てくれた、あのやさしい笑顔を思い出す。
ぐしぐしと涙をぬぐい、夜空を見上げる。
(もう、泣かない……)
あのお姉ちゃんみたいに、誰かを助けられるくらい強くなりたい。
サレナの中に、生まれて初めて芽生えた小さな願い。
大きな青白い星が、夜空の向こうで瞬いていた。




