4話 竜王ヴァルナ 3
火花が散る。
竜王ヴァルナは高揚していた。折角単身で人間達と遊びに来たというのに、誰もが一撃で地に伏した。
しかし、この目の前の小娘は全く違っていた。
引き裂けない物が無かった竜の爪を弾き、我が身に着実に迫って来る。
「ふは、ふはは!! これが勇者とやらの力か! よいぞよいぞよいぞよいぞ!! 面白い! 素晴らしい! 最高じゃ!!」
「お褒めに預かり光栄! だけど、ならちゃちゃっとやられてくれたら助かるんだけどなぁ~」
魔王を、魔族を、人類に仇なす存在を打ち破る宿命を持った存在、勇者――。
シクロは生まれながらにしてその使命を一身に背負った、人類の希望であった。
天才的な剣技、戦闘センス、身体能力、高等魔法の習得速度、どれをとっても常人では人生を周回しても到達しえない領域にいる超人そのもの。
これも、人類の蹂躙を求める魔族にとって、最強の怨敵。最大到達地点そのものと言って良い。
そんな極上の獲物がまさかこんな、遊びで襲撃した街にいるなんて思ってもいなかった。
「はあぁぁぁっ!!」
「ぬふふ、こんなもんか勇者よ?」
星の明滅の如き速度で剣技を見舞うが、そのどれもをヴァルナは弾く。
だがヴァルナの爪撃も、またシクロの剣技により全て受け流されていた。
一進一退の攻防、先に手を変えたのはシクロだった。
「――セブンスレイ!」
シクロの目が白金色に輝く。
瞬間、空間が震える。七つの魔法陣がヴァルナを囲み、それぞれが違う角度、高さから淡く白い光を放ち回転する。
「ふはっ、面白い!」
ヴァルナが目を細めた。刹那、閃光が走る。
魔法陣から放たれた光の奔流が、神の矢の如く一斉にヴァルナへと襲い掛かった。
だが――。
「甘い、甘い」
ヴァルナが腕を広げると、背の竜の羽が爆ぜる様に大きく展開する。
青く鉱石の如き美麗な翼が、自身を包むように折り畳まれた。
そのまま高速で回転し、光線をひとつ、ふたつ、みっつと、全て弾き飛ばし……そのまま上空へ昇っていく。
弾かれた光線は火花となって宙を乱れ舞い、飛散する。
散り散りになる光の飛沫により、昼のように眩しく輝く空を背にしたヴァルナが上空でゆっくりと翼を広げ、笑っていた。
「セブンスレイ、じゃったかの? 高位の光魔法の中でも特に上位に位置する破邪の殲滅魔法……無詠唱・無動作で放てるとは流石勇者じゃの~……ま、儂には関係無いがの」
「そう? あながち無意味だとも思えないけど?」
「む……」
竜の翼には光線の跡が残っており、微かな蒸気もあがっていた。
「キミも自慢して良いよ。ボクの魔法で倒せなかったヤツなんてこれまでいなかったもん。褒めてあげる」
シクロが鼻を鳴らしてヴァルナを指差した。
「ふん、小娘が……」
安い挑発に、竜が歯をむき出して嗤う。
ヴァルナの身を纏う蒼炎が蜃気楼を作りだし、空の次元が歪む。
圧倒的な強者のオーラの前に、しかしシクロは冷や汗の一つも垂らさず、爛々とした目でその光景を見据えた。
日が落ちる。
日が堕ちる。
ゆっくりと迫る闇を背に、ヴァルナはその姿を巨大な影へと変貌させていく。
その翼は更に大きく、その爪は更に長く、肌に鱗が浮かびあがり、口は裂けて牙を隠さない。
身に纏った衣服は青い炎へと換わり、その巨体を覆っていく。
「悦べ小娘!! この竜王ヴァルナに喰われて死ねるのじゃ!!」
美しくも禍々しい蒼鉛色の邪竜がここに顕現する。
世界の終わりを予感させるその巨大な、人類滅亡の舞台装置が街の上空に現れた。
その相貌は青い太陽と呼ぶに相応しく。
「うわー……派手過ぎでしょ」
シクロが肩を竦め、呆れたようにしていると街の各地から怒号にも似た合図が上がる。
「放てえええええっ!!」
合図と共に矢と砲弾の雨が空を覆いつくした。
巨大な弓が、弾が、唸りを上げて飛んでいく。
冒険者たちの他、この街を守る警備隊たちも総動員してあの怪物を掃討しようと集まっている。
更にその後ろからも魔法隊による一斉掃射が始まった。
炎、氷、雷――あらゆる属性の魔法攻撃がヴァルナ目掛けて打ち放たれた。
その圧倒的物量による光景を、見開いた瞳で眺める。
――駄目だ。
直観。予感、いや予言と言っても良い。
だって、あいつ、避けるつもりが無い。
邪竜の胸と腹が急激に膨れ上がり、全ての攻撃が竜の身へ到達しようとするその瞬間、ヴァルナは口を大きく開いた。
「――■■■■■■■■■■――!!!!」
音とも言えない、咆哮とも悲鳴ともつかない悍ましい声が街を襲った。
《呪縛の咆哮》。
その咆哮を聞いた者は全身から力を奪われ、気を失ってしまう呪いの叫び。
弓兵たちの手は震え、弓を引く事すら敵わなくなる。
砲撃隊は錯乱状態に陥り、魔法隊は泡を吹いて倒れる者もいた。
そして、ヴァルナ目掛けて放たれた攻撃はその咆哮一つで全て弾かれ、吹き飛んでいった。
街が一瞬にして静まり返る。
聞こえるのは建物が崩れる音、青い炎が燃える音、かろうじて意識がある者たちの、声にならない呼吸音。
しかしそんな中でも一人、変わらない様子の者が一人。
「それがこのボク、シクロちゃんでっす!!ぴすぴす!!」
誰に言うでも無く指でピースをしていた勇者が一人。
「呪いとか毒とか、ボクそういうの効かないんだよね。生まれてから一度も風邪もひいた事無いし」
この少女が自覚しているかどうかは疑問だが、それは勇者の加護というやつである。
なんともチートじみたパッシブスキルだと思われるだろうが、勿論、森羅万象三千世界、全ての危機から身を守ってくれるほど万能な訳では無い。
だが、こと呪いという物に関しては完全無効と言って良い程に相性が良かった。
「……じゃ、いくよ!」
阿鼻叫喚の地獄絵図の中、軽く屈伸をして、シクロは一息に駆けだす。
建物と建物の間を蹴って屋根より高く飛び――そのまま、風の術式を次々と踏み抜くように、空を走った。
その足先にはシクロ謹製の風魔法術式”空踏み”が発動しており、みるみるうちにヴァルナとの距離を詰める。
天より街を見やるヴァルナからしてもその姿はとても小さく、だがしかし止まらない。
気付いた時には眼前まで肉薄していた。
「やっほー!」
「ふはっ! 有りか? そんなの!!」
飛行能力がある訳じゃない人間が、空高く昇った自分を追いかけて来た。これには流石に竜王もたまげ、感心の色を隠せなかった。
地上での機動力と殆ど変わらない小娘が笑顔で迫ってくる。
ああ、儂じゃ無ければ恐怖でおかしくなっていたに違いない!
「呪いも効かん! 空に居れば走って追ってくる! 勇者というのは随分とデタラメな存在みたいじゃのぅ!」
「あははっ、師匠にもよく言われるよ!」
シクロの剣が届く距離まで近付き、即座に数回の剣撃を繰り出した。
しかしその攻撃は明らかに手応えが薄く、堅牢な鱗に弾かれる。
甲高い金属音だけが返ってきた。
「ちぇっ、やっぱ効かないか」
鱗が邪魔だ。ではどこなら攻撃が届く? 視線を走らせるが――。
「舐めとるのぉ、小娘ェ!!」
荒れ狂う竜王の鋭い爪が振り下ろされる。
「うわーっ!! 危ない!!」
シクロはすんでのところで身をひねり、それを回避する。
だがバランスを崩し、足がもつれかけた。
落下の危機――しかし、すかさず”空踏み”の術式を組んで、体勢を立て直して再びヴァルナの周囲を駆ける。
“空踏み”は単なる飛行魔法ではない。
空気を“床”のように蹴って走る術であり、足を止めればその瞬間、術式は解除されてしまう。
だからこそ、常に空を走り続ける必要があるのだ。
再度空を蹴り続け、僅かな視線動作のみでヴァルナの巨体を観察する。
いつの間にかシクロの表情から戦いを楽しむような笑みは消え、真剣に”敵”の弱点を暴かんとしていた。
先程戦場から一目散に逃げて行ったロランドが、かつて言っていた言葉を思い出しながら、独り言のようにつぶやく。
「こういうデカい奴を相手にする時は神経が集中してそうな部位から攻める……指、鼻、耳……」
どれも駄目だ。
指を狙えば爪で弾かれる。鼻を狙えば牙や蒼炎のブレスの餌食になりかねない。耳は……どこにあるかわからない!!
どこも確実性が無い。
「なら――ここっきゃないよねぇ!」
狙うは、目!!
三角跳びの如き軌道でヴァルナの顔の横まで跳び、シクロの剣はその蒼く深い眼を捉えた。
――筈だった。
竜の瞳。
深い深い、青い瞳を覗き込んだ瞬間、生まれてから一度も体験した事の無い悪寒がシクロを襲う。
竜の眼がはらりと、花が咲くみたく開いた。それは正しく異形の器官。
「うわーっ! 気持ち悪っ!!」
即座に無理矢理身体を捻って体制を崩したシクロをギリギリ掠めずに、光より速いレーザーが横切る。
ヴァルナの血と蒼炎と呪いを圧縮し、目の奥から放たれたそれは、当たれば間違いなく即死だった。シクロはそう確信していた。
「目が痒くなるからあんまり使いたくなかったんじゃがの~、これ」
「やばっ――……」
さっきとは違う、言い訳出来ない程に完全に体勢を崩した。
空中でのバランスを失ったシクロの身を目掛けて、ヴァルナの尾が空を裂きながら襲い掛かる。
「ルミナスバリア……!!」
咄嗟に防御魔法を発動させる。瞬時にシクロの前に光の盾が何層も重なって現れる。
しかし竜の尾はそれを押し出し、貫き、シクロの身体を地上に目掛けて叩き落した。




