15話 ルナリア
ロランド達の旅する地より遥か遠く。
海の向こう、地に住まうは魔族のみとされる通称”暗黒大陸”、メイヘム。
大陸中に濃い瘴気が漂っており、魔族以外を拒んでいるかの様である。
天空には常に分厚い黒雲が渦巻き、太陽の光が直接届く事は少なく昼と夜の堺も曖昧な闇の国。
人類にとっての絶望の大地、その中枢に巨大な尖塔が何棟も、天を貫くように聳えている。
歪な形状の尖塔の中心に存在する漆黒の城――魔王城。
その日、一人の伝令が息を切らしながら魔王城へ駈け込んだ。
* * *
魔王城の廊下にかつん、かつんと硬質な足音が響く。
魔法石を埋め込んだランプが規則的に並ぶ長い廊下を、額に二本の角を携えた、長身で赤い肌の魔族が歩く。腰には極東の剣と言われる「刀」を下げ、武人然とした身なりをした、鬼人の女性だった。
腕に抱えるは、たった今、伝令から聞いた報告をまとめた書類である。
廊下の途中に現れた扉の前で立ち止まり、丁寧にノックをして入室し、中の人物に一礼した。
「ルナリア様」
「シュレン。何の用かしら?」
そこは執務室。
部屋の中央、漆黒の机の前に座る、黒のゴシックドレスを纏った小柄な女性――ルナリアが書類作業の手を止める。
艶やかな黒髪を耳の高さでツインテールに結い、鮮血と遜色ない鮮やかな赤い瞳。
幼さすら感じさせ、人形の様な美しさを持つが、その気配は冷たく、暗い。
日々の執務で疲弊しているのか、目の下には薄い隈が現れていたが、それすら美貌の足しになるほどに高貴で高潔な雰囲気を纏っていた。
――ルナリアの冷たく、しかしどこか甘ったるさもある声を聞くとシュレンは背筋を伸ばし、話を始める。
「報告です。ヴァルナの奴が離反しました」
「……説明しなさい」
ルナリアが目を細める。
とてもじゃないが愉快な話では無さそうだと感じた。
「はっ。ケトナー王国襲撃の為、ヘイズ渓谷にて拠点の設営を行なっていたところ、ヴァルナが単騎でミューレの街に襲撃を仕掛け……」
「……一人で? 何故?」
「竜王軍副隊長、イーサーンによると『暇なのじゃー! ちと遊びに行ってくる! ついてきた奴は撃ち落とすからのぅ!』などと叫んで飛び出していったと……その時点では行き先不明だったとの事です」
「……バカなのかしら」
額に手を当てる。小さくため息をつき、苛立ちを堪える。
「ええ……本当にそう思います。……続けます。日が落ちるまで捜索を続けるも発見には至らず、一夜明けて急に帰ってきたかと思えば《呪縛の咆哮》を部隊に撃ち放って全員が動けなくなった後――」
シュレンが一瞬顔をしかめ、信じがたい物を見るような表情になったが、調子を崩さずに続ける。
「『これよりこのヴァルナ、勇者シクロ一行の軍門に降る! いらん事言うなと言われとるし、以上! 短い間だったがさらばじゃ!』と言ってまた何処かへ飛んで行ったそうです」
額に当てていた手が、ルナリアの目を覆い、頭を抱える形になった。
少し間を置き、言葉を漏らす。
「勇者……シクロ?」
ヴァルナの行動より予想外の者の存在に、ルナリアは困惑の色を見せた。
「ミューレ近郊を巣とする者からの証言ですが、街の上空に竜形態のヴァルナと、彼女を追う白い光が見えたと。恐らくこの“白い光”こそが勇者かと推察されます。ヴァルナはこれに敗北し……取引をしたのか、洗脳されたのか、はたまた元々離反の意思があり好機と見たのか……いずれにせよ不明です」
ルナリアは椅子にもたれ、視線を天井へ向けた。長い睫毛の影が頬に落ち、思案を巡らせる。
「……お母様……いえ、先代より預かった四天王がの一角が、こんなに早く欠けるなんてね。顔向けできないわ」
静かに、しかし深い憂いを込めた口調でつぶやく。その様は魔王というより、ひとりの少女のようであった。
「竜王軍は混乱しておりケトナー王国への襲撃はままならぬ状況ですが、如何いたしましょう」
シュレンの問いかけにルナリアは再び視線を落とした。
「ヴァルナが消えたくらいで右往左往する奴等がまともに戦争出来ると思えないわね。撤退させなさい」
「了解しました。竜王軍の処遇はどうされますか?」
ルナリアは無表情のまま、わずかに唇を動かす。
「……私はその様なバカが率いていた無能の集団、見せしめに殺してしまうべきだと思っているのだけど、貴女はどうすべきだと考えてるの?」
「……魔王ルナリア様の側近たる鬼王シュレン、自身の立場を鑑みて申させて頂きますと――」
深く一礼し、真剣なまなざしをルナリアに向ける。
「竜人共の基礎戦闘力は他の種族と比較しても目を見張るものがあります。種族への粛清、部隊の解散を執行するには惜しい存在かと。つきましては、我が鬼王軍預かりとして扱い、動かしたく思います」
「そう。ならそうしなさい。そしてヴァルナが見つかったら必ず私の前に連れてきなさい」
「どうされるおつもりで?」
「殺すわ」
「御意に」
冷ややかな沈黙が室内を支配する。
また、しばしの間を置いてルナリアが問いかけた。
「セフィーラとネクリオーネには伝えたの?」
「はい。セフィーラは何が可笑しいのか笑ってましたが、ネクリオーネの方は……怒り狂っていました」
「そう。八つ当たりできる物があるならしてもいいけど、自分の任務は全うしなさいと伝えておいて。それと、勇者シクロに監視の目を付けなさい」
「監視ですか? ご命令とあらば、自分が討ち取って参りますが……」
静かにシュレンの顔を見る。
魔王を除けば、魔族の中でも最強と名高い戦士、シュレン。
この者が直接出向けば、九分九厘話は片付く。しかし、ルナリアはこの事態を簡単に終わらせて良いものと捉えてはいなかった。
「勇者なんて、下手な一国よりも厄介な存在と見るべきよ。勢力が判らない相手と無駄な衝突は避けたい。既に大国との繋がりがあったりしたら……考えるだけで面倒だわ。慎重に扱いましょう。それにシュレン、貴女には重要な仕事が残ってるんじゃなくて?」
「そうですね……出過ぎた真似でした。お許しを」
「構わないわ。行きなさい」
「はい。では、失礼致します」
再び一礼し、シュレンは静かに退室する。扉が閉じると、室内には再び静寂だけが残った。
ルナリアは一人、椅子に座ったまま虚空を見つめる。
紅い瞳が仄暗い部屋を照らす灯りに揺れる。
(勇者……お母様の言っていた存在……)
思考の中で情報が渦巻く。ヴァルナの軽率な性格を知っているが、それでもここまでの暴走には違和感がある。
(ヴァルナは確かに感情を優先して動くきらいがあった。けれど部隊を放り出し、私達を裏切る事にどれだけのリスクがあるか――それが判らないほど愚かでは無いはず……)
(考えられるのは魔法による洗脳か、脅迫……? しかし、ならやはり勇者は彼女を”倒す”事が出来たということになる。それは……脅威だわ)
顔も知らない未知の存在。しかし、魔王として生きる者であるならば決してぶつかる事を避けられない宿命――勇者。
(『いらん事を言うな』と言われた……誰に? 勇者シクロに? これから身を寄せる者が誰かなんて、わざわざ教えるのは余計なことでは無いのかしら?)
(シュレンの報告でのヴァルナの口調はいつも通り……ならば洗脳の線は薄い? 自我を残したまま操っている? 何の為? ……いや、そもそも何故ヴァルナを生かしたままに? ヴァルナは本当に敗れたの? ……倒したのは……指示を与えたのは、本当に勇者本人?)
目を瞑り、思案に耽る。あらゆる可能性を想像するが、腑に落ちる答えに辿り着けない。
とはいえ、悠長に構えるべきではない……しかし現状だと情報があまりにも足りていない。
勇者の動向を探り、対策を立てている内に取り返しのつかない状態になっていないとも限らない。
それに、この問題だけに捉われる訳にもいかない、と机上の書類群を見て思わされた。
(……考える事が多い)
ルナリアは小さく肩を落とし、椅子の背もたれに身体を預け、もう一度深くため息をついた。
「本当に、面倒ね……」