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第13話・立木陵介のプロポーズ

 菜緒が瞬間移動した先にいたのは、横たわる立木陵介。舌がねじれ、声がだせないようだった。廃ビルの二階、サラ金事務所だと一目でわかる。フロア中に配られる予定だったポケットティッシュが散乱していた。金利相談可能、いや、金利は法律で上限が決まっているだろうにとこんな状況で、菜緒の意識は陵介にだけ向かっているわけではなかった。ちょうどいい、調子がいい。菜緒の自己評価だ。何かに集中しすぎる、ゾーンに入ることはこの世界では禁物。適度に集中力を分散させて、どこから狙われていても対応できるようにする必要がある。


 陵介の首の後ろに手を滑り込ませて上半身を抱き起す。菜緒は元夫の絶命した顔をまじまじと見た。愛していたわけではなかったが、介と知って心がざわついたのを覚えている。鷹取の計らいで、妻となっての潜入に少し有頂天になっていたかもしれない。陵介の父は両親を殺害した、だが陵介も被害者だ。彼は悪くはない。大人になってから、陵介との因縁を知ったときも、陵介を憎むことはなかった。憎む相手が違う、菜緒の確固たる意志だった。


 新婚旅行も潜入捜査のサポートが入り、国内線の機内で立ち回りをした、それが武威裁定Q課から出された別れのサインだった。鷹取の指示は絶対だった。


 手に蜘蛛の巣のタトゥーを確認するのは困難だった。陵介の左手は義手だった。精巧につくられた義手は、意思に沿って作動する。正確には呪現言語で動いている。普段は蜘蛛の巣のタトゥーの入っていない義手を装着している。人格が入れ替わるタイミングで、義手を取り換えている。いわゆる悪の人格が発動するのは、いつも菜緒がいないところで起こる。国内線でのテロリスト確保の状況を見せれば、人格変化が起こるかとも思ったが立木陵介の中の人は、慎重だった。だが、それほど慎重な男がこうも簡単に殺害されるとは、しかも明らかに呪現言語による死に方。舌がねじれている。


 菜緒はおもむろにワイヤレスのイヤホンを右耳に取り付けた。左耳のイヤホンは陵介に取り付けた。付き合って初めての誕生日に陵介からもらったものだ。何が欲しい?と何度も聞かれたが、なんでもいいの菜緒に陵介が勝手に判断して買ってきた。思い出のワイヤレスイヤホン、音は聞こえないが陵介への気持ちを菜緒なりに表していた。


 三階の非常階段からカンカンと甲高い音がする。革靴の踵がすり減っている。音からわかる。一階の内側フロア内の階段からは、スニーカー、厚底だ。ゴムがこすれる音がする。三階は千堂寺穣一、一階からは大儀見鷲子が挟み撃ちで迫っているとわかった。殺気が漏れ出ている。


「千堂寺さん、あなたも瞬間移動で?下の鷲子も一緒に?あ、一緒なら『ザ・フライ』の呪いにかかっちゃうわね」

 扉の向こう側にいた千堂寺の足が止まる。

「いやぁ、やっぱりわかったか」

「立木陵介を殺害したのは?」

「あぁ、それは鷲子だ」

「鷲子の方が呪現言語師としては劣るはずよ」

 だからだよ。千堂寺はマッチを擦った。ドアを開け、火を投げ入れた。

「燃えろ」

 千堂寺の不意打ちの呪現言語が床に散らばったポケットティッシュに伝播する。単発で炎があがるが、フロアが燃えるほどではない。焦げ臭いにおいが充満する。


 フェイクだ。鷲子の呪現言語がささやくように、唱えられた。呪文のように。連発する。

「死ね、死ね、死ね」

 呪現言語では最悪最強の三死。スリーアウトとも言われる。ゲームセット確実な呪いの言葉は、呪現言語師へのダメージが深い。前頭前野の損傷の激しさから、武威裁定Q課では禁止されている。鷲子の眼は虚ろだった。死を覚悟したというよりも、容認させられた。受け入れさせられた、自発的な意思ではないもの。千堂寺に心身ともに篭絡されたのか、男を知った女、極限の中で唯一許せる相手だからこそなのか。菜緒は、鷲子を羨ましく思った。


 きな臭い二階フロア。横たわる立木陵介とボヤのようにチリチリと燃えているポケットティッシュたち。菜緒は立ち尽くしていた。ワイヤレスイヤホンからはかすかに音が、いや声が聞こえていた。菜緒のスマホに録音していた声、立木陵介からプロポーズされたその日。記念に録音しておいた声、呪現言語師だから録音したわけじゃない。一生の契りを交わすのに、一生一緒にいられないことを知っていた菜緒のささやかな本部への抵抗と陵介への愛情だった。


「生きよう、一緒に、これからも」


 陵介のありていなロマンチックなようで野暮ったいプロポーズの言葉を再生していた。その声は菜緒の右耳と、陵介の左耳に流れ続けていた。



―――呪現言語師の録音言語の効果は弱いとされている。対象者が生きていればなおのことで、その効果は低減する。以前実谷が音丸からもらった呪現言語の音源「実谷重綱以外気絶」というものは、本来ならば周囲一キロ程度の範囲で有効となるはずだ。だが、録音音源であること、音丸が生存していること、この二つの理由から実谷のそばにいた猛坂夫婦と田嶋みどりの気絶程度に留められたのだ。―――



 陵介の録音音源が菜緒を死から守り、死んでしまっていた陵介にも影響を与えていた。陵介のねじれた舌がまっすぐにもどり口中にすっと忍び込んだ。乾いた舌は潤いを徐々に取り戻し、その口が再び開くとき、千堂寺は絶命していた。鷲子は三死によって絶命しかけていたが、菜緒が右耳のワイヤレスイヤホンを強引に装着させて一命をとりとめた。

「ど、どうして」

「いいの、好きになったら仕方ないもの」

 鷲子は意識を失った。菜緒は廊下で倒れ込んだ鷲子を陵介の近くに連れて行った。陵介は内側にいるもう一人の悪が覚醒していた。


「あなたは、誰?」

「陵介の愛した女か、それなら名乗らなくてはね。私は立木俊也(しゅんや)。陵介の父親だ。ずっと見ていたよ」

 陵介の奥に潜む悪の存在、それは両親を無残に殺害した男だった。菜緒は怒りを鎮める。だが、握りしめた右手の手の平には爪が食い込む。ドロッと粘りのある血が、零れ落ちる。

 義手の左手がごそっと抜け落ちる。陵介の呪現言語が解けた。右手の手の甲が滲む。じわっと、大きな幾何学文様が広がる。蜘蛛の巣だった。


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