二人の未来
グランド王国には宰相という役職はない。
文官の最高職である六大臣の上には、ただ国王がいるのみである。この六大臣だが、内務大臣、外務大臣、城務大臣、法務大臣、領務大臣、貴族大臣となっており、それぞれの大臣は各省のトップということである。
省の規模は、それぞれ異なっており、最大が内務省。最少が貴族省となっている。
貴族がいないのに貴族省がある意味は、要するに元貴族の面倒ごとをすべて押し付けているためである。
そして、この貴族省自体も無能な人間を押し込めておくための組織なのである。
この朝、ウェスリン砦の隊員たちはホールに集められ、朝礼を行っていた。
毎朝やっているわけではない。週に一度、多い時でも週に二回程度の頻度である。
もちろん、隊員たちに周知しなくてはならないことがあれば、都度、開かれることになる。
レオン隊長とルビー副隊長の前に、整列する隊員たち。夜勤明けの隊員たちは眠そうにあくびを噛み殺している。
「さて、いよいよこの日がやってきた。まあ、誰も楽しみにしちゃあいないと思うがな」
レオン隊長がそう話を切り出した。
「恐れ多くも貴族大臣様が我が砦にご視察においでになる。みんな、とりあえず、礼儀正しく、真面目にな」
はあ、とレオン隊長はため息をついた。
「できるだけ、俺とルビーで対応するから、お前らはあんまり大臣の側に寄らんことだな。なんか聞かれたら、隊長殿にお聞きください、とか、言っとけ。なんか、質問はあるか?」
「そもそも、貴族大臣とはどういう職務なのでしょうか。なぜ、この砦の視察を?」
隊員の一人が言った。
「実にいい質問だな。はっきり言おう。俺も知らん。たぶん、知ってる奴はいないんじゃないか。内務省が、仕事っぽいことをさせているらしいんだが」
「まあ、偉くて無能な人間を飼い殺しにするための部署ですからね」
ルビーが身もふたもないことを言う。
「ただ、視察に陛下の承認を得ている時点で、それは陛下の代理人という立場です。くれぐれも無礼を働かないように」
それからルビーが、細かいスケジュールを説明。
昼過ぎに到着して砦に一泊。翌日午前に砦を出発。引き連れてくる随員の数は十人程度。
到着後、隊長が砦を案内し、その後、ホールにて実戦的な訓練を披露。
時間つぶしに、北の森へ行き、オーガーが倒した木々を見せる。
あとは近々に決裁した書類の写しなどを隊長室にて確認してもらう。夕食は食堂にて一緒にとってもらう。
「まあ、ざっとこんな感じですね。とはいえ、大臣様の要望には可能な限りお応えしていくことになりますが」
ルビーがそう結ぶ。
「なにか質問は?」
「いいっすか」と手を上げたのはレミドである。
「もし、大臣をぶん殴ったら、どうなっちゃうんすかあ?」
それに隊員たちが、くっ、と笑いそうになる。レオン隊長もだ。
ルビーはにこやかに笑うと言った。
「まあ、不敬罪というところで、王都へ更迭。禁固五年というところかしら」
「マジっすか。ヤバいっすね」
「相手の怒り具合によっては、反逆罪を持ち出すかもしれないわ。そうなると、最悪、縛り首かも」
ひええ、とレミドがおどけて震える。
「まあ、そんなわけだから、できるだけ近づかないことね。なにか言われたら、私か隊長に相談すること」
◇
貴族大臣カウス・ジェドムはでっぷりとした肥満の体に、銀色の口髭と顎髭がつながった丸顔。酒焼けのせいか頬は赤らんでおり、銀色のクルクルと渦を巻いた長い頭髪が顔のふちに垂れ下がっている。
はちきれんばかりの体を白色のフロックコートに包み、ふう、ふう、と息を切らせながら、きらびやかな馬車から降りた。
年齢は五十二。グランド王国の大改革前は侯爵位にあった。
カウス大臣を補佐するように女性文官の制服姿(白色のブレザー。下はスカート)。の女性文官が三人降りる。どれも美人だったので、出迎えるために整列した隊員たちの視線は太った大臣ではなく随員の女性文官にいった。
随員はさらに護衛が五人。こちらは軍人で、ウェスリン砦の隊員たちと同じく黒い軍服姿である。
王都防衛兵団の者たちだ。
「貴族大臣のカウス・ジェムドである。今でこそ、十名そこらの従者を従え、このような粗末な馬車に乗っておるが、世が世ならば、行列とともに参ったことだろう。私はそういう身分の者であるからして、相応の対応をするようにな」
フガフガと不明瞭な声で言いながらも、カウス大臣は視線をキョロキョロとさせて隊員を見る。
その目が後ろの端に立つヒルディのところで止まった。
ニターといやらし笑みが浮かんだ。
「ウェスリン砦防衛部隊、隊長のレオンです。では、さっそく砦内をご案内します」
レオン隊長がカウス大臣の前に出て、ドンと右胸の紋章を叩くと言った。
だがカウス大臣はレオンを一顧だにしない。ヒルディを見つめ、うむうむ、と小さく頷いている。
「あの者に案内してもらうとしようか」
ヒルディを指さす。
ヒルディの顔が強張った。それを隠そうと引きつった笑みを浮かべる。
「いや、彼女には他に仕事もありますから。ここは責任者たる自分が」
レオン隊長がカウス大臣の視線をはばもうと立ち塞がる。
だがカウス大臣は体をずらしてヒルディに向かって手招きをする。
大臣に手招きされては無視もできない。
ヒルディはしぶしぶ前に出た。
なに? どうして、私なの? やめてよ。
と、内心はものすごく焦っている。
「ウェスリン砦に姫騎士と呼ばれる者がいると聞いた。その者は凛々しくも美しく、気高く、武芸も達者だとか。そなたのことかね」
「……はい」
ヒルディは恥ずかしさと緊張でクラクラしながらも答えた。
呼ばれる者と言われても、呼んでいるのは一名である。
どこで、そんなローカルな話を聞いたのよ。
声を大にして抗議したい気持ちである。
もう、レミド君の馬鹿。
そのレミドは後ろの方で表情を殺している。さすがに、いつも着崩している軍服はしっかりと整えており、ヘラヘラした薄ら笑いも浮かんでいない。
ただ、この時は、彼らしからぬ鋭い眼差しを大臣に向けていた。
「ヒルディ・オルテンと申します。閣下」
ヒルディが胸をドンと叩いて名乗る。
「うむうむ。姫騎士の名に相応しい凛々しさよ」
カウス大臣がヒルディのスカート(公式の場では女性隊員はスカート)から伸びる長い脚、胸、顏、と何度も視線を往復させる。
露骨に品定めするような視線。
ヒルディはゾゾゾと悪寒を感じたが、嫌悪感を顔に出すわけにはいかない。
「では、ヒルディにも加わっていただきましょうか。隊長」
ルビーが言った。
「僭越ながら、私も閣下をご案内させていただきますわ」
カウス大臣がルビーに目を向ける。軍服の胸元を押し上げる胸の辺りをじろじろ眺め、ふん、と鼻で笑った。
「よいよい、年増は引っ込んでおれ」
ルビーの顔が一瞬、凄まじいことになった。ひっ、と隊員たちから短い悲鳴が起こった。
だがルビーはすぐに、ニコニコとした笑顔で憤怒の表情を隠した。
「左様ですか。まだ三十前、いえ、二十台後半なのですけどぉ」
ちなみに二十九歳である。
「二十台なのですけどぉ」
カウス大臣は、そんなルビーにはまったく注意を払わず、困惑顔のヒルディを目尻を下げて眺めている。
「では、頼んだぞ。姫騎士よ。さっそく案内を頼むぞ。ああ、手を引いてくれんか? 馬車に乗り疲れ、足が思うように動かんのでなあ」
言って脂肪と体毛がたっぷりの丸っこい手をヒルディに伸ばす。
「了解いたしました」とヒルディは仕方なしに、カウス大臣の手を取った。
サワサワとカウス大臣の手がヒルディの手を撫でる。
ヒルディは手を乱暴に引っ込めそうになった。
「ではご案内しましょう。こちらへ」
レオン隊長が申し訳なさそうな顔でヒルディを見ながら言った。
「細く、繊細な手よのう。これで剣を握れるのか? 儂のイチモツも握って欲しいものよのう」
カウス大臣がネットリとした声で言った。
幸いヒルディは性的な知識に乏しい。
カウス大臣のセクハラ発言の意味も分からなかった。
カウス大臣の足取りは見た目通り鈍重だった。
レオン隊長と並んで歩くヒルディに手を引かれ、のっそりのっそりと砦の廊下を歩く。
その後ろに随員の文官女性三人(全員二十代前半)、護衛と続く。
「こちらが食堂です。朝食は七時。昼食は十二時。夕食は七時となっており、料理長の指示の元、当番の隊員が作ります」
長テーブルの並んだ食堂に入ると、レオン隊長が言った。
白いコックスーツの中年料理長とその若い弟子が、厨房のカウンター前に立っている。
「まあ、こんな辺境の田舎では期待もしておらんが。とにかく食べられるものは出してもらおうか。酒は持参してきたから、用意は無用だぞ」
カウス大臣が言った。
ヒルディの左手を両手で持っていて、つかまるというよりは、撫で回すという様子である。
「そなたにも分けてやろう。姫騎士」
「……お気遣い、ありがとうございます。ただ、任務中は禁酒でありますので。ご厚意だけ頂戴いたします」
「固いことを言うな。大丈夫だ。私が許す。この侯爵の私がな」
「では、せっかくなので、ご相伴にあずかりましょう」
レオン隊長が言った。
「そういえば、君は確か下戸だったな。酒が一滴も飲めなかったはずだね。ヒルディ」
「えっ、あ、はい。そうです。体質のようでして」
ヒルディが言った。
「うん? 私がわざわざ王都から持ってきた酒が飲めないと? そう言うのか?」
カウス大臣の手が、手中のヒルディの手を遡り、肘のあたりを押さえる。目はねめつけるようだ。
「それは、ずいぶん無礼ではないか? なにしろ、私は、陛下の代理人であるのだからな。そなたは陛下からのお授けを、断るのかね」
「い、いえ。そのようなことは……。分かりました、ありがたく頂戴します」
こう言うしかなかった。
「あまり私の寛容さに甘えぬが良いぞ。世が世ならば、そなたは一族郎党もろともに、首をはねていたこところだぞ」
「はっ、申しわけありません」
ヒルディは深々と頭を下げた。
「ご無礼をお許しください」
なにしろ、相手は大臣である。自分一人の処罰で済むならばともかく、下手をすると上司としてレオン隊長まで責任を取らされる。
「閣下のご寛大さ。さすがは元侯爵様ですね。生まれ持った威容に、我ら、ただただ圧倒されるばかりですよ」
レオン隊長が卑屈に見える笑みを浮かべ言った。内心、忸怩たる思いだろう。屈辱よりも、部下に無理をしいざるを得ない状況に腹を立てている。
ふん、とカウス大臣が鼻を鳴らした。
言いながらも、ヒルディの腕をぐいぐいと自分の体に寄せて、その手を体に触れさせる。
「まあ良いだろう。姫騎士の凛々しさに免じて許してやろう」
◇
カウス大臣は疲れた、だとかで、砦の案内を途中でやめさせた。階段を上って上階に行くのが億劫だったようだ。
「では、ホールにて訓練をご視察ください。今回は特別訓練として、隊員たちの立ち合い稽古を披露しましょう」
レオンの言葉に、カウス大臣が、ふむ、と鷹揚に頷いた。
「よかろう。せいぜい楽しませてくれよ」
そういったわけで、隊員たちはホールに集められた。カウス大臣用の席がしつらえられ、その両隣には女性文官が座る。一人が、背後に回り、カウス大臣の肩を揉む。
彼女たちに卑猥な言葉を投げるカウス大臣。
そんな中、ウェスリン砦防衛部隊員たちによる試合形式の立ち合い稽古が始まった。重武装の甲冑姿で剣を使っての稽古。
カウス大臣はつまらなそうに、それを眺め、途中、うっつらうっつらと眠り、あるいは女性文官たちに、なにやらセクハラめいたことをしている。
やがてカウスが大きな声をあげた。
「つまらん。甲冑姿で斬り合いなど、面白くもなんともないわ。兵装を解け。姫騎士よ、そなたの勇姿を見せよ。相手は、年増の副隊長で良いぞ」
審判を務めていたルビーの顔が、またしても一瞬凄みを帯び、すぐににこやかな笑みに変わる。
「承知いたしました、閣下。ヒルディ、前に出なさい」
ルビーが言った。
隅で、できるだけ目につかないようにしていたヒルディが、ため息をついて、隊員たちの間から出てくる。
「聞いた通り。このままやるわよ」
「了解しました」
ルビーがヒルディにしか聞こえないような小声で続ける。
「派手に戦ってるようにやるわよ。どうせ、剣技なんて分からないデブなんだから」
「了解しました」
ニヤリと笑う。
ヒルディの剣技は日々の鍛錬の成果かもあり、砦内でも上位に入る。副隊長ルビーはそんな彼女より格上の存在である。
打ち合わせ通り、ヒルディとルビーの立ち合い稽古は派手だった。剣を、カンカンと何度も打ち合わせ、大振りをかわし、蹴りを放ち、次々と立ち位置を入れ替える。
それにはさすがのカウス大臣も目が釘付けになった。特にひらりふわりと翻る二人のスカートが彼の気分を昂らせた。
「おお、良い。実に良いぞ。この見えそうで見えないところが、素晴らしい」
ヒルディとルビーは長々と一見派手に見えるが、空疎な立ち合い稽古を続けた。
やがて、ヒルディの剣がルビーの首筋でピタリと止まる。
ルビーのアイコンタクトで、ヒルディが勝ちを譲られたのである。もちろん、大臣の機嫌取りのため。
カウス大臣がパチパチと手を叩いた。
「素晴らしい。さすがは姫騎士だ。年増もまあ、思ったより悪くはなかったぞ」
ルビーはにこやかな表情のまま小声でつぶやいた。
「あいつ、ぶっ殺したい」
◇
結局、ヒルディとルビーの立ち合い稽古を見て、カウス大臣は満足したらしい。以後、兵装を解いた者たちが順々に立ち合い稽古を披露していったが、特に文句は言わなかった。
というか、ほとんど寝ていた。
最後に立ち合い稽古をしたレミドとアックス。ここで大番狂わせが起こり、レミドがアックスから一本取った。それに隊員たちが湧いた。
ヒルディも思わず、歓声をあげてしまった。
寝ていたカウス大臣が、ふがっ、と涎を袖で拭い、頭を揺らす。
「ふん、なかなか楽しませてもらった。結構なことだ」
その後、レオン隊長はカウスを隊長室へと連れて行った。自身の席に座らせる。
「貧相な椅子だ。まあ、辺境砦の隊長ならば相応か」
ぶつぶつという。
その目の前に、ルビーが、バンと大量の書類の山を置いた。
「閣下、こちらに目をお通しくださいませ。ここ五年分の砦の決済書の写しですわ」
「馬鹿か。そんなもの見てられるか。このカウス・ジェムドに下級文官のような真似をしろというのか」
「左様でございますか」
ニコニコとルビーが頭を下げる。
カウス大臣が足を机に乗せて書類の山を崩した。
「それよりも、姫騎士を呼べ。足が疲れた。姫騎士にマッサージをしてもらいたい」
「マッサージならば私がいたしますわ、閣下。マッサージは得意ですから」
ルビーが指をバキバキと鳴らしながら言った。
「年増はおよびではない。姫騎士を呼べ、姫騎士を」
カウス大臣がわめく。嫌がらせのように、机に散乱した書類を、さらにまぜ、どかす。
「ところで、閣下。今回のご視察ですが、後ほど私の方から陛下に内容の報告をせていただきます。ご了承ください」
レオン隊長が言った。
ちゃんとやらないと告げ口するからな、と釘をさしたのである。
「そ、そんな必要はあるまい。陛下へは貴族大臣たる私から報告するでな」
カウス大臣が言った。少し怯んだ様子だ。
「いえいえ、ご存じかと思われますが、陛下は単一の報告というものをお嫌いでして。公平をきすため必ず、二方向からの情報を得ようとされます。それを怠れば、なんたる怠慢か、とお怒りになられましょう。その類は、ご視察にいらした閣下にも及ぶかもしれません」
「……ふん。一兵卒が陛下の御威光をかさにきおって」
カウス大臣が不機嫌顔で言った。
それでも、レオンの刺した釘はそれなりに効いたらしい。一応、さっさと書類に目を走らせていった。実際は、ほとんど読んでおらず、形だけのものであったが。
一時間ほど、そんなことをしただろうか。
「もう、肩が凝ってかなわん。体調が崩れたため、これにて終了だ」
ダランと椅子にだらしなく座る。
女性文官たちが、いそいそと彼の肩や腕を揉む。
「では、少し早いですが夕食といたしましょう。食堂にて準備が整っています」
だらしない顔で女性文官たちのマッサージを受けていたカウス大臣が、閉じていた目を薄っすら開けた。
「隊員の話が聞きたい。姫騎士を私の隣に座らせろ。これは絶対だぞ」
何度もしつこく言ってくるので、レオン隊長もルビーもどうにもならなかった。
「ごめんね、ヒルディ。隙をみて気絶させるから。それまで耐えて」
ルビーがヒルディに耳打ちする。
「い、いえ。大丈夫です。ただ、お酒をつげばいいんですよね。それくらいなら、問題ありません」
ヒルディは気丈に言った。
ルビーなら本気で大臣に当て身を食らわせかねない。
「大丈夫ですから。無茶はやめてくださいね、先輩」
「そう? やっぱり闇に紛れて背後から殴った方がいいかしら。鈍器で」
「先輩」
そういったわけで、食堂では隊員たちの座る長机を見渡す位置にある特別席にカウス大臣がつき。ヒルディとレオン隊長が両側についた。
食事前にカウス大臣から視察についての総評がされた。
内容はというと、いかにウェスリン砦が田舎で、辺鄙で、元侯爵という身分の自分がどれほど面倒な思いをしてここへ来たのか、ということと、砦の汚さと不便さをあげつらったものであった。
隊員たちはイライラとしながらそれを聞いていたが、カウス大臣の隣で身を固くしているヒルディを見て、誰もが申し訳なさそうな気分になった。
ちなみにカウス大臣の随員の女性文官たちは彼の背後に立っている。そのうち一人の姿が見えないのは、カウス大臣に代わり、書類の確認をしているためである。
カウス大臣の食事は一般隊員に比べて豪華なものであった。本来なら同じものを食べなくては視察の意味が無いのだが、どうせ食べるわけがない。作り直せと言われるのがオチである。
それでもカウス大臣は不満顔で文句を垂れた。
「期待はしていなかったが。ここまでとはなあ。まあ、仕方があるまい。腹を壊すというほどひどくもないだろうしな」
それから、右隣で姿勢正しく座っているヒルディに目を向けた。
「まあ良い。姫騎士よ。酌をせい」
「はい、閣下」とヒルディは立ち上がり、カウス大臣のグラスに、彼が持参した高級酒を注ぐ。
と、瓶を持つ手が一瞬、大きく揺れた。グラスのふちを叩く。
カウス大臣の手がヒルディの尻を撫でたのだ。
「……」
ヒルディは身を固くしたが、なにも言わずに酒を注ぎ、席に戻った。
「くくっ、さすがは姫騎士。しまっておるわ」
カウス大臣がヒルディに顔を寄せて言った。
「そなた、男は知っておるのか?」
「なんのことをおっしゃられているのか分かりませんが」
「ウブよのう」
言って醜悪に笑った。
レオン隊長はなんとか注意を自分に向けさせようと、様々な話題を向けるが、カウス大臣はひたすらヒルディに絡み続けた。
ヒルディに強引に酒を飲ませ、自分の酒を注がせる際には体を触る。
見かねたレオン隊長が、ヒルディを下がらせようとすると、カウス大臣がいきり立った。
「この侯爵たる私の振る舞いに文句があるというのか。貴様の男くさい顔など、見たくはない。下がれ、下郎」
レオン隊長は引き去らざるをえなかった。
隊員たちの怒りはもはや爆発寸前である。これ以上、自分が大臣から罵られれば、無礼を働く隊員が出てくるだろう。
そんなレオン隊長に近づいたルビーが耳打ちした。
「もうそろそろ、薬が効いてくるはずです。堪えてください」
実はカウス大臣の食事には睡眠薬を仕込んである。酒量もあいまって、ほどなく効いてくるだろう。
と、その時、悲鳴が起こった。
ヒルディが胸を押さえ、泣きそうな顔をしている。
「その反応、初々しいのう」
くくくっ、と笑うカウス大臣。立ち上がり、ヒルディに近づくと顎に手をかけた。
「気に入ったぞ。姫騎士。このようなむさくるしい場所などに、もったいない。ともに王都へ来い。私の元で働くとよい。もちろん、夜はその体で奉仕するのだぞ」
「わ、私は、そんな……」
その時だった。
カウス大臣が吹っ飛んだ。
机の上にレミドが立っていた。机に飛び乗った彼がカウスを蹴ったのだ。
「汚ねえ手で触ってんじゃねえよ、クズ野郎が」
床に転がるカウス大臣を睨みつける。
「てめえ、ごときが触っていい人じゃねえんだよ、クソ大臣」
さらに飛びかかろうとするレミドの足をヒルディが押さえた。
「ダメ、レミド君、ダメよ。それより、逃げて」
「レミド」
レオン隊長の大声。レミドに目で逃げるよう促す。
レミドが床に転がり、悶絶している大臣を見て、それからヒルディを見る。
目が合った。
レミドは机を蹴って、床に降りると、そのまま走って食堂を飛びだしていった。
「な、なにをしておる。追え、狼藉者を追え」
カウス大臣がかすれた声で怒鳴る。
「ただではおかんぞ。ただでは。拷問の果てに、その首、叩き落とす」
だがもちろん隊員たちは動かない。
カウス大臣の随員の女性文官たちが困ったような顔で立ち尽くす。
とレオン隊長が動いた。
「なにをしている。全員、レミドを追え。大臣に対する暴行など、あってはならぬことだ。ウェスリン砦防衛部隊員として、為すべきことをなせ」
大声で隊員たちに命令する。声は緊迫していたが、カウス大臣に見えぬところで、ウィンクしていた。
隊員たちが動いた。さっと席を立ち、通路へと勢いよく駆けていく。もちろん、誰もレミドを捕縛するつもりなどない。
その間、ルビーがカウス大臣の介護に当たった。
「閣下。お怪我はありませんか?」
「あるに決まっているだろうが。あの小僧、侯爵たる私を蹴りおったのだぞ。体中が痛い」
言いながらも上着を脱ぐカウス大臣。
「なにをしている姫騎士。私の手当てをせよ。あの小僧、絶対に許さんから……」
そこでカウス大臣の言葉は途切れた。
解放していたルビーが女性文官たちの死角をついて、カウス大臣のうなじに手刀を打ち込んだのだ。
ガクリと頭を垂れて気を失う。
「まあ、貴族大臣閣下が気を失ってしまいました。お酒を召して、興奮したせいでしょうね。隊長、無理に起こすのはよくないかと思いますけど」
「そうだな。このままお休み頂く方が良いだろう。部屋にお連れしようと思うが、問題ありませんかな」
レオン隊長が、随員の女性文官二人に言った。
飾りだけの女性文官たちは、おろおろとして答えない。
もう一度、レオン隊長が問うと、その迫力に押されるように頷いた。
「ヒルディ、あなたも早くレミド君の捜索に当たりなさい」
ルビーが言った。
「ぼおっとしている場合ではないでしょう。大臣閣下を蹴飛ばしたのですもの。レミド君を捕まえて、それから……ねっ」
最後は小声で言った。
「そうだ。貴族大臣閣下に暴行を働いたとなると、ただではすまんからな」
レオン隊長が言った。
ヒルディはレオン隊長とルビーの顔を交互に見た。二人は目でヒルディに語っていた。レミドを逃がせ、と。
「そうだ。重要なことを言い忘れていた。レミドが大臣閣下の荷物を盗んでいくかもしれん。貴重な品々を盗られれば、それこそ、大臣閣下に面目がないな。ヒルディ、先に賓客室へ行き、それらの確認を頼む」
レオン隊長が言った。
「万一レミドが逃亡する場合、路銀の足しにされるかもしれんしな」
「はいっ」
ヒルディは食堂を飛びだした。
そのまま、まっすぐにカウス大臣に割り当てられた賓客室へ向かう。途上、仕草だけは忙しそうで、その実まったく動いていない隊員たちとすれ違う。
「厩に行ってるかもしれんぞ。逃亡するなら、馬が必要だからなあ」
「アックスが厩に行ったらしいから、任せてもいいよな」
「ああ、アックスなら、安心だ。なんなら君も行ってみるといい」
そんなことを教えてくれる。
ヒルディは賓客室に行き、カウス大臣の荷物を確認。金貨などを拝借すると、すぐに部屋を飛びだして、厩に向かった。
緊急事態だと言うのに、ヒルディの胸はひどく高鳴っていた。
もう、とっくに覚悟は決まっている。
厩の側でアックスに会った。
「中にいる。分かっているだろうが、君を待っている」
礼を言い、駆け出すヒルディ。アックスが呼び止める。
「私は君の選択を尊重するつもりだ。後悔のないようにな」
「うん。ありがとう、アックス」
砦の他の隊員たち同様に、アックスもヒルディが覚悟を決めていることを見抜いていた。
ヒルディは厩に飛び込んだ。
レミドがいた。
轡と鞍を付け終えた馬の側でたたずんでいた。すでに厩の中は暗く、彼の表情は見えない。
「レミド君」
ヒルディは近づいた。
心臓が、もはや痛いほど暴れていて、声も震える。変な汗が出てくる。
「マジ、良かったっすよ。最後に姫騎士先輩に会いたかったっすから」
「最後……。逃げるのかい」
ヒルディの声が硬くなる。
「そりゃあまあ。あんなクズを蹴飛ばしたせいで、牢に入れられるなんてまっぴらっすからね。特にこの国に未練もありませんし」
いつもの軽薄な口調。だが、そこに寂しさが滲んでいた。
「未練がない? そう……」
ヒルディはさらにレミドに近づいた。
レミドの表情が分かった。
ひどく真剣で、軽薄さの欠片もない顔をしていた。
「皆さんにはよろしく言っておいてください」
レミドが頭を下げる。
二人は、もはや数歩という距離だった。
レミドが、目に焼き付けようとするかのように、ヒルディを見つめる。
「やだ」
ヒルディは言うと、一瞬でレミドとの距離を詰めた。
真剣勝負ならば命を奪っていただろう、見事な踏み込み。虚をつかれたレミドの唇を奪っていた。
「ひ、姫騎士先輩……」
レミドが呆然とヒルディを見る。
「私も連れていくべきでしょう? レミド・フォビオン」
ヒルディの顔は真っ赤になっていた。
レミドが片手で顔を覆う。
「マジっすか。マジで」
口元がぷるぷると引きつっている。
「私が相棒じゃあ、不服?」
ヒルディはレミドの手を顏からどかした。
泣き笑いのような顔があった。
「俺、こんなんっすよ。俺なんかに、ついてきちゃあ、マジ、後悔しますよ。絶対」
「大丈夫。私がフォローするから。それに、レミド君。君についていかなかったら、そっちの方が後悔するんだ、私は」
あ~あ、とレミドが髪をかき回した。
「こんなん、無理に決まってんじゃん。姫騎士先輩、マジ、可愛すぎるだろ。反則っすよ」
レミドがヒルディを抱きしめた。
強い力で、痛いほどに。
「マジで、連れてくからな。今更、ムリとかないっすから」
「うん、言わないよ。そんなこと」
「だけど、相棒ってのは違うっっしょ。恋人でしょ」
「……うん、それはそう」
二人は見つめ合い、唇を重ねた。
◇
「一体、どういうことだ。貴様ら、何をしている」
カウス大臣がバンとテーブルを叩いた。
賓客室のテーブルセット。でっぷりとした巨体のせいで、繊細な意匠が凝らされた椅子が今にも壊れそうだ。
「本気で捜索しているのか」
カウス大臣の前に起立しているのは、レオン隊長とルビーである。
表情だけは、いかにも申し訳なさそうだ。
「面目ございません。どうやら、昨夜のうちに国境を越えたようでして。そうなると、我が隊もむやみに捜索に向かうというわけにも行きませんからね」
レオン隊長が言った。
「この私に乱暴狼藉を働いたのだぞ。この侯爵たる私に、だ」
「あははは、元侯爵ですわ、閣下」
ルビーが言った。それから、コホンコホンと咳をする。
「失礼しました」
「私は陛下より任命された貴族大臣だぞ」
「そうでしたねえ。ところで、御随員のレイティス殿はどちらへ? 寝室にはおいでにならなかったようですが」
「知らん。あれは、無理やりついてきたのだ。私のものではない」
「そうですか。ところで、閣下。こんな噂を知っていますか。貴族省とは、王国に無用な者を捨てるためのゴミ箱として陛下が設けた部署だとか」
「……ふん、世迷いごとを。ずいぶん、不敬な噂ではないか。それを口の端に乗せる貴様もまた不敬よ」
カウス大臣が言った。
「それで。そのくだらん噂がどうしたというのだ?」
そこでドアがバンと大きな音をたてて開いた。
カウスの随員の一人で、昨夜、食堂には居合わせなかった女性文官レイティスだ。
彼女は昨日着ていた女性文官の制服姿ではなかった。赤いフロックコートに、白のマントを羽織っている。その後ろにカウスの護衛の者たちが続く。
「レイティス、なんだ、その姿は」
カウスが目を丸くして、レイティスを見る。
レオンとヒルディがレイティスの前にひざまづいた。
レイティスはカウスの前に立った。鋭い眼差しをカウスに向ける。服装もそうだが、雰囲気からして、昨日の彼女とはまるで違う。
丸眼鏡をくいっと指で持ち上げる。
「陛下の完全代理官たる私を前に、なぜ、貴公はひざまづかぬ」
レイティスが凍てつくような冷たい声で言った。
「な、完全代理官、だと。どういうことだ」
「カウス閣下。我が国において、純白のマントを羽織れるのは陛下ただお一人。そして、陛下の分身たる完全代理官だけです」
完全代理官。それは国王の完全なる代理を務める者。完全代理官の言葉は、そのまま国王の言葉であり、完全代理官の決定は国王の決定である。
グランド王国においては、主に役人や軍人の監察役を務め、不正を正す。
「もう一度聞く、ひざまづかぬのか、カウス・ジェムド貴族大臣」
カウスが椅子から転がるようにして、床に降り、ひざまづく。嫌な予感がして、脂肪たっぷりの丸い顔に、冷や汗がダラダラと流れる。
「此度のウェスリン砦でのそなたの振る舞い。グランド王国が大臣として、あまりにも不相応。怠慢、横暴、暴虐。よって、そなたを、貴族大臣から罷免する」
「なにを……そんなことが、許されるものか」
カウスがいきりたつ。
「私は元侯爵だぞ」
「だからこそ、陛下はそなたを貴族大臣に命じたのだ。その信頼を裏切ったこと、許し難し。今やそなたは、侯爵でも大臣でもない。どこへなりと行くがよい」
「き、貴様」
カウスがレイティスに襲い掛かる。
レオン隊長とルビーが、同時に動いた。
レオンはカウスの腕をつかみ、ルビーが見事なハイキックで、頭を蹴飛ばす。
カウスは白目を向き、巨体が、ずるりと崩れた。
貴族省、そして貴族大臣。それらは、元上級貴族を処分するための部署である。何事もなく務めあげればそれでよし(大した仕事はないが)。能力によっては、他の省へと移動になることもある。だが、その大半は不正や怠慢によって処分対象となるのである。
「完全代理官殿。昨夜、カウス大臣に暴行を働いたレミド・フォビオンについての処遇はいかがいたしましょう」
レオン隊長が再びひざまづいて言った。
ルビーも同様に再度ひざまづく。
「非はカウス・ジェムドにあり。よって、不問」
「はっ」
レオン隊長とルビーは深々と頭を下げた。
◇
レオン隊長は、レミドに、大臣暴行の件が不問になったことを伝え、ヒルディともども呼び戻すつもりであった。
だが、
ウェスリン砦から何度となく、隣国アルダンタに捜索隊を出したが、二人の行方はようとして知れず。
仕方がなく、アルダンタ砦や近隣の街にもし二人を見かけることがあったら、と言伝を頼んだ。
二人のことを気に病むレオン隊長に、副隊長のルビーが笑いかける。
「心配しなくても、二人で楽しくやってるわよ。きっと」
「そうだといいが」
「案外、冒険者でもやってるのかもよ」
半年が経った頃、アルダンタ方面からやってきた商人の一行が、レオン隊長宛ての荷物を預かっていた。
「見目麗しい若い男女でしたよ。特に女性の方は、美しくも、こう凛としていて。名乗りはしませんでしたが」
荷物は二着の軍服だった。ヒルディとレミドのものだ。さらに手紙が添えてあった。
それを読んだ、レオン隊長の顔が、ふっ、とほころぶ。
「なんて書いてあるの?」
ルビーが尋ねると、レオン隊長は笑顔で手紙を渡した。
手紙を読んだルビーも笑顔になる。それからレオン隊長に言った。
「ほら、言った通りでしょう。心配しなくても仲良くやってるみたいじゃない」
「冒険者か。楽しそうで良かった。冒険者ギルドを通せば、手紙を送れるかもしれんな」
「う~ん、わざわざ呼び戻さなくてもいいんじゃないの?」
「いつでも帰れると伝えておきたいのさ」
言うとレオン隊長は立ち上がり、窓の外を眺めた。隊長室の窓からは、アルダンタ方面へと向かう一本道が見える。
「このウェスリン砦は、君たちをいつまでも待っているぞ。ヒルディ・オルテン、レミド・フォビオン」
◇
アルダンタ王国南部にあるロジェム街。
アルダンタ最大の港町ルーと王都をつなぐ都市のひとつである。
北の大門をくぐり、街に入るとまずは市場となっており、慣れないものはその賑やかさに圧倒されることだろう。
二人の男女が混雑する市場の人込みを抜けて、目抜き通りへ入った。丈高いレンガ造りの街並みを話しながら歩いていく。
どちらも戦士の装いだ。
男の方は茶色い癖っ毛。黒いシャツの上からベスト型の革鎧を着ている。背中には金属盾を背負い、腰には剣を下げている。
女性の方は金髪碧眼。美しい黄金の髪には編み込みを作っている。
こちらは戦士というよりも、騎士という装いに近いだろうか。赤いワンピースの上に金属胸当て、籠手、脚絆をつけている。女性の挙動に重さが感じられないのは、軽量化の魔法がほどこされているためだろう。
すっと目尻の上がった目に、高い鼻。人目を引く美人でありながら、装いもあいまって凛々しさを感じさせる。
男はレミド・フォビオン。
女はヒルディ・オルテン。
一年前まで、隣のグランド王国ウェスリン砦防衛部隊の隊員であった。
二人がロジェム街に流れ着いて、半年。
現在は冒険者をして生計を立てている。
「てか、マジ、チョロいっすね。冒険者、マジ、チョロいっすわ」
レミドがへらへらしながら言った。
「ダメだぞ、レミド君。そんな風に舐めていたら、痛い目を見るんだから。ここのところ調子がいいのは確かだけど、気を引き締めていこう」
ヒルディが言った。厳しい顔を作っているのだが、どうも厳しくしきれない。
「今はまだCランクだから、どうってことないけど。Bランクに上がったら、今のままじゃあ、厳しいかもしれないし」
「別にこのままCランクでも良くないっすか。そこそこ稼げてるし」
「でも、早く君にもっと良い鎧を買ってあげたいし。住むところだって……」
最後にポツリとつぶやく。
「もっと壁が厚いところがいいな。声が聞こえちゃいそうで、恥ずかしいし」
レミドは、顔を赤らめてうつむくヒルディに、愛おしさが込み上げてきた。
マジ、俺の彼女、超可愛い。
「でも、ランク上げるなら、二人じゃきついっしょ。魔術師と治癒師は必要っすよ。俺、二人っきりがいいっすよ。俺たちの仲に割って入るのは、何人たりともノーサンキューて感じ」
「うん、それは私もそう。君と二人きりがいい」
二人は人通りの多い大通りで、見つめ合った。
「レミド君、好き……」
「俺もっすよ。姫騎士先輩」
二人は人目もまったく気にせず、口づけを交わした。
はあ、とヒルディがうっとりとした顔でレミドにしなだれかかる。
「ねえ、いつまで姫騎士って呼ぶの。私、姫でも、騎士でも、ついでに先輩でもないんだけど」
レミドの革鎧の胸元に顔を付けながら言った。
「いや、姫騎士先輩は姫騎士先輩っしょ。俺のリスペクトの対象。なおかつ、ラブがマックスハートっすよ」
くすっとヒルディが笑った。
「君の言葉はいつも難解だな」
コホン、と咳払いが間近でされて、二人きりの世界に没入していたレミドとヒルディを現実に戻した。
二人が同時に顔を向けると、咳払いをした中年小太りの男性は、呆れた顔をしていた。
「君たちさあ。こんな道端でイチャイチャしないの。せめて、店の中でしなさいよ」
男はロジェム街冒険者ギルドのギルドマスターであった。
「い、イチャイチャ、なんて、そんな、してないです」
ヒルディが慌てて言った。
「そうっすよ、ギルマス。俺と姫騎士先輩の愛は、夜にこそ炸裂するんすよ。マジ、熱いっすから。超燃え上がるっすから」
「レミド君、恥ずかしいから」
ヒルディが真っ赤になってレミドの革鎧をポコポコ叩く。
「ああ、うん、もういいや。とにかく、ほどほどにしてね」
ふう、とため息をつくギルドマスター。それから、あっ、と思い出した。
「そういえば、君たちに手紙が来てたぞ。リーシャに預けてあるから、早めに寄ってくれよ」
「手紙」とヒルディとレミドの声が重なった。
顔を見合わせる。
手紙を寄こす相手など、この国にはいないはずだが。
「差し出し人は、確か、レオンだったかな。お、おい、どうした」
ギルドマスターは、突如、駆けだした二人の背中を呆然と見送った。
それから、首をかしげる。
「店はそっちじゃないだろ」
だが、手をつないで走る二人を追いかける気にはどうもなれなかった。
これで完結です。最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。