まだ届かない
竜胆ちゃんは、相変わらず連撃の回転が速い。回転が速いっていうのは、技と技の間が短く、隙が無いということだ。黒江も〝日本一疾い剣士〟ではあるが、それは必殺の一刀に限りの話だ。これまでと違い、ごく短時間――時間にして一秒かニ票程度――に凝縮された竜胆ちゃんの三連撃、四連撃を相手には、流石に技を繰り出しにくそうにしている。だからこそ相打ちの出鼻技を狙ってはいるんだろうけど、成長した彼女を相手に、まだタイミングを掴み切れていないようだった。
「日下部のやつ、もしかしてやっちまうか?」
「どうでしょう……黒江は単純に、機会を伺ってるようにも見えますけど」
中川先輩の言葉に、私は明確な否定の言葉を返せなかった。きっと黒江は勝つ。それは信じているけど、万が一を予感させる焦燥感。
焦る。何を。
私じゃなく、竜胆ちゃんが黒江を倒してしまうことを。
いいや、違う。
部長に、竜胆ちゃんに……私が必死にもがいている間に、周りのひとたちが黒江に迫る選手に成長してしまうことに。私は何をやってるんだろう。確かに力はついてきているのかもしれないけれど、正直、全国レベルに立ち向かうにはほど遠い。
「ツキィィィィィ!!」
ズドンと、激しい衝撃音が道場に響いた。連撃のさ中に放たれた竜胆ちゃんのツキ。これも、使ってるのは始めて見た。見事に黒江の喉に突き刺さったのを目の当たりにして、胸の辺りがざわりとする。慌てて審判たちの事を見渡すと、主審含む三人とも判定に僅かに迷い、やがて「無効」と両手の旗を×印に重ねた。
一瞬、決まったかと思ったが、浅かったようだ。ツキや片手面など勢いが必要な技は、女子はなかなか取ってもらいにくい。浅い、軽いと、パワー不足を指摘されがちだ。だけど、あと一歩当たり所が良ければ取られていた。それくらいのきわどい一刀だった。
黒江は九死に一生を得た形だったが、どこまでも落ち着いた様子だった。彼女のことだから九死でもなんでもなくって、初めから「浅い」と見越していたのかもしれない。でも、見ているこっちは冷や汗ものだ。
「日下部チャンはまだまだ伸びそうっすね。先輩からしたら怖いくらいっすよ」
熊谷先輩が、半ば引きつり気味の笑顔で語る。竜胆ちゃんのこの伸びしろは、いったいどこから来るんだろう。私と違い、迷わずに一直線だから?
例えば槍と剣みたいに、扱い方の全く違う武器を持とうとしているのが私。それに対して竜胆ちゃんは、剣なら剣とジャンルは変えずに、その中で日本刀やら西洋剣やらの違いを持たせるイメージ。扱い方は違っても、剣であることに変わりは無いから技術の流用は効く。だから習得が早い。
もともと、運動量任せの仕掛け技がトップレベルなんだ。それを活かさない手はない。竜胆ちゃん自身もそれを分かっているから一直線でいられる。自分の才能を知っている選手っているのは、やっぱりずるい。
「勝負あり!」
結局、動きに慣れ始めた黒江が出鼻のコテを決め、一本先取のまま時間切れ勝利となった。黒江にしては慎重な一戦だった。
「黒江、お疲れ」
「うん」
戻って面を外した黒江は、相変わらず「何も変わりません」と気取った様子だった。時間切れ勝利ではあるものの、内容だけを見てみれば、危なげがあったのは竜胆ちゃんのツキが決まりかけた時くらいだ。他は的確に技をいなし、かわし、ロープを引くように少しずつ黒江のペースに取り込む試合結果だった。
「竜胆ちゃんもお疲れ」
少し離れた位置で面を外す竜胆ちゃんにも声をかける。どうせいつもみたいに大げさに悔しがるんだろうなって勝手にたかをくくっていたけど、彼女は静かに面を置いて、頭に被っていた手ぬぐいで顔を覆う。
「まだダメか……」
ギリッと、奥歯を噛みしめる音が聞こえた。ふだんの明るさが取り柄な彼女の様子とは打って変わって深刻な姿にドキリとする。
「竜胆ちゃん――」
「ごめん、ちょっと顔洗ってくるね」
私のかけた声を振りほどいて、彼女は道場を出ていく。残ったのは私の戸惑いだけだった。
それから、竜胆ちゃんとは一言も交わさないまま今日の部活は終わった。様子が変だったせいもあり、声をかけるにかけれなかった。実際のところ、竜胆ちゃん自身も黙々と片づけをして、一足先に帰路へついた。今ごろもう寮についているころだろう。
「鈴音ちゃん」
一方、もやもやと歯切れの悪さで片づけがもたついていた私に、更衣室で日葵先輩が声をかけてくる。他の人たちはみんなシャワーを浴びに行ってしまったので、部屋の中には私と先輩のふたりきりだった。
彼女もまた居心地が悪そうに眉をハの字に下げて、そのまま頭も下げる。
「昨日はごめん。すごく、失礼なことをしちゃって」
あっけに取られて、一瞬頭の中が真っ白になってしまったけれど、すぐに昨日の試合のことを謝られているのだと思い至る。
「ああ、良……くはないですけど、良いですよ。美味しいどんどん焼きを食べたら忘れました」
事実、その通りだから嘘は言ってない。自分の中で整理がついたおかげもあったけど。
「先輩も昨日、お祭りに来ればよかったのに」
「晩御飯、食べられなくなるとお母さんに悪いから。私、小食だし」
「えっ、その身体で?」
「あはは、よく言われる」
苦笑ではあったけど、ようやく日葵先輩の表情に笑顔が戻った。でも、その身体で小食だなんて。成長の栄養も、身体を維持するエネルギーも、いったいどこから来てるんだろう。
「先輩は、試合に出るのが嫌いなんですか?」
変に濁しても仕方がないので、どストレートに聞いてみる。先輩はちょっとだけ躊躇うように息を飲んだけど、やがて静かに首を縦に振る。
「勝負事自体があんまり好きじゃないんだ。勝つことで相手が涙を流すのも、負けて自分が悔しい思いをするのも」
「だから、私にレギュラーを譲ろうとしたんですね」
「うん……でも、今では本当に失礼なことをしたって反省してるよ」
「ほんと、失礼です。譲ってもらったレギュラーなんて嬉しくないです」
「……ごめん」
先輩は、しゅんとして項垂れてしまう。どうやら、本当に反省しているみたいだ。だったら、これ以上責めるのも悪い。スッキリ水に流すのが、謝られてる側のすべきことだろう。
「だから、ちゃんと勝ち取ります。まあ、今の戦績だと勝ち取れるか不安ではあるんですけど……」
今日は白星をひとつ取り返して、通算は三勝四敗一分。残り二戦で両方勝てば、勝ち越しで体裁は取れるかな。問題は、その対戦相手だ。
「先輩って、剣道は好き……なんですよね?」
この際だから、気になることは全部聞いてみることにした。弱みに付け込むみたいだけど、今なら全部答えてくれるような気がしたから。
「ううん、どうかな……続けてること自体は半分妥協っていうか。もはや生活の一部になっちゃったっていうか。そもそも私、自分から剣道を始めたわけじゃないんだ。鈴音ちゃんも知っての通り、ほんとはこんな性格だから、少しは自信が持てるようになるだろうって両親が近くのスポ少に」
「まあ、なかなか自分から剣道を始める人っていないですよね」
そもそも、当たり前に日常生活を送っていたら剣道と出会うことすらない。近所に道場があったり、両親が経験者だったり、友達が道場に通ってたり。とにかく、出会うためのきっかけが必要なんだ。
「じゃあ、たまにキザっぽいのは剣道を続けてたおかげってことですか?」
「え? あ、ああ……あはは、それはねぇ」
先輩が引きつった笑みで視線を逸らす。
「剣道始めたからって、性格が変わるわけはなかったんだ。それじゃあ試合は見ての通りの結果だから、だったらイケイケの自分を演じてみろって鑓水先生が」
「え、先生が!?」
「うん。それが私の一年の時の課題だったんだ」
そ、そうだったんだ。無理してる感バリバリではあったけど、ほんとに無理していたとは。
「それで、結果のほどは……聞くまでもないですね」
「で、でも、確かにここ一番で気持ちを切り替えて頑張ろうって思えるようにはなったよ。無理矢理スイッチを切り替えるっていうか。これも一種のルーティーンなのかな」
キザになることで集中できるルーティーンは、それはそれでどうなんだろうって思うけど。それに、目に見えて効果が出ているようにも思えない。
「じゃあ、試合中もイケイケになってみたらどうです?」
「それも考えはしたんだけど、イケイケで剣道するって状況がよく分かんなくて」
「分かんないですね」
イケメンってどんな剣道するんだろうって考えたら、爽やかに笑いながら剣道する日葵先輩を思い浮かべてしまって、それはないなと笑いがこぼれた。
「とにかく、先輩は先輩のベストを尽くして残りのリーグ戦に臨んでください。私も私のベストを尽くして頑張ります。それでレギュラーを奪えたなら、私も納得してあこや南の名前を背負えますから」
「わかったよ」
先輩は真っすぐに応えてくれた。少しだけ、先輩の頼もしさを感じる姿だった。
「先輩は、明日は中川先輩が相手でしたね」
「うん。中川ちゃん相手なら、全力で戦えるよ」
両の拳を握りしめて鼻を鳴らした彼女は、そのまま「えーっと」と宙を見上げる。
「鈴音ちゃんは明日は誰だっけ?」
「……竜胆ちゃんです」
そして最終日が黒江だ。
竜胆ちゃん相手は、今まで一緒に練習してきた中で、いくらか戦い方のイメージは持っているつもりだった。でも、それが今日の試合でほとんど白紙になってしまった。加えて、編にぎくしゃくしてしまったし……私、ちゃんと戦えるんだろうか。戦うのは良いとしても勝てるんだろうか。いいや、勝たなきゃいけない。
レギュラーの座を手に入れるためには、友人の屍だって乗り越えていかなくっちゃいけないんだ。




