空っぽ
※このエピソードには動物の死に関する残酷な描写があります。苦手な方はご注意ください。
小学生の時から、人に良く揶揄われていた。もしかしたら、家族以外の他人と関わるようになってから、美幸は除け者にされていたのかもしれない。
脳裏に鮮烈に刻まれた出来事は多い。それが小学校低学年だとしても、相手からされたことを忘れることなどできない。一目惚れで、駄々を捏ねて買ってもらった小さな鈴の付いた可愛らしいクマのキーホルダー。
ランドセルに付けて小さな鈴が耳元まで響くのが心地良いと思ったが、それを聞くことができたのはたった一日登校した時だけだった。
自慢をしたわけではなかったが、教室に入った途端、クラスの人達が鈴の音に集まり嬉々としてキーホルダーに目を奪われていた。
「それ可愛い!」
綺麗な音だねと普段話しかけてくることのない人達からチヤホヤされ、嬉しかったが、それでも自慢したわけでも謙遜したわけでもなかった。ただうんっと笑顔で答えただけだったのに……
クマのキーホルダーは下校する時にはランドセルから忽然と消えていた。泣きながら一人探していたら、担任の先生が一緒に探してくれた。
しかし、結局キーホルダーを見つけることは叶わなかった。
下校前のホームルームで失くなったキーホルダーを知っている人がいないか先生が訊ねてみたが、誰もかれもが何も知らなかった。
そんなわけがないのに。
友達だと思っていた人を家に連れてくるといつも自分の物が何か失くなった。テレビゲームも、集めていたビーズのコレクションも、好きだったアニメの魔法少女のステッキでさえも。
両親は電話で友達ではない何者かの親御に電話したが、ウチの子は何も知らないそうですの言葉で終わった。
それから美幸は一人でいることが多くなり、他者との接触を避け、話をすることをしなくなり、ただそこにいたのだった。
心を閉ざすようになってから、陰口を言われることが以前よりも増えた。
目の前で公然と口にされることが常習化されていた。本人がいてもいなくても良い空気の様な存在なら、その場にいたとしても陰口だろうけど。
気に留めないようにとしている内に、思い詰めてしまうことに慣れた美幸はやがて本当に何も感じなくなったようだった。
相互理解しようと思うことがなくなった、だから頷くことで相手に返事していると思われれば良いのだから、億劫になったではない、人の群れから逸れたのだ。
楽しいと誰かが云っていた。何が楽しいのかと興味をそそられることはなく、その言葉が聞こえただけ。
嬉しいと誰かが云っていた。
笑ったその顔を見てなにがそんなに楽しいのだろうと思うことも感じることもないから。
楽しいことがあったのだと理解しただけだった。
悲しいと喚いて泣いている人がいた。
悲しいは少し前までずっと思っていたはずなのに、もう何も思うことはなくなり、見ていないと切り捨てるわけでもなく、関心を持つことを無くしたのだ。
麻痺したと言ってもいいかもしれない。しかし、痺れはない。悲しくて泣いたと理解しただけなのだ。
(※ ここから残酷な描写があります)
道路に猫が飛び出てしまい、車に引かれてしまった時、美幸は悲観することはなかった。
潰された猫の死骸を見ても、
コンクリートの地面に圧し潰され
湖のように広がった赤い血と
スーパーの生肉コーナーに陳列されたような内臓を見ても、
(※ ここまで)
気持ち悪いとは思わず、ただ死んだということを理解しただけなのだった。
だから、人から伝えられた好意の思いに対して、美幸は想いを理解するのではなく、言葉を理解しただけだった。相手から向けられる好意に対しては、全て払いのけ拒絶した。
美幸にとって友人関係と同じで人と接点を、絆、糸を持つことを避ければ、もう自分が傷つくことはない。
だから
だから、自分にはもう何も無く、自分は空っぽになったのだと、ぼんやり思い浮かんだ。
時の流れが季節を変えていこうとも、この気持ちが変わることはない
そう思った――
しかし、空っぽのはずなのに、その中には凍えるように冷たく、透明な冬の涙が輝いていた――