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冬の涙、春の恋  作者: 赤良狐 詠
現代B(夢の奥、記憶の欠片)
10/24

言いようのないモヤモヤ

 熱が完全に下がってからもしばらくは背中に悪寒を感じつつも汗ばんでいた。春はようやく講義に出られるほど回復した。

 気付けば四日間も寝込んでしまっていた。その内二日は美幸に看病してもらった。感謝してもしきれないほどだと思った。


 いつもの席にはいつもの相棒の姿があった。春はにこやかに隣に座って声を掛けた。


「おはようみーちゃん」


「おはよう春、もう体調はいいの?」


 美幸は眉を八の字にして答えた。春は席に座りながら


「もう大丈夫、家にまで来てくれてありがとね」


 と返した。美幸が帰った後もスマホで連絡を取り合っていたものの、色白い顔のままの春を心配しているのだろう。


「無理しないでね」


「わかってる。無理はしないようにする。それでさ、みーちゃん今日、講義は午前中で終わり?」


「まああるにはあるけど必須ではないよ。どうしたの?」


 美幸は表情を強張らせ、それを見た春は目を細めてニヤリとした。


「じゃあ、今日、またみーちゃんの行きつけの店にランチ行かない?」


「うん、いいよ」


 美幸はそう口にして覚悟を持っていた表情を緩ませ、胸を撫で下ろした小さな笑みを向けてくれた。


「あとね、一応これ。うちの鍵、預かっておいてくれない? 今年は特に酷いから、また、みーちゃんの助けを借りるかも。大丈夫」


「うん、分かった。気にしないで。私は春を……」


 美幸はきっと「守る」と言いかけてやめたのだろう。この間のレストランでの一件があり、ためらって言い辛かったのだ。


「知ってるよ」


 春はそっと微笑んで少し間を置いてから続けた。


「みーちゃんは本当にわたしの特別な友達」


「特別」という言葉にぞわぞわした妙な感覚が襲った。特別という言葉に鈍った心がかき乱される、そんな気がした。


 講義を終えた二人はレストランへと歩を進めた。春は病み上がりではあるものの、また美味しい料理を食べたいという欲求には抗えなかった。

 お店についてから美幸は店内の混雑具合を外から確認した。お店に着いた頃には13時を過ぎており、遅れてランチを取っている数人のお客さんがまばらにいるだけだった。


 二人が店内に入ると扉に備え付けられたベルの音で、静江は前に来てくれ時と同じ笑顔で出迎えてくれた。


「いらっしゃいませ、あら? 美幸ちゃん春ちゃんまた来てくれたのね! お好きな席へどうぞ」


「ありがとうございます」


 美幸は慣れた店内をするすると歩いて、前に来た時と同じ、表の通りが見える小窓が並ぶ革のソファーの席に向かい合って座った。


「今日は何にしようかなー」


 病み上がりなので、消化にいい物を食べようと思っていた春だったのだが、写真付きのビーフシチューに垂涎な気持ちが沸き上がってきたのでそれに決めた。


「みーちゃんは今日何を頼むの? 私ビーフシチューにする」


「私は明太子パスタにする」


「どれどれ――あっこれか! おお! 結構ボリュームありそう。静江さーん、すみませーん!」


 春が静江を呼んで注文を伝えた。注文際につい先日まで高熱で寝込んで美幸が看病してくれた話をすると静江はサービスということで微笑みながらカボチャスープを食前に出してくれた。


「これは私からのサービス」


「うわぁ! ありがとうございます!」


 揺らめく湯気に溶け込んだカボチャスープの香りを目一杯吸い込んでから息を吹きかけた。吐き出した息で湯気は飛散して消えてしまったが、漂う香りはより一層に食欲を掻き立てる。


「あったかい」


 春は喉を通ったカボチャスープの美味しさと温かさにホッと息を漏らした。料理が来るまで二人は必須講義の話をして時間を潰し、テーマパークにそろそろ行きたいという話をした。


 今まで食べた中で一番美味しいビーフシチューだった。口の中で良く煮込まれた肉と野菜が噛まずにとろりと消えていく。拡がるシチューの濃厚な旨味に含まれる酸味と風味に虜になってしまった。


 明太子パスタも一口貰い、今度はパスタを注文、いやお店のメニューを全制覇しようという野望を密かに持ったのだった。


「美味しかったねぇ」


「うん、良かった」


 そう口にした美幸は食後のコーヒーに口を付けた。


「ねぇねぇみーちゃん聞いてよ、そういえばね、嫌な夢を見たの」


「どんな夢なの?」


 美幸はコーヒーをゆっくりと置いてから春の瞳を見つめた。


「それがね、多分男の人なんだけど、その人が私と一緒に歩いてる夢でね、それがすごく嫌だなって思ったの。その人のこと、すごく嫌だって――」


「春、あのね……夢……それ……ただの夢だよ……ね?」


 美幸はこちらから目を逸らして虚空を見つめて口を噤んだ。歯切れの悪い返答に違和感が拭えない。


「みーちゃん? どうしたの? 何か知っているの?」


 美幸は俯いたまま頭を掻いて答える。


「もうこの話はやめない? 嫌な夢だったんでしょ? 無理しない方がいいよ。悪い夢はストレスとか体調不良によってもたらされることが多いから……私も悪夢はしょっちゅう見てるよ。こないだも……あ、ごめん。何でもない……」


 美幸はそこで口を閉じたまま目を泳がせた。無理に話を逸らすのはこないだもそうだったが、今までにもこんな風になったことがあっただろうか。

 何か傷つけてしまうことを口にしたのか。自分のことばかり話し過ぎたのだろうか。


「どうしたのみーちゃん? ごめん……何か悪いことでも思い出せちゃった?」


「ううん、いいの……季節の変わり目、特に冬から春になる時期は特に……色々あるから……うまく言葉にできないけど……もうこの話はお終いにしよ」


「うん……そうだね……でも本当に嫌な夢でさ……話聞いて欲しかっただけ……」


「分かってるよ……ごめん……話聞きたいけど、どうしても今はそんな気分になれないから……」


「うん、大丈夫……」


 それから少しばかりの会話をしてから二人は店を出た。様々な音が混じり合った帰り道の喧騒に押し潰されてしまいそうになる。

 言いようのないモヤモヤが胸に残ったまま、それでも二人は寄り添うように歩いていた。互いに思っている気持ちを伝えぬまま――。

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