Chapter3:富と地位と名声を犠牲にして自由を得る ②
◎
「二件目のバイトはコレだ」
大通りの十字路に着くと、オッサンから『モデルハウスOPEN⇒』と印字されたプラカードを渡された。どこから持ってきたんだよ。
「プラカード持ちのバイトですか」
俺の問いにオッサンはニッと口角を吊り上げて頷いた。
「ご名答。俺は別の地点でプラカードを持つから、ここからは一人で頑張れ」
「プラカードを持って突っ立ってるだけですよね。楽勝です」
プラカードも大して重くないし、一件目のバイトに比べると軽くこなせるな。
――――と高を括っていたのだが。
「モデルハウスってあんたの家?」
妙なババァに絡まれた。恐らく平坂市在住の六十代主婦だ。
綺麗なフラグ回収をどうもありがとうございました。クソが。
「違います」
「あんたの家はどこなのよ?」
「それはまぁ、個人情報ですので」
「まあっ、態度悪い男ね! 近頃の若いのはこれだから……」
なんか、逆ナンを断ったら逆ギレされたような心境なんですけど。
ババァはブツブツ言いながら去っていった。おいおい、モデルハウスも見に行ってくれよ。
唐突に平坂クオリティが発動して辛いです。今回の話は比較的平和だと思ってた時期もありましたが遠い昔のようです。まぁそういう作品だしね、しょうがないね。
それはそうと。
(突っ立ってるだけでも汗が止まらん)
楽な仕事ではあるものの、やはり夏真っ盛りなだけあって、高温多湿の野外は俺の水分と体力を容赦なく奪ってゆく。水も滴る良い男ってか。中卒職なしだけど。
それもきついけど、今は何よりもムカつくのが――
「お前チョロチョロすんなや」
俺の周りに一匹のスズメバチが低周波音を出しながら飛び回っていて不快極まりない。
「労働に勤しむ俺に惚れたのか? 残念だが俺は人間にしか欲情しないんだわ」
そもそもコイツはメスなのか? そして自分で口に出しといてアレだけど、言ってて虚しくなってきた。端から見たら完全にただの危ない輩だ。
「クソッ……刺すならひと思いに刺しやがれっ!」
こうじわじわ攻められるのが一番気持ち悪い。やるなら潔くスパッとやれってんだコンチクショウめ!
スズメバチにテレパシーで訴えかけていると――
「おい、スズメバチは危険だぞ!」
突如目の前に現れたのは、三十代くらいのタンクトップに短パンの細マッチョ男だ。
彼は腕でスズメバチを追い払おうと試みるが、ハチは依然として俺の周りにたかっている。
「もしや、俺の体内ではハチミツが製造されてるんですかね?」
「んなわけあるか! そもそも蜜に反応するのはミツバチだ!」
おどけて軽いジョークをかましたつもりだったが、男は真面目なのか全く乗ってくることもなくマジレスを投げ返してきた。
「それを貸せ! 始末してやる!」
男は俺からプラカードを乱暴に奪い取ってスズメバチに向かって振り下ろす。
が、スズメバチに避けられ、
「いってえぇっ!?」
俺の顔面にクリティカルヒットし、突き飛ばされる形で身体を地面に叩きつけられた。
スズメバチは俺たちを嘲笑うかのようにゆっくりと離れていった。
結果的には男に救われた形にはなったものの――
「す、すまん。怪我はないか!?」
「俺は平気ですけど――プラカードが壊れちゃいました」
プラカードは無残にも持ち手部分がポッキリと折れてしまい、標識部分にも派手にヒビが入ってしまった。
「申し訳ない!! 今すぐ道具を買ってきて直すよ!!」
男は近場の店を目指して全力疾走で消えていった。
仕方がないのでそれまでの間は標識部分を両手で掲げた。
当然腕はめっちゃ疲れるし、通行人からは「スタイリッシュなプラカードですね」と茶々を入れられてしまう始末。
男が道具を持って戻ってくると、ガムテープをぐるぐる巻きにしてかろうじてプラカードの体裁を修復するに至った。うん、本当にかろうじて。
「なぜ、プラカードを持つだけの仕事で濃いイベントが多発するのか……」
どうやら平坂市は俺に安寧を与えてはくれないらしい。ナウなヤングにとっては刺激溢れる街だよね。少子化と若年層の市外流出半端ないけど。
ぼやきつつもプラカード持ちを粛々と続けていると、
「ふむ、悪くない。投資すれば大化けする可能性はあるよ」
「黒杉先生からのお言葉、光栄でございます」
視線の先に見知った面々がいることに気づいた。
市長とミルライク議長が近場の道を歩いている。
その横にはガタイのいい中年男性がいた。
(黒杉って、確か平坂市議会議員だったっけ)
俺がおぼろげな記憶を掘り起こしている裏で、黒杉が街並みを品定めするかのようにあちこちへと視線を巡らせている。
一行は俺には気づかずにそのまま歩き去っていった。
「絡まれなくてよかったけど、なんだったんだ……?」
市政に縁のない俺には首を傾げる他なかった。
頭を切り替えてボロボロのプラカードを持つこと数時間。
心を無にして立ち続けていると、
「ね、ねぇ。片倉くん、だよね?」
ふいにウグイス嬢のような透き通った女の人の声が鼓膜を刺激してきた。
「ウス、自分片倉ッス」
名乗ってから女の人の顔に視線を向けると――おや、この人は以前濁杉橋で見かけたお嬢様先輩ではありませんか。
前回逃げ切ったのにここでロックオンされてしまうとは、いやはや。運命の神様は意地の悪い御前よ。
お嬢様先輩はダークブラウンに染まった髪を風に靡かせて、色形の良い唇を噛み締めていたが決心したように口を開き、
「あのね……! 私――」
「おう片倉。バイト終了の時間だ。お疲れさん」
何か言おうとしていたが、戻ってきたオッサンに台詞を被せられてしまった。
オッサンはお嬢様先輩を一瞥すると、
「おい、お前――」
「…………っ!」
オッサンと視線が合ったお嬢様先輩は目を剥くと、ダッシュで駆け出していってしまった。
「なんだったんでしょうね」
「――さあな」
オッサンは小さくなってゆくお嬢様先輩の背中を見つめながら囁くように返答したのだった。
◎
「闇バイトって聞いたことあるか?」
二つの現場の仕事を無事に終えて再び住宅街まで歩いていると、オッサンが唐突な話題を繰り出した。
「聞いたことはあります」
闇バイト。報酬はいいが、世間一般にあまり認知されていないバイトのことだ。報酬に見合うか見合わないか、仕事内容はドギついイメージがある。
例えば、地下プールで死体処理をする特殊清掃員の仕事。
例えば、夜逃げ屋の仕事。
例えば、大麻の受け子の仕事。
うん、三つ目は完全にアウトだわ。犯罪でお縄を頂戴される事案だ。
「それで、闇バイトがどうしたんですか?」
「おう、それがな――」
オッサンの目の色が変わる。
「まさか――」
俺をよからぬ闇バイトに引き入れようって魂胆じゃないだろうな!?
おお俺はまだお金に困ってないぞ! ハイリスクを背負ってまで飛び込む勇者の心は育まれていない!
「ウチの娘の遊び相手になってほしいん――」
「ひええっ! 命だけはご勘弁をー!!」
俺はオッサンから命からがら逃げ出した。
ウチの娘とか言ってたけど、正体はワニやライオンなんだろ!? 俺の器でどうこうできる相手じゃない! 相手にとって不足しかない!
とにもかくにも、俺は人生で初めて労働で収入を得た。
この一万円ちょいでたっぷりと豪遊し尽くしてやるぜ!
…………虚しくなってきたわ。切ないな。帰ったらすぐ寝よ。
「……ウチの娘と相性良いと思ったのに、残念」