表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ラーディオヌの秘宝  作者: 一桃 亜季
2/39

過去

偽りの神々シリーズ

「自己肯定感を得るために、呪術を勉強し始めました。」記憶の舞姫

「破れた夢の先は、三角関係から始めます。」星廻りの夢

「封じられた魂」前・「契約の代償」後

「炎上舞台」

「ラーディオヌの秘宝」


シリーズの5作目になります。

        ※


 クリスタルドールの異名を持つ、アセス・アルス・ラーディオヌが即位したのは、十五の歳を迎えたばかりの頃だった。


 その頃の総帥であったタリス・アルス・ラーディオヌは、神の氏族には珍しく数十年の執政で病を患い、実際の政権はその正妃であるマリア・アルス・ラーディオヌの家が採ることになっていた。


 マリアはアセスの実母だった。


 漆黒の髪をゆるく波打たせ、それをいつも美しく結い上げていたマリアは、ラーディオヌいちの美女、そしてアルス大陸いちの美貌の持ち主として名高い女だった。


 陶器のように滑らかで白い肌は豊満な肉体を彩り、彼女に抱き寄せられると、いつも甘い花のような香りがした。


 彼女は決まってアセスにこう囁く。


「私の可愛いお人形さん。貴方は何の心配も要らないからね」


 そう言って彼女はアセスの髪を梳く。


 繊細な彼女の手の動きの下で、半日でも一日でもじっとしているアセスだったが、内心では、彼女の言葉も、その胸に抱き寄せられるのも、すべてが嫌で仕方なかった。人形だと称する通り、彼女は我が子を人ではない扱いで溺愛していたから。


 彼女は非常に気まぐれだった。ある日は歌を歌いながらアセスの髪を一日中なでてくれた。しかし、ある日は同じその指で、アセスの目の前で男の首筋や胸元をまさぐっていく。


「おいおい、公子が見てるぞ」


「大丈夫、あの子は何も言ったりしないから」


 「いい子ね、アセス」彼女はこの一言で、いっさいを片付ければいいと思っているようだった。アセス自身、生まれてこの方繰り返される日常だったから、何の感情も表に出さずに沈黙していた。


 ただ何時頃からか、彼女に抱きしめられるその匂いが不快で、抱きしめられている最中は息を止めたり、深いため息をつくようになる。


「私の可愛いお人形さん」


 何時頃からか、人形というものが為される扱いがどんなものなのか、考えるようになる。


 確かにアセスは人形だった。


 感情表現が苦手で、母親に似た陶器のように整った白い容姿。髪の一本も乱れることはなく、楽しみといえば父親が収集した珍しい本ばかりがある書庫で、余暇を見つけては読書することだけだった。


 書物だけがいつも側にあり、本だけが彼の教育を行ったと言っても過言ではない。


 実際マリアはアセスには何もすることを与えなかったし、次期総帥としての知識を身に付けさせようとする養育係すら、側に寄せ付けようとはしなかった。


 ただ自分が可愛がりたいときに、手の届くところに、アセスが居る事を望んでいた。


 この頃、物語というものがアセスのもっとも苦手とする書物だった。空想に過ぎないのか実話なのか、その辺りが曖昧な物語は、アセスに情緒的な質問をいつも投げかけてきた。


 笑う、泣く、喜ぶ、悲しむ、楽しむ、憎む。物語にはそのような感情が常に折り込められていて、一冊を読み終えるころには、疑問符で頭がいっぱいになった。


 中でも一番難しいのが、愛するということだった。

 お母様は私を愛しているーー?


 マリアと自分はいつも同じ寝台に寝ていた。十五になった頃には、マリアが他の男性と寝るときに行うような情事という真似事を、アセスも望まれることがあった。


 アセスは誘導されるまま、マリアに従った。


 そんなとき母親はいつも女だった。アセスの顔を己の白い手で挟みこみ、薔薇色の唇をアセスのそれに重ねてきた。アセスの中にも、動物的な衝動が育てられ、彼女の身体を支配したいと突き動かされる。


 愛するということがこれなのか、アセスには実感が沸かなかった。それどころか、己の母に触れられる度、心の中がひどく泡立つのを感じるようになっていた。


「ああ、アセス。私の可愛いお人形さん」


 息が出来ないほどだった。


 金木犀の匂いにも似た匂い。

 母の甘い匂いにむせ返り、何度も胸元を押さえてうずくまったが、母はそんなアセスに気付かなかった。


 自分の母を、腕の中で抱かれる立場から抱く立場になったとき、アセスは完全に違和感を覚えるようになる。


「貴方をもう、抱くことは出来ません」


 物語のように、これが男女の間に交わされる愛情ではないのだと、……歪みきった親子関係なのだと気がついたとき、初めて表した、断固とした拒否。その頃には母が触れる度に吐き気がした。


 おそらく贅沢の限りを尽くして育った母は、自分自身しか愛することができない女だったのだろう。アセスを引き寄せ、その整った容姿を見つめてくるとき、彼女はアセスに自分自身を投影していた。


 だからこそ、彼女は恐ろしい罪を犯した。


 盲目的に彼女を愛した、ラーディオヌの総帥、タリス・アルス・ラーディオヌの食事に盛り続けた少量の毒薬。彼女は自らの夫を早くに殺め、分身であるアセスを、次期総帥の座に着かせたかった。


 それは母心などでは決してなかったと、アセスは思う。母の自己愛を利用し、重臣達が仕掛けた罠に、彼女はまんまと嵌まってしまっただけだ。


 マリアという女は、夫である現総帥タリスさえ居なくなれば、アセスと彼女だけの幸せな世界が開けるのだと、簡単に口車に乗ってしまうほど、浅はかな、そして生粋の貴族だった。


 真実が明るみになったとき、アセスは完全に母を拒絶した。同じ館に居ながら、一言の会話も交わさなくなった。伸ばされる腕を幾度と無く振り払い、その眼光は日増しに鋭くなっていった。


 荒んでいく心のいく先は、父への謝罪だった。病床につき、日毎に弱っていく父には、申し訳ない気分でいっぱいになった。毒入りの膳が運ばれなくなったとしても、今までの蓄積された毒は彼の身体を蝕み、回復の兆しは見られなかった。


 父は母のせいでそうなったことを知らず、母が部屋に入って来るのを、毎日待ち焦がれているようだったが、アセスは決して母を父の部屋へ入れなかった。


 自分からも、父親からも、とにかく母を遠ざけること。それが知らないが故に犯してきた罪を、母親の分も背負うことに他ならなかった。


 盲目的に信じきっていた相手から拒絶された女は、寂しさを紛らすために、以前にも増して、自分のことを誉めそやしてくれるだけの男性との関係を深めていく。それが必然であったとしても、アセスは見て見ぬ振りを続けた。


 月のさやけき夜だった。


 父親の命が尽きようとするそのとき、アセスは実行した。いや、きっかけは、今となっては判らなかった。ただ実行しなければならない状況がそろってしまったのは確かだった。


 これ以上、政権が混乱しないように。これ以上母の罪が大きくならないように。

 その手の言い訳は、何年も後で、自らの精神の保身のために、幾度となく用意することになる。


 しかしあの夜、満月の中で起こったことは、狂気以外の何物でもなかった。

 何人もの刺客がアセスを取り囲んだあの夜、駆けつけた母の寝室にはよく見知った重臣が居た。


「もういいのかい? 公子のことは」

「あれはもう要らないわ」


 白くて細い身体を、男の身体に絡めながら、いつものように酔いつぶれる母の寝室に、アセスは凍りついた表情で立っていた。


 寝こみを襲われ、無数に切りつけられたアセスの身体からは血が流れ、床にはその血が滴り落ちる。


 自分はなぜ母の寝室に来たのかわからなかった。逃げ込んだのか、あるいは母の身を案じたのか、――本当に、ただわからなかった。


 咄嗟に母の寝室に入り込んだアセスは短剣を手にしていた。刺客から身を護るために、闇雲に振り回した短剣は、相手の血なのか自分の血なのかわからないほど赤く染まっていた。


 そしてマリアが「要らない」という言葉を発したとき、アセスは持っていた短剣を硬く握りなおした。

 瞬間、刺客に切り付けられた傷口がひどく熱を持ったようだった。


 これ以上はもう。


 それは怒りなのか、悲しみなのか、諦めなのか、感情を持つことを苦手とするアセスには、よくわからない衝動が突き上げてきて、アセスは驚愕する母親の胸元に走りよって、抱きしめるように短剣を突き刺した。


 顕になる白い乳房から、血しぶきがあがる。咄嗟のことに声もあげられず、深々と刺さった刃が呼吸すら止めてしまったのか、マリアは痛みに眉根を寄せた。


 驚いた重臣が武器を手にしようと寝台から転げ落ちる。アセスはその背中をすかさず捕らえ、馬乗りになったあと、迷うことなく首元に白い閃光を走らせた。鮮血が飛び散り、無表情なアセスの顔が真紅に染まる。


 もうこれ以上。


 罪を重ねないでください。


 支配しないでください。


 他の男に抱かれないでください。


 どの言葉が続くのか、あまりにもドロドロとした感情がアセスを支配して、何度も何度も短剣を振り上げる。


 衝動の波が去って、辺りが見えはじめたころ、襲ってきた刺客の死体、母の死体、母と寝ていた男の死体が転がり、ラーディオヌ邸は血の海だった。


 あまりの惨状と血生臭い匂いに耐え切れずに、アセスはその場を逃げ出した。何処へ逃げても暗い闇ばかりが続くようだった。


 事後は他の重臣達によって、時期総帥のアセスを護るため早急に処理された。マリアと一部の重臣が謀反を起こし、総帥とその子供まで惨殺しようとしたと結論づけられることによって。


 アセスが実母を殺したこと、たった一人で死体の山を築いたことなど、詳細はその後貴族の一族の館で、永遠に黙殺されることになる。


 しかし、事実はおそらくそんなものではない。


 アセスを襲った刺客は、母が差し向けたものといった物的証拠は出てこなかったし、母の男だった重臣が王家に謀反を起こした証拠すら出てこなかった。


 何よりもアセス自身が知っている。 


 たとえマリアが「要らない」と言ったところで、彼女自身がアセスを襲わすことは在り得ない事だった。彼女はお気に入りの人形を捨てるように、ただ要らないと言ったに過ぎない。父の膳に毒薬を盛ろうとも、それはそうするのが彼女にとって良いことだと言われたからに過ぎない。それほど世俗に塗れることのない女だった。


 もうこれ以上、わたしを無視しないでください。


 一番言いたかった言葉は、彼女が居なくなり、ついに言えないままとなった。


 ひっそりとした母の葬儀が終わると、後を追うようにして、タリスまでが息をひきとった。


 あんな母でも、父はよほど彼女を愛していたのだろう。そして自分自身も、あんな母でも未だ忘れることができない。


 鏡の前で、母から受け継がれた整った容姿を見るたびに、アセスは彼女の最後を思い出す。その身を総帥になる儀式の衣装にやつして、アセスは僅か十五歳で一族を背負った。



「ラーディオヌの秘宝2」:2020年10月19日

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ