どうしてこうも
「え、ネリがいない?」
お使いから戻ると、途方もない厄介事が待ち受けていました。
道理で王宮中、落ち着きのない雰囲気に包まれているわけです。
何となく、嫌な予感がして急いて主人の下に戻った自分はなんて勘の働く男だろう。
……と、自画自賛はともかく。
呑気そうな顔でいながら、従者の心中は大変大荒れでした。
「えっと、因みにいつからです?」
「5日前だ」
「……」
いつもの能天気な表情が、一気に削ぎ落されました。
ネリは子狸ですが、お利口さんな狸です。
こんな風に誰かを心配させるようなことを仕出かす子ではありません。臆病な質だから一人で王宮の外に行こうとなんてするはずもないし、となれば……考えられるのは誘拐。
しかし、その理由はなんでしょう?
食材として持っていかれたという可能性だけは、今、絶対に考えたくありません。
いや、その可能性が高ければ、領主さまがこんなに落ち着いているはずはありませんが。
「お前が戻ってくるまでに、此処に出入りした人間を洗い出した。怪しい行動や、荷物が増えた者はなかったか。門兵にも確認して、ようやく犯人と思しき人物が浮上した」
領主様の言葉を聞きながら、従者は先ほどの自分の言葉を否定しました。
目の前に座る主人は、落ち着いているように見せているだけで、全く落ち着いてなどいません。
血走った眼が彼の心情を如実に語っていました。よくよく見れば、強張った表情と相まって、その顔はいつも以上の凶相です。
そんなことにも気が付けないのだから、従者の動揺も相当のものです。
本当ならこんなところで、じっとしていたくはないでしょう。
ですが、彼は女神さまの住む領地の領主です。
ネリの誘拐目的がわからない以上、昔から王様以上に命を狙われてきた彼の安全を、王様が一番に確保しようとするのは当然のこと。王命という言葉だけでは制止力に乏しいと判断され、扉の前や室内、挙句にテラスにまで兵を配置するという強硬策に出られて、止むを得ず、折れた形なのでしょう。
衛兵達は彼の護衛でありながら、最たる目的は領主様の見張りなのです。
流石に彼らをばったばったとなぎ倒すのは現実的ではないと判断して、やれることを優先するくらいの冷静さが残っていてよかったと、領主様がすでに一度暴れたことを全く知らない従者は、少しだけほっとして、同時に臓腑が焼かれるような不快感に鳩尾を押さえました。
「……誰?」
見えない何かに急かされるように、主語も敬語もすっかり忘れて従者は尋ねます。
主人の殺気立った視線さえ、今は生温い。
領主様は机の上に積み上げてあった書類の束から一枚を掴み上げ、彼に差し出しました。
「エルレイド伯爵家」
怒気を堪えた声を聞きながら、従者はそれを受け取りました。思わず、奪い取るような乱暴な扱いに皺が寄りますが、領主様も気にしてはいません。
書面に目を落とす従者に、領主様は決然と命じました。
「どんな方法でも構わん。ラスト。ネリを取り戻せ」
本当ならば自分で助けに行きたい。
ですが、一秒でも早くネリを助けられるならば、助けに行くのは己でなくともかまいません。
自らの従者を信じているからこそ、領主様はネリのことを彼に託しました。
錆浅葱の、ややくすんだ緑青の瞳が書面から領主様へと向かいます。
ただ一言。
「任せて」
そう言い残して。
従者は流れる風のような動きで部屋を抜けると、テラスに配置された近衛達の前を過ぎて、すっと姿を消しました。
「ここ3階……」
「階段使う時間すら惜しかったんだろ」
呆れる衛兵達の視線の先で、飛び降りた従者はすでに馬上にいました。先ほど入ってきた入り口をすごい勢いで出ていきます。
「訓練したらできますかね。あれ」
「やめておけ」
羨望の眼差しでその背を追う後輩を先輩は本気で止めました。
そもそも。王様よりも命を狙われてきた領主様をたった一人で護衛する従者が、普通の従者な訳がないのです。
エルレイド伯爵家のタウンハウスへ全力で馬を走らせながら、従者は頭の中で屋敷の見取り図を広げました。
ネリの居るだろう場所はどこか?
沢山ある部屋の中から子狸の居そうな場所を絞り込みます。
正面から捜査に入りネリを取り戻す正攻法も、領主様の頭の中にはあったでしょう。しかし、それを選ばずに従者に託したのは、なによりネリの安全を考えたから。
素直に差し出せば問題ありませんが、万が一にも証拠隠滅とばかりに、ネリを処分されてはたまったものではありません。
隠密で入り込み、ネリを探し、救出する。
なるほど、領主様の人選は正しい。
自分以上の適任は他にいないでしょう。
従者は元影。それも、王様が王太子時代までは彼の護衛や諜報、影武者までしていた凄腕です。王様の影響で少々軽い性格まで移ってしまいましたが、闇に紛れて、音もなく職務を熟す裏方仕事は、彼の得意中の得意なのですから。
「今行くから、絶対に無事で待っててよ」
絶対に助ける。ネリだけでなく、彼は自分にもそう言い聞かせて冷静さを保ちます。
苛立ちは、焦りの理由は、後悔以外にありません。
なぜ、こんな時に限って領主様の傍を離れていたのでしょう。
血塗れのネリと慟哭に身を震わせる領主様。
あんな悲しい姿、二度と見たくはないのに。
「どうしてこうも、タイミングが悪いかなっ!」
今更言っても何の意味も持たない愚痴を吐露して、従者は柳眉を立てました。
勘が働くならば、こういう時にこそ働いてほしいものだと、忸怩たる思いに歯ぎしりし、従者が屋根裏に忍び込むこと、一時間。
ネリを見つけ出した彼は今度こそ間に合わせてみせるべく、怯えて縮こまる子狸を蹴り飛ばそうとしている男に、怒りの鉄槌を下したのでした。




