失うのはいつだって突然
さて、領主様たちはどうやってネリのことを見つけ出したのでしょうか。
少しだけ時間を遡り、彼らの行動をみていくことに致しましょう。
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散歩に行くネリを見送って、領主様は王様の執務室へと向かいました。今日の話し合いは 国をひとつ跨いだ向こうにある国から届いた支援の要望書、それに対する回答です。
意見を出し合い、あーでもない、こーでもないと、足したり減らしたりした内容を目の前に広げ、一通り目を通し終えた王様はふうと納得した様子で息を吐きました。
「うーん、こんなものかな。これ以上甘やかすのは得策ではないし」
「ええ、この辺りが妥当なところでしょうな」
宰相も相槌を打って同意します。
「異論はないが、線引きはきっちりしろよ。」
甘やかすと言うだけあって、この国からの援助に対し、その見返りは随分と細やかなものです。人の良さに付け込んで、相手が図に乗ってくる可能性はなくもありません。
領主様が釘を刺せば、王様はからからと笑いました。
「わかってる。たださー、死に体瀬戸際の相手をあんまり追い詰めちゃいかんでしょ。窮鼠猫を嚙むとも言うし。踏ん張って踏ん張って、一国で倒れてもらわないとね。巻き込まれるのは御免だしー」
「ええ、それに難民も一気に雪崩込んでくるよりは、じわじわ来ていただいた方が、こちらとしても手は打ちやすいですからな」
辛辣な王様に、宰相も全く同意見のご様子。
どれだけ支援したところで、その国の滅亡は必至。その結果が覆ることはないでしょう。ただ、崩壊の仕方がどのようなものになるのか、それが変わるだけの話です。
「まあ、それを選んだのはあの国の王と国民だし。他の誰の選択でもないんだから、自分たち選んだ結果を受け入れるしかないよね。それが間違っていたと気が付いてもさ」
子供の頃から変わらない能天気な王様ですが、感情に流されることなく冷静に大勢を見極めるその姿は、正しくこの国の為政者です。
領主様もその判断に、否はありません。
この国は女神さまの御座す国。古き神々とともに生きることを望んだ国です。しかし、周囲には神を必要としなかった国もあれば、自分たちの望む新たな神を招来し信仰する国もあります。どのような選択をしようともそれは、その国の事情であり、決意ですから、この国が口を出すことはありません。そして、それは逆もしかり。
実際に他国に口を出させずこの国を守る王様は、食わせ者の一面を持った頼りになる君主なのでした。
さて、根を詰めての話し合いもお終いです。
書類を纏めて壁時計に目をやった宰相は、少し可笑しそうに頬を緩めました。
「おや、ネリ殿のお腹の音が聞こえてきそうな時間ですな」
言われて領主様も時計を見ます。
なるほど、針が示すのはきっかり夕食の時間でした。
正確な腹時計を仕込んでいる子狸のことですから、今頃はきっと、ぎゅるぎゅるお腹を鳴らしていることでしょう。ですが、領主様のお仕事が終わるまではと、必死で食事の誘惑に耐えているに違いありません。
『待て』の出来る子狸です。
ちょっぴり、涎が垂れているくらいは見逃してあげましょう。
ご飯をじっと見つめて固まっているネリの姿がありありと目に浮かび、領主様は小さく笑いました。
王様も笑って「さっさと戻ってやって」と、追い出しにかかります。
領主様は有難くその好意に甘えることにしました。軽く手を上げ挨拶を交わすと、扉を開ける王様の護衛に目礼をして部屋を出ます。
しかし、その足取りは、入口ですぐに止めることになりました。
扉が開くのを待ちわびていたかのように廊下に立っていた人物が近づいてきたからです。
侍女たちでした。不安げな面持ちをしている彼女たちに、領主様は怪訝な眼差しを向けながら、嫌な予感が胸を撫でるのを感じました。
「どうした」
「何々?」
尋ねる領主様の肩越しに王様も首を傾げます。
「ネリちゃんがどこにもいないんです」
領主様の思考が一瞬、止まりました。しかし、王様の近づく気配に我に返り、続きを促します。
「いつもなら夕暮れには絶対帰ってくるのに来ないから、心配になってみんなで手分けして探したんです」
明るいうちからですから2時間近く、手の空いている人たちにも協力してもらい、彼女たちは王宮内の隅から隅まで探しました。それなのに、見つからないのです。
領主様の顔から血の気が引いていきました。
それでなくとも乏しい表情が、さらに仮面のように失われていきます。
彼の脳裏に真っ赤な血に染まり、力なく目を閉じたネリの姿が浮かびました。冷たくなっていった体温までもが鮮明に掌に甦り、悪寒が走ります。
無言で飛び出そうとした領主様の肩を、王様は咄嗟に掴みました。間髪入れず、護衛に命じます。
「ラーシュを確保しろっ!」
領主様が王様の手を払い除ける間に、駆け付けた護衛たちは領主様を押さえ込みました。
「離せっ!」
領主様の口から聞いたことの無いような咆哮が迸ります。
心臓がねじ切れそうな焦燥感に身を焼かれ、拘束する手を振りほどこうとする領主様はまるで獣のようでした。
その力は護衛達が数人がかりでも抑えきれないほど荒々しいものでしたが、領主様はこの国に無くてはならない人です。そして、領主様の大切なものを思う気持ちが理解できるからこそ、彼らは渾身の力を振り絞って拘束を続けました。
王様は、動きを封じられた領主様の胸倉を掴んで血走った眼に無理やり視線を合わせると、彼を怒鳴りつけました。
「落ち着け!むやみに飛び出して行ったところで見つかるもんじゃないだろう!こんな風に感情的になっていたら、見つかるものだって見つからない!本当に王宮内にいないのなら、どこに行った?どこに連れ去られた?何の理由で?考えろ!考えるのはお前の得意分野だろうっ。時間は一刻を争うかもしれないのに、こんな時にお前が取り乱してどうするっ!」
一気に言い切り、一呼吸置いた王様はやるせない表情で続けます。
「見つけ出す。救い出す。全力で協力するから。だから、……頼むから。落ち着いてくれ」
王様の懇願に、領主様の動きが止まりました。
合わなかった視線が、ようやくかち合います。
「ちょっとは、頭冷えた?」
「…………ああ」
じっと見つめられて、領主様はゆっくりと頷きました。
それを見て護衛たちが一人、また一人と離れていきます。最後の一人が腕を離すと、拘束は完全に解かれました。
息を整える領主様に対し、真っ先に動いた王の護衛が首を垂れます。
「ご無礼をお許しください」
「いや、止めてくれて感謝する」
領主様は力なく首を振りました。
精彩を欠き、服も髪も乱れてはいますが、そこにいるのはいつのも領主様でした。
……いえ、いつも通りであろうとする領主様でした。
領主様は額に落ちた前髪をぐしゃりと乱暴に掻き上げて、目を閉じました。
鳩尾の辺りでぐつぐつと煮え立つ不快な熱を、溜息ごと吐き出すと目を開け――――。
冷静に指示を始めます。
「まずはネリの行動を確認しよう。あの子の目撃情報を集めて……。それから、今日王宮に入ってきた者達のリストも欲しい」
静かに見守っていた宰相が、すっと手を上げます。
「そちらは私が手配しましょう。目撃情報については」
「私たちも協力します」
命じられるのも待たず、護衛たちが名乗りを上げました。
「わ、私たちも、手伝います!」
領主様の様子に怯えて壁際で肩を寄せ合っていた侍女たちも、被せる様に協力を申し出ます。
やる気に満ちた彼らを見て、王様は「もしかしたら、ネリは俺よりも人気者かもね」なんて、内心苦笑したくなりました。だと言うのに、そんな軽口も叩けないこの状況が何とも腹立たしく思えて。
王様は大至急ネリを見つけようと思うと同時に、こんなことをした相手をただでは置かないと心に決めたのでした。