オレンジと帰り道
昔から帰り道が好きだった。
友達と変なことで盛り上がりながら、歩けたあの道のりが私には甘いたい焼きとは違った形で愛おしく感じた。歩いてる時だけ感じるその愛おしさはやっぱりのことながら友達や自分の世界に入れるからで、その道自体には愛着がない。
言わばその時間が私にとって安らぎの時間だった。
三叉路の訪れは友との別れ。
偉い人が言えばコーヒーのようにコクの深いお言葉にでもなる一言だが、私の場合はそのままの意味にほかならない。学校から三叉路までの距離は丸々20分もかからない。その間に言いたいことや語らいたいことのすべてを吐き出し、三叉路手前でまとめなくてはいけない。
実に巧妙に時間を合わせ、長くも短くもないタイミングで三叉路の前まで訪れることはそう簡単ではないが、年月がそれを可能にした。
別段私はその三叉路が嫌いだというわけではない。Y字に広がった道は一方は広い車道へ、もう一方を寂れた公園手前まで。
悲観することではない。
終わりのない帰り道なんてそれこそ地獄のようにも感じる。目的地があるはずなのにたどり着けず、必死になってえっちらおっちら走り回る。そんなことよりかは、アニメ程度の長さで話せる時間があればそれでいい。
あとは自分の世界にふけるだけ、自分以外の誰もいない隔絶された世界で夜は何をしようか、明日はどうでしようかなんて青春の1ページを光らせることに力を入れる。
賑々しくはなくただ長々しい一人語りに結論づけるなら、私の持論は【終わらない帰り道はない】ということ。もしあればそれは本人が気づくことなく迷子になっているだけ。そう思う。
というわけで、結論までやっとこさついたわけだが何人残っただろう。
いや、こちらの話。
それでは本題に入ろう。
「ここはどこなのさーー!!」
一体全体皆目見当も付かない。叫べども鳩の一羽、人っ子一人出てきやしない。都会のど真ん中の隅にある三叉路の延長線上だというに、一体何ゆえゴーストタウンのように静寂を保っているのだろうか。
右往左往とさながらトムアンドジェリーの逃げ果せるジェリーのように走り回った。
行けども行けども三叉路は見えてこない。まるで迷宮にでもいる気分になる。ちょっと戻って考えようと、二路三路戻ってみたがそこはもう別の街のように違う景色が広がっていた。
「怪奇現象だよ……」
私の最も苦手とするところの一つ、弱点のない敵が現れた。こういうタイプの迷宮怪異は絶対に帰れないことで定評がある。異世界エレベーターにせよ、神隠しにせよ自力で脱出する方法はない。
これが神隠しであることを祈りながら、私は帰れない帰り道を歩き出すのだった。
不思議なことにこの世界、この帰り道の世界ではいくら歩いたって疲れることがないようだ。これに関しては歩くことだけであるらしく、走ればさも当然のように横っ腹が痛む。
いったい何が違うのだろうと考えていると思いついた。
きっとこれは普通に帰ろうとすることと急ごうとすることの差なんだ。
早く、早くと考えるだけで歩くのすらも少し疲れが湧いてくる。逆に急ごうと思わずに走ればそれなりのスピードを体力を使わずに出せるみたいだが、やはり邪念のようにチラつく私の脳内スピードメーターが邪魔をする。
ゆったりと歩いていると5時のアナウンスが街全体に響いた。夕陽によって照らされたカントリーロードは太陽と同じオレンジ色を燃えているような陽炎とともに鮮やかに色づいている。
「綺麗…」
コンクリートの道路に対して感動を覚えたのはいつぶりか、思わず足を止めそうになるが変えるためにひたすら歩かねばならない私にはこんな風景もどんな情景も今はかなぐり捨てなくてはいけない。
美しさに負けず歩を進める。
また歩いていると2度目の5時のアナウンスが響いた。ぼーっとしながら歩いていた私を起こすようになったそれは私の意識を完全に覚醒させた。私はいつの間にか秋田にありそうな田んぼ道に入っていた。背高なススキかそれとも稲かは初見ではわからないような金色の海が夕日に煌めいていた。
またしても心臓が止まるほどの感動で足を止めそうになる。
しかし、それでも、私は足を止めるわけにはいかない。私には帰るべき家があるから。努力を惜しむことはしない。田舎道の侘しさに和むほどの私ではない。
そう思ったとき、金稲穂の海が荒ぶるように水面を嵐のように揺らした。太陽の光はその動きに合わせてグラグラとフラメンコダンサーのように乱反射している。
光のせいで目を開けられず、腕で光を遮った。何度目かの5時のアナウンスが響いた。光が止んだと思い腕を目の前からのけるとそこは夕日に照らされた古い漁村だった。
使い込まれた船が何隻も太い縄で岸にくくりつけられてる。悠然とそこに広がる一次産業の本拠地はとても荒々しく、それでいて勇敢な場所にも見えた。海からは何度も巨大な魚たちが乱舞し、遠くの方で船の影だけが荒れ狂っている。美しい和のダンスだ。
しかしそれを見ても足は止めない。
沿岸に沿って夕日を左半身に際限なく受け、それでも私は帰り道を探す。
そうして幾度となく5時のアナウンスを聞いては山や村や廃墟や水族館や城や地下鉄や月やオリオン座のベルトの星々の間なんかをたどって帰り続けた。
どんなに特異で奇異な道を進んでも絶対に家には帰れなかった。
何度目のアナウンスでも関係なくなるほど時は過ぎ、場所は幾度となく変わった。
歩くだけなら疲れない世界とはいえ、出口のない旅は精神に疲労をためていった。そんな私が休もうとした場所がヨーロッパ風な古民家の中だった。
「家、か…。」
ポツリ一人で言葉を零す。久々に見るテーブルと椅子のセットに懐かしさを感じる。椅子に座って、部屋の中を眺めてみると窓の外には日本では見られないような畑やとんがり帽子屋根の家が入り混じった幻想的な風景が広がっている。しかし、ドアはないのでそっちにはいけないだろう。
そうこう考えてると、隣の部屋のドアのない仕切りからおじいさんがひょっこりと現れた。
「あんた、誰じゃ?」
褪せたオレンジ色の帽子を被り、羊の羊毛で編まれた青いセーターを着ている。その目は向日葵のような黄色にどこか空色が含まれた不思議な目だった。
「勝手に入っちゃってすいません。」
私の意志で入ったわけじゃないが、それでも勝手に家に入られたら、と思いおじいさんに謝罪した。
「いや、いいんじゃよ。そんなことよりあんたどこから来たのかね?」
「どこって…えーっと。」
このヨーロッパの初老の男性になんて言えばいいんだろうか。日本から来ました、とは言ってみてもどうしてその日本の学生がこんなところにいるか不審がられるに違いない。いや、私はここに連れてこられたようなものだ。手前で私の目を覗いてくる男性だって、この不可思議な帰り道の怪異の一つのはず。ならば、私がどこから来たのかも知っているはずだ。
「……私がどこから来たのかはあなたは知っていると思います。それより私は私自身がどうしてこの場所にいるのか全くわかりません。」
「わしはあんたがどこから来たなんて知らんよ。ただあんたが迷ってることだけはわかるんじゃ。」
おじいさんは本当に嘘をついていないと思うほど、純粋な目と穏やかな言葉でそういった。
「どうして私はここに来たんでしょうか。
「わしはなんであんたがここに来たのかわかるよ。あんたがここを作ったんだからね。」
私がここを作った……?
「それってどういう意味ですか?」
「あんたは迷ってる。それなのになぜか足を止めようとしなかったね。それは何故じゃ?」
「それは……歩かないと帰れないし。」
「目的地もわからないまま歩くあんたにあんたの心がそれを拒んだんじゃよ。それがこの世界、安らぎと穏やかな景色をつなげ合わせてできた世界じゃ。」
私はなんで止まらなかったんだろう。考えてみればこの家に車で一歩も止まらなかった。疲れを感じないからといって、なんで万里を私は歩いてきたんだろう。家に帰りたかった、それはあると思う。でも、一回くらい止まっても良かったはずだ。
「……私の心は私に何をして欲しいんですか?」
「わしは知らんよ。全てはあんたしか知らん。もしかしたら、あんたですらわからないかもしれない。でも、それでも、一度だけでいいんじゃ。自分の目的地ばかり見るんじゃなくて、少しくらい立ち止まってくれ。こんな優雅なところじゃなくていい。バス停、公園、花壇、そんなところに一回腰を置いて自分がなんでそうしたいかを考えてくれ。」
おじいさんは私を諭すようにそういった。やがて、おじいさんは腰を上げて私の見えないところに消えていった。私は最後まで不思議なおじいさんの背中をずっと見つめていた。おじいさんは私と2度と目を合わせることはなかったが、私はありがとうと一言言えた。
気がつけば目の前に熱々の紅茶が置かれていた。ミルクと砂糖の入った紅茶のカップを持ち上げると徐々に月光の音色が聞こえてきた。いつの間にか夕日は完全に沈み、窓からは月と静かな海が輝いていた。
5時の、アナウンスが
鳴った。
気がつけば、私は三叉路の分岐路に突っ立っていた。
時刻は現在5時。聞き覚えのあるアナウンスがちょうどしり切れとんぼのように消えた後だった。何故か今日は家に帰って受験勉強するより息抜きをしたい気分の方が優っている。最近の禁欲生活のせいか、慣れたと思っていた分余計不思議だ。
「まぁ、しょうがない!今日は遊ぶぞ!」
目標時間を7時に決めて、私は三叉路の広い車道に続く道を駆け足気味に歩き始めた。
あなたの帰り道の長さはいかほどか。
帰るタイミングによっては短くも長くも感じませんか?
なぜでしょうね?日の傾き?季節?それとも、帰り道を有効活用できるほどの妄想の数々ですか?
あなたに美しい帰路があらんこと