赤と地下鉄
そこのけもののけ列車が通る。
ホーム内での歩きスマホはご遠慮ください。
ガタンゴトン、ガタンゴトン!
ガタンゴトン、ガタンゴトン!
うっかり迷惑行為をしないようお気をつけください。
なお、全ホームには迷惑行為を悪く思う殺人鬼が手配されています。ご注意ください。
私の暮らしていた田舎には地下鉄はなかった。蜘蛛の巣が虫を絡め取るように、地下鉄もまた人を絡めるがそれは都会だけの話。人の少ない、人のいないこの田舎には地下鉄ではなくどこまでも続く田んぼしかない。一気に全ての金色の稲穂が風に揺れる時の風景といえば、それはそれは雲が流れていくのに似ていてまるで神の世界に来た気分になるが毎日毎日そんな風景を見ていると気が参ってしまう。
そう思うと地下鉄も毎日毎日見ていれば飽きたことだろうににどうしてあんなに執着していたのかわからなくなる。飽きないほどの愛があったのだろう。血液のように一定の周期で回る鉄道を永遠とみても愛おしく思えるほど浸水し、心酔していたのだ。
そう私は地下鉄が好きだった。愛していた。地上を線路という骨をむき出しにして走る路線より、地下で立体的に入り組み形を変え、深淵を覗いている気分になる地下鉄が私は好きだった。
もし、私が地下鉄で鬼ごっこをすれば全員を仕留められるだろう。そう豪語できるほどに地下鉄の駅構内1つ1つを把握していた。
しかし、それは都会のど真ん中にいた頃の話。
なんの事情かは知らないが私はいつの間にか名も知れぬ田舎に来ていた。引っ越しだ。しかも引っ越し町は老男老女が杖をつき、腰を曲げ歩くその姿と廃れた雰囲気は見たとおりなんの興味も湧かなかったし、地下鉄なんてなかった。
気を紛らわしに現地の子供たちと森に行ったことがあった。しかし、都会っ子で田舎の地理に詳しくない私は迷子になり、そのまま体感で3時間以上彷徨い続けた。あれ以来森には行っていない。
あれは子供たちが私をからかったのではないかと思う。
そう思うので彼らともあれ以来遊んでいない。
遊び相手も娯楽もない田舎なんて沼に建てられた墓場のようだ。抜け出せない墓場、誰が参りに来るのだろうか。地下鉄は私の元に墓参りしに来てくれるだろうか、いやそんなわけない。私があんなに雨の日も雪の日も病に倒れた日も愛と足を運んだあの子たちは私の元には来てくれない。
私一人の地下鉄にはなれない。私一人の地下鉄は私の理想とする地下鉄ではない。
地下鉄、地下鉄、地下鉄。
私の頭は地下鉄でいっぱい、どころか私の地下鉄はガタンゴトンと地響きを鳴らして私の脳みそを走っていく。
幻聴でもその1つ1つが奏でる地下鉄特有の電車音を反響させている。嘘だとしても、幻だとしても毎日発作のように起きるその幻聴を希望としていた。
希望はやがて現実になる。などとのたまえば現代の異常異質な絶望的観測者に石を投げられかねないが、ここは田舎だし話す相手もいない。私の希望は徐々に音圧と音質を上げていった。目を閉じればもうそこは駅。
地下鉄ならではの生暖かい風が頬を撫で、鼻腔をくすぐる。もちろん振動を肌で感じれるようにもなってきた。私だけの地下鉄はそこに完成しつつあった。暇さえあれば夢の地下鉄とご対面、夢の中なので私の好きなように電車を動かせたし好きな電車を走らせた。
しかし、最近は発作が激しくなってきた。望んでないのに私だけの地下鉄に陥ってしまうのだ。それも初めは3分くらいだった揺らぎからからだんだんと伸び続けている。
ついに地下鉄に一週間以上閉じ込められる日が始まりだした。それに自由に駅構内を私の思い描くように変化できなくなっている。愛する幻想に恐怖する日が訪れようとは。ここは私だけの世界であり私が創造主であり私が観測者なのだ。それを拒むだと?地下鉄ごときが産みの私に反抗する気か!?
怒りと悲しさで私顔をしかめ、ベンチに座り込む。私の愛する地下鉄はまた私の手を離れていくのか?そして私に反抗しだすとは。ふと、血の登った頭を何度か叩き冷静になると1つの考えが浮かんだ。
『もしかして、私以外に客がいないから私にすがっているのか?』
そうだ!そうに違いない!
とうとう…私は、私は地下鉄に求められた。
私が愛してきた地下鉄は私を愛してきた、そう思うとこみ上げてくるものがある。
んふふふふ、んふふふふふ!
私の地下構内に初めてに電車の粗雑で無機質な音以外が響いた。歩きスマホをしているクズの持つイヤフォンからでる音漏れでもなく、満員電車から溢れる人々の靴の重なる音でもなく、私の地下鉄に対する心からの賞賛だ。
私が笑いながら賞賛を送る最中、一本の電車がやってきた。爛々と夜行性の獣のように前面からライトで線路を照らし、ホームに入ると滑らかに速度を落とす。私の地下鉄だからだろうか、時刻は完璧で停車位置も完璧だった。その見事な入りにも私は拍手をした。ホームのベンチはすでに私だけの特等席、オペラを鑑賞する貴族になった気分だ。
頑なにしまっていた扉は一斉に乱れなく開き、無人の車内を見せつける。それを私は足を組みながら腕を伸ばし、指先で中の様子をなぞるようなそぶりをする。圧巻の光景によだれが垂れそうになるがそれを袖で拭う。しかし、突如として不快感が心に灯った。
なんだあれは?
指先でなぞっていた車内に、一人の人間が座っている。背中しか見えず、全身赤黒いので何もわからないがとにかく不快だ。誰だあいつは?私の地下鉄に勝手に乗車するとは、許せん。
「誰だお前は!?ここは私だけの地下鉄だぞ!!今すぐに帰れ!」
自分の耳を劈くほどの大声を出す。半円筒状のホームは音を乱反射させ私の鼓膜を長く震わせる。そいつも気づいたのだろう。不敬にも勝手に私の地下鉄に乗ったことを後悔したのか、立ち上がって降りてきた。顔はよく見えないがその全容は血塗れているように赤い。
いや、あれはーーー
それは完全に血だった。赤黒いコートから滴る液体と微弱にも漂う異様な臭いを感じ取った私は本能的にすぐさまに立ち上がり、逃げ出した。
な、なんなんだあれは!?
予想外の事態だ。乗っていた乗客は形容しがたい殺人鬼かなにかのようだ。もし違っていたとしてもあれは関わってはいけない何かだ。浅はかで隠す気のない湿った殺意と憎悪が私に向けられているのをはっきりと感じ取れた。
どうして私に向けられているのだろうか。
エスカレーターの方に逃げつつ、ちらっと振り返ると血塗れ男もまた私を追ってきていた。駅の中に並々ならぬ甲高い音を何度も何度も叩きつける。エスカレーターも普段なら立ち止まって乗るところを段を壊す勢いで駆け上がる。これは私がいつも見ていて憎む行為だが、こんな状況ではやむおえん。心で謝罪しながら逃げる。初めて改札の方に来たが、出口はなく代わりに別の地下鉄の駅につながっていた。自動改札が私に切符を要求するよりも早く走り抜けた。これもまた私の心に傷をつける。本来ならばしたくない行為なのだ。
地下鉄で殺人鬼と鬼ごっこをする羽目になるとは、私の持ち得る最大の能力をフルに行使して逃げる。上へ下へ右へ左へ私と殺人鬼。
どう逃げても完璧にホーミングしてくる殺人鬼にとうとう足を取られしまった。
私が無様にもへたり込んだホームは奇しくも私の一番お気に入りの駅、きさらぎ駅だった。
腰をつき、心臓の鼓動が耳に直接聞こえるほど高鳴り息も絶え絶えである。殺人鬼と目を合わせながら、這いずるように逃げようとする私はふと電光掲示板が目に入った。
23:54
ただの数字の配列だというのに途端に目が回り出し、頭はマグマを流されたように熱くなる。殺人鬼はそんな私を容赦なくじりじりと追い詰めていく。いつの間にか電車がきた、大きな音を立てて何本も何本も一気に入ってきた。それは最後尾を感じさせないほど長く、鉄の蛇のようだった。
ガタンゴトン!ガタンゴトン!ガタンゴトン
殺人鬼と目が合う。
電光掲示板の時刻が狂ったように点滅する。
殺人鬼の顔を思い出す。
蛇のような電車たちが脱線していく。
その顔はーーー
地下鉄は完全に崩壊する
その顔は私の顔だった
朝だろうか?
気づけばそこは田舎でもなんでもなくただの部屋だった。やけに物がなく狭い部屋。
これならば田舎の方が良かったなんてほざけるほど、つまらない部屋だ。白い壁には汚い文字らしきものが何重にも重なり、意味として無意味とかしている。本人的には愛だったんだろうが、行きすぎた愛は時に全てを台無しにする。その教訓にもっと早く気付いていればな。目の前のぐちゃぐちゃに重なり合った三文字を指先でなぞろうと無意識に指を立てたが、もはやどれが最初の一角かわからなかった。
いい夢ではなかったが、最後に私に気づかせてくれた。
地下鉄に狂気のように愛を注いだ私はマナーを守らない人々に憤りを覚え、殺してしまった。愛するが故だったが、それは愛でもなんでもなかったことにあの夢は気づかせてくれた。
ただの自己満足。
それだけのこと。昨日の私はまだあれを愛していただろうか、死刑が決まってからはより一層地下鉄に逃げていた。記憶を改竄してまで逃げていた。自分の行いを正しいと思い込み、裁かれるべきではないと思っていた。
それも今日でおしまいだ。今日、私は死ぬだろう。
それはなんとなくわかる。だって、私の愛してやまなかった鉄道の走る音がすぐそこまで来ているのだから。
最後にもう一度だけ壁に書かれた文字を見る。
地下鉄
地下鉄に感謝してますか?地下鉄でした。
シリーズにしようか悩んでいましたが、なんとなくシリーズにします。
主に閉鎖空間を舞台にしたいですね。
実は地下鉄よりも水族館の方が怖いんですよね。
だって、サメとかいるし。鮫って漢字にすると餃子に見えますよね。理解できない?そうですか。
ありがとうございました。