ハロウィン記念作品『極点仮装大戦:SHIBUYA』
~~10月31日・シブヤ~~
現在この地では、熱烈なハロウィンイベントが行われていた。
集まった多くのイベント参加者は、人気のアニメ・映画作品のキャラクターや有名人、日常の一コマを再現した仮装衣装に身を包みながら、各々のやり方でハロウィンを愉しんでいた。
そんな彼ら彼女らだったが、ふと集団の中から一際大きな声が上がる。
と言ってもそれは、悲鳴というよりも歓喜に近いモノであったが……。
彼らの視線の先にいたのは、ハロウィンイベントにも関わらず、特に何の変哲もないラフな格好をしただけの一人の青年だった。
だが、眼光に宿った力や滲み出る雰囲気というモノが既に違う。
彼は何のコスプレもせずして、周りの者達を圧倒していた。
周囲のイベント客が遠巻きながらも、興奮を隠し切れない様子で話し始める。
「嘘っ!?……あれって”HEAPS≪ぼた山達≫”のユウヤ本人じゃない!?」
「いや~、いくら何でも本人が何の変装もせずに、こんなイベントに参加するはずないでしょ!……でも、見れば見るほど本人そっくりだわさ~……!!」
”HEAPS≪ぼた山達≫”。
それは現在の日本音楽業界に君臨する、トップアーティストグループの事である--!!
彼らは『山賊を超えた山賊』として三年前に鮮烈なデビューを果たし、この混迷した現代の日本社会に希望をもたらす存在として数多くの偉業を達成してきた。
”HEAPS≪ぼた山達≫”のリーダーである青年:田中 裕也は、ダサ格好良いという独特のデザインのCDジャケットと、『何言ってんのか分かんねぇよ、ソルトが足んねぇよ!』と思わず言いたくなるような本人以外歌えなさそうな早口で紡がれる歌詞、そして、自分を前面に押し出していくMVの映像によって多くのファンの心を鷲掴みにし、遂には若干20歳にして現在の音楽業界のトップへと昇りつめたのである--!!
そんな伝説的存在として日本中から崇敬の念を集める彼だったが、何を隠そう、何の仮装もせずにこのシブヤをぶらつき、単なるそっくりさんだと思われている彼こそが田中 裕也その人であった。
(俺は俺。気軽に着せ替え出来ない唯一無二の自分自身ってヤツを胸に、この道を進むのみだぜ……!!)
誰に言うでもなくそんな事を考えながら、裕也が道を歩いていると--ふと、ある光景が目にとまった。
見れば、裕也の視線の先には1組のカップルらしき男女に一人の中年男性が何やら話しかけているようである。
カップルはまだ学生なのか、男子の方は異世界転移した先で無双する作品の主人公の制服や髪型を照れ臭そうにしながらも再現し、女子の方は異世界転移してきたオークの集団に突如襲われることになった女学園の制服をノリノリで着こなして役になりきっているようだ。
そして、彼らに話しかけているのは、白いタンクトップに下はジャージ、手にした竹刀で自分の肩を何度も軽く叩いている冴えない中年男性だった。
どうやら、寝取られモノに出てくる体育教師のコスプレをしているらしい。
それだけなら、ハロウィンイベントなだけに何も問題はないのだが……。
「ほらぁ~、西園寺!!部活で疲れているお前達のために、俺がとっておきのジュースを用意してやったぞ~♡」
そう言いながら、竹刀を一旦地面に置いて紙コップに入れたジュースを2人分、それぞれに渡していく体育教師(仮)。
警戒しながらも親切を断るのは悪いと思ったのか、年若い男女が両名とも「あ、ありがとうございます、正男田先生……!!」と役に何とかなりきりながら礼を言って、差し出された飲み物に口をつけようとしていた--そのときである!!
「その飲み物に口をつけるのはよしておきな、御二人さん。……その中には、紛れもなく薬が混入されてやがるズェ……!!」
「「ッ!?」」
裕也の発言を受けて、学生カップル達が慌てて飲み物から口を離し、驚きのあまりか両名の紙コップが地面へとほぼ同時に落ちていく。
その光景を見て呆然としながら、憤怒で顔を真っ赤にした体育教師らしき男が裕也の方へと振り返る--!!
「せっかく良いところだったモノを~~~ッ!!……貴様、何奴ッ!?」
「冷奴、とだけ答えておくぜ。……それよりもテメェ、そいつらに渡した飲み物の中に”媚薬”を混ぜやがったな……!!」
「な、何を馬鹿な事を!?」
そう口にしながらも、しどろもどろになる体育教師。
そんな彼に構うことなく、裕也は言葉を続ける。
「正確には男の方に睡眠薬、女の子の方に媚薬を混ぜたジュースを飲ませることによって、彼氏君がおねん寝している間に、発情した彼女の方をペロリ、と頂いちまおう!って寸法だったわけだ……!!」
「ッ!?ど、どうして、それを!?」
裕也の指摘を受けて激昂するどころか、今度は顔面蒼白になる中年男性。
彼が驚くのも無理はないように思われるかもしれないが、前述した通り、裕也は今をときめくトップアーティストである。
ゆえに、音楽業界のトップに君臨する彼の熱烈なファンもまた、当然の如く一筋縄ではいかぬ存在であり、警備やマネージャーの目を掻い潜って裕也のもとに剃刀や劇薬・女の子のラブ♡要素が混入されたプレゼントなどが差し出されるのは日常茶飯事であった。
それらを正確に見抜くのはトップアーティストとして当然のスキルであり、現に彼はそれらを上手く退け回避してきたからこそ、今日に至るまで健康体のまま不動の地位を築き上げているのだ。
いわんや、素人が混ぜた睡眠薬と媚薬を嗅ぎ分けるなど、今の裕也にとって造作もない事であった。
裕也の発言を受けて、カップル達が「えぇっ!?本当にそういう事してたんなら、もうコスプレでも何でもなくて犯罪じゃないか!」や「嘘……は、早く検非違使に通報しないと!」などと、慌てふためく。
それらの反応を見て焦りを覚えたのか、最早コスプレの域すらはみ出て卑劣な犯罪者と成り果てた男は、竹刀を手にして裕也に襲い掛かってくる--!!
「ウ、ウオォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!さっさと、そこをどけぇェェェェェェェェェッ!!」
迫りくる男の突撃に対して、裕也が陰陽道を連想させるような”韻”と”YO!!”のリズムが刻まれた華麗なステップで回避する。
男としては、このまま検非違使達が来るよりも先に逃げ切ってしまえば良かったのだが、自分の悪事を暴いた裕也に難なく避けられた事が悔しかったのか、血走った形相をしながら再び何度も裕也に向けて竹刀を振り回す--!!
「ウオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!……お、俺のやった事の何が悪いって言うんだ!?ハロウィン?もともと、日本に何の関係もないイベントじゃねーか!!なのに、どいつもこいつも浮かれ騒いで挙句の果てに、何を履き違えたのか暴れ回って街中のモノを壊し回って悪びれもしない!それでも、奴等はただ俺より若いっていうだけで、どんな迷惑行為をしたところで無罪放免になるに違いないんだ!!――ふざけるな。俺の方が、何倍も汗水たらして働いているってのによぉ……!!」
そう言いながら、キッ!と先ほどのカップル達を睨みつける中年男性。
「そこの色ガキ共だってそうだ!そいつらは、ハロウィンだのクリスマスだのと言い訳しながら、乳繰り合う事しか能がないんだ!!……親に養われているような分際で……!!」
その間にも、裕也への竹刀による猛攻は続く。
「だから、俺がそこの色気づいた糞ガキ共に、ハロウィンのお菓子ほど甘くない二ガニガさんたっぷりの現実ってヤツを教えてやろうとしたのさぁ!!俺の何が間違っている……?ただ、現実を舐めている馬鹿共にほんの少しの悪戯をしてやろうとしただけだろ!?町の器物を破損してはしゃぐような行為よりも、よっぽどマシじゃないのか!?」
竹刀の一振りが、遂に躱し続けた裕也の肩に直撃する--!!
短い呻きを上げる裕也に対して、男が裂帛の気合と共に竹刀を振り下ろす--!!
「それでも、俺は絶対的な悪なのか?ほんの少し、人生で良い目を見ようとする事も駄目なのか?……馬鹿みたいに早い者勝ちのルールを守り続けていたら、俺はいつまでたっても良い女にありつけないだろうがァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
男の一撃が、裕也の脳天に直撃する--!!
そのような惨状を予見し、その場に居合わせた者達が皆声にならぬ悲鳴を上げる‐‐!!
……だが、人々の希望を背負いし”HEAPS≪ぼた山達≫”の田中 裕也が、みんなのハロウィンをそんな悲しい結末で終わらせる真似を許すはずがなかった。
「--いつまでも、甘えた事言ってんじゃねぇぞ、テメェッ!!--」
勢いよく振り下ろされる竹刀に対して、華麗な足捌きで回避する事も腕で防御する事も間に合わない。
ゆえに裕也は、アーティスト特有の大声量で振り下ろされる竹刀とそれの持ち主である男を退かせる事に成功したのだ。
たじろぐ男に対して、裕也が拳ではなく言葉の応酬を続ける。
「……テメェがどんな人生を送ってきたかはわかんねぇし、街を滅茶苦茶にするよりも、ガキ共相手に憂さ晴らしする方がマシっていう考えにも、全く同調出来ねぇ。……少なくとも俺は、そんないじけた性根で生きちゃいねぇよ!!」
けどな、と裕也は言葉を重ねる。
「早い者勝ちなんてルールをお上品に守ってたら、恋愛なんてロクに出来ねぇってのは理解できる。……そこに関しては、テメェの言う通り山賊らしく略奪してやる!!っていうのは俺の性分にも合っているしな……!!」
「山賊……?な、なら、俺のやった行為にも共感できるはずだろ!?」
たじろぐ男に対して、鋭く目を見開いた裕也が睨みつける。
「気持ちだけならな……!だが、テメェは"媚薬"なんていう自分の力でも何でもない卑劣な手段で、他人の女を掠め取ろうとしやがった……俺にはそれが許せねぇ!!やるんなら、”媚薬”だの”催眠”だのそんなチャチなモンじゃねぇ。誰にもねぇ自分自身の魅力で!……堂々とモノにしやがれってんだッ!!」
裕也の圧倒的な気迫を前に気圧される男。
--人の前に姿も見せられぬコソ泥に落ちる事なかれ。
例え名もなき山賊で終わろうとも、世界に自分だけの”BE-POP”を叫び続ける道を征け!!--
そんな田中 裕也という男の在り方を示した鮮烈な言葉を前に、男は静かに膝をつく。
だが、それでもここまで来た以上は退くわけにはいかぬと、男は竹刀を構え直す。
「……た、例え、俺のやり方が間違っていたとしても、俺はこんなところで終われない……!!”媚薬”や”催眠”が駄目なら、俺は小型カメラを購入して、盗撮しながら女の弱みを握ってやる!!それに今から肉体を鍛えて腕ずくで関係を迫ってやる……!!」
血走った眼をしながら、男が竹刀を持った右手とは別に、左手の人差し指を天高く掲げる。
「……『Rape of the Power.Power of the Rape.』……これこそが、俺が示す新しき時代の指標だ!!俺はこの窮地からも必ずや離脱して、この絶対的な託宣のもとに”寝取り”などという惰弱な精神を捨て去り、日陰に甘んじてきた男達が堂々と”凌辱”行為に及ぶことが出来る暗黒時代を築き上げてみせるッ!!」
刹那、それまでのたじろぎぶりが嘘であるかのように、男の闘気が跳ね上がっていく--!!
--その威容、まるで正門前で遅刻する者がいないか確認しながら、女生徒にセクハラまがいのちょっかいをかける本物の体育教師の如し。
ここに来て男は、単なるコスプレとしての殻を脱し、本物に至るための悲壮ともいえる”覚悟”を身に着けたのかもしれなかった。
周りのイベントに参加していたカップルや家族連れ、厄介ごとに巻き込まれたくないリア充勢が逃げ惑う中、それでもただ一人、自分は逃げるわけにはいかない!と裕也は体育教師と化した男に相対する。
「……それがお前の新天地を求める形というのならば、『山賊を超えた山賊』という道を追い続けた俺の魂が打ち砕く!!……暗黒時代を築き上げる?テメェは、自分でそれが多くの人間の未来を閉ざす行為だって理解してんじゃねぇか!!」
そんなモノを、田中 裕也という存在が認められるはずがない。
何故なら--。
「”BE-POP”とは、今ある現状に停滞することなく、新たに自身の世界を切り開いていこうとする破壊衝動を伴なうほどの切なる在り方を指す。……お前は、日陰に甘んじてきた男達が堂々と”凌辱”行為に及ぶことが出来る時代を目指すと言ったが、それとは違う女や子供であるというたったそれだけの理由で、そいつらの理想を目指す意思を踏み躙るようなふざけた世界は……”HEAPS”の名を冠する俺が、絶対に許さねぇ!!」
例え自分の眼前に、どれだけ凶悪で悲惨な存在が立ちはだかったとしても、田中 裕也は立ち止まるわけにはいかない。
そんな誰かの意思を踏み躙る在り方を容認する残酷な世界に叛逆する意思があったからこそ、裕也は常人には受け入れられない山賊を超えた山賊という旗のもとに集ったのだ。
ここで踏みとどまっていては、”超越者”として過ぎ去っていったかつての仲間達と肩を並べることなど、到底出来はしない--!!
ゆえに、裕也は膝をつくことすらなく、ただ前のみを見据えて一歩を踏み出す。
例え、仲間達ほどの強大な力を持っていなくても。
それが置いて行かれたくない、と必死に追いすがる子供のような振る舞い程度のモノでしかなかったとしても。
ひたすらに自分の全力で道を切り開こうと駆け抜けてきたこの軌跡こそが、自身がまごうことなき”アイツらの仲間”である証なのだと魂が叫ぶ--!!
「な、なんだその気迫は……!!それに、”BE-POP”だと……?ま、まさか、貴様はッ!?」
ここに来て暗黒時代の到来を望む者は、眼前の若者がコスプレなどではなく、本物のトップアーティスト:田中 裕也である事を理解する。
だが、それに気づいたところで今更止まるつもりはない。
相手が例えあの”HEAPS≪ぼた山達≫”のリーダーであろうと、どのみちこの窮地を脱しなければ自分には破滅が待っているだけなのだ。
何より、自分より遥かに年若いくせに人生の成功者となったような人間が、自分に対して平然と講釈を垂れている様など断じて許せるはずもない。
殺す、殺す、殺す--!!
自分とコイツの掲げる旗が違うというのならば、無様に破り捨てられるべきは何の信念も宿らぬ薄っぺらい裕也の方だ。
己の掲げる『Rape of the Power.Power of the Rape.』は、自身の苦悩の末に見出した真実の言葉であり、これまで苦難に満ちた日々を歩んできた日陰者達を救い上げんとする救済の祈りそのものである。
奴の言うような、まやかしの詭弁とは微塵も違う。
ゆえに、男は己の魂に誓う。
御大層なモノを掲げる裕也をイベントに集った大衆の眼前で無残に嬲り殺し、このハロウィンという行事を鮮血で彩る事を決意する。
それを持って、自分のような者達の苦悩からひたすらに目を背け続けた偽物の景色達に終焉を告げる、暗黒時代の幕開けとするのだ--!!
だから、もう何があったとしても男の殺意は止まらない。
もとより、掲げた御旗や振り下ろした竹刀と同じく、今の男に留まる理由や術などあるはずがなかった--。
「これで終わりだァッ!!……さっさと、くたばれェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェェッ!!」
真の剣鬼となった男の竹刀に”斬撃”の効果が付与される。
さしもの裕也も、これを受けては一たまりもない。
だが、裕也は微動だにせず、真剣な眼差しで男を見つめる。
「くたばれ、か。……悪いが、その願いは叶えてやれないな……!!」
命乞い、なのだろうか?
だが、それにしては微塵も動揺した様子が見受けられない。
先ほどのように大声量で退けるにしても、今度は本物の体育教師となったこの男に同じ手は通じないだろう。
今度こそ、斬撃を帯びた男の竹刀が裕也の身を切り裂くかと思われた--そのときである!!
「--”新世界を飛翔せよ、我が真なる龍王”--!!」
裕也がそう呟くと同時に、物凄い速度で迫っていた男の竹刀の動きが止まった。
……いや、よく見ると、男の身体自体が急停止したかのようだった。
これは彼の意思なのだろうか?
だが、男は訳が分からないと言わんばかりに目を白黒させていた。
「……な、なんだこれは!?貴様、まさか、何かの術式を使ったのか!?」
男の問いかけに対して、裕也が涼しい顔をして答える。
「んなわけあるか。俺は仲間達が”堕淫棲隷武”や”王”とやら相手にドタバタ超絶異能バトルしているときでも、全国ツアーライブをしていたような男だぞ?……俺に出来る事は徹頭徹尾、自分の歌を誰かに届けることだけだ……!!」
「歌?……歌だと!?貴様はただ単に何かの単語を呟いただけではないか!?そんなモノが歌など……!!」
そこまで口にしてから、男が何かに気づいたように驚愕に満ちた表情を浮かべる。
対する裕也は、そんな男の気づきこそが正解である、とでも言うように口の端を吊り上げる。
「お前の察している通り、さっきの言葉は何かの呪文やら必殺技の掛け声なんかじゃねぇ。……俺達”HEAPS≪ぼた山達≫”の未発表の新曲、それが”新世界を飛翔せよ、我が真なる龍王”だ……!!」
裕也の言葉を聞いて、体育教師が愕然とする。
だが、それもすぐに憤激を浮かべた表情へと変わり始める。
「お前らの新曲、だと……?何故、そんなモノで俺が動きを止める?俺はお前らの歌など、微塵も興味がない!!いや、俺はお前等のような人生舐め切ったような連中の存在を唾棄し、激しく嫌悪すらしている!!……言え!本当は、どんな卑劣な手段を使ったァッ!?」
再度こちらに向けられた男の詰問に対しても、さも当然だと言わんばかりに何の気負いもなく裕也が答える。
「そんなの簡単だろ。……アンタが例え俺達という人間が嫌いだったとしても、俺達の”歌”は認めてくれていたって事だろ」
「な、何を言っているんだ……?」
心底分からない、と言った様子で男が呆気にとられる。
だが、裕也はそれに構うことなく言葉を続ける。
「頭では認めていなかったとしても、それよりもっと深い部分でアンタは俺達の新曲を聴きたい、と思ってしまった。だから急に無理な静止をすることになってでも、アンタの身体は俺に対する攻撃を全力で止めたんだ。……まぁ、『俺達の歌を聴かない奴なんかいねぇ!!』っていう己惚れから生じた一種の賭けみたいなモンだった事は否定しないが……少なくとも、今回はその賭けに俺が勝ったみたいだな?」
認めるわけにはいかない……そのようにかぶりを振って否定するが、現実に起こっている現象は変わらない。
ならば、このままとどめを刺されるだけだとしても、せめてこの眼前の敵を罵ろうとあらん限りの力を込めて男が叫び喚く--!!
「クッ……このまま、満足に身動きが取れない俺を攻撃するつもりか!?はっ!御大層な”BE-POP”とやらを掲げようが、卑怯者の本性は隠せなかったようだな!!」
「……んなわけあるか。アーティストが曲名を口にした以上は、何がなんだろうと歌い上げてやるよ。……例え、世界の危機が眼前に迫っていようとな」
それに、と裕也が体育教師に視線を向ける。
「俺に竹刀を振り回していたアンタは、全然楽しそうじゃなかったぜ?……俺の目の前で、誰かがそんなつまらない顔してるのは嫌なんだよ」
「……俺がつまらない顔をしていた、だと?……それがどうした!?理想を達成するためには、自分のやりたい事だけやってれば良い、というはずがないだろ!!」
「自分に嘘ついてまで嫌々やりたくもない事をやっている奴が、他の誰かと正直に向き合えるのかよ?そんなザマでお前、一体どこの誰を救うつもりなんだ?」
「~~~ッ!?」
「少なくとも、俺は自分が信じる道をひたすら進んできた。それは今この時だって変わっていない。……だから、土壇場で御大層な理想のために俺にトドメを刺すことよりも、新曲を聴く事を優先してくれたアンタの本心に真正面から向き合うために、俺は宣言した通りこの歌を披露してやるよ……!!」
そう言って、裕也がパチン!と指を鳴らす--!!
「聴きやがれ!……これが俺の新曲、”新世界を飛翔せよ、我が真なる龍王”だ--!!」
刹那、場の空気が一瞬にして激変する--!!
(な、なんだ、この感覚は--!!俺が、この俺が!!コイツの歌に圧倒されていると言うのか!?)
剣鬼と化した男の胸に沸き上がったのは、先程まで自分を染め上げていた憤激とは違う、温かくも力強い感情だった。
この新曲を聴いてる最中でも、世の中に対する憤りは確実に存在し、憎むべき過去が浮かび上がっていく。
だが、それを上回る速度と熱量を伴なった意思の力、その流れを男は感じ取っていた。
(何だ、これは……?この奔流は、裕也の意思なのか…?)
理性だけが取り残され、感情や肉体といった自身を構成する他の要素全てに裏切られたとしても、今はまだ戦闘の途中であり、相手の術中にむざむざ陥るべきではない。
そう思いながらも、男はここ数十年では得る事が出来なかった確かな安らぎ、心地よさに思考を委ねていく--。
(……体育教師、なのかは実際は分からねぇけど、アンタがどんな仮初の姿や拙いやり方だろうと、”本物”を踏み出そうとしたその一歩は確かに間違いじゃねぇよ……!!)
何故なら、”HEAPS”に加わる前の自分がそうだったから。
”HEAPS”に出会う前の自分は、現状に不満がありながらも、それに対してどうしていいのか分からずに、もがく事すらしないまま、結局軽蔑していた”周りの人間”と同じように、ただ不平不満を口にすることしか出来なかったガキでしかなかった。
彼らとの出会いが素晴らしいモノだったからこそ、裕也が成功出来たのは紛れもない事実だが、そのために踏み出したあのときの一歩がなければ、今の自分がいないという事も分かっている。
--だから、どんな歪んだ未来を見据えていたとしても。
あの決して取り戻せない頃の尊さを知る田中 裕也という青年は、その最初の一歩を踏み出す行為自体を否定する事は出来ない。
(……結局は、ひたすらに前を走り続けていても、迷ってばかりの人間だってことは自分自身でも良く分かっている。……でも、アンタも実は同じだったんじゃないか?)
そんな想いを込めながら、裕也は歌い続ける。
(……アンタは”催眠”や”媚薬”が駄目だから、別の手段で自分の理想を達成できないかと、最初の考えに固執することなく、試行錯誤していたんだ。……その終着点は破滅そのものに違いないが、自身の人生を前進させようとしたその在り方だけは、捨てちゃいけない……!!)
そして、それと同じくらいの気持ちでこの男に間違いを犯させてはいけない、とも裕也は思う。
(アンタは自分と同じような人生の日陰を歩んできた男達を救済すると言ったが、本当にそのやり方で後悔しないのか?)
例えば、男が敵対してきた女性達やイケメン達の中に、彼と同じように他者を辱める事に喜びを見出す者が全くいないと言い切れるだろうか。
例えば、男が敵対してきた女性達やイケメン達の中に、彼と同じように他者の道を閉ざさなければ自身が前に一歩も進めなくなる、という苦悩を抱えた者が一人もいないと言い切れるだろうか。
彼ら彼女らの中に、同じ嗜好や苦悩を持った者がいて、彼らも自分と同じ人間だと理解したとき、『自分と同じような境遇の者達を救済する』と誓ったはずの体育教師の誓いは、罪の意識と悔恨の念によってどこへも向かう事を許されない破滅を迎えることにしかならない--。
そんな悲劇的な結末を眼前で許すほど--田中 裕也という青年の歩んできた道のりは、諦めの良いモノではなかった。
(アンタは、確かに間違った道を歩もうとしたかもしれない。……でも、学習して改善しようとする姿勢や、自分で踏みとどまろうとする意思も間違いなく存在していたんだ!!)
だから、とあらん限りの声を込めて歌い上げる--!!
(アンタが殺そうとしていた俺はまだ生きている!!狙っていたカップルもここを避難して、どっかでイチャコラの続きを惜しみなく励んでいる!!……誰もまだ、大事なモノを失わせてなんかいない。だから、アンタもまた最初から新しい一歩を踏み出すんだ--!!)
--それは、まさに文字通り新世界を飛翔する、龍王を彷彿とさせる激情と躍動感に満ちた歌声だった。
体育教師--もとい、中年男性はそんな裕也の歌声を聴きながら、静かに、されど滂沱ともいえる涙を瞳から流していた。
裕也の歌声が、ハロウィンイベントと体育教師の騒動で混乱しようとしていたシブヤの街に響き渡る。
--全くの知らない曲、だけど、確かに知っているはずの歌声。
耳を澄ましていた聴衆だったが、その歌声の主が裕也だと気づいてすぐに沸き立ったかと思うと、一言一句逃すまいと慌てて静寂になる一幕があった。
その未知なる新曲:”新世界を飛翔せよ、我が真なる龍王”に大勢の人々が耳を傾ける中で、それらとは異なる反応を見せる者達がいた。
それは、人気アニメのヒロインに扮していた女性コスプレイヤーに対して、スカートの中を無許可で撮影するという盗撮まがいの行為をしようとしていた者や、ハロウィンというイベントを無礼講か何かと勘違いした一部の若者達であった。
当初は周囲の迷惑を鑑みずに好き勝手に振る舞っていた彼らだったが、どこからともなく流れてくる裕也の旋律に聴き惚れている内に、『この曲のように裕也は常に新しい道に挑戦しているのに、自分は一体いつまでこんな事をやっているだけで満足しているんだろう……』とか『粋がってみても、俺はこんな山賊まがいのヤツにすら及ばないってのかよ……!!クソッ!こんな情けない自分を変えたい……!!』といった恥の意識とでもいうべきモノが芽生え始めた事によって、自身の行いを悔い改め次々と巡回していた検非違使達に投降し始めていたのである。
そして、そのような作用は彼らだけではなかった。
「……」
「……」
動かなくなった体育教師の男に対して、裕也も不動のまま向き合う。
未発表の新曲を披露して、それでもまだ自分の命を狙ってきたり、他者を凌辱するような破滅を願うようなら、そのときは自身の力が及ばなかっただけの事だと裕也は達観した心持ちだった。
どのみち、自分はどこまで行っても歌う事しか出来ない男なのだ。
ならば、後はなるように任せるとしよう。
そんな事をおぼろげながらも考えていた裕也に対して、男がゆっくりと口を開く。
「……俺の完敗だ、田中 裕也。……俺は、大人しく検非違使達に自首することにするよ……」
その言葉を聞きながら、裕也がゆっくり頷く。
「……そうか」
「……そうだ」
そう短く返して、男も一度だけゆっくりと一度だけ頷きを返す。
「……お前の新曲とそこに込められた意思のおかげで、俺は自分がどれだけ間違った選択を進もうとしていたのかを思い知らされた。……お前はあれだけの素晴らしい歌で、新しい世界を切り開いていく事の偉大さを教えてくれたが、流石に俺は自分を龍王になぞらえれるほど図太くは出来ていなかったようだ」
けどな、と男は続ける。
「……今からどれだけ時間がかかって今以上に苦悩することになったとしても。……俺は、お前の歌に出てきた龍の背中に僅かでも追いつけるように、自分なりの新たな一歩を踏み出していくことにするよ……!!」
そう口にしながら、男は今までに見せることのなかった爽やかな笑顔を見せる。
それは、セクハラ教師の側面とは違う、部活で生徒達と苦楽を共にした熱血教師のような表情、と言えなくもなかった。
やがて、ようやく検非違使達がこちらに駆けつけてくると、男は無駄に抵抗することなく大人しくその身柄を確保されていく--。
演奏を終え、歌の力で事態を解決した裕也。
彼のもとに多くの人々が駆け寄るなか、まっさきに近づいてきたのは体育教師に狙われていた学生達のコスプレをしていた二人の男女だった。
男子の方が裕也に礼を述べる。
「危ないところを助けて頂き、本当にありがとうございます!!……で、でも、まさか、本物のユウヤに出会えるなんて……!!今年のハロウィンは一生モノの思い出になるぞ!」
「もう!恩人に対して、呼び捨てするんじゃないの!……でも、私もう少しで酷い事をされちゃうところだったんだよね。……本当に、助けてもらえていなかったら今頃どうなっていた事か……!!」
身震いする彼女の肩に心配そうに手を置きながらも、今回捕まった犯人に対して、憤りの言葉を口にする彼氏。
「本当だよ!……クソッ!次アイツの事を見かけたら、俺が絶対にぶちのめしてやる……!!」
温厚そうな外見の割に過激な言葉を使う彼氏だったが、それだけ頭に血が昇っているという事だろう。
そんな彼氏を心配そうに見つめる彼女を尻目に、裕也が「まぁまぁ」と宥めながら、話しかける。
「確かにあのオッサンのやろうとしていた事は許せねぇかもしれねぇが、人間ってのは自分の人生が上手くいかなくなって余裕がなくなると、どこまでもみっともねぇ真似に走るようになるんだ。……それこそ、お前さんは今回大事な相手を守れたかもしれんが、今回の件でもしも彼女を奪われるような事になっていたら、アイツと同じように自棄になって他人の大事な存在を奪ったり、壊す事に何の躊躇いも持たない奴になっていたかもしれねぇんだぜ?」
「「……ッ!?」」
裕也の発言を受けて、衝撃を受ける二人。
そんな「あぁ、悪い。おどかすつもりはなかったんだがな」と裕也が言葉を続ける。
「だから、今回の件でお前さんが何かを掴むつもりなら、そういう自棄になった人間がどんなモンに成り下がるのかをしっかりと学習しろ。そんでもって、今自分の隣にいてくれる人を大事にしな。……彼氏がそんなしかめっ面じゃ、彼女もせっかくのハロウィンも楽しめないだろ?」
「ッ!?」
裕也の発言を受けて、青年が傍らの少女に慌てて謝る。
(ほぅ……俺との話よりも、しっかりと彼女を気遣う事を優先するとは……分かってるじゃねぇか?)
気にしないで、と言った少女との仲睦まじいやり取りを目にした裕也は、彼らに背を向けてこの場を立ち去ろうとする。
その去り行く背中に対して、青年の方が深い感謝の念を伝える。
「ユウヤさん、俺達の事を助けてくれて、本当にありがとうございました!!……俺、必ずユウヤさんのようなビッグな人間になってみせます!!」
そんな青年の決意に対して ユウヤは振り返る事なく答える。
「よせよせ。何度も言ってきた通り、俺はただ単に歌を披露しただけだ。……それに、人から『山賊を超えた山賊』と呼ばれようが、所詮山賊なんてモンは略奪するくらいしか能がないロクデナシの集まりだ。……どれだけ金やら美女が手に入って、例え自分の中にある最後の一線とやらを守れたつもりになろうが、常に新しいモノを求め続ける限り満たされる事はねぇよ」
それは、自嘲を含んだ笑みだったのかもしれない。
壮絶な覚悟と信念を宿した裕也の独白を聞き、背後の二人が静かに息を呑み込むのを感じとりながら、裕也が最後に一度だけ二人の方へと振り向く。
「だからな、お前さんが山賊のように誰かから奪わなくても、身近に宝物があると気づけたのならーー。めいいっぱい大事にしてやりな。……これから先はお前さんがその娘を守り抜くんだ。次会う時に、俺みたいな山賊上がりにむざむざ奪われるような腑抜けぶりだったらテメェ、承知しねぇぞ?」
「……ハイッ、裕也さん!!……俺、裕也さんが相手でも一歩も退かないような人間になってみせます!!」
「……もしも彼が腑抜けそうになったときは、私が彼のお尻を叩いちゃいますから、安心してくださいね!……裕也さん!!」
「オイオイ、早くも尻に敷かれてんじゃねぇか!」
愉快そうに彼らとのやり取りを聞いて笑っていた裕也だったが、とうとう我慢しきれないとばかりにこちらに向かってくる聴衆の姿を目にすると、今度こそ別れの挨拶を告げる。
「やれやれ、ちぃっとばかし騒がしくなってきたようだ。……そんじゃ、御二人さん。これからも仲良くやっていくんだぜ?」
「ハイ、ユウヤさんもお元気で!!」
「……本当にありがとう、ユウヤさん!!」
涙ぐむ二人に別れを告げると、裕也は颯爽とその場を後にするーー。
「待ってくれー、裕也!!……せ、せめて、サインだけでもくれー!!」
「むふふっ♡アタシはサインはいらないから、裕也の優秀な遺伝子で良いよ?」
殺到する仮装姿のファン達を軽くいなしながら、やれやれと肩をすくめる裕也。
だが、次の瞬間ーー彼の表情は先ほどと同じように険しいモノへと変わる。
(感じる……どうやら、ここ以外でもシブヤを巡る攻防が行われているようだな……!!)
瞳を閉じていても分かる。
今ここで演奏をした自分だけではなく、男の娘や気まぐれな風来坊、幹部級の検非違使といった様々な者達が、自身の立場や信条の違いはあれど、このシブヤのハロウィンイベントを守るという目的のために、援助交際を持ちかける親父や退魔少女、ハラジュクの同人山賊集団といった者達を相手に、それぞれの死闘を繰り広げている事を。
このハロウィンに集った人々だけでなく、人知れず戦い続ける彼らのような存在がいるのならば、このイベントは無事に成功するかもしれない。
そんな事を想いながら、裕也は足取り軽くシブヤの街を駆け抜けていくーー。
今日は年に一度のハロウィンイベント。
みんなの楽しい夜は、まだまだ終わらないーー!!
〜〜fin〜〜