舞の母は?
二人は歩きはじめた。
「●●ホテル」のネオンが近づいてくる。
ツムラ氏はふたたびエロチックな興奮に襲われた。涙したナナをみて同情し、彼女への心の距離が一気にせばまり、いけないことに一種の欲情を誘ったのだ。ツムラは自分がそんな気持になったことに狼狽し、なにか引け目を感じた。
二人はあそこへ、行くのだろうか?あのホテルへ?
そのホテルを目指して、ナナはだまって、ずんずん進む。進みながら、いった。
「ねえ、人の運命って、はじめから決まってるのかな?」
「?」
「変えられないのかな?」
「努力によっては、変えられるんじゃないでしょうか」
「どうしたら、うちの母さん、有名な女優になれたんだろう?」
「さあ・・・・」
「うちの母さんって、大根役者だったの?」
「けっしてそんなことは。でも、私は、彼女の芝居をまともに見たことはない」
「ろくな舞台にたってなかったしね」
「・・・でもね。舞台への夢を語った彼女の表情。わたしゃ忘れられない。あんな表情には、その後あったことがない。胸がしめつけられるようだった。あんな顔が舞台に現われたら、きっと誰にも負けない大女優だったと思う」
「じゃあ、才能あったのね?」
ホテルの毒々しい明かりがますます接近する。中世のお城みたいなデザインのホテル。ラブホテルにありがちなパターンだ。明かりに目をくらませて目を細めながらツムラ氏はいう。
「あったとも。あんな表情、今までにみたどんな舞台の上でも、お目にかかったことがない」
急に彼女は立ち止まる。
「そんなに。その表情が、すばらしかったの」
「・・・・」
彼女は嬉しそうにツムラ氏を見た。ナナの表情は美しかった。ツムラ氏は心臓が止まりそうだった。
「やっぱり、おじさん、母さんに恋してたのよ。恋の盲目ね。あばえく状態よ。でも残念ね。母さんは、おじさんを愛しちゃいなかったよ。ほかに好きな人がいたよ」
知っている。もちろんツムラ氏はそんなことは知っている。後年、札幌の居酒屋で会ったときに、実はあの頃は、同じ高校のバスケ部の先輩に恋してたのだ、と解説されたのだ。
「・・・そうなの。そんなこと、あっさり解説されちゃったの。ショックだったんじゃない?」
「いいえ別に」
「やっぱり、母さんに恋してたわけじゃないのかな」
「うん」
「じゃあ、やっぱり、母さんの表情に女優の素質があったってこと?」
「そうですよ」
「ついてなかったのね。きっと。いい脚本や演出にめぐりあわなかったせいかな」
「うん。しかしね。母さん、まだ若いじゃない。四十ちょっとでしょ。まだまだ、これからよ」
「応援してくれる?」
「君も応援してあげてよね」
「うん。じゃあ、今晩、さっそく応援してね。まず私を応援ね。いいお客さんになってね。ではそのホテルに参りましょう」
ナナは、また、いたずらっぽく笑った。
「・・・」
すでに、ホテルの入口は目の前だった。ツムラ氏は著しく狼狽した。