時の流れる音
・・・・・
しばらくして、ツムラ氏は、目をあけた。どのくらいの「しばらく」か、わからない。
誰かがツムラ氏をのぞきこんでいる。
「?」
それはメーテルだった。あの店、「バアきみまろ」の女主人。
「どうも・・・」
呆然とツムラ氏がいうと、彼女は何かを差し出した。小さなポシェット。彼女はいった、
「忘れもの・・・」
ツムラ氏はおきあがり、そのポシェットを手にした。ナナのだった。ポシェットのポケットから紙片が飛び出していた。それがひらりと落ちた。
「・・・?」
拾って見ると、何かの割引券だった。
「なつかしいポシェット。私、若い頃、それと同じの、持ってましたよ」
彼女がいった。
ツムラ氏は、その割引券を見る。
「その券も、なつかしいわ。つい、目にはいっちゃったの。昔、そういうの、よくあったわ」
彼女は、クスリ、と笑った。「レンタルルームとか、レンタル日焼けマシーンとか、いろいろあったけど、それも流行ったわ・・・」
割引券。紙面をみると、「レンタルタイムマシーン。二割引券」とある。「使用区間」の欄には手書きで「一九八二から二○○七へ」と書かれてあった 。
「・・・」
彼女を見る。彼女は静かに笑っている。ツムラはおもわず声をだす。
「じゃあ、あの女の子は・・・」
と、いきなり背後からツバメのような素早さで男の手が現われ、ツムラ氏からその紙片を奪った。
振り返ると、男が立っていた。ずんぐりむっくりした、ラグビーボールみたいな肢体を、ムリに背広に包み込んだ男だった。
「いや失礼。こういう者です」男は胸ポケットから手帳を出した。
それは見たことのある手帳だった。ツムラ氏は、
「警察手帳・・・」
といい、またか。また刑事か、とゲンナリした。
男は、そうです、とうなずきながら、「売春少女は、演劇少女だったか。これは彼女の公演のチケットですかね・・・」
といって首を振った。
ツムラ氏は茫然と呟く。
「それは、タイムマシーンの・・・」
「そういう演劇ですか」
刑事は、ぼそりと、冷たくいい、ツムラ氏を睨んだ。
「いやまあ、とにかく、ご無事でなにより。しかし、もう少し駆けつけるのが遅かったら危なかった。あの偽刑事に、殺られるところだった」
「偽刑事?」
「ああ。さっき、店であんたに会った奴。警察手帳をあなたに見せた奴。あれは贋物ですよ。あれはあの少女のストーカーです。彼女と彼女にまつわりつく男に何をしでかすかわからない奴だ。げんに、あなた、撃たれたが・・・痛かったでしょうが、さいわいにも、肩口のかすり傷でした」
ラグビー体型の刑事は諭すようにつづける、
「奴はあんたたちを尾行し、先回りして、ホテルで待ち伏せていた。危なかったんだよ本当に。命拾いしたのは、こちらの方のおかげですよ」メーテルを指差し、「こちらが通報してくれたおかげですよ」
そういわれて、メーテルは軽く首を傾けてかすかに微笑んだ、・・・お節介とは思いましたが、どうも変な様子でしたから・・・といったような、笑顔。
「でも、もう安心だ。奴は捕まえました。さきほど、パトカーで連行しました」
刑事はそういって、と得意そうに、ニヤリと笑った。
ツムラ氏は、そんなことよりも、という感じで、すがるようにたずねた。
「彼女は?撃たれた彼女はどうなりました!?」
「いやそれが、見当たらない。行方不明だ。でもじきに見つかるでしょう」
「本当ですか」
「本当ですよ。捜索中ですから・・・」
「本当に本当ですか?」
「本当だよ」
「・・・・」
ツムラ氏は刑事の顔を見て、それからメーテルの顔をみた。どちらの顔も、ラブホテルの放つ原色の光の中で笑っていた。それは奇妙な微笑みだった。あたかも、この二人は共通の秘密を持っている、というような・・・
何の秘密だろう?
ツムラ氏は目を閉じた。すると、西田舞のあの瞳が見つめていた。
こいつらは、時間警察かな。違法な時間旅行をした君を、逮捕しにきたのじゃないか?偽刑事とかいってるが、あの店にいた刑事も、時間警察で、きみを、そしてぼくを撃ったのじゃないか・・・メーテルだってグルだったのじゃないか?
ツムラ氏は考える。しかしみんな虚構みたいだ。横にいるラグビー刑事もメーテルも、次第に、ただの黒いシルエットになり、無意味な微笑みをうかべる、無意味な陽炎みたいに、ゆらゆらしているだけの存在になった・・・
やっぱりみんな、私の幻覚か?時間警察なんて、そんなものはない。
今晩あったことは、みんな幻か。
いや、それどころか、あの二十五年前の記憶からして、幻のウソだったのかな・・いや、そんなはずは。
みじめな気持ちになりかかった。
目を開き、夜空を見上げた。
舞、西田、マイ。戸塚の夜にやってきた、二十五年前の純真演劇少女。未来を見て、自分の運命を知って、心と体を撃たれてしまった。でも元気に笑って、戸塚の夜に消えていった。
これはどういう演劇だろう?
不意にツムラ氏は、その演劇の終幕の台詞を耳にした。胸が高鳴った。だが目の前の、川の音は大きすぎた。セリフを言葉にしようとしても、ぜんぶ川の流れに呑み込まれる、二級河川「柏尾川」は、ずっと流れ続けていて、その水の音は、次第に大きくなり、何もかもを呑み込んでしまう。
戸塚の夜。ツムラ氏は、その、「流れる時間の音」を聞いた。
・・・おわり
本作品のアメブロ「横濱エフエヌダイアリー」への転載を許可します。作者。




