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 スナークにとってあの森は非常に住み心地の良い場所だった。

 どこまでも広く、空気も澄んでおり、エサも豊富。天敵となる魔獣もおらず、警戒するべきなのは時折やってきては巣をつつく魔法使いのみ。

 それだって大した腕ではない。魔獣と人とでは魔力の貯蔵量が違うのだから。

 もっともその違いは相手もわかっているようで、常に数をそろえてかかってくるのだが……


 あの男は何者だったのだ?


 スナークは考え込む。

 あの時自分は間違いなく、身の危険を感じた。あの見たことのない服を着た長身の男。あいつと対峙した瞬間、頭の中から「逃げろ」と警報が鳴り響いた。


 スナークはネクタイを締め、髪型を整える。

 その行動に意味はない。ただ彼が化けた人間の動作をまねているだけだ。


 変化の魔獣スナーク。その魔法はその名の通り他人への変貌。顔や体だけでなく、服装やアクセサリー、その人の癖やはたまた魔法も含めて完璧にコピーすることができる。

 彼は今変化している最中のコピー元を覚えていない。何度か戦った学園の人間を適当に再現しただけだ。

 今必要なのは人の姿だけである。


 あれは何だったのか。魔獣である自分が、たった一人の魔法使いに臆したなど……認められるはずがない。


 彼は堂々と街並みを歩いていく。様々な人々で市はごたついているが、誰もスナークの正体に気づく者はいない。


 当然だ。今の自分は正真正銘人間なのだから。


 通常、ワンダーランドの町の周りには、魔獣の魔法がかけられている。腕の立つ魔法使いが定期的に町を回って。その結界は強力だ。

 ただし、魔獣の中でもスナークはこの結界をすり抜けられる。力の有無ではない。どんな強力な魔獣であっても無理やり押しとおろうとすれば、破壊の音が鳴り響き、そこら中から魔法使いが集まってくるだろう。

 変化の魔法はこういう時にも役に立つ。

 人間に化ければ人間として町に潜り込めるのだ。


「さて、あの男の家はどこだ?」


 人の集まる場所を避けて進む。

 ひと気のない路地裏。壊れかけたベンチが転がっているだけだ。。

 適当に歩いていて偶然見つかるとも思えないが、あれほどの男。無名だとはとても思えない。手掛かりはきっとどこかに落ちているはず。

 あの男を探し出し、喰らう。そうして初めて魔獣のプライドは回復するのだ。


「ハルって女知ってるか?」


 すぐ後ろから声をかけられた。

 スナークは悲鳴を上げそうになるが、それをどうにか留めて振り返る。


 綺麗な少女だった。美醜など変幻自在のスナークが一瞬息をのんでしまうほど。

 涼しげな目もと、薄い唇。学生服からすらりと伸びた白い足。そして何より印象的だった、その腰まで伸びた艶やかな金髪を眺めながらスナークは頷く。何に頷いたのかもわからないまま。


「知ってるんだな? 今どこにいる」


「あ、いや……違う。すまない。ぼうっとして。なんだって?」


 スナークの脳内。魔法で作り上げた人間としての人格がそう言った。


「知ってんのか、知らねーのか」


「し、知らない……です」


 少女は髪を軽く弄ると、小さく笑った。

 そしてスナークの頭部に無造作に手を伸ばす。


「え?」

 スナークは一瞬頭を撫でられるのかと思った。意図は不明だが、きっとそうなのだと。

 そう期待した次の瞬間には、彼は壁に顔をこすりつけられていた。


「ひぎゃっ」


 髪の毛を引っ張られて乱暴にぶつけられた。


「ひ、ひぃ、い、痛……ちょ、やめ」


「黙れ。このあたりにいるはずだ。ハルを探し出して連れてこい。いいな」


 出会って数秒の人間に聞かせるとはとても思えない、冷酷な声色で彼女は告げた。

 そしてスナークを無造作に蹴り飛ばす。


「さっさと行け」


「ふざ、けるなの人間が……!」


 突如として現れた暴力にのまれかけたスナークだったが、かろうじて自分を取り戻す。

 人間に化けていても、魔獣としてのプライドが彼を叫ばせた。


 どこの誰とも知らない人間の女の命令など、どうして聞かなければならない。

 スナークは右腕を変化させて少女を襲おうとした。彼女がどれほどの人間であっても、一対一で魔獣に勝てる魔法使いなどほとんどいない。


「ちょっとしたカツアゲのつもりだろうが、運が悪かったな。死ねぃ――」


 スナークが右腕を振り上げたとき、少女がした行動はたった一つだけだった。


 手を、その小さな口元に持っていく。

 添えるようにして、そっと息を吹きかける。

 路地裏に吹雪が吹き荒れた。


「あがっっ……!」


 スナークは一息にして氷漬けにされた自分の体を見た。

 少女はそれをみて嗜虐的に笑った。


「なんだお前、人間じゃないのか。ま、どうでもいい。お前のゴミみてえな実力じゃ、かなわないって理解できたろ。さっさと探しに行け」


 氷の魔法をかけられた。スナークはかろうじてそれだけ理解する。


「一時間以内に見つけてこい」


 氷の魔法が解かれ、棒立ちのままのスナーク。少女は彼の首根っこをつかむと乱暴に揺さぶった。

 主従関係を教え込むように、顔と顔を近づける。


 スナークは悲鳴を上げようとした。しかし凍り付いた喉奥に発生できるものではなく、彼はただ無言で首を縦にぶんぶんと振る以外になかった。


「二度と私に立てつくな」


 首を振る。


「逃げるなよ」


 ぶんぶんと首を振る。


「逃げたら探すからな」


 振る。夢中で振る。


「探して持ってこい。このカリンが待っているんだ。いいな?」


 ぶんぶん振る。それ以外にできることはない。


「行け」


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