57話 次なるコンタム
雨だ。
窓の外を見ると、空は分厚い雲が覆っており、ザーザーという音が聞こえてくる。
多くの人は雨の日には気分が憂鬱になるとおもうし、俺もご多分に漏れず雨の日はローテンションである。
レインコートを着てゴミ拾いに行ったこともあるけれど、雨の日に落ちているゴミは大体がずぶ濡れだったり泥に汚れていたりするので、ゴミを入れるビニール袋がムダに重くなって大変なのだ。
そんなわけで前世の俺は雨が嫌いだったが、こちらに来てもそれが改善されるようなことはなさそうである。
こっちの世界でも、雨の中ゴミ拾いをしたことはあるが、やたらとエネルギーの減少が速くなっていた。
普段は1時間でエネルギーが1減るのだけれど、雨が降る中で活動していると1時間で10ぐらい減少する。意外なところに弱点があるものだ。ロボット掃除機は水に弱いのか。さもありなんだが。
濡れないように引きこもっていればいいのかもしれないが、宿屋で働いている身としてはそういうわけにもいかないよな。
「ポルカくん、そろそろいくよー」
宿屋に行くときは濡れることを避けるため、ノエルの傘に入れてもらうようにしている。さすがにノエルをゴミ拾いに連れ回すのは申しわけないので、雨が降る日のゴミ拾いはお休みだ。
ところで、トスネの町はあんまり雨が多くない。降ったところでしとしとレベルだったり、数時間もすれば上がったりするものばかりだった。
こっちの世界に来てから、こんな大雨を見るのは初めてかもしれないな。この中に生身で突っ込んでいけば、1時間で50ぐらいエネルギーが減少するだろうか。確かめる気はないけど。
「うっわ、地面が水たまりだらけだよ、靴を汚さないようにしないとね、ポルカくん」
『ピンポン♪』
「そうだよね~ ってポルカくんは靴履いてないでしょ? テキトーに返事するなっての」
さて、ノエルの言うとおりに地面が水たまりだらけである。全部を避けて目的地まで向かうのはなかなか骨の折れることだ。
うーん、いっそ、水たまりなんか無視して、まっすぐ突っ切ってみたらどうだ? 物は試し、確かめてみることにしよう。
[エネルギーが6減少しました]
うん、これはやめといたほうがいいな。確かにさっきの水たまりはかなり深かったんだけど、それにしても水に浸かっただけで6ダメージはねえだろ。どんだけ水に弱いんだよ。
こうなったら水たまりは全部避けることにしよう。多少時間はかかるかもしれないけど、このままじゃエネルギーのロスがひどすぎる。
となると、久々に音声機能の出番だな。普段あんまり使ってないから忘れがちだけど、たまには使っておこうか。
『助けてください』
「うん? どうかしたの?」
おそらくはエラー時に流れる音声をチョイスし、ノエルに向かって喋りかける。できれば水たまりを避けて歩いてくれるとうれしいです。
水たまりの前でわざとウロウロし、その後水たまりを避けるように進む。水たまりの中を通りたくないということをアピールするのだ。これで理解してくれるかな?
「ああ、ポルカくんは水たまりが苦手なのかな?」
『ピンポン♪』
自分で言うのも何だけど、こんな言葉ったらずなジェスチャーでよく理解できたな。最近のノエルはおバカキャラになりかけているけれど、こういった勘の良さに助けられたことは何度かある。しゃべれない俺にとっては嬉しい存在だ。
というわけで、水たまりにぶつからないルートの構築をしてくれないでしょうか?
「そういうことね。よいしょっと」
うわっ、体が地面から浮いたぞ。
今のノエルは傘を首で挟み、両手をフリーな状態にしていた。その両手を使って器用に俺を持ち上げている。
持ち上げなくてもいいんですけど。重くないですかい。
「水たまりを通れないんでしょ? 今日は私が運んであげるね」
ありゃりゃ。ノエルに運ばれるのか。結果としては悪くないけど、俺が思っていたのとは違う方向に行ってしまった。うーん、まだカンペキな意思疎通には程遠いな。
まあいいか。ノエルも嫌がっているわけではなさそうだし、この方が楽といえば楽だし。女の子に抱えられて移動するのが男としてどうなんだっていうモヤモヤさえ無視できれば、むしろ嬉しい誤算だとも言えるな。
ノエルの腕の中で雨を見つめている。
そういえばノエルと初めて会ったときも、階段を登るためにノエルが運んでくれていたな。あのときのノエルは片手にカバンを持っていたから、俺は片腕で抱えるように運ばれたんだっけ。
今のノエルはというと、わざわざ傘を首で抑えるという器用なことをしてまで俺を両腕で抱えている。そのことにどういった意味合いがあるのかは知らないけど……
……あの、微妙に柔らかい感触を感じてしまうのが若干気まずい。この体になってから性欲とかないんだけど、だからといってこの状況に何も思わないのはむしろ失礼な気がするんだよ。
「煩悩ザマスか?」
まあ、煩悩といえば煩悩になるのかな。男児の願望ってやつだよ。
「ポルカにもそういった願望があるんザマスねえ」
まぁ、ゼロではないな。男ってだいたいそういうもんだと思う……って、ちょっと待てぇぇ! ソイルコンタム、お前どんなタイミングでオレの心読みに来てくれるんじゃあぁぁ!
ハクリ騒動の前日に現れて以来、久々に登場してくれた二足歩行の豚ソイルコンタム。テレパシーを使った会話が可能で、自らを厄神と称するなど未だにその正体はよくわからないけれど、はた迷惑な存在であることは間違いない。
つーかお前の登場、毎回脈絡なさすぎるんだよ! せめて事前に何らかの合図をしてくれたら、こっちも心の準備ができるというのに!
抗議の意味も込めて、心の声を大にしてソイルコンタムに呼びかける。謝罪や改善には期待してないけど、そうせずにはいられなかった。
「ポルカくんどうかしたの? なんかガタガタ言ってるけど、大丈夫?」
『ピンポン♪』
目の前に現れた豚に対して、ノエルは何も反応をしない。俺とソイルコンタムが初めて会ったときと同じように、ソイルコンタムの姿は俺にしか見えないようにしているらしい。
何のためにそのようなことをしているのか、そもそも何が目的なのか。敵なのか味方なのかもいまいちわからない。
だけど前回会った時と比べて、今回のソイルコンタムは心なしかイライラしているようにみえるな。
「そんな呑気なこと考えている場合ザマスか? のんきに女の子のおっぱい満喫している場合ザマスか?」
満喫なんかしとらんわ! 用事があるんならさっさと言ってとっとと帰れ!
が、そんなことを思った矢先に、ソイルコンタムの口からは信じがたい言葉が飛び出してくる。
「早くしないと手遅れになるザマスよ。水を使った計画はもう大詰めザマス。人間どもにどれだけの被害が出るか、楽しみザマス」
えっ?! ちょっと待って。水を使った計画って、井戸水を介して感染症を流行させた、あのハクリ騒動のことでしょ?
それはもう俺達の手で終わらせたはずじゃ……
「は? 井戸水? 感染症? 何のことザマスか。計画はそんなものじゃないザマスよ」
どういうことだ。こちらを混乱させるためにハッタリをかましている……わけじゃないか。そんなことする意味がわからない。
一旦落ち着こう。こいつの言っていることが本当だとしたら、俺が必死になって解決したあのハクリとは別に、トスネの町を危険に陥れるイベントが発生しつつあるってことだろ?
「物分りがいいザマスね。褒美としてこの肉を食うことにするザマス。」
褒められた気がしない。てか褒美が全く褒美になっていないし、話している最中にものを食うな。
それで、お前はこの街に何をするつもりなんだ。俺にどうしろっていうんだ。
「ムシャムシャ。そこまでは言う気がないザマス。計画の内容までつまびらかにすると、さすがに上から怒られるザマスからねえ。これでもけっこうギリギリザマスよ」
意味深なことばかり言って全然核心に触れてこないソイルコンタムにイライラさせられる。
そっちの事情なんて知ったこっちゃねえよ、いいから教えろ……と思った瞬間のことだ。
「……何してるの……ソイルコンタム……?」
うわぁっ!? ソイルコンタムの隣にいきなり変な生き物が登場したぞ。
上半身は人型、下半身は魚、手っ取り早く言えば人魚。こいつはソイルコンタムの仲間かっ。
何が起こるのかわからないまま身構えたが、ソイルコンタムからの反応は意外なものであった。
「私の行動に首を突っ込まないでもらえるザマスか? アクアコンタム」
「……あんなヤツに……肩入れするだなんて……何考えてるの……」
あんなヤツ呼ばわりされたけど、それはいい。仲間じゃないのか? あと、こいつの名前はアクアコンタムっていうのか。
名前からしてもうソイルコンタムの仲間っぽいんだけど、協力しているようには見えない。むしろ二人(匹?)の間には険悪そうな雰囲気さえ流れている。
ちなみに、ノエルは相変わらず歩いているだけだ。アクアコンタムもやっぱりノエルの目には見えていないらしい。コイツがソイルコンタムと同じような存在であることはほぼ確定したが、ここからどう転ぶのか。
アクアコンタムがこっちの味方になって、ソイルコンタムを潰してくれるとかだったらありがたいけど……そんな希望的観測はできないかな。
いざという時に備えて緊張感を高めつつ、会話の盗み聞きに集中する。先に口を開いたのは、アクアコンタムであった。
「……ソイルコンタム……前回の悪食ピグ召喚で……大失敗しているからって……私の計画まで……邪魔しないで……」
そういって軽く腕を振り上げたかと思うと、周囲に無数の水玉が誕生する。一個一個がバレーボール並みにでかい上、その数が尋常ではない。
100はくだらないであろう水弾が一斉にソイルコンタムへと襲いかかる。一瞬町への被害を心配したけれど、ノエルが相変わらず何も反応しないってことはこれもまた別の次元での戦いなのだろうか。
「断るザマス。あなた達とは目指しているところが違うザマスよ」
対するソイルコンタムの目の前には、いきなり巨大な砂山が誕生した。3階建てほどの大きさの砂山はあっという間に水球を吸収し、湿った色を示す。
魔法だとしても、なんともムチャクチャな。ちなみにノエルの歩みに揃って砂山が前へ前へと移動しているので、やっぱりこれは映像と声だけが俺に送られているみたいだ。どういった仕組みなのかさっぱりわからないけれど。
しばらくすると、一瞬にして現れた砂山が崩れ落ちるように消え去る。この2体の会話はまだ続いていた。
「……そんなの関係ない……私は成功しなきゃならないの……見下されないために……見下すために……」
「陰湿ザマス。まあ勝手に上を目指してればいいザマスよ。そのうち上も下もなくなるザマス」
「……やっぱりわたしを見下すのね……ああ憎らしい……殺したいほどに憎らしい……」
怖え。何だよコイツ。味方になってくれないかと僅かながら期待してたけど、こんなやつが味方になったところで困る。
いや、気を緩めるな。会話に集中しろ。どこから大事な情報が出てくるかわかったもんじゃない。
「殺されたくはないザマスね。その憎悪を誰にぶつけるザマスか?」
「……矛先は、人間……私が上に行くため……人間を殺す……」
話がぜんぜん見えてこないが、アクアコンタムの口からはハッキリと『人間を殺す』と聞こえたぞ。
忘れてはいない。ソイルコンタムも以前に悪食ピグを使ってトスネの町を混乱に陥れた。それと同じようなことがまた起きるのではないか。
「成功するといいザマスね、水を使った作戦が」
「……心にもないこと……言うな……異世界のロボット掃除機を使ってまで……邪魔してるくせに……」
ちょっと待て、アクアコンタム、今なんて言った!?
もしもーし! あなたテレパシー出来ますかー! いまロボット掃除機と言いませんでしたかー!
「じゃあ私はこれ以上は手出ししないザマス。アクアコンタムとポルカの戦い、どうなるか楽しみにしているザマスよ」
「……最後まで……その見下す姿勢……憎らしい……」
あっ、会話が切れて2体の姿も見えなくなった。
「ポルカくん、何かあったの?」
『ペポー』
「うーん、なんかいつもと雰囲気が違うように感じたんだけど、何か隠してない?」
『 ペポー』
流石にこんなことをノエルに知られるわけにもいかないので適当にすっとぼけてみたけど、まさか追求されるとは。
ノエル、エスパーか? 勘が鋭すぎだって。
「何か困っていることがあったら、私だってポルカくんの手伝いぐらいしたいんだからね、あんまり遠慮しないで」
何気なしに言ってくれた裏表のない一言が、限界まで高まっていた俺の緊張をほぐしてくれた。
人間を殺すとか言ってたけど、最悪でもノエルは守ろう。そのことを第一に、余裕があれば他の人も助ける……まあ、そのぐらいにしておこうか。
ゴミが拾えない日でも、やることはいっぱいある。みんなが住みやすい環境を作るためには、時間がいくらあっても足りないのだから。