56話 捨てネコ
シェリーが逃げてしまったので、結局ノエルの特訓の成果はシェリーに見せることができなかったようだ。
代わりと言っては何だけど、俺が少しだけ付き合ってあげた。前よりは魔法の制御が上手くなっているとは本人の談だけど、実際に見てみたところでは、ノエルの放った炎の塊がしょっちゅう予期しない方向へ向かってはルーカスが慌てて消している。驚くほどの成長とはいえないかな。
そんな急激に成長できたなら苦労はないんだろうけどな。まあ少しずつ成長しているようだし、ノエルのあの頑張りようを見た感じでは成長しないほうが嘘ってもんだ。
これに関しては俺ができることなんてほとんど無く、ルーカスに任せっぱなしになってしまうのがなんだか情けなく思うけど、適材適所ということで。
川の流れもいつも以上に穏やかである。こんな感じの平和な日々が続けばいいなあと、切に思う。
ルーカスも別に暇というわけではなく、研究の合間を縫ってノエルに魔法の特訓をつけてくれている。研究が忙しいときは教えられる時間が短くなるみたいで、今日はそんな日だったようだ。
「ちょっと今日は用事あるんで、これで終わりにさせてくださいね」
「もう1回!」
「ダメです」
「頼みます、もう1か」
「ダメです、もう教えてあげませんよ」
「はい……」
最初の頃は、際限ないノエルの『もう1回』に辟易していたルーカスだったが、最近覚えた必殺技『もう魔法教えてあげませんよ』がノエルに対して効果抜群だったみたいだ。
ノエルが無茶なこと言うたび、この脅しが登場している。まるで保護者みたいな立場になっているな。
スッパリと魔法の特訓を終わらせたルーカスは、急ぎ気味に帰り道を駆けていった。本当に時間ギリッギリまで付き合ってくれていたのだろう。
ノエルはちょっとだけ物足りなそうな顔をしたが、すぐに気を取り直したみたいである。目をつぶって瞑想のようなものを始めた。あれはイメージトレーニングでもしているのかな。
集中を乱しちゃ悪いし、静かにこの場を離れることにしようか。ゴミ拾いもしておきたいし。
そういえば、少し前までモモちゃんとコトラを探していたよな。モモちゃんはどこへ行ったのか、コトラはちゃんとモモちゃんを見つけられたのかなあ。
と、そんなことを考えながらモーターを回し続けて10分ちょっと、不意に遠くの方から猫の鳴き声が聞こえてきた。
「――ミャー――」「―――ニャ?」「――ミィ」
遠すぎて何言っているのかまでは聞き取れないけど、あの方向にいるのかな。とりあえずは向かってみることにしよう。
路地裏を通って鳴き声の出どころへと歩みをすすめると、思った通りそこにいたのはコトラとモモの2匹組……
「ミャアミャア」「ニュウン……」「ミィィ」
と、子ネコ3匹?
かなり小さめの子ネコ3匹を前にして、コトラとモモが会話をしていた。
「コトラさん、この子たち……」
ま、まさかこの3匹はコトラとモモの子供!? そんなコトラ……! 騙したわね! 私は遊びだったのね!
ネコ好きの心を弄んだの!? この悪党! 泥棒猫! 黙ってないで何か言いなさいよコトラ!
「まあこの子たちは、捨てられたんだろうな」
「こんなに小さいのに捨てられるなんて、かわいそうですよね」
「うん、その気持ちはわかる」
ふぅ、なんかテンパって思考回路がバグっていた気がするけど、あの子ネコ3匹はコトラの子供じゃあないのか。よくわからないけど安心したぜ。
よく考えてみればコトラとモモちゃんが出会ってからまだ1ヶ月も経っていないはずだし、2匹の間に子どもがいることのほうがおかしかったわ。
「……助けないんですか?」
「うん、よくあること 仕方ない」
「よくあること……ですか」
コトラはというと、捨てられた子ネコたちに対して助けの手を差し伸べることもなく、ただ憐れむような目をしていた。
よくあることねえ。捨て猫のモモちゃんとしては何か思うところがあるのだろうか。子ネコたちの顔をじっと見つめている。
子ネコたちはというと、大きな目をパチクリさせて、期待半分、怯え半分といった感じでモモちゃんのことを見つめ返していた。
モモちゃんはその視線を外すと、コトラに向かって真剣そうに鳴きかける。傍からはニャーニャー言っているようにしか聞こえないけれど、マルチリンガルを通して伝わる口調は本気であった。
「ねえ、コトラさん」
「なに?」
「この子たち、助けられないでしょうか?」
「なんで?」
「なんでって……ほらかわいそうですし」
「よくあることなんだって。全部助けてたらキリがない」
「それはそうかもしれませんが……」
コトラの言葉を反芻しつつも、道の端に転がる子ネコ3匹を再び視界に収めるモモちゃん。
どうにかしてこの子たちを生かしてあげられないか。同じ境遇にあったからこそ、そんな慈愛の気持ちがあるのだろう。
だけど、相手は子ネコだ。辛うじて乳離れしているかどうかというサイズで、狩りもまともにはできそうにない。例えここで一日分の餌を与えたところで、1週間の生存を保証することもできない。
親のいなくなった子ネコの行く先は、野垂れ死にだろうか。やるせないけれど、自然の摂理から逃れることはできないだろう。
未練がましく子ネコたちを見つめるモモちゃんに対して、コトラがたしなめるように声をかけた。
「ほら、戻るよモモ」
しかし、そんなコトラの言葉に従わない。モモちゃんはコトラの方をキッと向いて、相手に、そして自分に言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「でもコトラさん、わたしやっぱりこの子たちを助けたいです」
「似たような子はこの町だけでたくさんいるよ? その子たちみんな助けるつもり?」
「わかってます。そんなのは無理だって。だけど自分にできることはやりたいんです」
その口調からモモちゃんの本気度を感じ取ったのだろうか。コトラはというと、モモの顔をじっと見つめて何かを確かめるように顔を動かした。
「モモがそこまで言うなら、止めはしないけど」
おお、コトラのほうが先に折れたか。モモちゃんよく頑張った! 今度俺の上を貸し切らせてあげよう!
だけど、そんな感激もつかの間、コトラの口からはより現実的な問題が出てくる。
「助けるってのはどうやって? モモはまだまだ狩りが下手だし、俺だって5匹分の食べ物を毎日用意するのはキツイよ」
確かにこの子ネコたちを拾って育てるとなると、少なくとも自力で生きられるまでは餌を用意する必要がありそうだな。生きることで手一杯な野良ネコにとっては、そんな悠長なことをやっていられないのかもしれない。
「地面に落ちた生ゴミも減ったし、ネズミも最近全然いないしで、今だって食べ物にはギリギリなのに」
話だけ聞くと、この街の衛生環境が向上したことが明らかにわかる一言なのに、こんなところでしわ寄せを食らう野良ネコたちがいるということで素直に喜べない自分がいる。
野良ネコが住みづらい街になってしまった原因の一端には、間違いなく自分の存在があるだろう。そのせいでこの子ネコたちが生きられないなんてことになったとしたら……俺はどうすればいいんだろうなあ。
「ど、どうにかしてみせますよ!」
そういったモモちゃんはというと、俺のことには既に気づいていたのだろうか。スタスタと俺の前まで一直線に歩いてきて、猫なで声で頼み事をしてくれた。
「食べられるものくださいな」
『ペポー』
この前、俺がトカゲのしっぽをあげたことを覚えていてくれたみたいだが、残念ながら俺は猫の餌をストックしているわけじゃないんだよ。
俺の否定の言葉を理解したモモちゃんはというと、あからさまにショックを受けた様子でトボトボとコトラのもとまで戻っていった。
「ごめんなさい無理でした……」
諦めるのはえーよ! もうちょっと頑張れ!
コトラはというと、軽くため息を吐いた後でモモちゃんに声をかける。
「誰かからエサを貰おうって考えは 良いかもしれないけど」
「狩りができないですから、そうするしかないんです」
そんな会話を聞いていた俺の頭のなかに、一つの施設が思い浮かんだ。
あの場所ならもしかしてこの問題を解決してくれるだろうか。
「お、どうしたポルカ。乗れって言ってるのか?」
『ピンポン♪』
コトラの近くによって軽くつつくと、俺の言いたいことを理解してくれたのかコトラが上に乗っかってきた。うん、それでもいいけど、あの子たちも連れてってあげないと。
3匹の子ネコたちを見ると……めっちゃ警戒されているな。そりゃロボット掃除機なんて初めて見るんだし、警戒もされるか。
だけど、そのうちの1匹の子ネコは、警戒心よりも好奇心のほうが勝ったみたいでジリジリとこちらに近づいて俺を観察している。上にコトラが乗っているし、少なくとも危険なものではないとわかってくれたのだろうか。
俺のすぐ隣まで近づいた子は、遠慮がちにペタペタと触ってきた。電子音を鳴らしたらビックリして少し距離を取ってしまったが、また少しずつ近づいてくれている。
「あの、コトラさん。ポルカはもしかして この子たちを運ぼうとしているんじゃ」
『ピンポン♪』
「あ そうなのか」
俺の意図を読み取ってくれたモモちゃんが、子ネコたちを俺の上に乗るよう誘導してくれた。コトラも降りてくれたので、子ネコ3匹ぐらいならなんとか大丈夫そうだな。
最初は戸惑っていた子たちも、すぐにロボット掃除機の暖かさに病みつきになったみたいだ。みんな体をゴロゴロ擦り付けていて、降りようとする子なんて1匹もいなかった。
よし、準備完了。行くとしますか、トスネ孤児院へ!
「ココねえちゃん、ポルカがきたよ! なんかネコもいるよ!」
「あら、お久しぶりですねポルカ」
身寄りのない子どもを引き取るとともに、ゴミの分別・焼却を行っている施設であるトスネ孤児院。
ちょうど子どもたちはゴミの分別をやっていたようで、山のように積まれたゴミを『紙など燃やせるもの』『金属など燃やせないもの』『使えそうなもの』そして『生ゴミ』に分けていた。
孤児院の裏には小さな畑があるみたいだけれど、生ゴミはそこに肥料として撒いているらしい。
生ゴミを食べさせるのはちょっと気がひけるけれど、餓死させるよりはマシなはずだ。さすがに精肉店とかにエサを貰いに行くのは無理そうだし、このあたりが現実的なラインかな。
なお、孤児院に来たはいいが、柵のような門が閉まっているので入れない。空けてくれないかなあ。
そんな淡い期待を抱きつつ、管理人であるココさんの判断を待つ。
「なんでネコが乗っているんでしょう? ごめんなさい、ウチではネコは受け入れてないので」
ダメなのか、エサをもらいたいだけなのに。
しかしそんな落胆もすぐに消える。作業をしていた子どもたちが、ネコの姿を見て騒ぎ始めた。
「えー、カワイイじゃん!」
「ねえねえ、エサあげてもいいかな? ネコって何をたべるの?」
「わたし知ってるよ! ネコはニクショクドーブツ、ニクをたべるんでしょ!」
「ここにあるネズミはたべるのかなあ」
うおぉ! 後ろの方で仕事していた男の子がネズミの死骸を持ってきたぞ! それも3匹!
ネコたちはというと、色めき立ったように男の子の方を見つめている。モモちゃんにいたっては後ろ足で立ち上がって前足をカイカイと動かしているぞ、これが元飼い猫のなせる技かっ。
ココ姉さんが止める暇もなく、柵の隙間からネズミが投げ渡された。食らいついたのは子ネコたちである。ちょうど1匹が1つのネズミを手に入れたようで、慌てたようにガツガツと腹の中に収めていた。
「あらら、美味しそうに食べてますね……」
ココ姉さんも意外そうな表情で子ネコたちを観察している。よしよし、今後もこの孤児院からネコの食べ物を渡してもらうことができれば、この野良ネコたちも餓死することはなくなるはずだ。
いっその事この孤児院で飼ってくれないかなーとか思ったけど、そこまで求めるのは酷だな。一人の子どもが同じことを言っているが、ココ姉さんがやんわりと拒否していた。
「せわをするから! ね、ね、ウチでかってもいいでしょ?」
「ごめんね、ウチじゃ飼えないの、ここはそういう建物だから」
「そんなぁ……」
ああ、今にも泣きそうな顔をしているぞ。
見かねたココ姉さんがその子に対して慌ててフォローを入れる。
「庭や建物に入れちゃダメだけど、ネズミぐらいならあげてもいいかもね」
「わかった! そうするねココ姉ちゃん!」
この子立ち直り早いな! まあ、これでよかっただろう、一件落着とするか。
「ポルカ ありがとうございます」
『ピンポン♪』
モモちゃんからお礼も言われたし、今日はいい仕事したな。ネコの食べ物を確保して、ゴミ拾いを控える必要もない。我ながらカンペキな回答だろう。
町のキレイさとノラネコの住みやすさは両立しない? そんな考えは覆してやったぜ!
「はぁ……、施設の前が猫のたまり場になったら面倒ですね……何か対策を考えるべきでしょうか」
と、妙なハイテンションになっていた俺の耳に入ってきたのは、ココ姉さんのため息だった。
「匂いとか鳴き声とか大丈夫ですかね。勝手に施設に入ってきたら困りますし」
ネコや子どもたちとは対象的に、少し困った顔をしてブツブツと呟いていた。
野良ネコの餌を確保したは良いけれど、やっぱり施設の人には迷惑をかける事になるのかな……
あちらを立てればこちらが立たず。そんな言葉が頭のなかに浮かんだときには、ココ姉さんは既に建物の中に戻ってしまい、その姿は見えなくなっていた。
空もさっきまでは晴れていたのに、だんだん雲が増えてきたな。もしかしたら一雨来るかもしれない。
心のなかに消化しきれない思いを抱きながら、俺は孤児院を後にした。