49話 ミアズマ9 後日談
ノエルが井戸水の中に炎を打ち込んでから、10日前後が経過した。
隔離所で働き始めてから、一日あたり5人から8人ぐらいだろうか、毎日のように新しい患者が運ばれていたが……6日目ぐらいからほとんど新しい患者は入ってこなくなる。今日は誰も来なかったな。
ハクリ患者の現状は様々だ。すでに治ったように見える人もいるし、未だに寝込んで数時間ごとに胃酸を吐いている人もいる。
病気が治ったか否かにかかわらず、ハクリにかかったものは許可が出るまで隔離所を出ることはできないのだ。しばらくは誰もがこの建物の中での生活を強いられることになる……と、どこぞの爺さんが言っていた。
その爺さんは何十日も閉じ込められることを覚悟しているみたいだが、そこまでにはならないと思う。
病人たちはまだ知らないようだが、外ではハクリの感染が終わりつつあるからだ。
「ポルカ、それとみなさん。ニュースですよ」
数日前までの忙しさや雑さとは正反対に、のんびりじっくり丁寧な掃除をしていたときである。隔離所の扉が開いたかと思うと、ルーカスが部屋の中まで上がり込んできた。
ハクリの研究が進んだのかな。最初に汲んだ水だけでうまくいったのだろうか。
ちなみに、ノエルが井戸の水を超加熱したことはどこからかバレたようで、特にルーカスは『ああ、井戸の水がほとんどなくなってる!!』って絶望的な声を上げていたが……そのことがどう転んだのかも、ちゃんと見届けないと。
ルーカスが建物の中心付近で座り込むと、俺以外にも複数人の人が集まってきて、ルーカスが持ってきたというニュースに耳を傾け始めた。
「まずはポルカ、ありがとうございます。」
『どういたしまして』
周りのみんなも、え?という感じでこちらを見つめている。ルーカスからお礼を言われたということは、賭けに勝つことができたのかな?
「あの井戸水で色々実験してみたんですけど、囚人に飲ませてみると何人かはハクリを発症しました。流行地からは遠く離れた牢屋の中で、です」
ああ、やっぱりしたのね人体実験……ちょっとだけルーカスとの間に心理的な距離ができてしまった気がする。
「そのことを偉い人たちに報告してみたところ、『井戸水のせいで病気になる?そんなわけあるか』『バカジャネーノ?』とか散々言われ……で、その人達は僕の家まで井戸水を飲みに来て、ハクリにかかりました」
後ろにいた人が何人か吹きだした。いやいや笑い事じゃないから。
でも、そこまでお膳立てされたならもう確定と言っていいだろう。ハクリの原因はあの井戸水。そしてわかったことはもう一つ。
「だけど、2回目に汲んだ水では誰もハクリを発症しませんでしたからね。もしかしたらノエルさんが井戸水に入れた炎が、本当にハクリを燃やし尽くしたのかもしれません。
ノエルがルーカスから怒られた時に、彼女は『こうすればハクリが止まるんです!』って言い訳したみたいだ。
幸いにして罪には問われなかったものの、井戸の水を汲むために必要なロープまで燃え尽きていたので、それの修理代はノエルが支払う羽目になった。すまん。
だけどそれで終わらせなかったのがルーカスである。どうにかして枯れかけた井戸から水をかき集めると、その井戸水がハクリを引き起こすか調べてくれた。
俺の主張と同じぐらいに、ノエルの言い訳も本当なのかどうかを確かめてみたかったらしい。
結果としては、見事にノエルの言うとおりになった。加熱した井戸水を飲んでも、ハクリにかかることはなかったのだ。
「井戸水が原因だとしたら、ハクリの感染範囲がだんだん広まっていくことの説明がつかない……って主張している人もいますけど、実際に井戸水が燃やされてからトスネで発生するハクリ患者は急減しましたからね」
「なんでもいいよ! つまり、ハクリの流行はもうすぐ終わるんだね!?」
話がよくわからなかったのだろうか。この隔離所の中ではかなり小さい、10歳ほどの男の子が、強い期待を込めてルーカスに質問する。
ルーカスは珍しく優しそうな微笑みを見せると、そうだよ。と言って、満足気な様子で立ち上がった。
「議会には同じことをすでに伝えてあります。避けるべきはハクリ患者ではなく、あの井戸水だったと。そしてノエルさんが井戸水を燃やしてくれた今、もうハクリに怯える心配はないと。うまく行けば明日にでも家に帰れるようになるでしょう。」
その言葉を聞いて、お互いに喜び合う人たち。中には涙ぐむ人や、ほっぺたをつねる人までいる。
死ぬかもしれない、家族と二度と会えないかもしれない、そんな恐怖から開放された人たちの歓喜に、俺も強制的に加わることになった。
「ルーカスくんの言ってることは全然わからなかったけど、本当にありがとう!」
「あのお兄ちゃんのお話、つまんなかったけど、明日から外に出られるんだよね? 早く友だちとあそびたい!」
「あれ? なんか話の途中で寝ちゃったけど、みんな、なんかいいことあったのかね?」
「……まあ、そんな認識でもいいですよ」
……哀れ、ルーカス。
彼の優しい微笑みは、今は少しだけ引きつっていた。
ルーカスがちょっとだけ泣きそうになりながら出ていった後、俺はおかみさんに話しかけられていた。
「なんだかまだ信じられないね」
「プゥン?」
ハクリが流行し始めてから、一番の心配事だったおかみさんの体調だったが、5日目にはほとんど回復しており、スキあらば他の人の看病をしようとするまで元気になっていた。
隔離制度のせいでまだ建物から出ることはできないが、ノエルに手紙を書くことで元気になったことは伝えられたみたいだ。
「いや、あのバカなことばっかりしていたノエルが、みんなをハクリから守っただなんて……ポルカがあのルーカスくんって子とグルになって私を騙そうとしてるんじゃないかね?」
『ペポー』
「アハハハ、冗談よ。しかしあのノエルがねえ……本当に驚いたわ……」
まあ、井戸を沸騰させたことがノエルの成長と言えるのかどうかは怪しいけれど。
まるで目の前に娘がいるかのように目を細めるおかみさんに対して、そんな野暮なことは考えないようにしよう。
翌日の昼頃、役所の人と医師が来て、隔離所に入れられた人たちの診断を始めた。ハクリから回復した人はそのまま帰宅することが許可されるみたいだ。
まだ回復していない人は帰れないみたいだが、お見舞いの制限が少しゆるくなったようで、病人の家族であれば看病をしに来ることが認められたみたいである。病気を治すための環境は、これからより良くなっていくことだろう。
トスネの街で起こった、ハクリの大流行。
前回起こったのは10年以上前、100を超える人が狭い隔離所に閉じ込められて、3割の人が亡くなった。
だけど今回、隔離所に入れられたのは50人程度。そして死者は今のところ、俺の知る限りだが、1人としていない。
ミアズマを掃除することに成功し、ハクリを封じ込めた。この街の人はハクリの恐怖に打ち勝ったのだ。
(ソイルコンタム……これは俺たちの勝ちってことでいいんだよな?)
なんとなく心のなかで呼びかけてみるも、俺の目の前にソイルコンタムが現れるということはなかった。
ふうむ、ソイルコンタムのやつ、どうやら俺に敗れたから尻尾巻いて逃げたんだろうな。
もし現れてたら思いっきりプギャーって笑ってやったのに。
ザマス口調で喋ってんの不自然すぎるとか、豚が二足歩行で歩いてるの気持ち悪いとか色々指摘したいことあるのに!
あ~! 負け犬、いや負け豚のソイルコンタムにはもう会えないのか~! 残念だな~!
……
……ここでいつの間にか現れてて、俺の心を読んで激怒しているんでしょ? わかってるよ!? もったいぶってないで早くおいでよソイルコンタム! ヘイカモン!
……来ねえ。
挑発はともかくとして、ソイルコンタムがトスネの街に対して、これ以上手出しをしないかどうかということは知りたいのだが。
う~ん……あいつのことよくわかんないけれど、そんなに執念深かったり人間に恨み持ってたりするようには思えないし……
ここから何か追加で攻撃してくるようなことはないかな……とりあえずはそう信じておくことにしよう。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「お母さん、おかえりなさい!」
おかみさんと一緒に、下宿先のキアレおばさんの家まで戻る。ノエルはというと、台所にて昼食の準備をしていた。
ノエルはこちらに駆け寄ろうとする意志は見せたものの、タイミング悪く鍋の中身が吹きこぼれそうになっていたので慌てて調理台の炎の大きさを調節している。。
そんなノエルに近づいて、たった一声をかけるおかみさん。
「ノエル、頑張ったわね」
「え、え? 急にどうしたのお母さん?」
お互いにちょっと照れくさそうにしながら、それを紛らわすかのようにおかみさんがまた指示を出す。
「でも、かゆを作るんだったらナベのフタはぴっちり閉じるんじゃなくてすき間を開けなさい。それにまだ火が強すぎるわよ」
「わかった!」
うん。これこそいつも通りのおかみさんだ。ノエルもそのことが嬉しかったのか、弾んだ声を上げてから再びナベの中身とにらめっこを始める。
時間的にはそろそろ完成するはずだ。キアレおばさんを押しのけてまで、母親のために作った料理。
その気持ちが病み上がりのおかみさんに届いてくれることを願おう。
ノエルのすぐ近くに落ちていた草の切れはしを吸い込んで、料理風景を見守る。
今日の彼女が用意してくれる昼食は、エシャロ草かゆだ。
2017.01.09
ミアズマ編、これにて終了です。
すみませんが、これからはまた不定期更新になります。




