48話 ミアズマ8 ミアズマの掃除
「ポルカが壊れたみたいだという噂を聞いて駆けつけてみましたが、まさかそんな話になっているなんて思いもしませんでしたね」
ルーカスは井戸を覗き込むと、ロープを引っ張って滑車をガラガラと回す。井戸の中から現れた桶には、当然ながら井戸水が入っていた。
「この井戸が、ハクリの原因だという証拠……を、ポルカに求めるのは難しいですかね。喋れませんし」
『ピンポン♪』
今の俺じゃ説明もできないし、マッピングを相手に見せることもできない。
第一、証拠も非常に曖昧なものだ。患者の家の場所をまとめたら、その中心に井戸がありました。ハクリ患者はみんなこの井戸を利用したんです……それだけだ。この井戸の中から病原菌を発見したわけじゃない。
俺にもこの推理が100%当たっているという保証はできない。ましてやルーカスが何の説明もなく俺の主張を受け入れるだろうか。
「まあ、これは一種の賭けになりますかね。ハクリの原因が井戸水だなんて主張、僕は聞いたことがありませんし。根拠のない戯言で井戸が使えないとなったら、近所の人もそりゃ怒るでしょう。でも、その戯言が本当である可能性も否定はできません」
野次馬として集まってきた近隣住民も、ガヤガヤと話を始めた。俺の言うことが本当かどうか、明日からこの井戸を使うかどうかの議論をしているみたいだ。
俺の言うことを無条件で信じるような住民はいないと思うけど、それでもいい。少なくとも目の前の井戸に対して危険性は感じ取ってもらえれば。
「ルーカスさん、わたしその井戸水飲んでるんだけど!大丈夫なのかな!」
「俺はその井戸のすぐ近くで暮らしてるんだけど、どうなるんだ!」
「水遊びしたウチの子供達は平気ですか!?」
……あの、何この展開。
喧々囂々の大騒動。ルーカスは俺の発言を『戯言』って言っているのにこれかよ。
ある意味では住人のハクリに対する恐怖が現れているのかもしれないけれどな。
一つ言いたい……もうちょっとお前ら、疑いを持て!世界滅亡の予言とか流したら面白いことになるかもって考えちゃったじゃねえか!
話を戻そう。ルーカスはほとんどすべての質問を「知りません」で躱した後に、俺に向かって話しかける。
「結局ポルカからは証拠も説明も何もない。今のままではただのしょーもない噂、ポルカは悪質なデマを流した犯人になります」
酷い言われようだな。まあ否定はできないんだけど。
「ポルカくんのことを悪く言わないでよ!」
なんかノエルがしゃしゃり出てきた。気持ちはありがたく受け取っておこう。
ルーカスは、言葉が悪かったかなと謝ると、改めて俺に最終確認を取った。
「それでもこの井戸水が原因だと主張するわけですね?」
当たればこの町の人達が助かる。外れれば今まで積み重ねた信用が一気に消える…… そんな賭けだったけれど。
「ピンポン♪」
今までで一番力強い電子音を鳴らした。
集まってきた人々の数は更に増えている、もう言い逃れはできないな。
ノエルが心配そうな目で俺を見つめている。大丈夫だよ、信じておけって。
ルーカスは、そうですかと言った後に、思ってもいない提案をしてくれる。
「それじゃあ、僕もその主張に乗っかりましょう。ハクリの原因が井戸水だという主張の証拠を探してみます」
「プゥン?」
「まあ、井戸水の中に毒が混ざってないかの確認……あとは囚人に井戸水を使わせてハクリに罹るか調べてみましょう。これでもミアズマ研究課の臨時職員ですからね。頼めばなんとか融通はきかせてくれるかと思います」
じ、人体実験か。怖いことをサラリと言ってくれるな。
その実験をしている間、井戸の封鎖は多分されない、井戸を使うかどうかは各人の判断に任せる……とルーカスが言ってたけれど、あの様子だったら使う人なんてほとんどいないだろう。
しかもそんな話をしていた矢先に、『使用禁止』とデカデカと書かれた紙が井戸に貼り付けられたぐらいだ。もうすっかり住民の間でこの井戸が悪者になってしまっている。
……どうか、賭けが外れていませんように。
ルーカスが井戸の水をいくらか容器に詰めて去っていったところで、近隣住民もぞろぞろと解散していく。
大変な戦いだった……まあ、隔離所の掃除も公衆トイレの消毒も続けなければいけないけど、これでひとまずの区切りがついたか。
もう今日はすべてを放り出して休みたいけど、2時間経ったらまた掃除に向かわないとなあ……
そう考えていた俺に向かって、話しかける声が聞こえてきた。
「あの、ポルカくん……あの井戸水がハクリの原因ってのは本当なの?」
『ピンポン♪』
声の方向を向くと、そこにいたのはノエルだ。何やら不安そうな表情で先ほどの話の確認をとってくる。
正確に言おうとすると、その可能性が高いという感じだけど、そんな微妙なニュアンスは伝えられない。肯定か否定かの二択になってしまうが、ここは肯定しておくべきだろう。
「……わたし、大丈夫?ハクリになるのかな?」
『……』
「な、何か答えてよ。それともやっぱりハクリになるの?」
まずいまずいまずい。
バカか俺は。ノエルだって井戸水を飲んでるに決まっているだろ。
この町の住人のハクリに対する怖がりっぷりは結構なものだ……それはノエルも例外ではない。
健康的すぎるほど健康なノエルは、抵抗力があってハクリに感染しにくいと思うけど、ハクリにかかるかもという恐怖を与えるべきではなかったか。
どうする?何かあるか?この状況を変えてノエルの気持ちを紛らわすウルトラCな何か……それを求めて頭をフル回転して考えていると、世にも恐ろしい提案が聞こえてきた。
「何なら今からこの井戸燃やし尽くせば、ハクリを止められないかな!?」
『ぺ……!』
破壊神ノエルが現れたぞ!お前は悪食ピグ騒動で起こした火事のこともう忘れたのか!
そう思って条件反射で止めようとしたところだったが、その瞬間である。
頭のなかに浮かんだウルトラC……これ、思いついても実行しちゃダメなやつかなあ。
ええいもう面倒だ。そのまま実行してしまおう。
『ピンポン♪』
「え、止められるの?」
『ピンポン♪』
嘘を付くのは少し心苦しいけど、ノエルを元気づけた上でミアズマを掃除できる一石二鳥の一手! ただし失敗すると、未来永劫この井戸が使えなくなるかも!
「本当!? わたし、ポルカくんのこと信じてるからね!」
うぅ、ノエルからの信頼の言葉が今は胸に刺さる。騙してゴメンよ。
「特訓の成果を見せるときかな、炎よ螺旋の……」
『ペポー!』
って、心の中で謝っている場合じゃねえ! 井戸全体を燃やす必要はないんだよ!
大惨事を防ぐために急いで叫ぶものの、その電子音は一歩遅く、魔法の発動を止めることができなかった。
井戸に向かって走り出す炎の渦が、俺の目の前で全てを燃やし尽くす……前に[魔法吸引]!
炎の渦は進行方向を変えたかと思うと、俺の体内に吸い込まれていく。なんとか間に合った。あっぶねえ……
そんな光景を見たノエルは、納得いかなそうな顔でこちらの方を向いている。
「どうして止めたの?今のじゃいけなかったわけ?」
『ピンポン♪』
ノエルにどうすればいいかを伝えないと。
井戸のすぐそばに近づいて、俺の中では珍しく上方向に向けて使えるスキル[高圧水噴射]発動。
斜め上に向けて噴射された水が、放物線を描いて井戸の中に入っていく。ノエルは手をポンと打つと、わかったと呟いてくれた。
「井戸の中に向かって炎魔法を打てばいいんだね!」
『ピンポン♪』
ノエルガイドの中に炎を撃ち込めば、井戸水は煮えたぎること間違いない。
100度で1分加熱すりゃ大体の菌は死ぬはずだ……ハクリがコレラと同じように、細菌が原因の感染症であるという前提があっていればの話だけど。
「えーっと、炎渦が通るには狭いな、それじゃあ……」
ノエルは井戸をのぞき込むと、何の炎魔法を使うかを考える。やがて何にするか決めたようだ。
井戸の中に手を向けて、大きく息を吸い込む。その後に唱え始めたのは、ミアズマを、そしてハクリを終わらせるための呪文だ。
「鋭き炎よ敵を穿て 炎矢!」
井戸からモクモクと上がる湯気が、このハクリの終焉につながるだろうか。
あらゆる人に力を貸してもらったことで、今回のミアズマの掃除ができたのだろうか。
今はまだわからない。だけど、一つだけ言わせてもらうことにしよう。
……井戸の中身、枯れてないといいなあ。