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47話 ミアズマ7 ミアズマの正体

「ちょっと、水を汲ませてよ」


『ペポー!』


 現在の俺は、ハクリの元凶、ミアズマの正体を知った。今俺の眼の前にいるコイツがそうだ。

 コイツには何人たりとも近づけてはいけない。被害をここで食い止めるためにも、悲劇を繰り返さないためにも。



 ブロードストリート事件。ポイ捨てが引き起こした事件の中でも、最悪と言える悲劇。

 1854年 ロンドンの街で、一人の赤ん坊が病気になり、腹を下した。

 その子の母親はおしめを洗うと、汚れた水をその辺に捨ててしまった。

 水の中を泳いでいたのは、大量のコレラ菌。土の中に染み込んだ汚水は、やがてある場所にたどり着いた。

 これが後に数百人の死者を出す、コレラの大流行の始まりとなる。


「あら、ナッシュさんどうかしたの?」


「いや、なんだかよくわからないけど、ポルカが井戸を使おうとするのを邪魔してくるのよ」


 そのたどり着いた先こそが井戸だ。ハクリの正体はコレラ……なのかどうかは俺にはわかりかねるが、ハクリの原因がここにあることはほぼ間違いない。

 マッピングを使って調べた結果である。ハクリ患者の家はこの井戸の周りに集中していた。集中していると言っても、井戸のすぐそばに偏っているというわけではなく、半径200メートルぐらいの範囲にまんべんなく分散していたのである。

 そして、この井戸からある程度離れると、ハクリ患者の発生はパタリとなくなっていた。

 そこにミアズマの拡散を防ぐ何かがあるからではない。


(その範囲より外で過ごしている人には、そもそもこの井戸を使う機会がなかったんだ)


 大体の人は、自分の家から一番近い井戸を使うだろう。ハクリ患者の家は、どれもこれもこの井戸を一番近い井戸とする家ばかりだった。

 別の井戸を使うであろう家に、ハクリ患者は一人も発生していない。

 汚染された井戸水を飲んだことが原因の感染症。これがハクリの正体だ。



 そして、ここからが問題だよなあ。ハクリの正体がわかったとは言え、今の俺はロボット掃除機だ。そのことをどうやってみんなに納得させればいいのだろうか。

 まさか井戸水の中に次亜塩素酸ナトリウムを入れるわけにもいかないし。あれ猛毒なんだよ。

 とにかく今はディフェンスタイムだ。たとえ納得できなかったとしても、今だけはこの井戸を使わせられない。


「痛いってこのポンコツ!ああもう、向こうの井戸を使うことにしようかしら!」


『ピン、ポン♪ ありがとうございます』


「イラッ」


 すっげえ睨まれたけど、一人目の主婦は無事撃退。心臓に悪い。よく考えたら心臓ない。

 あと、撃退手段としてはくるぶしに向かってのタックルをかましている。これで帰らなければ、水を噴射したりたわしで磨かせてもらったりする予定だ。



 2時間、井戸を誰にも使わせなかった。文句は言われた。人によっては暴言も吐いてきた。それでもなんとか使わせなかった。

 今は隔離所に向かわなければ。そして早くあの井戸に戻らないと、ハクリが抑えられない。

 体は疲れていないものの、休むことなく動きつづけたことで、精神が、魂が疲れ始めていた。なんだか頭の中がボンヤリする。


 隔離所についた。ここにくるのももう何度目かわからない。

 床のよごれを急いで掃除した。急いであの井戸に戻ろう。


 再び2時間、井戸水を使わせないことを達成。しつこい人でも、水を噴射しておけば大体みんな帰ってくれるみたいだ。

 ロボット掃除機としてしばらく生活していたけど、2時間で30回も蹴られる日が来ることになるとは予想もしていなかったな。うっかり蹴られることは今までもあったけど、たくさんの人がわざと蹴っ飛ばしてくるなんて経験は初めてだ。痛みこそないけど、そこまでしなくてもいいんじゃねえの?


 2時間経ったから隔離所を掃除しに行きたいんだけど……まるで俺がいなくなるのを待ち伏せているかのように窓からチラチラ見てくる人もいるのだ。この場を離れる時間はできるだけ短くしないと。

 隔離所へ戻って、今までやった中でも最も手早い、悪く言えば雑な掃除をした。その後すぐに井戸の方まで戻らせてもらう。


『ペポーーーーー!!』


 やっぱり、おれのいないスキに井戸水を汲みにきた人がいやがる。その水を使うんじゃない……ああ、逃げられた!

 追いかけないと……いや、追いかけている間この井戸はどうなる?ディフェンスを手伝ってくれる人なんてどこにもいない。

 仕方ない。あの人のことはもうあきらめる。これから2時間、この井戸を守るんだ。



 ダメだ。守りきれなかった。まさか2人がかりで押さえつけに来るなんて。

 井戸水を何リットルとられた?ハクリの原因がわかっているのに、それを防ぐことができない。どうすればいいんだ。

 考えがまとまらない。そうこうしているうちに2時間たっているし。


 かくり所、ここに来るの何度目?

 掃除とにかく掃除しなきゃ……掃除機として掃除しなければ掃除したことにならない掃除


「ポルカ……もうちょっと余裕持ちなよ」


 そんな声にハッとして、広い部屋の奥の方を向く。おかみさんは毛布にくるまって寝っ転がったまま、弱々しくも優しい笑顔で俺の方を見てくれていた。


「いつもの楽しそうに掃除するポルカはどこにいったの。そんなに慌ててると、こっちまで心配になるわよ。ノエルじゃないんだから」


 顔は相変わらず青白い。その笑顔はどことなく無理をしているようにも見える。

 明らかに他人のことを心配している余裕などないだろうに、そんなことを言わせてしまったことに罪悪感を感じる。

 そうだ。この街に来たばかりの頃を思い出せ。火山灰の掃除を通して、住民を明るくしようと頑張っていた頃の気持ち。それが今の俺にはない。

 ロボット掃除機としての信念を忘れかけていた。掃除はみんなを幸せにするもの。そしてそのみんなの中には、俺も含まれてないといけなかったのだ。

 

 そのことを、たったの一言二言で気づかせてくれたおかみさんはというと、まだ体調が悪いのだろう。再び目を閉じると俺から目線を外し、寝息を立て始める。

 

『……ありがとうございます』


 でも、今の俺には余裕なんてないから。

 だから……もうちょっとだけ、力を貸してください。



 頭のなかでホームベースと唱える。すぐさま目の前が暗転したかと思うと、いつも通りにキアレおばさんの家に瞬間移動していた。 ノエルはいないか、どこへいったのか。知らないですか?キアレおばさん。


「あ、ノエルちゃんがついさっき、訪ねてきた友達と何か喋ってたけど、そのあと『え、それほんと? ポルカくんが?』って言って飛び出していったよ。心当たりはあるのかい?」


 めっちゃありますね。行き違いになってしまったか。

 おおかた俺を叱るために井戸へと向かったのだろう。それならむしろ好都合だ。全速力で向かうことにしよう。


 もう夜も遅い。道行く人も少ない。

 だけど、その少女はまるで俺がここに来るのを知っていたかのように、井戸の前で腕組みをして待っていてくれた。

 同年代の友達と思われる子や、興味本位で見に来た奥さんたちもいる。


「……ポルカくん、なんでポルカくんがこんなことしていたか私にはサッパリわからないんだけど、何か理由があるんだよね?」


『ピンポン♪』


 よかった。問答無用で怒られるような展開にならなくて。

 大丈夫。ノエルならきっと、俺が何を言いたいかをわかってくれるはずだ。

 この井戸がハクリの原因だということを伝えるべく、作戦を頭のなかで組み立てる。出し惜しみはしない。


『おなかいっぱいです』『ねむいです』『たすけてください』


「え?何?」


『おなかいっぱいです』『おなかいっぱいです』『おなかいっぱいです』『おなかいっぱいです』『おなかいっぱいです』


「ど、どういうこと?ノエルちゃん、ポルカ壊れたんじゃない?」


「そんなわけ無いでしょ!これは……そう!ポルカくんが井戸の水を使わせない理由を伝えようとしているんだよね。そうだよね、ポルカくん!?」


『ピンポン♪』 『おなかいっぱいです』『おなかいっぱいで』『おなかいっぱい』『おなかいっぱいです』


 これだけじゃあ流石に無理があるか……ん?今喋ってる途中で次の言葉喋り始めなかったか?

 もしかして俺の音声って途中でキャンセルできるのか?物は試しだ。確かめてみよう。


『おなかいっぱ』『おなかいっ』『おなか』『おなか』『おなか』『おなか』『おなか』 ……おお、うまくいった!


「えっと、おなかが関係あるの?」


『ピンポン♪』『おなか』『ピー♪』『ピー♪』

『おなかが』『ピー♪』『ピー♪』


 ……すさまじくマヌケだ! けど、今までの中では一番答えに近づいている!

 これでどうにか伝わってくれ!


「おなか……あ!ポルカくんが井戸のジャマをした理由ってもしかして……」



「その井戸がハクリの原因だと、そう言いたいんですか、ポルカ?」


「えっと、うん……そういうことだよね?」


『……ピンポン』


 ノエルが不満げな表情で、後ろからやってきた人影を見つめる。

 せっかく彼女の見せ場を作ったのに、何やってくれとんじゃ、ルーカス……

※ハクリ≠コレラ

ハクリはコレラを参考にして筆者が考えた空想上の病気です。

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