45話 ミアズマ5 諦めは知らず
そこからすべての便器の中に消毒水を注ぐのも結構難しかったけど、とにかくがんばった。ものすごいがんばった。ああ大変だった。
ちなみに、大量生産した重曹の山は帰り際に全部吸い込んでおいた。一応ゴミとしてカウントされるのか……なるほど。重曹が無限に使えるわけじゃない理由は、ゴミの自給自足が出来ないようにするためなのかな。そのことがわかったのはまあオマケみたいなもんだけど。
ハクリの鎮圧のためとは言え、勝手に職場を離れることはよくないだろう。トイレのほうも定期的に消毒したいのだが、隔離所の仕事も手を抜く訳にはいかない。
やりたいことが多すぎる。宿屋の仕事や、いつものゴミ拾いに割ける時間がまったくないのはきついな。分身の術でも使えるようにならないだろうか……瞬間移動が使える体で贅沢を言ってもしょうがないのだが。
とにかく、急いで隔離所に戻ろう。道と場所は大丈夫だ。脳内地図にちゃんとマーキングしてある。比喩ではなく、[マッピング]のレベルが2になったことで印をつけられるようになっているのだ。
[マッピング]を発動させつつ、トイレを出ようとしたところで俺を呼び止める声があった。
「ちょっと待てやポルカ。何してくれた。ビッショビショじゃねえか!」
呼び止めたのは監視員さんだ。スプリンクラーさながらに消毒水を振りまいたからな。ビッショビショになるのは仕方ない……はい、すみません。
いや、でも不可抗力ですよ。ハクリを押さえ込むためには、それはもう個室中に消毒水を撒かなければいけないんで……
「トイレは水遊びする場所じゃねえ。もう来んじゃねえぞ」
ガーンッ!! このわからず屋!
いやショックを受けてる場合じゃない。このトイレを消毒するのは絶対に必要なことだ。何としてでも説得しなければ……うん、どうやって?
と、とにかくそんな出禁には従わない意志を見せないと。
『ペポー! ペポー! ペポー!』
「うるせえよ!とにかく今度来ても入れさせねえからな!」
『ペポー! ペポー! ペポー!』
「うるせえっつってんだろが!」
うぇっ、投げ飛ばされた!ロボット掃除機を投げんじゃねえ!
でもこんなことでへこたれてたまるか!断られても、相手が折れてくれるまで頼み続けるまでよ!
走り寄る!懇願する!投げ飛ばされる!! 走り寄る!懇願する!投げ飛ばされる!! 走り寄る!懇願する!投げ飛ばされる!!
「しつけえ! いい加減にしろ!」
あいにくだが、俺はもっとしつこい人を知っていましてね。こんなところで止めては、彼女に笑われますよ。
ノエルを見習え! あれだけ失敗しても決して諦めない心、次こそはうまくやってやるという自信!
誰がなんと言おうと、お前が折れるまで頼み続けるからな!
「仕事になんねえだろうが!はよどっか行きやがれ……ぐっ、重!?」
ふははは!地面に吸い付いてやった! これで投げられまい!
さあ、爆音を鳴らし続けてやろう……
「うるっさいよ! あんたら近所の迷惑というのが考えられないのかい!? 雄鶏だってもうちっと静かに鳴くよ! せっかく黄昏どきを読書しながらクッキー食べて優雅に過ごそうと考えていたのに、ピーチクパーチクあんな音出されて集中できないったらありゃしない! 隣の家の赤ん坊もビックリして泣き始めちまうしさあ、子供をあやす母親の苦労もちっとは考えたらどうだね!? それともなんだい、お前さんは赤ん坊の頃、全く泣くこともないいい子だったとでも……」
やべっ、キアレおばさんだ! コマンド? 逃げる一択!
「待たんかいポルカァ!!」
逃げられない!
争いの仲介役に入ったキアレおばさんは、最初に監視員から一通りの話を聞いた。まあ、俺しゃべれないしな。
その後、軽くかがんだ状態で俺に向かって話しかけてくる。
「それで、ポルカがトイレをビショビショにした上で、またやろうとしていると……そういうことであってんのかねポルカ?」
『ピンポン♪』
「コイツもそう認めてることだしさ、オバさんも言ってくれよ。トイレで遊ぶなって……」
「ちょっと黙っとけ、雄鶏」
「……」
「ポルカ、アンタ今日から集会所で働くことになってたはずよねえ、抜け出してきたのかい?」
『ピンポン♪』
「このトイレをビショビショにするためだけに?」
『ピンポン♪』
「ふうん、そうかい」
仕事を途中で抜け出したことを隠すことはできない。てっきり怒られるものかと思ったが、キアレおばさんは特に俺をとがめようとするでもなく、もう一つだけ質問をしてきた。
「それ、必要なことなのかい?」
『ピンポン♪』
力強く答えると、キアレおばさんは納得したような顔をして立ち上がり、俺に向かって親指を突き立てた。
「わかったよ、コイツの説得はアタシがやっとくから、ポルカ、アンタはさっさと集会所に戻りな。」
かっこいい……けど、大丈夫なのか?
いや、多分キアレおばさんの心配はする必要はない。むしろ……
「ホイおまたせ、他人が話している時に口を挟むなんて非常識さには、この際目をつぶってやるよ。だけど相手の言い分も聞かずにダメだというその器量の狭さには呆れ返るほかないねえ。」
「いや、そうはいっても……」
「大体あのポルカがおふざけで水遊びをすることなんてないことぐらい、ちょっと頭をひねればわかりそうなもんだけどねえ。そんな頭の弱さをしてるんじゃアンタ、雄鶏の化身だと思われても仕方ないよ。おおかた、アンタの掃除が不十分だから見かねたポルカが手伝ってくれたんじゃないかね。ポルカと遊んでいる暇があったらその時間を活かしてトイレを磨いてればいいのよ、住人からカネを受け取っておいてそんなことも理解できないのか、それなら」
雄鶏の化身ザマァ……と言いたいところだけど、ここはあえて言わせてもらおう。
おい監視員、そのおばさんと一緒の家に住んでいる俺のほうが、何十倍も大変なんだからな!!
無駄な時間を食ってしまった。急いで仕事場に戻ろう。
集会場にまで戻って、門を顔パスし、扉をくぐる。くそ、この短い時間でまた何人かが床を汚したみたいだ。
大急ぎで汚れのもとを取り除き、洗剤を用いて床をきれいにする。よく見たら患者が何人か増えている。
あれ?病人ではなさそうな人も一人いるな。患者の枕元でしゃがんで話しかけているのは医者だろうか。手伝いが増えたのだとしたらありがたいのだけど。
「すみません、喋れますか?」
「はい……」
「感染病対策部 ミアズマ研究課 臨時職員のルーカスです。ハクリを発症する前、どんなふうに過ごしていたか教えてくれませんか?」
ルーカス!? ちょい待て、なんでお前が臨時職員になっとるんだ! まあそれを言うなら俺もだけど!
驚きのままに駆け寄ると、ルーカスはこちらに気がつき、挨拶代わりに手帳を見せてくれた。
『プゥン?』
「トスネの街の地図です。ハクリに罹った人がどのあたりで活動していたかを調べることで、ミアズマがどこまで広がってるのかを計算できると思いましてね。場合によってはその地区の人の出入りを制限するかもしれませんから」
ああ、そのミアズマなら、さっき俺が消毒してきましたよ。無駄足踏ませてしまったようですみませんが……
ん? あれ? この地図、なんかおかしくないか?
「12人ぐらいのデータを纏めたところ、ざっくりとこの範囲にミアズマが充填していると考えてみましたけど……ってこんなことをポルカに話してもしょうがないですか」
[マッピング]発動。ルーカスのメモ帳に書かれている情報をもとに、マーキングを追加する。
追加した情報は、患者の住所だ。キアレおばさんの家を始めとして、ハクリ患者が住んでいた家にチェックを付けていく。
俺の予想では、あの公衆トイレがハクリの感染源。本来だったらそのトイレの周りに患者の家が集まっているはずなのに……
「とにかく、この情報を議会に提出するんで、今は失礼します」
ずれていた。
患者の家は、全てあのトイレより東側にあった。
そんなはずはない。でも、ルーカスのデータが本当だとしたら……
(感染源は、公衆トイレじゃ、ない……?)
おかみさんを襲い、住人を殺す熱病、ハクリ。
俺はこの病気を、まだ全然理解できていないらしい。




