第九十八話 黒ノ送ル背ト現ル血
ホゼを目の前にした俺は、俺の知っているその人物とはまるで違うことに驚いていた。これでも同職で、同じ環境下にいたにも関わらず、このような状態になってしまったことには、少なからずの疑問を抱く。一体何が、ホゼをこうさせたのか。人を傷つけることを厭わない、それは教育師になるには不相応なはずで、何かの段階を踏んだにせよ、そのきっかけとなったものは、何だろうか。
そんなことを一人で考えていても、その答えは出ない。
「……向こうにいるのは、シンマだけじゃねーぞ」
もやもやとした中で聞いた、その言葉。それでも、俺が焦る必要はない。ザイヴ君たちのもとには、必ずガネが辿り着く。相手が何人であろうが、ガネが援助すれば数は関係ない。
「……残念だな。数も能力も、こちらが上だと思うが?」
しかし、ビルデ君たちの方にもう一人向かっているということは、少なくともそれなりの力が必要であることを読んでいたということだ。つまり、誘き出されていた、というところだろうか。二人が危ないということが分かった時に、ガネを向かわせたのは正解だった。どこまで読んでいるのかは定かでないにしても、計算高く、千里眼でも持っているのかと思わずにはいられない。
「……何だ、余裕か?」
「生憎だが、俺は本部長としての役目はきっちりと果たせているようだからな。……ガネさえいれば、向こうは大丈夫だ」
「ちっ、そうかよ。また変に動かしてきやがって」
ホゼの顔は一瞬で曇り、女の方に目配せをした。俺にそんなものは通用しないし、動揺もしないが、いつどう来ても良いように、剣銃を持つ手には力を込める。
「……ギカ君、予想以上に動けるようで感心した」
「え? あ、ども」
動きを止めたギカ君と距離を詰める。素人とは思えない動きを持っていることは事実。ザイヴ君たちの友人であるだけあり、肝も座っている。だからこそ可能にできるものがあるならば、行動に転じさせなければもったいない。
「お前を見込んで頼むが、俺の鏡になるように動いてくれないか。もうすぐ日が沈み切るし、場所だけで良い。隙があればその刃を突きつけてやれ」
ホゼには聞こえないよう、ギカ君に指示を出す。すると、思いの外素直に従ってくれると言われ、心強い限りだ。
「何……話してんだ」
「言ってやる必要は全くないな」
「……ちっ」
答えてやる義理もない。応じない姿勢を堂々と見せつけてやると、ホゼは明らかな苛立ちを表した。うまく事が運べていない今の状態で、苛つかない方が不自然かとも思いながら、ギカ君が犠牲にならないようにと気は張っていた。そんな時、後方からきゅいきゅいという場にはそぐわない高い音が聞こえてきた。モスキートーンに近いが、俺はそれを余裕で聞き取ることができていた。
「リーダー、何か来ている!」
女もそれに気付いたようだ。女の方はホゼとは違い、少し焦っている様子で、警戒を促していた。
この音と僅かな気配は、身に覚えのある物だ。
「また次々と……何が来ているというんだ」
俺と戦うことを避けたいためか、あれから全く手を出してこない。ならばこちらから、と言いたいところだが、それで逃げられても敵わない。高い音が近く聞こえ始め、その姿を確認しようと上を見上げると、ゲランの使役する小魔が鳴いていた。
わざわざ実態の見える状態で小魔をよこしたということは、何か知らせがあるということだ。視線だけはホゼの方に戻し、小魔を近くに寄せてその知らせを聞く。
─それは、確かな情報なのだろうかと、耳を疑いたくなるようなものだった。
「ホゼ。これまでに会った教育師はどうした」
「……聞いてどうすんだよ」
「殺めたのは事実ということか? 本部に来てもらうぞ。警師に引き渡す」
その様子からすると、ホゼが教育師の命を奪った、という小魔が伝えてきた言葉を否定する気はないようだ。警師、という言葉を聞いて多少表情に陰りが見えたが、誰であろうと処罰からは逃げ回りたいだろう。
「ギカ君、言った通りに頼む!」
「分かった!」
逃げられるわけにはいかない。そんな迷いから剣を振らずにいたが、耳にした事実があるのであれば、最早その必要もない。地を踏んで歩を進めると、ギカ君は俺の対になり、しっかりとついてきていた。
「お前は私が!」
女がギカ君の方に襲いかかって行くのが見え、剣銃の性能を切り替える。銃撃発動、一瞬で肩甲骨付近をぶち抜いた。痛みと衝撃でか、女は膝をついて動きを止めた。ギカ君は度胸があるようで、その場から一歩も退いていなかった。
「手は出させない」
「……くそ!」
再度、剣銃に装填した弾を放ち、女の足を撃ち抜く。そのままホゼの足を刺す勢いで振り下ろした。女の方は二発目で足を止めたが、ホゼの方はそううまくいかなかった。殺し屋よりも、教育師の方が上手のようだ。
「ギカ君、気を抜くなよ」
「あぁ」
シンマは、場に行ってもその身の状態では何もできないと、ルデと一緒に青郡の近くにある森の中で休むという。ヤブも渋々ながらに受け入れ、青郡に向かうことにした俺たちだったが、ルデとシンマのことは気にかかる。ガネさんが、ルデたちが暴れた場所に張ったと言う【針境】を解くと、そこだけ凄まじい荒れ方で、先程の争いが思い返された。
「……ルデは」
「オレが、見てっから……だいじょーぶだ。っごほ、ごっ、おえっ……っはあ。オレも、こんななんだ、あんま、喋ら、せんな……」
シンマには、ちゃんと伝わったのか分からないけれど、彼は傷だらけの身で、しっかりとルデの片腕を自らの首に回し、支えていた。それを見る限りでは、シンマのルデに対する壁は、取り除かれているように感じる。二人は、そのまま俺たちとは別行動をとることになった。
ルデに別れの言葉も言えないが、シンマがこう言っているのだから、これからどうするつもりであれ、俺たちが首を突っ込むべきではない。少し惜しみながら、去って行くその二つの傷だらけの背中を、静かに見送った。
「ちっ、俺様も暴れてぇのに……お預けかよ」
「十分暴れたくせによく言いますね……まあいいです、ホゼ共々ケリをつけてやります」
「落ち着いてガネさん……」
今この場では、殺し合いなんて無意味すぎる。必要外の争いを避けたい理由は、以前─崚泉での時─と同じだった。
「穏慈……も、気が立ってるみたいだな」
『この臭いは嗅ぎたくない』
「おい、その化け物どもがいたら話すことなくなるぜ」
「あ、言っとくけど両方譲る気はないからね。俺は。ザイもそうだと思ってるけど」
ラオの目は、いつになく本気だった。それもそうだろう。俺だって、天秤に掛けられた二つ、どちらも譲る気はさらさらない。そして、ホゼやヤブに負ける気も、一ミリも持ち合わせてはいない。
ピリピリとした面持ちのまま言葉には出さずに、ゆっくりと頷き、ラオを見上げる。すると、ラオは俺の背中を軽くさすってくれた。
「俺たちがすることは決まってんだ。強張る必要ないよ、ザイ」
「うん、頑張る」
俺にとっては、大切な場所。そこを荒らされたら、誰だって耐えられないだろう。同行するのも癪だということで、ヤブとは別行動でその歩みを青郡内へと進めた。
△ ▼ △ ▼
ルノタードに連絡が届いた。あとの処理は、その場にいる者たちに任せるしかない。それに、ホゼが連れている女の正体は、俺をまた驚かせた。元とはいえ殺し屋であったのであれば、戦闘にはかなり慣れているはずだ。
たかが想像や予測の世界で動く危険性を、重々受け止めた。
「ちっ、うまくいかねぇ……うっ」
ふと痛む、ホゼに貫かれた右胸の傷は、傷跡が残りながらも回復傾向にある。しかし、致命傷を避けただけであって、体が思うように動かない、という意味を知った。俺の力が及ばなかった領域には、俺の考えすらも及んでいない。それが、俺の中では後悔として処理されようとしている。
「ゲラン……大丈夫? 痛むの?」
「……大丈夫だ。悪い、もう少し早く状況が分かれば……」
「ううん、ゲランのせいじゃないから。それより、傷を見せて。もう夜よ、一日無理をしすぎてる」
外出している教育師の生死の現実に、一緒にいたウィンと言葉を失っていたソムだったが、時間をおいて少しだけ意識を転換させることができたようで、俺の体調を窺っていた。立ち直ったわけではないようだが、目を背けてもどうにもならない現実に、顔を上げることしかできなかったのだろう。ウィンに俺の傷を癒してくれと頼んだようで、二層に変化したという胸元の飾りを握ったウィンが歩み寄って来た。
「ゲラン教育師……」
「じゃー、悪ぃけど頼む。……んな暗い顔すんな、せっかく可愛い顔してんだからよ。まあ、ショックだろうけどな」
「……はい」
「早く決着つけて、ヴィルスの件も片さねぇとな」
ルノタードの指示が出てから二夜目を迎えようとしている今、ヴィルス関連の調査はオミにすべて任せている状態だ。仕事はできる男だ、放っておいても一人で黙々と籠って進めているだろう。俺もそれに甘えている現状だ。
─いや、むしろそうせざるを得なくなっている混乱が、進行している。
△ ▼ △ ▼
青郡に入る頃は日が沈み切る少し前で、薄暗く、見知った場所なのに背筋が凍りそうな思いになった。時間的には半日以上外にいたらしいが、今日はいろいろなことがありすぎて、時間が経つのが早いのか遅いのか分からない。
見える視界に目を凝らしていると、ガネさんがヤブの姿を捉え、その方向に進む。そこにはギカと、指揮を執っているはずのルノさんの姿があった。
「ルノ!?」
「ギカ! お前……!」
ガネさんは、ルノさんがこの場に居ることに、俺はギカがルノさんと一緒にホゼと向き合っていることに驚いた。ギカのことだから、約束通り青郡を守ろうとしていたのだろうが、ルノさんとギカでホゼを挟んで立っているのは俺の予測していない状態だった。
「……ガネ、ビルデ君はどうした」
まず気に掛けるのは、俺たちが屋敷を離れた理由の当事者のことだった。かいつまんだ説明をすると、大きく息を吐いてから、納得した。
「お前ら、聞いてくれ」
あまりにも重い空気でそう言うものだから、何事かと思わず息が詰まりそうになる。そんなルノさんの口から聞いたのは──豊泉からここまでに配置した教育師の中で、ノーム教育師しか助かっていない。
といった、教育師たちの安否だった。
「え……!? 教育師が、簡単に殺されたっていうこと……?」
目を丸くしたラオが聞き返す。それに対して、言葉を濁すことなく「事実だ」と、伝えられた。その現実に、俺は思わず思考が止まる。教育師が、突破されただけではなく、命を奪われた。この場に来て、目的を果たすために、ホゼがそうしたのか。
「……二人とも。今の、聞いてました?」
『あぁ、勿論』
「頼みがあります。生きている教育師……ノームさんを、助けに行ってください。青郡に配置されていたはずです。もし、他にも瀕死であれ息をしている者がいたら、救ってやってください」
「……行って。ルノさんもガネさんもいる。俺たちは大丈夫だから」
怪異たちは静かにそれに従い、場を去った。怪異が場を離れたにもかかわらず、日のせいではない、暗い空気が流れる。
「……どこまでも邪魔な奴らだ」
ホゼは距離を取り、ヤブもその横に身をおいた。それを確認した俺たちはルノさんのもとに寄り、その足下の血を目にした。腿がぱっくりと割れ、衣服に染みる体内からの血が、大量に地に零れている。
「ルノ、その足……!」
「ちょっと油断しただけだ。大丈夫。それよりお前の針、使えるか? 傷塞ぎたい」
表情も口調も変わらず、大丈夫と言いながらも、傷を塞ぎたがっているルノさんの様子からするに、痛みはしているのだろう。しかし、ガネさんの動揺は明らかだった。
その傷をつけたであろうホゼに目を向け、きっと睨むと、その上半身に付いた深い傷が目に入った。
「お前……っ!」
ガネさんがルノさんの前に出ようとすると、ルノさんは落ち着かせながらそれを止めた。
「大丈夫だって。ちょっと俺がしくじっただけだから。それで、使えるか?」
そう聞いて、ガネさんは首を横に振った。針術で何とかできないか、という提案だったらしいが、ガネさんによれば、外傷を癒すことは不可能だと言う。
「それなら仕方ない、気にするな」
そうしてルノさんがホゼの方に視線を戻した時だ。ゾクッと背筋が凍るような気を俺の横から感じた。その主は、ラオだった。
「人を殺してまで、何がしてぇんだ……」
その気立ちは、俺の血まで疼かせた。ぞわぞわと、気持ち悪い。けれど、この感じは知ってる。意識を引っ張られ、頭がぐらつく、この何とも言えない感覚。
「……っ!」
鼓動が大きくなる。頭が、真っ白に……いや、逆だ。浸食されるように、黒に染め上げられていく。以前にも、覚えがある。自分が見えなくなって、穏慈に止められて、俺は自身を取り戻した。あの感じに、そっくりだ。
「人が人を殺すほど……自分を殺すことはねえんだよ!」
「ラオ……っ、待って……ぅぐっ」
ラオの怒りは、俺にも、鎌にも伝わる。俺の意思に反して解化され、自身の手に強く握られている。それは、まるで自我を持って吸い付いてくるようだ。
「……これ、は……! ルノ、ギカ君、下がってください!」
以前、ホゼの前で一度だけ起こった覚醒症状は、今、俺とラオの体を蝕み始めていた。
それはあまりにも唐突に、ラオの強い感情から、俺とラオを結びつけ、〈暗黒者-デッド-〉本来の力が解放されようとしていた。