第九十七話 黒ノ征伐シタ者ニ掛ケラレル青
「ザイ!」
ガネさんの言葉を耳にして、怪異も一斉に動くが、一番に俺に届いたのはラオだった。何とか目の端に捉えたのは、ナイフのように鋭利なものが宙を駆ける様。かなりの勢いで俺は倒れこみ、伏せるべきものからの衝撃よりも体に痛みが走ったような気がした。
「いって……」
「ごめんザイ、咄嗟だったから」
『この臭い……おい、どういうことだ』
穏慈が言う意味が分からないが、その表情からすると、思いがけない臭いがその先からしているということだ。薫に至ってはその臭いに面識がないようで、穏慈の反応を不思議がるだけだった。
「どういうことって……何?」
「あーあー、伸びてんのシンマか。……まいっか。それより……久しぶりだなぁ?」
目の前に現れるその人物は、呆れた口調でそう言った。
穏慈の反応にも納得せざるを得ず、開いた口が塞がらない。
「また煩わしいのが来ましたね」
『やはりか……お前、その命どこからか拾ってきたのか』
確かにガネさんが倒したはずで。亡き怪異、泰と共に、あの時屋敷に現れていたトンファーを振り回す者。
─ヤブ。その名をもつ、男だった。
死んだと思っていた相手が、平然と、何事もなかったかのように俺たちの目の前に足をつけている。
何をどう考えてもおかしい。穏慈も聞いていた話と違うと、かなり警戒していた。
「死んだはずでしょう?」
「さあな? まー言わなくても分かんだろ? 〈暗黒者-デッド-〉に用があんだよ」
ヤブがわざわざ出てきた時点でそれは薄々思っていたが、面と向かって言われると、嫌でも武具を片手に構える。
「おっと、無理矢理拐おうなんざ思ってねーよ。ちょーっと手伝ってほしいんだよなぁ……。あの魔石、どけられるだろ?」
ヤブに関して思うことは多々ある。しかしそれよりも、俺やラオが魔石に触れることを知ってここに来たところを見ると、どうやら、こちらのことはどういう線でか伝わっているらしい。
「知らない」
「はぁ? それで答えになってるわけねぇだろ。来てもらうぜ」
以前と変わらないトンファーを両手に構え、真っ直ぐ俺の方に接近してきた。その一瞬を逃さず、俺が鎌を振る前に穏慈が男の動きを止めにくる。一歩間違えれば穏慈を斬ってしまうようなタイミングだった。
『主を狙うならば、我が相手だ』
「厄介なもん連れてんじゃねーよ!」
「僕の不始末は僕が何とかするので、穏慈くんは下がってください」
『……良いだろう』
その答えを受けたガネさんは、針を数本指に挟むようにして持ち、ヤブに向けて投げる。その間、わずか一秒もない。ヤブは自らに向けて飛んでくる針を避けるために、俺たちとの間の距離を広く取った。
「参ったなー。てめーの相手はしたくねぇんだけど……あっ、そーだ。確かふたりいるんだよな」
薄気味悪く笑う顔は、ラオを捕らえていた。もちろん、その視線を見るまでもなく、ヤブが言っていることの理解は一瞬でできる。
「……ザイ、巻き込みそうだからちょっと離れるよ」
俺のことを気遣って、自ら俺から距離をとるラオの横には、しっかりと薫の姿もある。俺の出る幕もなく、その場にはしばらくの静寂が訪れた。
しかし、何を思ったのか、穏慈に向かってトンファーを振り上げて接近したヤブによって、それは破られた。いや、もしかしたら、その後ろにいる俺を狙っているのかもしれない。ただ、穏慈がヤブを止めるよりも前に、ガネさんがヤブの向かう先に入り込み、重く振られたトンファーを、剣で止めた。
「僕が相手だと言ってるでしょう!」
「だー! うぜえ!」
ヤブは余程ガネさんを相手にしたくないらしく、すぐに後方に下がりこちらを睨み付けてくる。それでも野放しにはしないガネさんは剣を逆手に、低い姿勢で確実にヤブの心臓部を狙っていった。それをすれすれで避けたヤブは、ふらつきながらも持ちこたえ、また改めてガネさんと向き合っていた。
「目的を教えてもらいますよ!」
「言わねえよ。ただまあ、屋敷はもう用済みだ。とにかく、あの魔石どかしてもらうぜ」
「やっぱり、青精珀が邪魔なのか……それとも、目的がそれ?」
青精珀に、一般の人間は触れられないと言われている。一方で、その事実を覆すのが、俺たち〈暗黒者-デッド-〉というわけだが、俺たちの手を使ってまで“そこから動かす”という行動の意図はいまいち読めない。
「穏慈、あれから魔石の状態は?」
『……問題はなさそうだぞ。寧ろ、ほど良い力を発しているんじゃないのか?』
「だったら尚更だね。どけ方は本当に知らないし、渡す気もない!」
ヤブが大きなため息を吐く。しつこく迫って来られる俺たちがそうしたいものだ。かりかりと頭をかき、鋭い目を俺たちの方に向ける。その鋭さに思わず身構えるが、ヤブは視線とは異なり、ラオの方に向かって飛ぶように走りだした。
「ラオ!」
「行くな!」
咄嗟に出たのであろう、いつもと違う口調のガネさんに驚いて、動きそうになっている足を止める。ラオを狙うことで俺が動くかもしれないということを分かっていたのだろうか。その逆もまた然りではあるが、二人を手にかけるには手っ取り早い。卑劣なことを平気でしてくれるものだ。
『貴様!』
「ラオ君伏せなさい! まともに受けたら大怪我しますよ!」
ヤブに追いつきそうなガネさんだったが、その言葉でラオは薫に庇われながら身を縮めた。ほぼ同時、薫はヤブのトンファーを口で受け止め、ばきりという音を立てて砕いた。
「ちっ、やっぱこんな化け物に敵うわけねーか……くっ、くははっ」
ガネさんは不気味な笑い声を立てるヤブの肩を掴み、ぐるりと己の方に向けさせて剣を首元におく。突拍子もないヤブの動きには動揺したが、算段があってのことではなかったらしい。トンファーが砕かれると、少しだけ大人しくなった。
「もう一度聞きますよ、何が目的ですか」
ヤブの胸倉を掴む手には力が込められていて、俺もラオも、口出しができないまま、その状態を見ていた。近づこうとはしたが穏慈に止められ、ある程度の距離を保ちつつも見えたガネさんの顔は目を逸らしたくなるほど冷たいものだった。
「だから……言わねーって言ってんじゃん! 俺様が譲るわけねーだろ!」
「!!」
足元に、光るものが見えた。暗くなってきている視界にも、それだけが目につくほどの、鋭さを兼ね備えた輝き。
「ガネさん、足!」
「言われるまでもありませんね!」
剣を持つ手を俊敏に動かし、足を封じようとしたのか地面に向けて刺すように下ろすが、ヤブは腰にも短剣を隠し持っていたようで、一瞬でそれを抜くと、胸倉を掴んでいる左腕を刺そうとしていた。
もちろん、先程の制止はあったが、俺の足は動く。ほぼ同時にラオも動き出していたが、薫の足で踏まれて身動きが取れなくなっていた。俺も俺で、穏慈に衣服を噛まれて進めない。
そんなことをしていた一瞬で、事は間を作っていた。
ガネさんはヤブの短剣を素手で握るようにして止めていて、地にはガネさんが持っていた剣が刺さっていた。ヤブの足には、掠ってもいない。
「そんなもので、動きを止めるつもりですか?」
「……ほんとによー、てめーみてーなのが敵だなんて嫌だよなあ」
「そっくり返しますよ。お前みたいにしつこい奴は面倒です」
「ガネさん、手が」
刃を持つ手からは、当然のごとく血が流れ出る。一筋の線を描くように流れるそれは、手を離れると丸い水滴のようになり、地に落ちて赤く染め上げていた。ガネさんにとってはなんてことのない怪我だろうが、俺たちが気にしないわけがない。
ガネさんは冷静な顔のまま、俺とラオを交互に見た。
「怪異のお陰で助かりましたね。僕のことに構う余裕があったら、自分の身を確実に守ってください」
「うおっ!?」
短剣から手を離し、ヤブの腹を思い切り蹴ると、バランスを崩したヤブは倒れこんだ。そして、追い打ちのように穏慈が飛びかかり、体が宙に浮いた。その先の木に強くぶつかったようで、骨でも折れて良そうなほどの、酷く鈍い音がした。
「何、とどめ?」
『聞いておれば気に入らん。一発見舞ってやりたくなっただけだ』
殴りたいだけにしては凄い音がしたけれども。何も言わずに俺の前にいた穏慈も、耐えきれなくなったのだろう。
「ちっ……っ痛ーな……。あ。リーダーから伝言あったの忘れてた」
痛いと言いながらも打ち付けた体を起こし、何事もなかったかのように伝言とやらの話を進め始めた。それはやはり、ホゼの考えることであるだけあって、卑怯そのものだった。
「魔石か青郡、どっちが大切か……。交渉といこうじゃないか。ってよ」
『……貴様、私が喰ってやろうか……』
「おっと、お前ら化け物が出てきたら、両方俺様たちが壊すからな? 大人しくしとくこった」
つまりホゼの言い分は、“青精珀を渡さなかったら、青郡をすぐにでも潰す”というわけだ。いや、それよりもどうやって青精珀のことをそこまで調べ上げたのか。青精珀が〈暗黒者-デッド-〉と関係があるという直接の記述は書物等にはないはず。それこそ、〈暗黒〉関連のことは、こちらでは基本的に口外されていないのだから。
「おい……っ、ごほっ、ヤブ……」
考えが纏まらなくなり混乱していると、シンマが血を吐きながらヤブを止めた。その姿は見るからに痛々しく、後が無いにも等しいような状態だった。
「伸びてた奴は黙ってろよ」
「青郡で、ケリつけりゃ……いーじゃ、ねぇか……ぐっ……」
苦しそうな彼の後方には、それ以上にぐったりとしている、ルデの姿があった。シンマの方が、まだ余力があるようだ。
「お前……」
「結局……寂しかったんだろうぜ……。ルデは、気ぃ失ってるだけだ。まだ死んじゃ……いねぇよ」
「おい、話変えんな。俺様の邪魔すんのか」
「耳障りだ……黙ってろ。青郡には、ホゼもいんだろーが……」
「……ま、それが手っ取り早えか。おいガキ共、来てもらうぜ。友人とやらのことも、もちろん知ってんだからな?」
ギカのことだ。俺の身の周りのこと、本当にどこまで知っているのか。迷いに迷った末、俺たちは青郡に向かうことにした。
どちらにしても、青郡にホゼが着いているのなら、危険がないわけがない。嫌な選択肢を平気で与えてくるあの男のことは、何が何でも止めて、青郡を守らなくては。
屋敷では、ホゼとルノが接触したことを、小魔によって伝えられたゲランが周囲に報告した頃だった。
私の足の力が突然抜け、立てなくなってしまっていたため、医療室のベッドに座っていた。落ち着かなさと、不安さと、寒気。風邪か何かと勘違いしそうになるそれは、確実に嫌な予感というものを過らせていた。
「大丈夫か?」
「大分良い、けど……」
「何か悪いことでも感じ取ったか?」
軽い冗談ぽく言ってくれたが、それが本当だとしたら、と考えると、おぞましかった。そうだとして、何を察したというのだろうか。
そんな不安な時に、ウィンちゃんが訪ねてきた。
「あれ、ソム教育師……元気ない」
「うん……ちょっとね。ところで、どうしたの?」
「あ、あの……これ」
差し出されたのは、ウィンちゃんが普段から身に付けている桃色の丸い宝玉のネックレスだった。近くでよく見てみると、かすかに透明な保護のようなものが、その宝玉を纏っていた。
「前からじゃないの?」
「違います。最近、少し二層になってきてて……」
「……ノームもやってくれるな。さすがちっせー時から自然魔を扱えただけある。あいつどこに配置されたんだっけ」
「確か青郡……あれ? ホゼは青郡にいるのよね……配置されたみんなは、どうしてるの……?」
青郡に辿り着くまでに、配置された人数の半分とは遭遇しているはずだ。小魔から伝わって来た頻度からして、ホゼは余裕でそこに着いたようだが、おかしい。ルノも気にしてはいたけれど、まさかと、最悪のことを考えてしまっている私がいる。
「ちょっと待ってろ」
そう言って、版に手を添えるゲランの腕は、微かに震えている。突破されただけならまだしも、それによる被害がどうなっているのか。考えたくない。知りたくない。耳を、目を、瞑りたい。
「え、何……?」
「ホゼ柄みの事態なの。それで屋敷の半分の教育師が出ているんだけど……」
ウィンちゃんには簡単に説明して、ただ願う。みんなが無事でいてくれることを。けれど、良い方には考えられなかった。もし動けるのであれば、今でも追って、ホゼがいる場に合流していてもおかしくはないのに。
私が感じた嫌な予感、それは──
「……! まじ、か」
ゲランの表情は強ばり、体もしばらく硬直していた。どういう知らせだったのかと、恐る恐る尋ねるが、なかなか答えてくれない。それほど動揺している、というところからすると。
─その事実は、本当に、全身の力を根こそぎ奪っていきそうなものだった。
「……豊泉から青郡までに配置された教育師……生存は辛うじてノームだけ……だ」
「うそ……っ!」
「教育師ですよね?! ホゼ教育師に……本当にやられたんですか!?」
信じられない。信じたくない。そればかりが頭を巡る。
ノームは生きている。それでも、その知らせの様子だと、危険な状態にあるのかもしれない。早く、何とか手を打って救わなければ。
「ゲラン、お願い、助けて、ねえ」
「……小魔がルノタードに知らせる。待て、な?」
あまりに衝撃的で、こうも簡単に、人の命を散らせてしまうホゼに、恐怖と怒りと、言い表せない悔しさをもつ。ただ、それ以上の言葉は、私もウィンちゃんも、ゲランでさえも、出てこなかった。