第九十二話 黒ノ若キ炎ノ暇潰シ
─魔族。それはいつから世に存するのか。吾の知ったことではない。しかし、いつからか増殖していった魔族は、人には滅多に危害を加えることなくひっそりと生存していた。宮倣、そう呼ばれる地で。吾もそこで生を受け、幼いうちに魔族が生きる上で必要とされる生贄として人型魔界妖物となった。
魔族が土台となり、人体として必要な物質を組み込んで成されるそれは、ムーダーの血を継ぐ者のみが適合するという。
そのおかげで、多様な魔物を争いなく引き連れることも可能となった。
そして、もう一つの力、己が持って生まれた黒い炎の能力はできる限り封じ、平穏に暮らした。しかし、人里というものの存在を見て、それが周囲と比べて異様なことは、幼いながらに理解していた。そのため、ふらふらと出歩く中で人目に触れぬようにいることも、多かった。
「……吾に従って満足か、主らは」
生を受けて十五年。徐々に今の生き方につまらなさを覚え始めていた頃には、宮倣にいること自体が減ってきていた。あそこにいても、うようよと蠢く魔物や、人の形をとる魔物で溢れているだけで、特別な変化はない。地の外を囲う木々の間をぬって暇を潰しながら、偶に木陰で休み魔物に語りかけると、言を返してくれる。その言葉は、人には呻き声や鳴き声として認知されるというが、吾の耳に入るとき、吾が放つ言葉で伝わってくる。
─不満はない。
魔物にも吾を励ますような言を発せるのだと、常々思っていた。不満がないというのは良いことだが、吾のこの何もない日常が暇なことに変わりはない。そんな時、この魔物たちは吾の相手をしようと手を尽くそうとしてくれる。
─アソビマショウヨ。
“アソビ”ましょう─つまり、魔物でいうところの殺し合いということだ。吾ら魔物を仕える者は、それをすぐに理解できる。ただ、殺し合いといえど本当に殺しはしないということ。“アソビ”の範囲で、魔物同士戯れるだけのものだ。
「ふむ……。暇潰しにはなるのぉ」
吾は毎回のように魔物の誘いに乗る。吾の方が能力が高いことは言うまでもない。大量の魔物が吾に飛びかかってくるが、手を抜いてもすぐに散らせてしまうため、あっという間に飽きてしまう。それでも、魔物のその好意は吾なりに受け取っているつもりだ。
「ちっ、人里にでも出てみるか」
ただの暇潰しのつもりで、そこからすぐに行ける人里に下ることにした。そこがどのような場所なのか、遠目からしか見たことのない吾は多少の期待をもち、魔物を引かせてから向かった。
「ほぉ、なかなかに広いのぉ。吾もこんな地で悠々としたいものじゃ」
首を左右に向けながら、空気を目一杯吸ってみる。吾が住む場とあまり離れていない癖に、また違う味がする。魔族なりに、宮倣とは違った平穏さが感じられた。
その空気を全身で受け冷静になるが、こんな人里に友人などいない。結局は暇を持て余すに過ぎず、同じことだった。
「つまらぬ。一興をこれほど望むこともあるまい……」
「暇なの?」
青く茂った草の上に倒れ込んだ時だった。にゅっ、と上に人の顔が現れた。これには驚いて、体を起こそうとすると、当然その人間と正面から衝突し、その痛みで再び吾の身は草の上に倒れた。
「痛ああ!!」
「ぬぉぉ……貴様……心臓に悪かろう……」
ひりひりと痛む部分は熱をもち始める。改めて体を起こすと、その人間も額が赤く腫れていた。自身も同じように、赤みを帯びたことを察する。近くに川があるからと、人間はそこで冷やすために吾の腕を無理やり引いて向かった。川に着き、すぐに額を水で濡らす人間は、吾にもそうするようにと勧めてきた。
「吾は別に冷やさんでも」
「何言ってんだよ、腫れてるんだから冷やしとけって。……暇なんだろ? オレも暇だし、ちょっと付き合えよ。名前は?」
初対面でこれほど馴れ馴れしくいられるものかと、吾の方が少し身を引いた。悪い奴ではなさそうだが、警戒心というものはないのかと魔族の吾が気にしてしまう。
「急な奴じゃな、見知らぬ奴が怖くはないのか」
「だってオレ、人見知りしねぇし」
「興味の欠片もないわ阿呆。……まあいい、暇を埋められるというなら構わん。ビルデじゃ」
とやかく言うのもいらぬ世話というわけだ。その者に呆れつつ、突然の変化が訪れるこんな日も悪くない。そう思って、吾はその人間に乗ることにした。
「オレ、シンマっていうんだ。見たところ同じくらいだけど、何かお前、髪色といい目つきといい、悪魔みたいだな! 初めて見るんだけど、かっけーな!」
─『悪魔』。初対面で真っ先に言う言葉としてはいかがなものかと思うが、一瞬で自分の立場を再確認させられた。そのような存在ではないものの、魔物を引き連れて孤立して生き、人とは異なることに違いはない。
言葉に詰まっていたが、シンマと名乗った男を見ると、水をすくって額を冷やし続けていた。特に深い意味もなく言ったのだろうが、吾にとっては的を射られた衝撃を受けていた。それを知りもしないシンマは、顔全体が水で濡れると吾に向き直り、赤みが引いているかどうかを見てほしいと髪を上げて見せてきた。もう目立たなくなっており、冷やす必要もないと伝えると、着ている服で水気を取っていた。
「でも、お前見ない顔だよな。どっから来た?」
「……向こうからじゃ」
宮倣は魔物がひっそりと住んでいる地。その場所をわざわざ吾らを敵視しかねない人間に教える必要はないと、濁すように来た方向を示す。その方向を向くシンマは、「へぇ」と言って遠くを見た。
「あっ、そうだ! ビルデって学び舎行ってるか?」
「何じゃそれは」
「いろんなことを教えてくれる場所だよ。オレらぐらいの、いっぱいいんだぜ?」
いやしかし、全く興味の湧かない話が始まり、こんなことなら人里になど下りて来なければ良かったと僅かに感じた。考えれば、魔族と人間はそう関わり合うことも少ない。当然といえば当然だ。何をどう対処すればよいのか、悩んでいるとある程度話し終えたシンマは新たなことを尋ねてきた。
「ルデはさ、友だちいるの?」
「……ルデ?」
「ルデの方が呼びやすいだろ。でさ、いるの?」
呼び方はともかく、吾に友人という者は存在しない。これまで一人で、魔物と戯れてくることしかできなかったのだから。ふん、と鼻を鳴らして目を背けると、シンマは悟ったようで、謝ってきた。
「なんか、悪いこと聞いたな」
「いや……仕方ないんじゃ。吾はずっと、一人じゃからな」
「じゃあ、今日からはオレとダチな! ここに住んでるからまた来いよ!」
この者の気遣いは嬉しいが、吾の同意なしに話は進行されていく。食い気味に吾に近づいてくるも、嫌な気にはなれず、たまには強引な糸に引っ張られてみようと否定はしなかった。
「な? な?」
「気が向いたらな」
「ええー、向けよー。気よ向けー」
「莫迦なのか……ふ、まあ良い。久しく面白くなりそうじゃ」
こんな会話をしたのは初めてだ。そのせいか、体の奥がほんのり温かかった。吾が求めていた暇潰しにはなるだろうと、軽い気持ちで受け入れると、シンマは用を思い出したと言って帰って行ってしまった。
落ち着きのない人間だったが、悪くはない。そう思って、吾は二日に一度ほど顔を出すようになった。
しかし、それからしばらく経ったある祭祀の日。後に“宮杜祭祀襲撃事件”と呼ばれるようになった、祭祀を狙った事件にシンマは巻き込まれ、吾の目の前でその身を消失させた。それを救おうとしたにも関わらず、吾の手は彼に伸びることなく、吾だけが生き延びた。
衝撃を受けたと同時に、また暇な時間が戻ってきてしまったことに放心していた。人と関わるべきではないと確信した吾は、いつか彼が戻ってくるということを知らず、魔物と戯れる日々を送っていた。
番外編 了