第九十一話 黒ノ若キ剣技ノ教示
屋敷での生活にも十分に馴染んだ、ある日の講技後。俺を追って屋敷に入って来た二人は、揃って俺の部屋に遊びに来ていた。二人も基本クラスとして、俺と同じことを学んでいる。一つのクラスの中、その年齢差は大きくても五歳。それ以下だと、講技や座学は別のクラスで受けることになっているが、今のところうまい具合にそのような年齢の子どもはいない。
二人も何とか俺たちについてきている状態で、講技はまだ入門を終えて中級あたりのレベルだ。ただ、ザイに至っては、教育師の動きを見て真似をしてみたり、もともと持っている足の速さなど、生かせる部分を武器したりして向上心を燃やしていた。
「二人とも大分馴染んだね」
「そうだね、剣術楽しいし、俺向いてるかも」
「私は全然できないの。何でかな」
一方でウィンは、俺が見ても分かるが剣術の腕はあまり立たないようで、苦戦している。嫌気が差しているだろうかと思っていたが、そんな様子もなく、へらっと笑っていたため、少し安心する。
「まあウィンは女の子だし……でも良かった、楽しくないってことはなさそうで。あれから二年経ったけど、俺に会いたくて来てるなら、講技とかそういうの苦痛なんじゃないかってちょっと思ってたんだよ」
「楽しいよ!」
その言葉に、俺がどれだけ救われるのか。この二人には知る由もないことだが、知る必要もない。こうして、平和に過ごしていけることが、俺にとっては非常に大切で、俺を頼ってくれる二人のことは、守ってやりたい。ただそれだけが俺の力になっていた。
「あはは。……来てくれて本当にありがとな」
「うん! じゃあ、また明日ね!」
部屋に戻るため、二人は俺の部屋を出て行く。ザイはウィンを部屋まで送ってから帰ると男前なことを言っていた。次第に大きくなっていく俺たち。それに伴って、変化が訪れる時期は近かった。
翌朝。座学前に、基本担当教育師、ホゼ=ジートに呼ばれた俺は、教育師室に来ていた。その部屋には教育師が数名いて、今日の講技や座学の準備を行っていた。その中、ホゼ教育師と向き合って座った。
「悪いな、わざわざ来てもらって」
「いいんです。それで、何ですか?」
「単刀直入に言うとな。お前の実力を認めて、応用クラスに上げることを決定した。ちょうど、明後日から長期休暇に入るから、そのタイミングで編入してもらいたい」
聞いた内容は、つまり昇級というわけだ。これまで一緒にいたザイとウィンとは別れることになってしまうが、実力を認められたことは嬉しかった。
「本当に……?」
「ああ。ついこの前に応用担当に上がったガネ教育師が見てくれる。それまでは私とは別の基本クラスをもっていたわけだが、結構厳しいってのは知ってるだろ? 話はつけてある、覚悟して臨めよ」
基本クラスでも時々話題に出ていたが、ガネ教育師はまだ二十三歳と若いものの、剣術の腕は上級だと聞いている。そんな人から教えを貰えることは願ったり叶ったりだ。二人のことは気がかりではあるけれど、期待で胸が膨らんだ。
「まあ、お前なら大丈夫だろうけどな。あと、お前と仲良い二人、あいつらのことは心配すんな。あれでいて臨機応変だろ」
「そうですね。ウィンは見た通りだけど、ザイに至っては座学がめっぽう弱いし、しばらくは上がらなさそうですから」
「分かってんじゃねーの。じゃ、そういうわけでよろしくな」
昇級の話。それと同時に起こる二人との距離。けれど、それはいつか必ず訪れるもの。それがこのタイミングであっただけだ。
座学まではもうしばらく時間がある。今のうちに、次の担当になるガネ教育師のところに行っておこうと、その教育師室内を探してみたが、その姿は見えなかった。ホゼ教育師に聞いてみると、「自室にいると思う」ということで、自室の場所を聞き、直接そこを訪ねに行った。
当人の部屋の前に着いて、扉を軽くノックする。しばらくすると、中から灰色の多い身なりの男性が出てきた。話に聞いた通り、見ただけで“強い”というのを理解した。
「……あ、もしかしてラオガ君、ですか?」
ガネ教育師も俺の話を受けていたこともあり、俺のことをすぐに察して部屋に招いてくれた。導かれて教育師が座る椅子の前に置かれた椅子に腰を掛け、向き合う形になってすぐに挨拶をした。すると、ガネ教育師はニコリともせず、淡々として「よろしく」と返してきた。難がある人なのかもしれない。けれどそれだけで帰ってしまうのもあっさりとしすぎかと、少しだけ話を広げた。
「あの……剣術の腕が凄くいいって聞いているんですけど……休み中にしておいた方がいいこととか、ありますか」
「別にないですね。強いて言うならば、体力はつけておいてほしいですが、ホゼ教育師から聞いた限りその必要はなさそうですし」
先程から全く表情が変わらない目の前の教育師。過去に事情があるらしいが、こうして教育師になってから丸くはなっていると、いつかホゼ教育師は言っていた。そういうことならば、下手に踏み込んでいかない方が得策だと思い、その答えに了承して座学の部屋に向かおうと腰を上げた。
「ラオガ君」
しかし、立ち上がった俺をガネ教育師は止めた。もう一度座ってほしいと言うことで、再度体勢を戻す。俺が黙ってその人を見ていると、ほんの少しだけ、口角が上がった。
「……君のような、向上心のある子は嫌いではないです。あと、君と仲の良い子たちの面倒をよく見ていると聞きました。その歳で、しっかりしていますね」
「え? あ、ザイとウィン、のことですか? ……俺、あいつらに救われたんです。あの二人の存在が俺を支えていてくれてるから、あいつらのことは、どうしても守ってやりたいんです」
俺の答えを聞いて何を思ったのか、ガネ教育師は目を丸くした。その、人と少し違った眼は、俺の目にしっかりと映った。灰色が綺麗に澄んでいて、すぐには目を逸らせなかった。
「そう、だったら大事にしないといけませんね。……余談ですが、僕も似たような感じです。一人で頑張るつもりだったんですが、ある人に助けられてここに来ました。今は、本部に行ってしまってこの屋敷にはいないんですけど……そういう、力になる存在がいるのは、君の成長にも大きく影響してきます。休暇明け、楽しみにしていますね」
「……やっぱり、人って助け合って強くなってるんですよね。……俺頑張ります。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします。そろそろ座学も始まるんじゃないですか? 引き止めてすみません、行きなさい」
最初は、気難しい教育師なのかもしれないと思ったが、話をすると何となく、この人の持っている人としての力を感じ取ることができた。この人の腕が良いことも、応用クラスを持っていることも、いろんな面で納得した。
俺は改めて、応用クラスで励んでいくことを心に強く決め、一度だけ礼をしてその部屋を出た。
まっすぐに座学部屋に向かうと、ザイもウィンも、すでにその部屋に来ていた。俺が来たことに気付くと、すぐに寄って来て話しかけてくる。こんな日常も、明後日で終わりだ。
「あのね、俺、休暇明けから応用クラスに上がることになったんだ」
「え!? そうなの!?」
突然そう言われて驚くことは、想像できていた。それでも二人は、俺の昇級を喜んでくれて、励ましてくれた。クラスが離れるのは少し寂しいけれど、ずっと一緒だからと約束をして、間もなく始まる座学のために並んで椅子に座る。
俺を挟んで座る二人は、本を開きながらもあまり集中できていないようで、ずっと落書きをしたり、俺に話しかけてきたりと、二人が応用に上がってくるのはまだまだ先だろう、とひっそりと感じていた。
「おいそこ聞け!」
いつしかホゼ教育師の声が大きく聞こえ、俺たち三人は順番にその手に持たれている本で頭を軽く叩かれた。痛みはあれど、定位置に戻って行くホゼ教育師の後ろで、「お揃いだね」なんて冗談を言って、静かに笑った。
後日。休暇明けには、予定通り俺は応用クラスに上がり、ガネ教育師の厳しい講技、座学の日々に身を投じていた。