第八十九話 黒ノ若キ教育師ノ見エタ色
─教育師試験を合格してから一年が過ぎた僕は、研修中に一人の男性と知り合った。
その人は、一年の研修期間を経て教育師になり、三年目だという。一般の教育師ではなく医療担当だそうで、頭が良いらしい。十七歳で屋敷に来て、そこから三年で合格したというのだから、それは事実なのだろう。しかし、口調やガラの悪い容姿、加えて所構わず喫煙など、この人で大丈夫かと不安要素が多く、僕の中ではその人を認めるには至らなかった。
「医療室にいたあの男、本当に教育師でいいのか?」
特別用事もなかったものの、あの教育師について腑に落ちるところが欲しいと、ルノの部屋を訪ねて直球に聞いた。
訪ねたと思ったらそんな質問をされ、ルノも驚いたことだろう。一瞬顔が硬直し、しかしすぐに気を取り直すために咳払いをした。
「一応俺も補助として試験に立ち合ってたし、会議にも参加してるだろ? ていうか、知り合ったのか?」
「……偶々医療室に行ったら変わってただけ。あんな奴になってたなんて知らなかった。不可抗力」
まさかあんな不良そうな教育師が採用されているとは微塵も思わなかった。人は見かけによらないという言葉はあるが、あの人は見かけ通りの気がしてあまり近付きたくはない。
「因みに何の用で行ったんだ?」
「タオルの補充。用途によって使い分けてるし、替えようと思ったらストック切れそうだったから、何枚かまとめて欲しくて行った。……で、あの人何て人だっけ」
「覚えてやれよ。ゲラン=ダッカーだ。二段髪が特徴だな。ま、悪い奴じゃねぇよ、安心しな」
ルノがそう言うならと、渋々その名を記憶に留めておくことにする。用心深い理由は僕の昔の環境に原因があるのだが、これでも丸くなった方だとは思う。人のことをこうしてルノに聞いてみるなんて、以前の僕では考えられないことだった。それ程、今の環境が僕にとって良いものだということは、言われなくても分かる。
「そういえば、教育師になってどうだ? うまくいきそうか」
「まだ研修だけど、それなりってところだな」
「だったら正教育師になるのも早いんじゃないか? つまりゲランと親しくなるのも課題だ。せっかくだし行ってこい」
「え、何それどういう流れ……っ、押すなよ」
半ば無理矢理に、僕はその背をルノに押されてルノの部屋から出され、ゲラン=ダッカーのところへ向かわされた。本当だったら用事がない限り行きたくないけれど、なるようになる、だろうか。
医療室の扉を開けると、中にいるゲラン教育師が姿を見せる。タオルを貰いに来た時同様、机に向かって座って本を読みながら、マグに入った黒珈琲を飲んでいた。
「……何だ、また来たのか若いの。今度はどうした」
ルノに話を聞いたものの、やはりどこか苦手だと思っていると、「入れ」と促されて、医療室に入った。薬品のにおいはしないものの、部屋が白くてそれっぽい。電灯が白に反射して、時折眩しさも感じさせる。
「おい」
「……いや。ルノに、あんたの話聞いて、行って来いって言われただけです……でもやっぱり帰ります」
それを聞いたゲラン教育師の目は丸くなった。その顔から顔を逸らすように僕が足の向きを変えたところ、「まあ待て」と言いその足を止めさせて微笑を浮かべていた。
「本当にルノタードの言うことは信じてんだな。聞いた通りだ。過去に何があったかは聞かねえけど……自分を見失うなよ」
改めて目を合わせて気付いたが、その眼は、黄と緑が入り交じった色だった。僕の眼も独特だが、向かい合うこの人の目の色も、あまり類を見ないものだ。それでも、こういう眼を持つ者はいる、というのは何かの本で読んだことがある。
「……二色眼、ですか?」
「あ? おお、珍しいだろ。その上この二色は貴重らしいぜ」
貴重というだけのことはあり、確かに色合いは綺麗だった。群青の髪に反発するような色で、それが逆に合っている。そんな色を見た僕は、自分の持つ色を考える。髪も眼も灰色で、際立つ部分がない。それもまた不気味さを持っているのかもしれないと。そう考えると、ゲラン教育師のその色は羨ましく思えた。
「お前も珍しい形と色だよな。儚いけど、それでいて強い色だ」
その言葉を受けて、僕の思考は止まった。“強い色”なんて、ルノにも言われたことがなくて、動揺を隠せなかった。どう反応すればいいのか分からず顔を顰めていると、ゲラン教育師は立ち上がって僕に近付いてきた。
「……おい、大丈夫か? 実は熱でもあんのか?」
「! こっち来るな!」
「えっ、……ぶふっ! 何必死になって……っくくっ……」
そのやりとりのせいか、僕の眼を認められたせいか、顔が熱くなっていた。思えば、この眼を見てからかわずにいる者はルノ以来……いや、ソム以来だ。けれど、ゲラン教育師のその態度には不快さを覚え、つい声を荒げてしまっていた。
「どこが良い奴……ルノ嘘言ったな……」
「ぶはっ、……くっ、くくっ、ちょ、待って腹いて……っお前みてーなのが、ここにいたとは……っそんな、ふてくされんなって」
「何がそんなに面白いんですか……ふざけてるとしか思えない」
根から悪いわけではないことは分かったけれど、何か認めたくない部分がある。こういう人を相手にしたことがないからか、僕は混乱の最中にいた。それでも相手は笑いをこらえるのに必死で、僕の様子など気にも留めていないようだった。これ以上ここにいる必要もない、今度こそ医療室から出るべく体を向けた。
「帰ります……」
「いじってやるからまた来いよ」
「誰が来るか!」
その一言を聞いて、僕には合わないタイプの人間だと察し、急いでその場を離れた。ルノの自室に戻りながら、何と文句を言ってやろうかと頭の中を巡らせていた。
「ルノ!」
「おっ!? 何だ、どうしたよ血相変えて」
ノックなしに扉を開けた僕に驚いた様子だったが、ルノはすぐに僕を招き入れてくれる。僕が医療室でのことを話し、ルノの言う「悪い奴じゃない」ということにどうにも納得がいかなかったと言うと、ルノは少し笑んだ。
「ゲランも良いこと言ったな。仲良くなれるんじゃないか?」
正直、今のルノの感覚は全く分からない。僕の眼を“強い”と言ったことだけは唯一認めてもいいが、その後の僕を笑ったことや僕が部屋を出る際に吐いた言葉は、僕にとって癪に障る以外になかった。
「あんなのと仲良くなりたくない……」
「馴染もうとしてくれてるだけだ。お前も心を開いてみろよ」
「そうだぜ若教育師」
「何でですか!?」
部屋にはなぜか、ゲラン=ダッカーも来室。僕の後をつけてきたのか、ルノの部屋にいると踏んで来たのかは、知ると苛つきそうで聞かない。しかし、すでにこの部屋に平然と上がり込んでくることに不快感を覚えていた。
「誰が来るかって言われたから俺から来てみたんだよ」
その口から出る言葉も悪気がまるでない、あくまで本人の性格上のものなのだろうが、僕の機嫌は悪くなる一方。これも慣れないことがあったからだと、事のすべてをゲラン教育師のせいにした。
「誰も頼んでないし……」
「今度ともよろしくな? ガネ=イッド」
ルノと僕の関係性を知っていたくらいだ、名前も知っていて当然だろうが、呼ばれただけで心がざわついた。まず第一印象が良い方ではなかったため、親しまれることに抵抗を感じていることは明確だ。それ以降、ことあるごとに僕に冗談を言ったり、何かと絡んできたりと鬱陶しい存在になっていった。
しばらく経って、僕が正教育師になってからも、その言動は変わる様子がなく、ただただ僕が苛ついていくだけだった。
─僕はこの頃から、ゲラン=ダッカーという医療担当教育師を敵視し、また嫌っていた。それだけは断言できる。