第八話 黒ノ眼色ト武具
ガネさんは、この短時間で穏慈が人間ではないことに気付いた。いや、寧ろ初めから分かっていたのかもしれない。確かに怪異の眼は特殊で、俺たちよりも有力な教育師相手に隠し通せるとは思わない。それでもガネさんの纏う空気、というものは、どこか張り詰めていた。
『……ふむ。そうか、その眼……お前、その眼は生まれつきか? 怪異と類似している』
類似とはいえ、穏慈ですらその眼を指摘した。怪異の眼を持っていると言っても過言ではないと、それだけで判断することは危険だろうが、それでもそう思わずにはいられなかった。
「そうですね、この眼は生まれつきです。その所為で色々苦労はしましたが。で、ザイ君。次は僕の質問に答える番ですよ。もう一度聞きます、君は〈暗黒者-デッド-〉ですね?」
穏慈に視線を向け、どう答えるべきかと反応を待つ。するとすぐに穏慈は、首を縦に振った。思わぬ対応に少し戸惑ったが、俺はガネさんに対して軽く頷いた。
「……やっぱりそうでしたか。それでは、これには気付いてますか?」
─現存している〈暗黒者-デッド-〉、その君は、片割れだということに。
......
『……吟、聞きタいことがアる』
『……薫……カ』
〈暗黒〉では、一度ラオガと接触している薫が、吟の元を訪ねていた。一人の少年が〈暗黒〉に存在したことで、過去に来た人間が〈暗黒者−デッド−〉では無いことが明確になった。しかし何故あの時、自身はあれを一瞬でも認知したのか。
『貴殿なら知っテいるのではないノか』
『ソレヲ、尋ネルトイウ、コトハ……穏慈、タチト会ッタカ』
『……ああ』
薫の行動の元を理解した吟は、静かに目を閉じて、頭を垂れた。怪異たちの中で、この仕草は聞き入れてもらえた証。物知りな上、必要外に他言しないこの怪異は、知識を得るという意味でも、この空間では必要不可欠な存在になっている。
『……デッド、ハ……フタツ……』
『何、どういうこトだ』
眼を見せた吟の口からは、予想もしない言葉が紡がれた。そもそも、〈暗黒者-デッド-〉は一つの存在のはず。それが現状、異なっているとでもいうのか。しかし、吟に限って嘘を言うはずがないと、薫は一時的にでも混乱した。
『思ッテイルトオリ……ダ。デッドガ分裂……シテ、イマアル』
『何故分裂など……?』
しかし、吟はそれ以上答えることはなく。薫が吟の元に来たときと、同じ体勢で静まった。
『だから私ハ、奴を〈暗黒者-デッド-〉だと認知しタ……』
しかし、何かが変だ。何故、今まで伝えられてきた〈暗黒者-デッド-〉が分裂している状態になっているのか。何が、どうしてそうしたのか。
それは、考えても導かれない。今は何も、手がかりの一つもない。
......
『事実か?』
「はい。僕はそれを、〈暗黒〉の怪異から聞いたので」
「怪異から……!?」
「ちょっと待ってくださいガネ教育師。それ、どうやって接触したんですか!」
聞き捨てならない発言を拾い上げ、返したのはラオだった。自分と、俺の事象を知っているからこそ、思わず声をあげたのだろう。
一瞬ラオの顔を見たものの、すぐに逸らし、その問いには答えてはくれなかった。その代わりに、不敵に作った笑顔に、一言だけ添えた。
「今は教えられません」
その言葉に対抗するように、次いで穏慈が強い眼光でガネさんを睨みつけていた。怪異の姿ではないにしても、この特徴的な眼が釣り上がれば威圧を感じないわけもなく、何も言えずに見守っている他なかった。
『あり得ん……そんなことを言えるのは吟しかおらん。何故吟がお前に応じた? いや、そもそも人間に〈暗黒〉のことを話すなど考えられん。必要外に口外せんものだ』
「知りませんよ。ただ、穏慈くんのように僕のことに驚いていましたけどね」
怪異のことは、部外者に語る必要はない。そもそも、ガネさんが何の迷いもなく「怪異から聞いた」と言ったことが、俺には納得し難いことだ。もしかしたら、人間ではない。そんなこともあり得るのだろうか。
『ガネ、お前は人か、怪異か。それともどちらにも属さぬか』
「面白いことを言いますね。僕は人間です。まあ、眼の所為で化け物なんて言われたことはありますけど」
俺の思うことを、穏慈の方が先に言葉にした。それに対しても、やはり変わらず余裕の表情を崩さない。あの眼は、怪異と類似する眼。あの眼は、人間にはない素質を含んだ眼だ。
『ザイヴ、どう思う』
この時、この数分の間に交わされた言葉の中にある、ガネさんの目的の欠片を掴んでいた。どういった方法でか、わざわざ怪異と接触していること。俺の異質を早々に定めたこと。そこから、何となく察したことがある。
『……今の時点では味方と見なして良いようだが』
「うん……ガネさん。悪いけど、俺に協力してほしい。……あんた、ラオの質問に今は教えられないって言ってたけど、俺があんたに協力すれば、教えてくれるんだろ?」
この発言にはガネさんも動揺したようで、目を少しだけ大きくして俺を見た。それでも、すぐにこちらを読むような表情を見せて、探ろうとする。あまり素直に返してくれる人ではないようだ。
「と、言うと?」
「あんたが知りたいことの細かいところは分かんない。でも俺を見て、分かって近づいてきた。俺が持ってるものに関係してることだと思ってる。そこまで見当違いなことは言ってないつもりだけど」
互いに知りたいことを持っている。つまり、俺は俺で人間の身で怪異の眼をもつ、この人のことを知りたいのだと思う。俺の異能のことも含めて、手も増えることだろう。
「まあ、大まかなところは君が思っている通りだと思うので敢えて言いませんけど。僕は僕で、この眼の意味に興味があります。……それにしても、意外と頭切れますね。不意打ちで驚きましたよ。生意気ですけど」
俺の第一印象は「生意気」だったのか、挨拶のようについて回る言葉に今までの空気が一掃された。
「ちょっと、だからさっきから」
「ラオ君、少し脅しすぎましたね。大丈夫です、もうしないので」
「あ、あぁ……そう……」
「ねえだから生意気っての流すの!?」
人とは貪欲な生き物だ。それが満たされないままでいれば、欲求不満として色々な症状が現れる。その貪欲さに、俺もガネさんも身を投じ、それを解消しようとしている。
「ともあれ、君たちのことは口外しないと約束しましょう。僕なら君たちの力にも添えますし。この眼を使って怪異から聞き出したのは謝ります」
大人の余裕というものだろうか。そういうところはともかく、ガネさんも力量に入れたところで、目先の目的を果たすために改めて行動に移る。その先に何があるかは分からないけれど、今は、何となく気が楽になっている。
あれから四人で共に鎌を探しているが、未だに見つからない。数カ所の武器庫を探しても見つからず、ラオが妙な顔で俯いた。
「おかしいな……。そもそも俺が見かけた時は最初のとこにあったんだよ。定期的に場所変えてたのかと思ったけどないし……」
「もう大体探したよな……。穏慈、何か気配とかないの?」
『残念ながら、臭いも気配もない』
場の環境に影響されることで、その気配も消えてしまうものらしい。穏慈がそう付け加えて言うのだから、間違いはないだろう。とは言え、手がかりだったラオの手も尽きてしまったようで、現在詰みの状態だ。
「でも、ここにあったのは間違いないですよ。僕はここで見たことがあるので」
「ふーん……じゃあやっぱ保管場所変えてんのか……」
最悪、ここから更に盗まれてしまった可能性もゼロではない。その理由に見当はつかないが、屋敷に備えられている武器は実際数えられないくらいある。その中でも、惹かれる武器というものがそれだったら、図々しくも持ち出す人はいるかもしれない。
『……他を探すぞザイヴ』
「それなら、僕はラオ君と探してみます」
俺は穏慈と走り、違う武器庫、倉庫に向かう。端的に言えば、二手に分かれての探索に移行した。探す範囲は広がるだろう。分担を買って出たガネさんとラオは、俺たちとは逆方向に進んでいった。
その、すぐ後のことだった。
「なあ穏慈」
『何だ』
穏慈と歩いていると、俺たちを見かけた女子たちが穏慈に近寄ってきていた。その中には、同クラス生も混じっている。珍しいものを見ているかのような強い興味の現れだが、俺には一切近寄ってきてはいない。穏慈が怪異だと知れば、どんな反応をするだろうと、ぼんやり頭の隅で考える。勿論、穏慈は困っているが、正直助けようとは思っていない。
「良かったね、人気じゃん」
『楽しむな。どうにかしろ』
「楽しんではねーよ。何その命令口調」
しかし思った以上の参り具合だ。少し手を貸すくらいはしようと、横から女子たちを落ち着けようとしてみたが、こういう時の対応は分からない。問題にならない程度に素性が分かれば満足するかもしれないと、浅はかな思いつきで紹介をする策にでた。
「こいつは穏慈っていうんだ。最近ダチになってさ。で、こんな長身だから」
「オンジさんっていうの!? いい名前だね!」
「……ごめん穏慈、何か逆上させたっぽいから先に行く」
『あ?』
俺は穏慈をおいて輪を抜け、早足で距離を離した。化けているとはいえ、あんな背丈の奴がいたらそれは目立つし的にはなる。それはそれでどうも気に食わないと、そのままにしておこうと思ってのことだったが。
『何だ、我をおいて行くとは』
「え!!? あの群衆から抜けてきたのか! 助けいらないじゃん!」
いつの間にか俺の横に追いついてきていた。とっさに走る速さも落ちる。そして、自信に溢れて俺に言った。
『我は怪異だぞ。咄嗟の勢いで脱したのだ』
「咄嗟かよ」
ザイと穏慈と離れ、第二武器庫と言われる倉庫の中を探したが、目的のものは見当たらなかった。気持ち的にもそろそろ見つかってほしいものだが、やはり探すとなると思ったようにことは運ばない。あと一カ所だけ当てがあるからとガネさんは俺を励ますが、あまり期待しない方が良いですね、と付け加えていた。
「その場所って……」
「ここからすぐ、屋敷長室の近くの倉庫です。あそこには武器も書も沢山ありますから」
その屋敷長室近くの倉庫の前に来た俺とガネさんは、淡い期待を抱きつつも、そう簡単にはいかないだろうとその思いを最小限に、倉庫の電気を点けて中に入る。目の前に現れた多くの武器に、なかなかの品揃えだと、そんな感心をする。
「良いもんばっかだなぁ。これ全部屋敷長のか……?」
「さあ。少しはあるんじゃないですか?」
刃で体を斬ってしまわないように、見逃さないように、隅々まで慎重に探した。武器を見渡す限りそれらしいものはないが、何気なく数冊の書を手に取り、パラパラと捲って現実逃避に近いことをしていた。
「……あ、これ」
「何かありました?」
思いもよらないところで、俺はあるものを発見した。すぐにそれに書かれてあるものを教育師に見せようとしたところ、突然、張り裂けそうな音と共に、勢い良く扉が開く音がした。これには、さすがに驚いて振り返る。
「何だっ?!」
「あっ! ラオとガネさん!」
そこには、二手に分かれて鎌探しをしていたザイと穏慈がそれなりに息を上げて立っていた。穏慈もザイも、心なしか疲れているように見える。その姿に疑問をもちながら、進捗を窺った。
「どうだったの?」
進捗の前に、あった事の成り行きを説明すると、ラオは笑った。それはもう静かに、しかし堪え切れない笑いを僅かにこぼしながら。
『莫迦にしておるのか』
「いやいや、違っ……あはははははっ!!」
しかし我慢の利かなくなったラオは、声を上げて笑い出す。ガネさんは、笑うと悪いと思っているのか、僅かに肩を震わせている。その表情は真顔だった。
「笑うなよ。俺も莫迦にされてるような気分だ」
『やはり我を莫迦にしておったのだな!』
「別に莫迦にはしてないよ。ザイ可愛いなぁ、巻き込まれてって……ぶっ」
何となくイラッとした俺の足は、反射的にラオの腹に勢いよく当たっていた。直撃したそれに、ラオは床に転げながら、かなり痛そうな唸り声を上げる。
「それはなかなかない……経験ですね……」
「あんたに言われるのはむかつくから黙ってくれ。っていうか経験とかそういう話じゃねーよ!」
「いてて……はぁ、でもそんな疲れる?」
「いや、何かよく分かんないけど、目を惹くのか結構見かけられて逃げての繰り返しでさ。もう合流してしまえと思ってラオたち見かけても遠回りするわ忍びになるわ何か疲れて」
『そんな話は良い。それよりも、鎌は』
そろそろこの話は終わらせて、本命の方に入ることに。俺の気持ちはすっきりしていないけれど、そんなことも言っていられない理由は、その探し物にある。
「当ては全部回ったんですが、物はありませんでした」
屋敷にあるはず、と言われた鎌が見当たらないこと。鎌を〈暗黒〉から盗んだのはおそらくヴィルス前管理官で、その鎌はこの屋敷にある。そこまでの情報で今まで探していたが、違う手を考えるべきかもしれない。
「あ、報告がもうひとつあった。これ見て」
違う手、という案を何か思い浮かべようとしていたところのラオの一言で、ラオが持っている一枚の紙に目を向ける。そこには、目を見張る文字が荒々しく並んでいた。
─ヴィルス シハイシチカラ。アヤツルモノトヤイバヲエル