第八十八話 黒ノ若キ離別ト再会
光郡に住むラオと親しくなって四年。慣れた俺は、一人で光郡に遊びに行くようになっていた。
しかし、そんなある日、ラオは突然家を離れると言って、一人で銘郡に行ってしまった。銘郡には剣術屋敷というものがあり、そこで部屋を取れるらしく、住むと言った。あまりに突然のことで、それを聞いた俺はラオの前で目を腫らすほど泣いた。ラオがそうした理由は分からない。ただ、去っていく時、悲しそうな顔をしていたことを覚えている。
記憶は遡り、初めてラオに会ってから日も浅い頃。俺は光郡に遊びに行き、同い年のウィンという女の子と知り合った。
ラオの友人と言うだけあってすぐに仲良くなり、三人で遊ぶ日が多くなった。
しかし、その頃くらいからだろうか。ラオと会うたび、彼の“怪我の数が増えていた”のは。不審に思いながらも、「転けた」だとかそれらしい理由で流されていた。
ラオが銘郡へ行って約一年。ラオがいなくなってからも、俺とウィンは互いに行き来しながら遊び続けていた。これでも、ラオがいなくなってしばらくはなかなか遊べなかった。ようやくラオが光郡にはいないという現実を受け入れた俺たちは、少しずつ調子を取り戻し、この時に至る。
「ウィン、遊ぼー」
「うん、遊ぼ!」
「そろそろラオに会いたいね」
一緒に遊ぶときは、いつもラオのことを話してからだ。現実を見たとはいえ、ラオのことは気になってしまう。少し寂しく感じて、あの時ラオが去って行った方向を眺めながら吹いてくる風に髪や衣服をなびかせていた。
「俺たちもラオのとこに行けたらなぁ」
「え?」
「……え? 俺何か言った?」
「ラオのとこ行けたらって……あれ?」
どうしようもなく、ラオに会いたいのだろう。自分たちの気持ちからは目を背けられない俺は、無意識に本音を漏らしていたらしい。
ラオは本当のお兄さんみたいで、俺たちにとても優しかった。だからそれに甘える日々を送っていたし、ずっと一緒にいられるとばかり思っていた。別れの時に聞いたある一つの言葉は、特別でも何でもなかったのに、忘れられない。
「……ねえザイ、行こうよ!」
「え?」
少し考えていたウィンは、俺にそう言った。ウィンも俺と同じ、ラオに会いたいその一つの気持ちをもっているのだろう。
「でも剣だよ?」
「いいじゃん。私ちょっと興味あるんだー。振れたらかっこいいもん! ラオと遊びたいし!」
もちろん、俺は反対する理由をもっていない。そのウィンの意外な提案に乗り、光郡に来ていた俺は、さっそくウィンの母親に相談しに行くことにした。
一通りの話をしたものの、ウィンの母はそんなに簡単に許してくれなかった。女の子が離れた人と会いたいがために剣術を学ぶなんて、認めたくないと。それでも、ウィンは幼いながらに一生懸命に訴えた。
「お願い!」
「……もう、言い出したら聞かないんだから……」
そう言ってウィンの頭を撫でる。ついでに、俺の頭も。唸るように悩んで、仕方ないと言う表情でため息を吐いて、微笑んだ。
「パパにも聞いてみなさい。お金を出すのはあの人よ」
「ほんと!? やったあ! ザイ、やったね!」
「まだ行っていいとは言ってないんだからね? ……まったく」
ウィンの母は、俺とウィンの行動の動機はともかく、やりたいことができたこと自体には何も言わなかったし、むしろそのことは援助したいと言ってくれた。
俺たちにとって、“ラオに会いたい”という願いが最優先のことではあるけれど、意欲自体は削がずにいてくれるウィンの母には感謝した。
その後、その足で俺の家に行って、同じように頼み込んだ。俺の母さんはウィンの母とは違い、お金を貯めないと、と張り切ってくれた。
─またラオに会える。また一緒に遊ぶことができる。
そう考えると、気分が弾んで仕方がない。ラオは俺たちのことを忘れていないだろうか。今、何をしているのだろうか。
後日、ウィンの両親からの許可も出て、ついに屋敷に行くことが決まった。その日から、期待がやまない俺たちは屋敷に入る日を待ち望むようになった。
△ ▼ △ ▼
「昨日連絡があったんだが、ラオガ君と関わりがある子どもが二人ほど入ってくる。言うべきかと思って、言わせてもらっているよ」
屋敷で屋敷長に呼ばれていた俺は、耳にした知らせで体が熱くなった。俺と関わりがある二人、といえば、あの二人しか思いつかない。本当にそうだとしたら、俺にとっては当然嬉しい知らせになる。何せ、一年前。これまで通りに会えない確率が高いことを受け入れて、ここに来たのだから。
「その二人って……」
「ラオガ君に会いたがっていると聞いたよ。歓迎してあげよう」
それを聞いた俺は、予想だにしなかった状況に喜びを感じ、涙がこぼれた。俺が思う以上に、彼らのことは大切だったらしい。聞くと、一月程度で入って来るという。俺の都合であの場を去ってしまった身としては、悪い気もしていた。複雑だが、それでも俺に会いたいと思っていてくれている二人と会えるのならと、俺は毎日毎日楽しみで仕方がなかった。
─約一月後。
初の五時頃。屋敷の玄関口が騒がしい。とうとう、この日がやって来た。青郡と光郡から、二人の子どもが入ってくる日だ。約一年ぶりの再会に心を躍らせながら、それが周囲に悟られないように冷静を装うのが精一杯だった。
「ラオガ君、行ってきなさい」
屋敷長から俺の事情を聞いていたホゼ教育師に促され、俺はゆっくりと開く扉の前で彼らを確認する。懐かしい笑顔と、懐かしい声と、懐かしいその空気に、俺の足は駆けだしそうになった。しかし、それよりも先に、その二人は俺に駆け寄って来た。
「ラオ!!」
俺は両腕を広げて膝をつき、駆け寄ってくる二歳年下のザイとウィンを受け止める。二人分の勢いを直接受けた俺はバランスを崩しかけながら、何とか二人を支えて抱きしめた。
「二人とも、元気だった? また一緒に過ごせるんだね」
「うん、また会えて嬉しい!」
「俺も嬉しいー!」
その腕にさらに力が入るも、まだまだ甘えを捨てていない彼らは喜んだ。その様子を二人の後方から見ていたそれぞれの両親たちは、少し寂しそうな顔で、けれどそれが二人に伝わらないように、何とも言えない表情を見せていた。
「まぁまぁ、二人ともラオガ君が大好きなのね」
「ラオガ君が居るなら、大丈夫そうね」
「安心したわ」
俺がいるから大丈夫だなんて、そんな保証はどこにもない。けれど、俺は信頼されているらしい。俺が腕の力を緩めても、二人はまだくっついていて離れない。それだけ俺に会いたいと思っていてくれたのかと思うだけで、嬉しさで胸が埋め尽くされた。
「じゃあ、ザイ、ウィン。屋敷長が待ってるから行こう」
「うん!」
「ママ、ばいばいっ」
両親たちは笑って手を振る。二人は素直に親と別れ、俺について来る。俺の事情を知らずに、明らかに純粋に俺に会いに来てくれたということだけが、俺に罪悪感を寄せてくる。ちくりと、耳の装飾に見立てた被物の下が痛む気がした。
それでも、今は一年ぶりに会えたことを、喜んでいたい。
「元気そうで良かった」
俺は、ついてくる二人の手を取って、しっかりと握った。二人の手の温もりが、俺の両手に伝わってくる。ぶんぶんと前後に腕を振りながら歩く二人に合わせ、俺の腕も揺れ動く。
「ラオも元気? 怪我してない?」
俺が怪我を絶やさなかったこと。ザイは、いつから気付いていたのだろう。その言葉は、俺にとって本当に救われるものだった。
一度離れて、二人の存在の大きさに気付いた。この二人が友人で良かったと、心の底から感じた。
「……大丈夫だよ。じゃあ、屋敷長の部屋に行こう」
「はーい!」
再び始まる、三人そろった時間。一年前とは違った関わりの中での時間。
俺は、護っていきたいと思った。護らなければならないと思った。その時間が、長く長く続いていくように……。