第八十話 黒ノ炎ノモツ諸事情
─事が起こったのは、吾が暇潰しにと宮杜と呼ばれる人里を訪れた約八年前のある日のこと。
事件の数日前にシンマと言う名を持つ男と出会ってから、二日に一度の程度でその人里に出向くようになっていた。その時、シンマには吾の身のことなど話してはおらんかった。貴様らにもまだ話してはおらんが、この話の中で語るつもりであるゆえ聞かんでもらいたい。
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シンマとは毎度暇潰しの程度で顔を合わせておったが、しばらく経った頃、吾の人への興味は順調に落ちていっていた。人と確実に異なる己の能力、この身の在り方、考え方の差。多くのものが目についてくると、それだけつまらなくなっていった。そして、人と釣り合わないことが分かると、ほとほとそのやり取りに飽きてしまっていた。
─吾は魔族。人の形を成してはいるが、人とは違うのだ。
「暇潰しに来ているというのに……全くつまらん」
「何で? 楽しくねーの?」
それでも何事も起きん一日が過ぎるのを待つだけというのもいかがなものかと、人里に下りた吾はシンマと草むらに並んで座っていた。シンマは己の親族の話、友人の話、好きなものや得意なものと、吾が聞いてもないことを一人でべらべらと話し続けている。
「……話をするだけでよく楽しいと思えるものだ」
「えー? じゃあさ、今日ある祭りに参加しねーか?」
「何じゃ突然。祭祀は性に合わぬが……まぁ暇に変わりない、乗ってやろう」
「っしゃ! もう準備はある程度終わってるはずだし、今から行こうぜ!」
時は夕刻。確かに賑わいは増してきている様子だが、今から向かうことになろうとは。驚きを隠せないまま、吾はシンマに引かれて祭祀の場に赴いた。その催しの場は少し歩くと見えてきて、出店はほとんどないが、ほんのり暖かい空気があった。
「今日はな、この里を神に清めてもらう祭りの日なんだ。この里には、神様を一年に一度呼ぶ習わしがあるんだよ」
なるほど、そんな祭祀日に吾が訪れようとは。運があるのかないのか、とにかく神を呼ぶ場に吾のような者は居たくない。しかし辺りを散策してみれば、集まっている人間は皆、吾がここの祭祀に初めて来たことを知ると、親切にも云われや伝統を語った。
─その何たるかは、はてよく覚えておらん。長くつまらんかったことが記憶に残されておる。
そのうち集合がかけられ、場の人間は大きく空に伸びていく炎を囲うように円を作った。その炎は、炎を操る吾でさえ気味が悪かった。吾がそう思うのは、恐らく“神の炎”という名がつけられているから。神なんぞ、いるはずがなかろうに。吾は何故恐れているのだろうか。どこかで、ここにいてはいけないと感じているようだ。
「ルデ、どうした?」
「っ! 否……。何でもない。考え事じゃ」
さすがに考え込みすぎたか、シンマに肩を叩かれてハッと意識を戻した。神に対し、己が魔族だからと怖じることなどない。まして、吾はただの魔族ではないのだから。
「……凄いだろ。オレさ、最初すげー怖かったんだ。でも、清めてもらえるんだと思うと、耐えられる。でっけー炎だ」
「あぁ……」
真っ昼間から火を焚いて、今は本当に上空に届くとさえ思えるほどの昇り方。やはり何かがおかしい。吾の中で、そんな予感が過ぎっていた。
そして、その後すぐにその予感は的中する。それは、日が落ち、視界も徐々に薄暗くなってきた時間で、皆が祈りを行っている最中だった。
「っ!!!」
“何か”、これまでこの里で感じたことのない気配を察知した。円の中で一人、体が跳び上がった。確かに、“殺気”のようなそれだが、殺気と言うにはおぞましすぎる気配にじっとしては居られなかった。
「ルデ?」
「……すまん、少し抜けるぞ」
「え? あっ、おい!」
シンマの不審な顔など、気にしてはいられない。ここに、良くないことが訪れようとしている。場を少し離れ、人気のないところで使役する魔物を喚び出す。出てきた魔物どもは、吾に従って里の上から気配を辿り始める。
それを追いながら、あの祭祀に近づかぬよう注意を払う上で、吾も同様に探っていた。
「ちっ、何だというのじゃ。面倒な……痛っ!!」
しばらく散策していると、何の脈絡もなく魔物が上から降ってきた。それは確かに吾の使役する魔物の一体で、見れば肉がただれて体内が曝け出されているではないか。人間ならば、目を背けるであろう惨状だった。恐らく、他の魔物も同様になる可能性がある。
「あの炎か……? いや、あれはそんな代物とは思えぬ……」
考えていると、現在も祭祀が行われている方向から爆音と悲鳴が聞こえた。確かに殺気に似たおぞましいそれを感じたのは吾が向いていた方向なのにも関わらず、背を向けていた方でそれが起き、慌てて踵を返した。
しかし、祭祀の場に着き、目にしたのは、吾が放った魔物がばらばらと落ちている事態。炎によるものではない。魔物の体は焼かれたというよりも、腐敗していたのだから。
「シンマ、おるか!」
場に戻り、まずは自身と最も親しいであろう者の名を呼ぶと、「こっちにいる」と返答があり、ひとまず安堵する。しかし、状況からするに里はパニック状態だ。神の清めを受けるという祭祀の日に、このような事態が起こることは前代未聞だろう。
「ルデ、この魔物は何!? 何で魔物が……!」
「黙っていたことは謝る。故に聞いて、受け止めてくれ」
シンマだけでなく、祭祀に参加していた里人が、何事かと一斉に吾を見る。その身の周囲に馳せる魔物の数と、吾の手にはめられたレザーの手帯上から赤く燃える炎が盛る。それを見る里人は確かに奇異の目で、一瞬にして吾の存在を恐れ始めた。
「吾は、魔族のビルデ=ムーダー。人型魔界妖物の成功型、炎と魔物を使う能力を持った存在じゃ」
吾のような者がいるのが分かれば、その反応も致し方ない。しかし、この現状で己を隠しておく必要もない。嫌な気配は、今度こそ徐々にこちらに向かってきているのを感じる。大きな機械を引き摺るような音、火薬と腐敗の鼻をつく臭い。五感の内の二つで刺激を確認する。
「ま、まじかよ……。だってお前……」
「黙って聞け人間ども。ここに今、強大な気配がある。何者かは知らぬが、確実に人を殺しに来ておる。祭祀を取り止めて逃げろ」
「じゃあまさか、この地震みたいなの……襲撃!?」
「……吾が食い止めてやる。出てこい貴様ら!」
魔物の数をできる限り増やすために喚び出し、両手の炎を上空に放つ。それを見て、逃げる里人たちが視界に入る。
それで良い。吾が恐れられようと、人を助けるために能力を出すなど、これが初めてだ。
「ルデ……」
「貴様ら、この気配を抹消するぞ。死んでも抗え! 命令だ!!」
『ぎゃぁあう!』
つまらんだの何だの抜かしていたが。結局吾は、初めて慣れ合った者の住む里を気に入っているらしい。つまりそれは、吾の居場所を襲撃したということと同意。この吾の場所を取ることなど……誰が許すものか。
「……吾が力において、その発つ気をねじ伏せてくれる」
吾の手元に、力が入った。ついに吾が目に映る、明らかな敵意を隠さぬ堂々とした輩ども。それは、やはり祭祀に集まった人間を標的としておると見える。
里人を庇うことができるよう手を包む炎を広げ、次第に大きくなる敵の姿を前に、吾は余裕さえも見せていた。
「何だぁ、てめぇ。ご立派に対抗しようってか?」
吾のしようとしていることに気付いた敵襲をかける一人が、吾に油を撒いた。それに火をつける者は、ただ一人しかおるまい。
「何をしに来たかなど、知らんでもよいか。貴様ら、すぐに退散せぇ。さすれば逃がしてやる。吾が目を瞑れる内ならばな」
「あぁ!? 何のつもりだぁ!?」
それは吾から見ると里を襲ってきたその本人たちであること。そっくりそのままの言葉を返してやりたいが、莫迦な人間どもの相手など時間の無駄。欲望に取り付かれる哀れな心を持つ分際で、よく言えたものだ。
「待て、こいつ……魔族か」
魔物を従えているのを見て、吾の正体に気付いたようだ。目の前にいる輩に殺気があるように、吾もそれなりの理由で殺気をもつ。よくも、人が人を平然と襲いに来たものだと。
「だったら何じゃ。まだ引く気は無いと見えるが……何度言わせるつもりじゃ」
「ちっ、聞いてねぇぞ。何でこんな奴が……!」
「あー……もしかしてあいつ……。ふ、話が早いわ。見てなさい」
まさか女が混じっているとは思わなかった。その声は低いのか高いのか、よく通る声で、リーダー格とも言えるような存在感をもっていた。
「……あんた、もしかして“生贄”だったりしない?」
「生贄……?」
その女の問いかけに、吾の後方にいるシンマが反応する。吾を案じてか、強ばりながらも動こうとはしなかった。
「……何故そう思う」
「その手帯全然焼けないね? 制御用じゃねーの? 本当の能力を抑えてんだろ!? 外してみな!」
勘の良い奴もいたようだ。そこまで言われてひた隠す必要もない。右の手帯を取るために、それを口でくわえて腕を引く。すると、手帯を外した手には黒い印が一瞬現れ、赤い炎を黒に染める。これを見たシンマの口からは押し殺して出たような悲鳴が出ていた。
「あはははは! やっぱりな。じゃあ、あんたには解るだろうな。教えてやる、魔族の生贄。あたしらは……この里から生贄を造るつもりだ」
それを聞いて、吾の思考は一瞬止まる。吾と同じ存在─細かく言えば似た存在─を、この里から生み出そうとしている。こんな人間どもにそれが可能だとでもいうのか。いや、そんなことはどうでも良い。吾自身生贄ではあるが……生贄造りなど、人の手で行われてはならん。
「何故じゃ」
「あんた、人の姿を成した魔物だろ? 同じようなことをしようってんだ。おい、出せ」
女の言うがままに、男どもは大きな大砲のようなものを前方に出した。大人が一人入るには十分の大砲の筒の中には、カプセルに似た形の不透明色の容器もついている。
「……何だと思う?」
「興味も沸かんな」
「ふふ、中には大量の魔物が組み込まれている。あんたの逆だよ。魔物を“組み込んだ者”を造るためのものだ」
吾は女の言うとおりの存在だ。吾の逆、つまり、人の体に異物を埋め込み、造る。その意味は、吾にはよく分かる。
「その目的はなんじゃ。人を使い、何を企んでおるか」
「ここの人間は神の清めを受けるらしいじゃないか。それを利用すればいい材料になると思わないかい?」
「ちっ、退く気はさらさらないというわけじゃ。シンマ、里人と逃げてくれ。脅しではない、死ぬぞ」
シンマは吾の言葉に従い、近くに残っている里人をまとめて去ろうと行動してくれた。しかし、それは遂げられることはなかった。
「ぅあっ!?」
後ろから、妙な声と音がした。振り返ると、横腹から血を流して倒れたシンマが目に入った。あまりにも突拍子もないことに、吾も全く動くことができなかった。
「なっ……、んじゃ、今何が……」
見えてなかったか、と女はニヤリと不気味な笑みを浮かべる。同時に、ちょうど吾の横方向にできる死角から身が凍るような激しい悪寒を感じて咄嗟に向くと、そこには今まさに吾を引き裂こうとする大男がいた。
「げっ! 危うい……間一髪じゃ」
「ほー、良い反射神経してんなー」
「シンマ、生きておるか!?」
「ぐっ……な、何、とか……」
シンマの出血は勢いこそ弱いものの、止まる気配を見せない。様子からすると、放置はできん状態だろう。動かず、喋らないようにと念を押し、シンマだけでも永らえられるように零下の黒い炎を発し、吾との間に隔てを作った。
「……貴様ら、その意図を聞こうじゃないか」
「意図ぉ? そんなもの決まってるでしょ……成功型を作る実験、そう言えばいい?」
その悪びれぬ姿に虫唾が走る。頭のねじが多く抜けているのであろうが、こんな胸糞悪くても鋭い勘をもつ女だ。相手にはしたくない。
しかし、ここに引き下がれば里人は間違いなく滅ぶ。この隔てが確実に守っていられる間に、こいつらをこの場より撤退させなければ。
非力な吾の友人と、その里を、吾の手で守らねばならん。魔物と吾の能力を使って、可能な限りの抗いをしてやろう。