第七十九話 黒ノ保タレタ力ト訪ネ人
ルノによって振り分けられた配置に移動するため、教育師たちは数日間の講技の組み直しを行った。教育師の多くが出払う間の講技が合同だったり休みだったりと不規則な日々が続くことになってしまったが、これも割り切るしかない。
班を作ったわけだが、一斉に動いても効率が悪くなりかねないため、一番遠く、ホゼの拠地となっているの隣の町、豊泉へ行く班が先に出ることになり、青郡と銘郡には後に同時に出ることが決定した。
「……ねぇルノ。そういえばゲランは?」
再度集まった僕とソム、ルノは、招集がかかる前にソムがいた食堂で腰を落ち着けていた。僕たちは移動しないことが決まっているため、周囲の教育師ほど慌ただしくなることもないが、いたたまれなくなったのが本音だ。
「あぁ、一応怪我人だし、呼ばなかったんだけどな。俺たちが調べたヴィルスの資料を渡したら部屋に篭ったぞ」
「あいつの本気なんて見たくないですね」
小魔を使った追跡もしただけあって、動けるほどまでに回復はしているはずだ。しかし安静にすることは調子をよりよくするには最もな方法で、それを否定するつもりも毛頭ない。ただゲランが真剣に何かをしている姿など見ないに等しく、それが気持ち悪い。
「あれでも優秀な教育師だぞ。何で医療担当なんかになってんのか不思議だ」
「それだけは共感できますけど……」
とにかくゲランが調査を引き継いでくれたのは助かった。こちらも手が空くし、非常時に備えられる。そんな話をしていると、ウィンさんがまた不安そうな面持ちで食堂に入ってきた。僕たちの顔を見ると、駆け足になって目の前に来た。主にソムを見ながらだが、今回、教育師が多く屋敷を離れることを友人から聞いて確認しに来たのだという。
「……うん。ホゼの居場所が分かったし、放っておくと危険だから」
「僕たちもこんなことにまでなるとは予想をしていませんでした。でも、屋敷生の安全を守るためでもあります。ウィンさんも、何が起きても自分の身を守ることを考えてくださいね」
例え、このことによってこの屋敷の状態が変わることになろうとも。今は己がもつ命を大切に守り、未来に継ぐことの方が、よほど重要なことだ。それが、屋敷生であればなおのこと。
「お前がそこまで悩む必要はない。ガネとソムがいるだろ、こいつらは必ず力になる。大船に乗った気でいていい。気に病みすぎて参るなよ?」
「……分かりました」
ルノからの後押しもあり、ウィンさんも不安ながらに納得したようだ。青郡に行くまでに少しではあるが時間のあるノームの元で自然魔を教わってくる、と言い、ここに来た時とは違った表情で出て行った。
「……ソム、ウィンさんの自然魔を伸ばすのはいいけど、自分のクラス生だよな?」
「何か自然魔といえばノーム、って感じに懐いちゃったとこあるかもしれない。まあ私の自然魔は特殊だし、参考にならないだろうからね」
その後しばらく、ソムの他愛のない話に付き合ってから食堂を後にした。
......
何とかうまく歪を作ることができたようで、斬られて輝きを放つそこから青い光を放つ魔石が出てきた。青郡で見た時とはまた違った姿を目にする。
『あまり目にしたこともないから確信はもてんが、……この姿。闇晴ノ神石、かもしれんな』
「へ? ああ……もしかして青郡にあったから青精珀って呼ばれてただけだったりするのか。また難しそうな名前だな」
何となく聞いたものの、神石と呼ばれるだけの器……つまりそれほど尊重されるべき魔石なのだろう。そんな恐ろしくもあるものが青郡にあったなんて、何かの間違いが起きていたら大きな混乱を招いていたかもしれないことを想像してしまう。
しかし、その名をもつに相応しい能力を兼ね備えていることは、ギカやその叔母からも聞いている。とにかく、無事に〈暗黒〉に収まってくれたようで、一件落着となった。
『あとは歪を閉じれば良い。無理をさせて悪かったな』
閉じる際は、俺が以前行ったのと同様のやり方で良いという薫の言葉を聞いて、光を纏った鎌で再びその歪を斬る。前回と同様に閉じていく様子を見届け、俺はグッと拳を握った。それは、横にいたラオも同じだった。
「深火とか顔擬、大丈夫かな」
「見に戻るか。薫、行くよ」
「穏慈も、行こ」
『あぁ』
吟を見つけた俺たちは魔石のことを話し、それが穏慈の言う闇晴ノ神石だということが吟による“空間の声を聞ける”力で明確になった。そのタイミングで顔擬を連れて秀蛾が現れ、症状が収まったということを喜んで知らせてきた。
『でっど! ありがとう!』
秀蛾のその言葉を聞いて、深火や他の怪異の無事を確信した。それと同時に、〈暗黒〉の静寂を感じた。
思いの外長居してしまった上、心労を感じるような行動をしていたためか、一気に自身に重力がかかってきたように感じた。
『何とかなったようだな……魔石はこちらに来たわけだが、向こうにあった魔石はどうなるんだ』
『……ソレハ、問題ナイ。オ前タチガイルカラ……保タレテイル』
青郡にある魔石がなくなってしまう可能性は考慮していなかったが、もしそうなっていたら、ホゼにとってはかなり事を運びやすくなってしまうところだった。変わらずそこに在り続けていてくれているようで、胸を撫で下ろした。
「良かった……。とにかく、何事もなく落ち着いてくれて安心した。でもごめん、俺たちすぐに戻らないと。向こうでも色々面倒が起きてて」
『もどるの?』
「うん。また何かあったら来るよ」
今回の件で身に降りかかった疲れを癒したいけれど、果たしてそんな時間はあるだろうか。屋敷では今、どのような動きがあるのだろうか。〈暗黒〉が落ち着いたと思ったら、今度は本来の目的の方で頭がいっぱいになってしまった。
『でっど、なまえは?』
「え?」
秀蛾は、改めて俺たちを気に入ってくれたらしい。周囲の怪異が名を口にしていたことを聞いていなかったのだろう、その問いに二人で応じると、秀蛾だけでなく顔擬も喜んだようで、秀蛾は一人ではしゃいでいた。
『ありがとう!』
「悩ませて、ごめんな。またな」
怪異との関係性がまた一つ進歩し、俺たちは僅かに軽くなった体で屋敷に残る身に意識を戻した。
△ ▼ △ ▼
─何故、今更奴が出てきおったのか。分からぬ、名を聞いた吾の背筋は痛いほどに凍り付いた。
まさか、あんなことになったのに死んでいなかったとは。吾にとっては、酷くトラウマに残る記憶の断片が突然現れ、今まさに吾を苦しめようとしているようにしか思えてならなかった。
しばらく走り続けたものの、今は休み休み、森の中を移動している。使いの魔物どもにもシンマには気を付けるようにと言を告げると、了承したらしい反応を示した。
いやしかし、今問題なのは……これからどこに行こうものか。ということ。
「変な輩に勘づかれたら……ザイヴらも無事じゃ済むまいて……となれば」
吾は踏み出した。少し上を見上げて。吾がここを離れれば、奴単独ではザイヴらには近づかぬはず。しかし、奴がザイヴを狙う奴の下にいるのであれば、話は違ってくる。
(できれば近づきとうはなかったが……やむを得ん。貴様らの元へ行ってやろうではないか。奴らの屋敷とやらはどの方角じゃ)
魔物を連れて、しばらく歩き続けて森を抜けた吾は、屋敷の場所を尋ねながら歩く。異様な目を向けられることにはもう慣れたもので、己でこの身の醜さは重々承知しているのだから全く気にはならなかった。
魔物を使いながら道を見つけ、ひたすらに向かった。
快い者たちが場所の方角を示してくれたお陰で、思いの外すんなりと目的地付近と思われる場所まで来ることができたが、それでも屋敷そのものの存在はなかなか目に留まらずにいた。人の姿もほとんど見られないため、仕方なく魔物を上空にやり、方角を定めさせる。
急がねば、吾が着く前に追いつかれると厄介なことになりかねん。上に行った魔物が指す方向を目指し、吾は歩く。
「……あれか」
そして、目に写す確かな屋敷の姿。あの中に、ザイヴらはおるらしい。追い返されなければよいが……。どう説明して加わってやろうか。
△ ▼ △ ▼
「あっ、起きた!」
「あれ……ウィン?」
目を覚ましてまず捉えたのはウィンだった。俺たちを見に来る時間があるということは、講技がないのかもしれない。そう思いながら起き上がると、タイミング良くルノさんが医療室に入って来た。
「お、戻ってたのか」
「たった今だけど。それより……今どういう状況?」
「あぁ……それはな」
ルノさんの話を聞くと、驚いた。俺たちがいない一日と少しの間に、ホゼの居場所を掴み、対処を始めたと言う。その策のために屋敷を空ける教育師が多く、講技がほとんど行われない状況だということも聞いた。
ウィンはノームさんに時間の限りで自然魔を教わり、俺たちが戻ってくるのをじっと待っていたのだという。
部屋の主であるゲランさんはというと、先程まで休んでいたらしいが現在は留守。いつもゲランさんが座っている机には、不思議な紙と大量の書物が置かれていて、ゲランさんが多くの情報を得ようとしていることが理解できた。
「とにかく、この件に関しては俺が仕切るからな」
「それは別にいいけど……」
「……青精珀のことは、向かわせた教育師には伝えてあるから大丈夫だ。疲れただろう? 少しなら休んで良いぞ。少しな」
「強調してくるなよ本部長……見てくれ、ザイを。こんなに項垂れて」
「少しな」
ルノさんがその部分を何度も繰り返しながらも、俺は休んでいいという言葉に甘えてそのまま眠ることにした。穏慈と薫は疲れなど微塵も感じていないらしく、好きにしろと残し、ルノさんに力を貸すことにしたようだ。
「あはは、少しゆっくりしたら良いよ。じゃあ、二人とも寝るなら戻るね」
「あぁ、うん。ごめんねウィン」
「いいのいいのー、じゃあね」
俺たちは落ち着くためにも、ウィンとルノさんが医療室を出たのを確認し、再び違った意味で意識を手放そうと瞼を下ろした。
しかし、睡魔に身を委ねようとした頃、荒い音と共に誰かが入ってきた音が遠く聞こえてきた。
「おい起きろガキども。おい」
「……んん? 何、今寝ようとしてんの……」
休む時間、というものを取ることは叶わなかった。重い瞼をこすりながら、ゲランさんの脅迫めいた起床の促しで体を起こす。何事か起きたのかとぼーっとした頭で話を聞くと。
─危害は加えないから、俺を呼んでほしい。そう言って屋敷を訪ねて来た者がいるという。ゲランさんが言うには、その本人はとても怪しい感じだったという。見たのであれば特徴を教えてほしいというと、見たことがあるような容姿が思い浮かんだ。
「ええぇ……。……ビルデだったりして」
「何の用だろ……とりあえず、危害を加えないってんなら行ってみようか? 騒ぎになってる風でもないし」
同じく起こされて話を聞いていたラオは俺に言う。それに少なからず納得してしまった俺は、ゲランさんの言葉に乗って玄関口に向かった。
そこには、すでに屋敷生が多く集まっていて、残っている数人の教育師が制止していた。
「……あれなあに? 凄い層の眼だけど」
「あんな半目初めて見た」
その言葉を聞く限り、疑いようがなかった。その者は、俺たちに協力を要請して、「また会おう」と言って姿を消したその本人だった。
「来たか貴様ら、待ったぞ」
「やっぱりか」
人をかき分け、ビルデを目の前にする。特徴から想定していた者の、予想を裏切らない独特の口調だ。わざわざ屋敷に足を運んだ理由を聞こうとすると、ここでは目に触れやすいということから中に入ってから話したいということで、関係者が集まりやすい医療室で話へ案内することになった。ラオはガネさんを呼ぶと言い、駆け足でその場を離れていった。
ビルデのことで集まっていた人たちも、次第に散らばり始め、通路は歩きやすくなっていた。
「で、何故僕らも集めるんですか」
ラオが呼びに行った、ガネさんを始めとする例のメンバーが揃っている。ガネさんの言い分も分かるが、青郡でビルデが一時的にでも俺たちの味方についてくれるという話はしているはずで、ビルデの存在は知っていた方が良いと思ってそうしたまで。
「こいつ知り合いなのか?」
「いろいろあって……」
ルノさんは面白い、とビルデをまじまじと観察する。それに対して、ビルデが「やめろ」と言う。ルノさんがある程度ビルデとの関係性について理解したところで、本題に入るべく俺が再度先程の質問を投げかけると、あっさりと答えた。
「計算外じゃが、厄介な奴が貴様らの敵勢におってのぉ。色々訳ありの男でな、いろいろ考えた結果、かなり面倒になると思って加勢に来たのじゃ」
ホゼに対して強気な口調を発していたビルデが、それ以上に恐れる相手がいると言う。詳細について聞かせてもらえないのかと話を掘り下げようとすると、自らその重そうな口を開いた。
「奴の目的は個人的なものになっておるかもしれんが、敵は敵よ。どの角度から攻めてきてもおかしくはない。奴……名をシンマというが、そいつが吾にとって都合が悪い理由。そして、ホゼどうこうというものよりも、吾と関わったがために貴様らをも巻き込もうとしている可能性をもつその原因……吾自身が、その当事者じゃ」
そのただ事ではない表情に、ガネさんも顔色を変えた。
「……一体何があったんですか。そこまで深刻に狙われるようなこと、したんですか」
「……不可抗力ではあるがな」