第七十七話 黒ノ清キ闇ノ力ト狂イ
「なぁ、ザイ。歪って……」
以前、泰が歪を作って無理やり〈暗黒〉に来た時には俺が塞いだが、歪が広がると両世界を崩してしまうものであることを、ラオは知らない。俺と同じ状況下にあるラオには話しておかなければならないため、説明するとその顔は引きつった。
「でも、何で……」
『……要するに、魔石はこちらに来たがっているがここがそれを邪魔しているということだ。だったら、核でもある〈暗黒者-デッド-〉がこじ開ければ良い。もちろんザイヴが言ったリスクもある。分裂している今、二人の息を合わせ威力を同等に、しかし開く歪は僅かでなければならない』
『その点を私たちが補えば良いのか』
確かに、その考えに至るところは否定するつもりはない。穏慈の言い分は、最短かつ、最良の方法である。しかし同時に、〈暗黒者-デッド-〉本来の存在に近い状態で行わなければならず、その力量が問われるということ。
穏慈と薫の言葉に深火は頷いて、俺たちに頭を下げる姿勢になる。
『確カニ……それガ一番の方法だ……他の方法ヲ探スうち、死ぬ奴も出テクるだろ、ウ……。スマナイ……限界ダ……方舟ニ、戻ル……』
方舟に入ると少しは楽になるのだろうか。俺たちの応答も待たず、速やかにそこに現れている方舟の中に入り、引きこもるように静まった。
『それしかないなら……仕方あるまい。それで、貴様ら覚悟は決めたか?』
「ねえ待って、決断を下すのは俺たちって言っといて選択権は? 一、歪作る。二、歪作る。さあどっちってこと?」
『あぁ』
「ちょっとくらい申し訳なさそうにしろよ! 歪作るの俺らなんだから!」
何か文句でもあるのか、とでも聞こえてきそうな雰囲気に、思わずその体毛を引っ張りまわす。補うとは言っていたが、それでも人任せなセリフだった。
最善の方法というのであれば、薫の言う通り仕方がない。加わる穏慈の案で、一度開けた場所の方が、他所に比べてやりやすいだろうという憶測の元、以前泰が外からこじ開けてできた歪を塞いだ辺りに行くことになった。
「……はぁ」
責任感からため息まで出てくる始末だ。俺たちでその役割を全うできるのだろうかと、不安しか残せないまま怪異の背に跨り移動した。
......
小魔からの連絡はしばらくない中、ゲランは右胸が痛むと言い、体を休めながら小魔との交渉を続けている。ウィンさんの自然魔で保っている状態であるため、本来なら安静にしていなければならないのだから、疲弊するのも無理はない。
「ゲラン……寝てますか?」
「あぁ? 寝てねぇけど……てめえ講技は」
今日の講技は、屋敷生にとっては体を痛めるものになったはず。彼らの体力等を考慮して早めに切り上げた旨を伝えると、ゲランは僕らしくないと顔を歪めて笑った。
「それより、ルノたち知りませんか」
「多分書庫だと……あ、ガネ。来い」
「命令しないでください。何ですか」
ゲランが示す机の上の紙にある印は、緑色を纏い点滅をしていた。どうやら小魔が何かの伝言を残すときの反応らしい。ゲランが小魔を扱えることには驚いたが、こういう面で役に立つ教育師がいると頼れて良いものだとその印を覗き込もうとした時だった。
「! ガネどけ!」
「え」
突然その点滅は手のような半透明の細い腕をいくつか伸ばして、僕の眼に触れようとしていた。咄嗟に身を引くが、これでもかというほどどんどん腕を伸ばす。ゲランがそれを鎮めるように、僕を横に押しのけて割り込みまとめて叩くと、やれやれと自身が印を覗き込んだ。
「……わりぃ、無事か?」
「無事ですけど本気で押しましたよね。……今の、何ですか」
正直、あの触手のような動きの腕は気持ちが悪く、その上何か心を探られそうな感じがして落ち着かなかった。ゲラン曰く、今のようなことは滅多に、というよりもこれまでにはなかったという。
「多分珍しくて取り込もうとしたんだな。何もなくて良かったけど、迂闊にてめえを近づけらんねーな」
「そんなことするんですか? さすがゲランが扱うだけあってやることが酷いですね」
「余計なこと言ってる暇ねーだろ。ホゼを見つけたらしいぜ。場所は崚泉内だな」
移動していると見ていたが、想定を外れホゼは以前と変わらない場所にいる。そのことに違和感を覚えたが、小魔の情報は明確だと、ゲランが言い切る。本人も情報収集力に長けているため、小魔の使い方もそうしているのだろうが、その自信はどこから湧いてきているのか。心の内に秘めたものの、思った。
「そうですか。……有難うございました」
「え、何、礼言うとか気持ちわりーな」
「ほんっと癪に障る男ですね。助かった時は素直に礼くらい言いますよ」
これ以上関わっていると苛ついてきそうだ。そう感じ、得た情報を伝えるがてら調査に加わることにし、書庫に向かう。
ホゼの動向について考えながら辿り着き、書庫の扉を開けると、壊された本棚が目に入り、更に奥の方で調査をするルノとオミ、加えてソムの姿も確認した。
「ソムもいたんですね」
「うん。調べるっていっても量が尋常じゃ無いからね」
「手伝う気で来たんですけど、その机に置いてある量を見て引いたのでやっぱりいいです。ゲランが収穫を得たものだけお伝えして戻ります」
「何だそれ。まあいいか、それで?」
先程ゲランが小魔から受けた情報をそのまま伝えると、僕と同じように意外だという声が上がった。通常なら、居場所が掴まれないように場所を変えてもおかしくない。その想定は、僕のみに留まってはいなかった。恐らく、ザイ君たちもそう思っているだろう。
ホゼの襲撃を受けて、通常の時間に戻った今、不本意ながら落ち着かなくて仕方ない。いつまた手をかけてくるか予想もたたないことが何よりの原因だ。戦場であれば目先の敵に応じればいいが、対して行動範囲の分からない相手だと、こうも不安になるのかと身をもって感じていた。
「よし、ゲランに協力を仰ぐぞ」
早速行動を起こそうとしたルノだが、先程までのゲランの様子を見れば、一度休息を入れたほうが懸命だろう。
「今は疲れてると思いますよ。何となくですけど」
「……ゲランを気遣えるようになったのか」
僕としたことが、気を遣ってこんなに悔しい思いをすることになるとは思わなかった。その対象がゲランだというだけに、そうしてしまった自分に苛々する。そういうつもりではないと否定だけは強めに、僕はその足を扉に向けて進めようとした。
「あー待て待て。俺たちもさすがに戻るから……片付けだけ手伝ってくれ」
「……ええー」
「こんな夕刻までやってたんだぞ。褒めろよ俺を」
「何でですか? さっさと片付けてください」
片付けだけならと、積まれた書物、史乗の書を手にし、綺麗に整頓された本棚に一冊一冊戻していく。これがまた面倒なほど時間がかかる量で、これを日中ずっと読んでいたのかと思うと、さすがに僕でも気が滅入りそうだった。
その日は、そのまま夜を迎えて夜を明かした。日が昇ってから医療室を訪ねると、ザイ君とラオ君はまだ眠ったままでいた。
......
『薫、気付いているか?』
歪を作るべく、場に向かう最中のこと。突如穏慈は薫に言った。もちろん、ただならない殺気のような、異様な空気は俺もラオも感じていた。それが何を意味しているのかは、もう何となく察しがついている。
『……被害を受けた奴も何匹かいるようだな』
それに危機を感じ、怪異の背の上で俺たちも周囲を見渡す。視界に捉えたのは、俺たちをジッと睨んで浮かぶ、目を瞑りたいほどのギラリとした眼。怪異の姿がはっきりと見えてくると、その眼の鋭さは増し、こちらを狙ってきていることが一目瞭然となった。
「あいつら……!」
『影響を受けて様子がおかしくなっているのかもしれんな。我々を、というよりも手当たり次第に襲いかかろうとしているように思える……薫』
『あぁ……飛ぶぞ』
「うわっ!」
体が持って行かれそうになりながら、跨っている怪異の体が宙に浮き、口を開けば舌を噛みそうなほどの速さで進んでいた。後方が気になり、穏慈にしがみつきながら振り返ると、変わらず多くの眼が俺たちを捉えて追ってきていた。
『ちっ……厄介だ』
『おい穏慈、この状態で歪は作れんぞ』
怪異たちの様子にこちらも手を打たなければ問題の解消に至るところに辿り着けないという結論に至り、穏慈も薫もある程度距離を離したところで足をついて、追って来る怪異の方に体を向けた。それを合図代わりに、俺たちも背から降りる。
『……面倒だが仕方ない。ザイヴ、戦えるな』
「うんうん、余裕だよって俺も言いたいよ。……でもこれは!ちょっとな! 魔物ならともかく怪異だから!」
「うわあ、俺はちょっとこの数の怪異は未経験だなあ」
「俺も未経験だよ。大量の魔物はこの前ほら、青郡に行った時のがあるけど」
しかし、ここで腰が引けていても根本の解消には向かえない。俺とラオは渋々武具を出す。
向かってくる怪異に、本質での敵意はない。ならば傷つけないようにと、穏慈や薫も張り倒す程度で、その命を絶とうとはしていない。その動きを見て、俺たちも武具の柄の部分を使いながら応戦していく。この状況を前に、俺たちの武具は早速白っぽく、清らかな光を纏った。
「ラオ、行けそう? ……何だろ、これ。光った……」
「俺は大丈夫。薫、これは?」
『いきなり出るとはな。それは癒しの効果を持つ【浄闇】』と呼ばれるものだ』
『ザイヴ、お前のも似たような癒しを持つ【静闇】というものだ。こいつらは暴走しているだけに過ぎん、一時的にでも鎮めれば害はない』
俺の癒しは沈静化、ラオの癒しは清浄化、というわけだ。鎌と鋼槍でこのように効果が分かれているのには、やはり〈暗黒者-デッド-〉が分裂していることが関係しているのだろうか。
それに、もう一つ不思議なのは、この輝きを見るのは初めてではないこと。
「歪を塞いだ時も、同じ色だったよな……?」
「えっ、そうなの?」
『……確かにここに妖気は必要だ。しかし、妖気だらけだと、我らも自我を失いかねん。生きやすいようにうまくできているものだからな』
つまり、妖気で狂暴化してしまっては怪異といえど生命が脅かされる。癒やしがあるお陰で、至って平穏に生きることができているということだ。本当に、生物が生きる空間はその生物が生きやすいようにできているものだ。
「とにかく、これで斬ればいいんだな?」
怪異たちが唸る。まるで、喰ってやると言わんばかりに。しかし一方で、救ってくれと嘆いているようにも聞こえた。その真偽は俺たちには定められない。ただひたすらに、向かってくる怪異を一体ずつ、この鎌と鋼槍で癒していく。斬っても原因を取り除くのみという優れもの。斬って癒す、そんな方法は滅多に聞くものではないが、このような場においては相当便利な能力であることは明確だった。ただ、俺たちが思うようにはいかないところももちろんある。あと二体というところまで来て、その二体が思った以上に荒れていた。
「他の奴がそうでもなかったからまだ良かったけど、大丈夫?」
「うん、何とか」
穏慈がやっと一体を押さえ、その支援を借りて斬りかかるが、その怪異もまた、逃れようと暴れる。俺に害が来ると悟ったのか、穏慈は俺を庇うように身を置き、その怪異を体で受け止めた。
まさに、その時だった。
『ホウ……ソイツ等ガデッドカ』
新たな刺客、いや、しっかりとした自我を保ったそれの、ドスの利いた声が聞こえてきた。